公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2025.3.16
第57巻 p.502-510(DK570248k) ページ画像
昭和2年3月(1927年)
是月栄一、牛島謹爾ノ碑文ヲ撰書ス。
(永井松三) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一五年)五月一五日(DK570248k-0001)
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(永井松三) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一五年)五月一五日
(渋沢子爵家所蔵)
粛啓 平素御疎音奉万謝候、愈御健祥大賀之至に存候、陳者今回牛島氏の永眠残念哀悼に不堪候、一代の成功者致富人ハ他にも可有之も、日米移民将両国関係史上後世に其伝記を残すべきは余人に求め難しと確信いたし候、幸渡辺金三氏あり、同氏をして故人の伝記を筆せしめ後人の為亀鑑とし、且故人の冥福を計るを同氏辱知の吾人として当然の務なるやに考へられ候が、何分にも隔地拝唔貴意の存する所を伺ふを得ず、乍失礼乱筆不取敢愚存申進候、御賛助の上渡辺氏へ御垂教相煩度と存候 匆々不備
五月十五日
永井松三
渋沢老台
侍史
○追伸略ス。
Via Siberia 十五年六月十四日一覧《(栄一鉛筆)》 永井松三氏ヨリ来状 回答ヲ要ス 市外 飛鳥山 子爵 渋沢栄一閣下 牛島氏伝記編纂の件《(別筆朱書)》 Tokio,Japan. M.Nagai VILLAGATAN 13 STOCHOLM
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○永井松三ハスウェーデン及ビデンマーク駐箚特命全権公使。
(滝本為三) 書翰 増田明六宛 大正一五年七月六日(DK570248k-0002)
第57巻 p.503 ページ画像
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(増田明六) 書翰 控 滝本為三宛 大正一五年八月六日(DK570248k-0003)
第57巻 p.503-504 ページ画像PDM 1.0 DEED
(増田明六) 書翰 控 滝本為三宛 大正一五年八月六日
(渋沢子爵家所蔵)
在米日本人会
滝本為三様
拝啓 七月六日付尊書拝見致候、常々御案じ申居候貴兄御健康は其後漸次御快方にて、平常の御執務聊か差支無く多忙に御掌鞅の御様子敬賀此事に御座候、併し一度斯る大患に冒され候事とて、向後の御摂養別て御留意相成候様願上申候、当地子爵には先年の病気全快にて、目下伊香保に避暑せられ居候得共、元気回復殆ど病前に変り無之候、小生も亦幸に健在に候間御安心被下度候
先般ジヨルダン博士令息の御霊前に子爵よりの花環御供願度金五拾弗御送附致候処、博士の御希望に拠り同令息地質研究奨学資金中へ御寄附被成下候趣にて、委細の御申越逐一拝承仕候、右の趣子爵に相伝候処、貴兄が博士の御意向御聴き取の上右様御取計被下候御親切を喜ばれ、深く御礼申居候、尚イリツク・ジヨルダン氏の生前に於ける熱心なる御研究と、博士御夫婦が其の志を継承して後の地質学研究者の為に記念奨学資金として金五千弗を提供せられし御心中を察し、更に金弐百弗を同資金中に寄附する事に被致候、此寄附金は直接同財団へ送金致候
別天詩集の件は目下帰朝中の牛島夫人より小生へ御話有之候趣にて委
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細の御申越之又拝承致候、其中面会致候はゞ吃度御話可有之と期居候故牛島氏記念碑建設の件に関する御詳報拝承致候、本件に付きては既に小生へ御出状との御申越に候得共、小生は今回の七月六日付尊書にて始めて承知致したる義に候
右記念碑表面に「牛島謹爾墓」裏面に「元治元年一月六日生、大正十五年三月廿七日歿」と認め、其外に碑文約百字の揮毫を渋沢子爵に御依頼被成度との御申越に対しては、子爵に於ても拙筆にても御差支無くば、外ならぬ牛島氏の碑文故御引受可致と快く承諾せられ候に付ては、左記の件至急御取調回示被下度候
一揮毫すべき用紙如別紙碑石実大の形を画き之を送附せらるゝ事
二文字は楷行孰れを選まるゝや
三碑文の原稿を作成して送附せらるゝ事
前便別天詩集の船荷証書の正本を送附致置候得共、更に其複本を送附致候、御受取被下度候
