デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
2節 健康
■綱文

第57巻 p.128-135(DK570062k) ページ画像

大正14年1月―9月(1925年)

栄一、宿痾ノ喘息療養ノタメ、十三年十二月二十七日以降湯河原ニ転地シ、是年三月二日更ニ大磯ニ転地シ、二十日帰京ス。爾後栄一、九月マデ飛鳥山邸ニ引籠リ、専ラ静養ニ努ム。


■資料

竜門雑誌 第四三六号・第五三頁 大正一四年一月 青淵先生動静大要(DK570062k-0001)
第57巻 p.128 ページ画像

竜門雑誌  第四三六号・第五三頁 大正一四年一月
    青淵先生動静大要
      十二月 ○大正十三年中
青淵先生には去月来感冒に喘息を併発せられ、専ら在邸療養に尽されつゝありしが、漸次快方に赴かれしを以て、二十七日午前十時十分東京駅発、令夫人と共に相州湯河原に転地せられ、同地天野屋旅館に於て越年の上静養せらるゝ事となれり。
   ○大正十三年栄一ノ日記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK570062k-0002)
第57巻 p.128-129 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年     (渋沢子爵家所蔵)
一月五日 晴 厳寒
昨夜ヨリ寒気強ク少シク風邪ノ気味ニ付、入浴ヲ見合ハセ、洗面シテ直ニ朝飧ス ○下略
   ○栄一、湯河原ニ滞在中。二十五日帰京ス。
一月六日 快晴 厳寒
午前八時起床、気力常ニ復シタレバ朝来入浴シ ○下略
   ○中略。
一月八日 快晴 寒
午前八時起床、昨夜ハ宿痾ノ発作軽微ナリシ為メ、朝来稍快気ヲ覚フ入浴シテ朝飧ス ○中略 大滝潤家氏来リ、予ノ病状ヲ診察ス、依テ近況ヲ詳話シ充分ノ診察ヲ受ク ○下略
   ○中略。
一月十日 雨 寒
午前八時起床、例ニヨリ入浴シテ朝飧ス ○中略 江口正之氏来リ西本貫氏ヲ紹介ス ○下略
(欄外記事)
○上略 佐野有隣ハ喘息治療ニ針治ヲ以テスル医師ニテ、頗ル奇功ヲ奏スル旨、現ニ西本氏同病ヲ根治セシ由、口ヲ極メテ賞賛セラル
   ○中略。
一月十四日 快晴 寒
午前八時起床、朝来宿痾ノ発作アリテ入浴スルヲ得ス ○中略 今朝ハ持病ノ発作アリテ気分快然タラサリシカ、午後ヨリ回復シ、夜ニ入リテ平常ニ異ルコトナシ ○下略
 - 第57巻 p.129 -ページ画像 
一月十五日 曇 寒
午前八時半起床、元気稍回復シタルヲ以テ入浴シテ朝飧ス ○下略


