デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

補遺・追補

1章 補遺
節 [--]
款 [--] 1. 東洋護謨株式会社
〔第二編 第一部 第三章商工業 第二十九節其他〕
■綱文

第56巻 p.647-649(DK560142k) ページ画像

明治33年8月22日(1900年)

是日栄一、日本橋倶楽部ニ於ケル当社ノ創立総会ニ臨ミテ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK560142k-0001)
第56巻 p.647 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
八月二十二日 晴
○上略 午後日本橋倶楽部ニ抵リ ○中略 畢テ日本護謨会社創業総会《(東洋)》ニ於テ一場ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第一四八号・第四―六頁 明治三三年九月 ○東洋護謨会社創立総会に於ける青淵先生の演説(DK560142k-0002)
第56巻 p.647-649 ページ画像

竜門雑誌  第一四八号・第四―六頁 明治三三年九月
    ○東洋護謨会社創立総会に於ける青淵先生の演説
 本編は青淵先生が其株主となられたる東洋護謨会社の創立総会に於て述へられたる談話の要領にして、新事業経営者の為め大に其心得となるべきものなれば玆に掲載して読者の参考に供す
本日は東洋護謨会社の創立総会にて、議事も滞なく相済みたるを以て何か老生にも一言の意見を申述べよとの田中氏の御懇請なるが、老生は元より斯会社創立の発起に与りたるものにも非ず、又護謨事業に就て特殊の意見を持つものにもあらねど、此種の新事業を欧米より続々移し来て、我国力の富強を図らるゝの旨意は、老生の尤も賛成奨励する処なるを以て、老生が従来の経験上各種の新事業に関係して、或は成功し或は失敗したる、興廃消長の跡即ち実歴談の一部を御参考迄に簡単に述ぶることとなすべし、其事業の種類も色々あるが中に、彼の製紙事業は機械工業及化学を併せ応用するものなるが、是は明治七年頃に創め種々の困難を経て、先相当なる事業となりたり、次に紡績事業も主に機械的の仕事にて、之も十三年頃より開始し幸に功を奏して大阪・三重其他各所に勃興し、目下の処にては錘数を総計して殆ど百廿万錘に上るに至れり、之に接近したる事業にて絹織物業は、現に京都に京都織物会社と唱へて各種の絹織物類を製出しつゝあり、之れも或部分は化学的を要するものと雖も、重に機械工学に属するものなり或は帽子の製造業、之れは初めに外国人二名まで雇ひ入れ、盛なる抱負を以て始業したるも、一時非常なる困難に陥りしが、更に回復の挙を計るものありて、今は相当なる事業となりて存し、終に大阪・東京其他の地に同業者を出すに至れり、又或は人造肥料・煉瓦・「セメント」など、種々の工業に関係せるが中に、尤も失敗したるは精糖業なり、併し覆轍に鑑みて其後に起りし大阪の日本精糖会社の如きは、老生も矢張取締役の一員として現に相当の事業を営みつゝあり、帽子と肥料とは一時の困難も非常なりしが、忍耐を以て困難を排却し今日あ
 - 第56巻 p.648 -ページ画像 
るを致せり、此の如く数へ来れば十を以て算するも尚足らざる各種の事業も、均しく営利をのみ唯一の目的として巨額の資本を投したるものはあらず、我邦の工業を振興して一品にても我国の製造品を以て国用に充て、以て国富を増さんとの希望に出でざるはなく、全力を注で其発達を図りしものなり、謂ふ迄もなく国を富すの術は単に天産物を是れ頼むて晏然として貿易をなし居るべきものに非ず、少しにても製造品を盛にするの道を講ずべきは、最も緊急を要するものなり、我国従来の有様多くは天産物を売て製造品に易ふるの状態なりしは、識者の認めて甚だ遺憾となしたる処なり、只如何せん学問の幼稚なると二つには取扱者其人を得ることの難きより、已むを得す折角の事業も大抵外国人の力を頼みて、漸く成立を得たるもの多くは然り、然るに今回玆に設立の運に至れる護謨会社は、同しく機械工学及化学応用の立派なる学術的工業の一にして、之れを発達せしめて幾分か国力の進昂を図らんとしたる、田中氏等の着目先つ多とすべきものと思ふ、加之是れが技術の任に当れるもの矢張り本邦人にして、兎も角も遣り通さんとの決心を以て事を初められたるは、是又大に我心を得たるものなり、併しながら此会社の内部の詳細は、老生は全く局外の地に在るを以て、是れならば大丈夫成功し得るとの鑑定的の保証は、只今以て為し得難く、換言すれば御企の程は至極賛成するに躊躇せぬ処なれとも見事出来上るか否やは未知数たるを免れずと謂ふなり、就ては其技術の衝に当る荻原氏にも面会し種々御話をも承り、又同氏の厳君とは旧知のことにて其御頼みの旨意も拝承したるが、兎に角に結構なる御企と奨揚するは憚らぬ所なり、只に荻原君其人の技倆一つが此会社事業の中枢となる訳で、多少の掛念は此一点に集まると謂はざるを得ず、併しながら田中・大川の諸氏を初め、夫々経歴を有せらるゝ人達の助力もあることなれは、何も新事業は必ず外国人ならではならぬと云ふ理由も無く、否進で外国人を要せずして美事遣てのけると云ふの例を世に示すの抱負を以て進まんことは誠に立派なる次第なりと思ふ、凡て新事業は初より多く複雑なる方法を撰むは、即ち多くの面倒を求むるの道理で、決して発達の順序とは云ふべからず、漸を追ふて徐ろに細微の域に歩武を進むるの法を講ずる様、所謂大事を取て行くといふが第一の要件なれば、成るべく最初の中は製造の分量を少くし、余りに機械技術を使い過ぎぬ様、語を換ふれば品を作らん為めに機械技術を働かすは宜いが、機械技術を弄せん為めに品を作るの弊に陥らざる様、斯くして追々に進捗の途を択ぶこと蓋し堅固なる方法なるべし、左なくては余り一時の血気に任せて遣り過ぎ、一旦の失敗に端なく頓挫を来たし、為めに内部の紛紜を引起し終には全然の失敗に帰し了るが如きことあらば、実に取て返しのつかぬ始末、深く警戒を加へて恐れざるべからざることと田中氏・荻原氏等にも、些か御忠告を加へたるは只婆心のみにも非ざるべし、今日は先つ創業の順序も相定り此新事業を日本人の手にて遣り初むることとなりしは、実に慶賀のことと云ふと共に又首尾よく遣り通せるや否やは掛念のことと謂はざるべからず、試験を経て後初て資格あり、最初暫時は試験時代にあることを覚悟して、徐々試験的に事業を進め、前に誉のあらんより後に誹のな
 - 第56巻 p.649 -ページ画像 
からんことを思はゞ、蓋し大なる愆はなかるべし、総して斯る事業は一時に目的通り遂行せんとするは破綻の基にして、為に塵程の失敗より紛乱の山を築き、遂には角を撓めて牛を殺すの不幸に陥るものなり故に従来の事業発達の順序を考へ一人前の資格に成立する迄は、当事者は元より株主諸君も、飽迄御辛抱が肝要のことと思惟す、先々我邦に於ける学術的工業の増加するは、国家の為め目出度現象にして、護謨の如き需要の日に益々急なるものを我手にて完全に供給することを得るに至らば、単に国富の為めに賀すべきのみならず、世界に対する日本人の一大面目と云ふ可きなり、諸君願くは此護謨の引ても千切れぬ粘力と押してもはね返す弾力とに習て、堅忍なる意志を養ひ相共に他日の大成を期せられんことを、但し護謨の腰が弱くて曲り易い点と伸びたり縮んだりして正確なる寸尺が分らん様な不定見とは、必ず御見習なき様、何卒前者の護謨となりて、後者の護謨たらざること、深く御注意を申上置くものなり云々


