デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
2款 親族
■綱文

第57巻 p.83-84(DK570038k) ページ画像

大正9年2月4日(1920年)

是日、栄一従兄尾高惇忠ノ次男、次郎逝ク。翌十年十月、栄一墓誌ヲ撰書ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK570038k-0001)
第57巻 p.83 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年      (渋沢子爵家所蔵)
一月二十四日 晴 軽寒
午前七時半起床入浴シテ朝食ス、午前九時東京発ノ汽車ニテ鎌倉ニ抵ル、尾高次郎ノ病ヲ訪フナリ、十一時前同地着直ニ三橋旅舎ニ抵リ休憩シ、尾高氏ノ別業ニ抵リテ病牀ヲ見舞フ、其容体ハ想像シタルヨリ聊有望ノ感アリ、病牀ニアル暫時ニシテ後揮毫ヲ為ス、揮毫畢リテ再ヒ病室ニ於テ種々ノ談話ヲ為ス、篤二・豊作等モ同席ス、十二時過キテ三橋ニ抵リ午飧ス、食後兼子モ来会シテ尾高ノ病ヲ訪ヒ、更ニ三橋ニ来会シ、三時十八分鎌倉発ノ汽車ニテ帰京ス ○下略
   ○中略。
一月二十九日 雪 寒
午前七時半起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、永田甚之助氏来話ス、尾高次郎ノ病ニ付種々ノ談話ヲ為ス○下略
   ○中略。
二月五日 曇 寒
   ○本文略ス。
(欄外記事)
[尾高次郎ノ家ヲ訪フテ遺族ニ弔詞ヲ述ヘ、其葬儀其他ノ事ヲ談ス
   ○中略。
二月八日 曇 厳寒 朝来雪模様ニシテ寒威強ク午後二時ヨリ雪降リ夜ニ入ルモ歇マス寒気甚シ
○上略 午前九時兼子ト共ニ尾高次郎葬儀ニ出席スル為メ上野寛永寺ニ抵リ式場ヲ一覧ス、十時頃霊柩寛永寺到着、十時半式ヲ始メ、十二時式ヲ畢ル、会葬者ヘノ謝詞ヲ述ヘ、午飧後上野停車場ニ抵リ霊柩ノ発車ヲ送ル、午後二時過帰宿ス ○下略


(増田明六) 日誌 大正九年(DK570038k-0002)
第57巻 p.83-84 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正九年     (増田正純氏所蔵)
八日 ○二月 日 曇午後一時半ヨリ雪
午前八時尾高家ニ至リ棺前ニ焼香ヲ為シ、八時半寛永寺ニ至リ諸準備ヲ為ス
 - 第57巻 p.84 -ページ画像 
九時五十分霊柩尾高家ヨリ到着
十時式開始、導師輪王寺門跡大照円朗氏ニテ東叡山衆僧総出従事読経了リ、弔詞ハ朝鮮興業・東洋生命及竜門社(竜門社ハ評議員会々長阪谷男爵朗読セラル)ニ限リ其他ハ朗読ヲ略ス、次キハ家族及親戚ノ焼香、一般会葬者ノ焼香アリテ十二時式ヲ終ル
○下略


竜門雑誌 第三八一号・第五八頁 大正九年二月 ○会員動静(DK570038k-0003)
第57巻 p.84 ページ画像

竜門雑誌  第三八一号・第五八頁 大正九年二月
 ○会員動静
    △訃報

図表を画像で表示訃報

 尾高次郎君  本社特別会員にして東洋生命保険会社々長たりし同君は        去二月四日病気の為逝去せられたり、謹んで玆に深厚な        る弔意を表す 




尾高次郎墓碑 (埼玉県大里郡豊里村所在)(DK570038k-0004)
第57巻 p.84 ページ画像

尾高次郎墓碑             (埼玉県大里郡豊里村所在)
○上略 大正九年二月四日尾高次郎病を以て歿す、次郎は余の従兄にして恩師たる藍香翁の次子、妣は根岸氏、武州榛沢郡手計村に生る、幼にして支族尾高幸五郎に養はれて嗣子と為る ○中略余の女文子を配として六男四女あり、長子豊作嗣ぎ他の子女は或は嫁ぎ或は他家に養はれ又或は家に在りて学び以て他日の立身を待つ、次郎以て瞑すべし ○下略
  大正十年十月        青淵 渋沢栄一 撰並書
   ○右全文ハ本資料第四十九巻所収「碑石」大正十年一月三日ノ条ニ収ム。



〔参考〕実業之世界 第二二巻第一〇号・第五四頁 大正一四年一〇月一日 渋沢子爵の姻戚関係(DK570038k-0005)
第57巻 p.84 ページ画像

実業之世界  第二二巻第一〇号・第五四頁 大正一四年一〇月一日
    渋沢子爵の姻戚関係
○上略
 子の三女フミ子(明治四年生れ)は、埼玉県人尾高豊作先代次郎氏に嫁した。現豊作氏は、二十七年の生れ、大正六年の東京高商出身、後英国に留学。現在は武州銀行・武州貯蓄銀行・朝鮮興業・城東電気軌道・東洋生命保険各取締役、尾高代表社員等をしてゐる前途有望な少壮実業家である。
○下略