竜門雑誌 第四三七号・第六五頁 大正一四年二月 青淵先生動静大要(DK570062k-0003)
第57巻 p.129 ページ画像

竜門雑誌  第四三七号・第六五頁 大正一四年二月
    青淵先生動静大要
      一月中
廿五日 湯河原より帰京。


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK570062k-0004)
第57巻 p.129-132 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年     (渋沢子爵家所蔵)
二月三日 晴 寒
午前八時起床セシモ、感冒ノ気味ニテ体温八度ニ上レルニ付、入浴ヲ罷メ洗面シテ直ニ平臥ス ○中略 朝飧後悪感甚シク、熱度更ニ加ハリタレハ、大滝医師ノ来診ヲ乞フ ○中略 午飧頃ヨリ気分殊ニ悪シク、熱度益々加ハルニヨリ、更ニ医師ノ来診ヲ請ヘシモ、夜ニ入リテ大滝氏来診、此頃ヨリ頻ニ発汗シテ熱気漸ク減シ、随テ気分モ恢復シ、夜ニ入リテ平熱ニ復ス、蓋シ病勢頓ニ快愈シタルハ奇蹟ト云ヘキ程ナリキ、依テ夜飧後種々ノ談話ヲ為ス、夜十一時就寝
二月四日 半晴 寒
午前七時半起床、洗面シテ褥中ニ在テ朝飧ス ○下略
二月五日 曇 寒
午前八時起床、風邪全愈ニ至ラサルヲ以テ入浴セス、洗面シテ褥中ニ在テ朝飧ス ○中略
午飧後大滝医師来診シテ鍼治ス ○下略
二月六日 曇又雨 寒
午前八時起床、洗面シテ朝飧シ、後病褥中ニ於テ書見又ハ来人ニ接ス ○下略
   ○中略。
二月九日 晴 寒
○上略 三時頃帰宅、入沢・大滝両医師来診ス ○中略 夜安眼ヲ得ス、夜半ニ至ルマテ苦悶ス
二月十日 晴 寒
午前七時半起床、洗面シテ朝食ヲ取ル、朝来宿痾未愈ノ為メ来客ヲ謝絶ス ○中略 終日家ニ在テ書類ヲ整理シ ○下略
二月十一日 晴 寒
午前八時起床、洗面ノ後腰部ヲ摩擦セシメ、畢テ朝飧ヲ食ス ○下略
   ○中略。
二月十五日 晴 寒
○上略 午飧後 ○中略 大滝医師来診ス、十二時半ヨリ帝国ホテルニ於テ大倉集古館予算決算ニ付理事会アリシモ、病中ヲ以テ出席ヲ謝絶ス
   ○中略。
二月十七日 雪後曇 寒甚シ
午前八時起床ス、昨夜宿痾ノ発作アリテ睡眠不充分ナリシ為メナリ、洗面朝飧例ノ如クシ ○下略
   ○中略。
 - 第57巻 p.130 -ページ画像 
三月二日 半晴 寒
○上略 十二時ノ発車ニテ大磯ニ抵ル、兼子同伴、附添ノ看護婦及婢僕共七名、午後二時大磯着、明石ノ別荘ニ寓居ス ○下略
三月三日 快晴 軽寒
昨夜宿痾ノ発作アリテ安眠ヲ得サリシヲ以テ、午前九時起床洗面シテ朝飧ヲ為ス ○下略
(欄外記事)
終日快晴無風、春色漸ク四郊ニ満ツルヲ覚フ、但病ノ為メ散策ヲ得サルヲ遺憾トス
   ○中略。
三月五日 半晴 軽寒
昨夜宿痾ノ発作アリテ安眠ヲ得ス、朝来気力衰耗ス、例ニヨリテ八時過起床、洗面朝食ヲ畢リ ○下略
(欄外記事)
宿痾ノ発作頻繁ナルニ付、大滝医師来診ノ事ヲ東京ニ電話シ、明六日午後五時来診ノ旨申来ル
三月六日 晴 軽寒
○上略 午飧後田中栄八郎氏霊気術行使者タル牛田従三郎氏同伴来訪ス、事務所増田明六モ来話ス、霊気術者タル牛田氏ハ、予カ宿痾治療ノ為メ田中氏ヨリ勧告セラルルナリ、依テ其術ヲ行フニ至リタル沿革ト根本ノ主義トヲ聴取シ、其術ヲ受ク、蓋シ其施術ノ方法ハ頗ル簡易ニシテ、先ツ受術者ヲ褥中ニ安坐セシメ、施術者ハ手ヲ以テ受術者ノ胸部ニ置キ、凡ソ二十分余ニシテ又左右方向ヲ転ス、後頭部及頭部ヲモ同様ノ方式ニテ通計一時間程ニテ施術全ク畢ルモノトス、但此霊気行使ノ方法ハ臼井某ノ発明ニテ、今日ノ施術者タル牛田氏ハ其施術ノ免許ヲ得タルニ付行使スルトノ事ナリ、而シテ此施術ハ概略一週日ヲ要スルニ付、明日ヨリ来リテ施術スヘキ事トス
午後五時大滝博士来診ス、依テ頃日ヨリノ症状ヲ説明セシモ、博士ハ診察上特ニ他ノ症状ナシト診断シテ、夜飧後午後七時過増田同行帰京ス ○下略
三月七日 曇 寒
○上略 午前十時牛田従三郎氏霊気術ノ為メニ来訪ス ○下略