(八十島親徳) 日録 明治三四年(DK560142k-0003)
第56巻 p.649 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三四年   (八十島親義氏所蔵)
七月十八日 曇
九時出勤、青淵先生ハ不相変王子引籠中也、本日午後三時頃ヨリ若主人 ○渋沢篤二・松平氏ト東洋護謨会社ニ行キ見物ス、同社ハ亀井戸ニアリ一・二ケ月計リ前ヨリ作業ヲ始メタルナリ、社長田中栄八郎氏及専務取締野本庄太郎氏等ノ案内ニテ場内一覧ス ○下略


竜門雑誌 第一五九号・第四五―四六頁 明治三四年八月 ○東洋護謨会社の現況(DK560142k-0004)
第56巻 p.649 ページ画像

竜門雑誌  第一五九号・第四五―四六頁 明治三四年八月
    ○東洋護謨会社の現況
我国の諸工業は近年来長足の進歩を為すにも拘らず、独り護謨事業は尚幼稚にして其供給を海外に仰ぎ居りしが、本年四月開業せる同社は工業家中屈指の田中・大川・野本其他二・三氏の発起にして、青淵先生の如きも大に賛成せられ、又技師長は十数年間米国に於て専ら斯業を研究したる荻原米国工学士其任に当り、精良の物品を製造せるを以て陸海軍・逓信省・官私鉄道及び諸工場より続々注文を受け、日夜製造に従事し居れりと云ふ



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK560142k-0005)
第56巻 p.649 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
三月一日 晴 風強             起床七時 就蓐十二時
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ ○中略 長森藤吉郎来リ、ゴム事業ノ談アリ ○下略
   ○中略。
三月十六日 曇 寒             起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 午後三時過 ○中略 長森氏ノ来訪ニ接シテ要務ヲ談話ス ○下略