三月八日 晴 軽寒
○上略
霊気術者牛田従三郎氏来リ施術ス ○下略
三月九日 半晴 軽寒
午前八時起床、宿痾ノ発作常ナキ為メ疲労多ク、且熱気平常ニ復セス随テ気力日々衰耗ノ模様アリ ○中略 午後当地ノ医師進藤氏来診ス ○下略
三月十日 快晴 軽寒
午前七時半起床、昨日以来宿痾ノ発作時々苦悶アリ、褥中ニ在テ洗面シ、畢テ朝飧ヲ食ス、本日ハ東京ヨリ大滝医師来診ノ筈ナレハ、当地ノ進藤医師ト相会シテ綿密ナル診察ヲ受クル事トス ○中略 午後三時大滝潤象医師東京《(大滝潤家)》ヨリ来診、当地ノ進藤氏ト共ニ診察スルモ、病症ハ特ニ重キヲ加ヘスト両医師明言ス ○下略
 - 第57巻 p.131 -ページ画像 
三月十一日 半晴 軽寒
夜来宿痾ノ発作多カリシ為メ、八時過起床、褥中ニ在テ洗面シ、後朝食ス ○中略 午後進藤医師来診ス ○下略
   ○中略。
三月十三日 半晴 寒
宿痾ノ発作常ナラス、為メニ安眠ヲ得ス、毎朝自ラ晏起スルニ至ル、起床後褥中ニ在テ読書ス ○下略
三月十四日 曇 寒
午前八時起床、洗面朝食例ノ如クシテ、褥中ニ在テ書類ヲ点検ス ○中略 進藤医師来診ス ○中略 明十五日東京ヨリ医師来診ヲ請フ為メ事務所ニ電話ヲ通ス ○下略
三月十五日 曇又雨 寒
昨夜来喘息ノ発作ニテ、朝来殊ニ起居困難ヲ覚フ、進藤医師来診ス、東京ヨリ明石照男、景・春ノ二男ヲ携テ来訪ス、増田明六モ亦来ル、正雄来訪、三田邸夫人モ来テ病ヲ訪フ、午後入沢博士・大滝潤象《(大滝潤家)》・進藤医師等来診、明日帰京ノ予定ナリシヲ諮詢ス、入沢博士ノ立案ニテ天候今日ノ如クハ外出旅行ハ害アラン、依テ両三日ヲ延引シ、熱気全ク去リタル後帰京スヘキ事ト定ム ○下略
三月十六日 晴 寒
午前八時起床、別室ニ於テ洗面シテ後朝飧ス、進藤医師来診ス、病痾日ヲ追フテ良好ナリト云フ、渡辺得男氏東京ヨリ来訪ス ○中略 氏ハ特ニ病ヲ訪フ為メニ来レルナリ ○下略
   ○中略。
三月十九日 雷雨 寒
連夜持病ニ小発作アリテ安眠ヲ得サルニヨリ、毎朝晏起シテ、今朝モ八時過起床、別室ニ於テ洗面ヲ畢リ後朝食ス ○中略
進藤医師来診ス ○下略
三月二十日 曇 寒
○上略 昨夜モ宿痾小発作アリシ為メ午前八時過起床 ○中略 午後一時過発ノ汽車ニ搭ス、車中異状ナク三時過東京駅安着、特ニ駅長ノ厚意ニテエレベーターニテ荷物庫ニ落下シ、直ニ自働車ニテ帰宅ス、停車場ニ来リ迎フル者親戚故旧数十人、四時頃王子邸ヘ帰着ス ○下略
三月二十一日 晴 寒
午前八時起床、洗面朝飧ヲ畢リ ○中略 佐々木勇之助氏来訪、余ノ健康維持方法ニ付懇篤ナル注意ヲ受ク、依テ尚家人ト熟議シテ応諾スヘキ旨ヲ答フ ○中略 入沢・大滝両医師来診ス
○下略
   ○中略。
三月二十四日 晴 寒
○上略 諸井恒平氏来訪シ、中井房五郎ノ自彊術ヲ勧誘セラル ○下略
三月二十五日 曇 寒
午前八時起床、洗面朝飧例ノ如クシテ ○中略 諸井恒平氏、中井房五郎同伴来訪ス、蓋シ中井氏ノ自彊術ヲ余ノ宿痾治療ニ供セン為ナリ ○下略
三月二十六日 晴 寒
 - 第57巻 p.132 -ページ画像 
午前七時半起床、洗面朝食常ノ如ク、畢テ中井房五郎氏来リ自彊術ノ治療ヲ受ク ○中略 大滝博士来診、同時ニ林医学士来診ス、林氏ハ向後大滝博士ト共ニ余ノ身体ニ付テ常時来診シ得ル筈ナリ ○下略
三月二十七日 曇 軽寒
○上略 午前九時中井氏来リ、自彊術ヲ受ク ○下略
三月二十八日 晴 寒
○上略 中井房五郎氏来、自彊術ヲ受ク ○下略
三月二十九日 小雨 軽寒
午前八時起床、洗面ヲ為シテ朝飧ス、中井房五郎氏来リ、自彊術ヲ受ク、林正道医師来診ス ○下略
三月三十日 曇 軽寒
午前八時起床、洗面ト朝飧トヲ畢リ、例ノ如ク病褥中ニ在テ ○下略
(欄外記事)
[本日ハ中井房五郎氏ノ自彊術ハ都合ニヨリ見合ハセル事トス
○下略
三月三十一日 晴 軽寒
○上略 中井氏来リテ自彊術ヲ受ク ○中略 穂積男爵夫妻来リ、過日佐々木第一銀行頭取ヨリ忠告セラルル余ノ摂生方法ニ付種々ノ談話アリ、依テ其懇切ナル忠告ヲ容レ、数項ノ衛生方法ヲ採用スヘキ事ヲ答フ ○下略


竜門雑誌 第四三九号・第八五頁 大正一四年四月 青淵先生動静大要(DK570062k-0005)
第57巻 p.132 ページ画像

竜門雑誌  第四三九号・第八五頁 大正一四年四月
    青淵先生動静大要
      三月中
二日 病後静養の為め相州大磯明石家別荘に赴かる。
廿日 帰京。
   引続き在邸静養せられつゝあり。


(増田明六) 日誌 大正一四年(DK570062k-0006)
第57巻 p.132-133 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一四年    (増田正純氏所蔵)
三月十四日 土 晴
○上略
後四時兜町事務処ニ於て子爵の健康保維方ニ付き臨時同族の会合催さる、同族(子爵並同令夫人を除く)の外佐々木勇之助・石井健吾両氏列席、穂積男爵坐長となり、佐々木氏ニ於て子爵の近来ニ於ける健康より将来之カ保維方ニ就き大ニ憂慮せられ、昨朝来談を受けたるが、斯る重要の問題ニ付きてハ寧ろ同族一同相会し詳敷御意見を承ハる事ニすべしと、本会を催すニ至りしものなりと開会の趣旨を述へられ
次て佐々木氏より、子爵の彼の御老齢を以て彼の活動ハ国家の為ニ誠ニ可賀事なるが、近来ハ苟もすれハ御健康を害さるゝ場合多く、若し此御状態を以て、向後屡々発病せらるゝニ於てハ、或ハ彼の御強壮をも何時しか害せられ、遂ニ大事ニ至らんも難計、依て此際子爵の為ニ冬季養生所兼事務処を鎌倉又ハ大磯の適当の地ニ建築せられたし、第一銀行としてハ子爵の御設立ニ係り今日益隆盛に赴き、過日宮内省ニ於ても株主の一人ニ加入せらるゝニ至りしも、必竟子爵の御余徳ニ外ならさるを以て、右の健築費《(建)》ハ銀行ニて御引受致度希望なる旨、至誠
 - 第57巻 p.133 -ページ画像 
を極めて懇篤なる談話あり、列席者一同勿論異議なるべき筈無く《(あ)》、穂積男爵は一同を代表して同氏の至情ニ対し深く感謝の意を表し、且是非之を実現せしむるニ努むるハ勿論なるが、本日会合の次第は佐々木氏より子爵ニ懇談せられたし依頼《(と脱)》し、同氏も之を快諾したり、従来子爵の主治医は順天堂副院長大滝潤家氏(入沢博士の推薦)なるが、同氏ハ多忙なる為め往々子爵の希望せらるゝ時刻ニ来診する事能ハさる場合あるを以て、更ニ同氏の助手として常時診察ニ従事する適当の医師及朝夕御健康ニ留意せしむる看護婦を此際任用せらるゝ事を併セて佐々木氏より子爵ニ懇談を請う事を決したり、尚医師は林正道氏(医学士)注意深くして最も適当なりと穂積男爵より推薦ありたり


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK570062k-0007)
第57巻 p.133 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年     (渋沢子爵家所蔵)
四月一日 晴 軽寒
午前八時起床洗面朝食例ノ如クシテ後中井自彊術師来リテ施術ス ○下略
四月二日 曇 軽寒
午前七時半起床洗面ノ後朝飧ヲ食ス、中井自彊術師来ル ○中略 林医師来診 ○下略
四月三日 快晴 軽寒
昨夜半少シク宿痾発作ノ為メ睡眠充分ナラス今朝ハ九時過起床、例ノ如ク洗面シテ中井自彊術師ノ来レルアルヲ以テ朝食前ニ之ヲ受ク ○下略
四月四日 曇 寒
午前八時起床、洗面朝食例ノ如クシテ後、中井氏来リ自彊術ヲ受ク、 ○中略 林医師来診ス、正雄夫妻・明石夫妻来ル ○中略 余ノ病状ニ付テ摂生方法等ニ付テ種々ノ談話アリ、且曾テ同族ヲ代表シテ穂積男爵ヨリ申出ノ将来ノ衛生法ニ付意見ノ交換アリタリ、夜十一時頃就寝
   ○中略。
四月七日 晴 軽寒
○上略 入沢博士・林正道二氏来診ス、病症異状ナシ、切ニ摂生ヲ注意セラル
○下略
   ○中略。
四月十日 晴 軽寒
午前八時半起床、朝来気力充足セス、倦怠ノ想アリ ○下略
   ○以下四月十一日ヨリ十二月三十一日マデノ栄一日記ヲ次ク。


竜門雑誌 第四四〇号・第六一頁 大正一四年五月 青淵先生動静大要(DK570062k-0008)
第57巻 p.133 ページ画像

竜門雑誌  第四四〇号・第六一頁 大正一四年五月
    青淵先生動静大要
      四月中
青淵先生には先月来引続き在邸静養せられつゝあり。


竜門雑誌 第四四一号・第六三頁 大正一四年六月 青淵先生動静大要(DK570062k-0009)
第57巻 p.133-134 ページ画像

竜門雑誌  第四四一号・第六三頁 大正一四年六月
    青淵先生動静大要
      五月中
 青淵先生には尚未だ全癒に至らず、依然曖依村荘に於て専心療養中
 - 第57巻 p.134 -ページ画像 
なるが、その経過は悪しからず、漸次快方に赴きつゝあるは同慶の至りなり。


(新世界社) 電報 渋沢栄一宛 一九二五年五月三日(DK570062k-0010)
第57巻 p.134 ページ画像

(新世界社) 電報  渋沢栄一宛 一九二五年五月三日 (渋沢子爵家所蔵)
  Radio, Sanfrancisco,
Shibusawa sishaku, Tokio. May 3,1925.
Harukanigobyoki gozenkaioinoru
                     Shinsekaisha
  (右翻字)
                大正十四年五月四日入手《(別筆)》
  渋沢子爵 閣下
                       桑港
                        新世界《(社)》
遥に御病気御全快を祈る


(フレスノ日本人会) 電報 渋沢栄一宛 一九二五年五月五日(DK570062k-0011)
第57巻 p.134 ページ画像

(フレスノ日本人会) 電報  渋沢栄一宛 一九二五年五月五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
   Fresno, cal.,
Viscount Eiichi Shibusawa, Tokio. May 5, 1925.
Gobyokino omomuki harukani uketamawari shintsuni taezu gozenkaino sumiyakanaran kotooinoru
                  Fresno Nihonjinkai
(右翻字)
                大正十四年五月五日入手《(別筆)》
  渋沢子爵 閣下
                    フレスノ
                        日本人会
御病気の赴《(趣)》、遥に承り心痛に堪へず、御全快の速やかならん事を祈る


渋沢栄一電報 控(DK570062k-0012)
第57巻 p.134 ページ画像

渋沢栄一電報 控                 (渋沢子爵家所蔵)
  在桑港    新世界社
              宛各通
  在フレスノ  日本人会
貴電有難ク拝承、逐日快方ニ向ヒツツアリ、御安心乞フ 渋沢
  大正十四年五月五日発電


(オレゴン州日本人会) 電報 渋沢栄一宛 一九二五年五月九日(DK570062k-0013)
第57巻 p.134-135 ページ画像

(オレゴン州日本人会) 電報  渋沢栄一宛 一九二五年五月九日
                         (渋沢子爵家所蔵)
  Portland, Ore.,
Viscount Shibuzawa, Tokio. May 9, 1925.
Kakkagobyokino hotsutaerare shintsunitaezu ichinichimo
hayakugozenyu arankotooinoru
               Oregonshu Nihonjinkai
(右翻字)
               大正十四年五月九日入手《(別筆)》
 - 第57巻 p.135 -ページ画像 
閣下御病気ノ報伝ヘラレ、心痛ニ堪ヘズ、一日モ早ク御全癒アランコトヲ祈ル
                    オレゴン州日本人会


(シカゴ青年会) 電報 渋沢栄一宛 一九二五年五月一六日(DK570062k-0014)
第57巻 p.135 ページ画像

(シカゴ青年会) 電報  渋沢栄一宛 一九二五年五月一六日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 Radio, Chicago,I11.,
Viscount Shibusawa,asukayama,Tokio. May 16,1925.
Gozenkaioinoru
                Chicago seinenkai
(右翻字)
御全快ヲ祈ル シカゴ青年会


竜門雑誌 第四四二号・第六九頁 大正一四年七月 青淵先生動静大要(DK570062k-0015)
第57巻 p.135 ページ画像

竜門雑誌  第四四二号・第六九頁 大正一四年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
 青淵先生には引続き籠居養痾に努められたる結果、漸次快方に向ひ平生の健康に復せらるゝ日も遠きにあらざるやに仄聞する、洵に欣喜の至りなり。


竜門雑誌 第四四三号・第八一頁 大正一四年八月 青淵先生動静大要(DK570062k-0016)
第57巻 p.135 ページ画像

竜門雑誌  第四四三号・第八一頁 大正一四年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
 爾来曖依村荘に於て養痾に努められつゝありし所、漸次快復せられつゝあり。


中外商業新報 第一四一三三号 大正一四年七月五日 渋沢子爵回復(DK570062k-0017)
第57巻 p.135 ページ画像

中外商業新報  第一四一三三号 大正一四年七月五日
    渋沢子爵回復
昨年十一月来持病にて病臥静養に努めつゝあつた渋沢子は、何分老体のことゝて一時は頗る気づかはれたが、最近漸く回復顕著なるものあり、四日には兜町の事務所へ出勤し得られるまでに快くなつた、しかし医師の注意もあり、当分は隔日に事務所へ見えるよしである


竜門雑誌 第四四四号・第八三頁 大正一四年九月 青淵先生動静大要(DK570062k-0018)
第57巻 p.135 ページ画像

竜門雑誌  第四四四号・第八三頁 大正一四年九月
    青淵先生動静大要
      八月中
 爾来養痾に努められたる結果、大に快方に向ひたるも、尚ほ専ら摂養せられつゝあり。


竜門雑誌 第四四五号・第五九頁 大正一四年一〇月 青淵先生動静大要(DK570062k-0019)
第57巻 p.135 ページ画像

竜門雑誌  第四四五号・第五九頁 大正一四年一〇月
    青淵先生動静大要
      九月中
 健康も日増快復に近く ○中略 等に出席せられたるも、尚ほ摂養に努められつゝあり。