右尊書御受旁得芳意度 匆々拝具
大正十五年八月六日
増田明六
(滝本為三) 電報 増田明六宛 一九二六年九月九日(DK570248k-0004)
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(浮田和民) 書翰 増田明六宛 (大正一五年)九月二三日(DK570248k-0005)
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(浮田和民) 書翰 増田明六宛 (大正一五年)九月二三日
(渋沢子爵家所蔵)
回答済《(別筆)》
拝啓
先日は故牛島謹爾記念碑文の件につき御交渉を戴き申候処、右碑文は揮毫のみならず、作文一切を子爵に御願申上度、何分よろしく貴下より御懇請の程偏に希申上候、故牛島を知る者子爵にまさる者一人も無之候間、子爵の文章並に揮毫に碑面を飾るを得ば、故人も地下に瞑するを得べくと奉存候、碑文は一方英語に訳し、米国人に読ましむるに足るものであればよろしく、小生も子爵の御下命に依り取調を要する件御坐候はゞ労力を厭ひ不申、何れ拝眉の上委細御願可申上候へども一応書中を以て微意御伝へ置被下候様御依頼申上候 早々敬具
九月廿三日
浮田和民
増田明六様
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(浮田和民) 書翰 増田明六宛 大正一五年一二月一日(DK570248k-0006)
第57巻 p.505 ページ画像PDM 1.0 DEED
(浮田和民) 書翰 増田明六宛 大正一五年一二月一日
(渋沢子爵家所蔵)
12月 4日受領 〃月11日回答
拝啓 寒気稍々相募候処愈々御健勝奉賀候
子爵閣下には相変らず御活動の事毎度新聞紙上にて承知仕り、恐悦の至りに御座候、併し乍ら御高齢の事に候へば、時節柄御自愛専一に奉存候
陳者先頃故牛島謹爾碑文並に右揮毫の事只管懇請仕候処、御快諾被下千万辱なく奉存候、又同一伝記の件に関しては及はず乍ら努力仕るべき旨御答申上置候処、実ハ其の任に当り得るもの実際渡辺金三氏のみに御座候、然るに当人事目下日墨事業の為めに尽砕致《(瘁)》し居り候へども事業は容易に進捗仕らず、追々自家の生活に困難致す窮境に有之、辛うじて自己記憶の事実を筆記して提供仕る事に止まり可申かと愚考仕候、渡辺と同功一体の福島と申す者も御坐候へども、文筆の能無之、結局渡辺に談話致して其の実験を申述る外なくとの事に御坐候、併し乍ら渡辺・福島両人の提供する資料ハ、牛島伝記中重要なる一半をなし可申候間、両人にハ貴下よりも子爵の名を以て直接御依頼被下候様懇請仕候、何れ近日渡辺事貴所を訪問可仕候間、其節御含置被下候様希申上候、渡辺氏は時間さへ御坐候へば努力可仕と存候処、前述の事情にて何分意の如く運ばざる次第御諒察被下度候
又米国側に於て材料取調の事ハ、在米日本人会の滝本為三に依頼仕候てハ如何に御坐候哉、若し貴下より子爵の名義を以て御依頼被下候はば、此上なき仕合に御坐候、委細の事ハ私よりも直接申送る積りに御坐候
日米両方面より材料を一応子爵の御手許に蒐集なし被下候はゞ、其上は子爵の御指導に依り、小生涯分を尽くし可申候、何れに致りても伝記全体の著述は子爵の御名義を借用仕らず候てハ発刊或ハ困難ならんと愚考仕候間、此点も予め子爵に御申述なし置被下候様希申上候
委細ハ追て拝眉の上更に御協議可申上候 早々敬具
十二月一日
浮田和民
増田明六様
追白 小生事目下表記の所に在住仕候へども、毎週二回出京仕候間御用の節は何時にても参上可仕候
(渡辺金三) 書翰 増田明六宛 大正一五年一二月六日(DK570248k-0007)
第57巻 p.505-506 ページ画像
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(浮田和民) 書翰 増田明六宛 大正一五年一二月六日(DK570248k-0008)
第57巻 p.506 ページ画像PDM 1.0 DEED
(浮田和民) 書翰 増田明六宛 大正一五年一二月六日
(渋沢子爵家所蔵)
一五、一二、一〇回答済《(別筆)》
拝啓 御書面の趣委細了承仕候、故牛島謹爾伝記編纂の件に付万端の御配慮感佩の至りに御坐候、此上は何事も子爵の御裁断に信頼仕候間偏に御尽力希申上候
牛島遺族と渡辺金三氏との関係円満を欠き居候事ハ、小生も承り及候処、同氏が伝記編纂上欠く可からざる材料を有し居候事ハ未亡人も認め居候間、其辺御含み置被下候はゞ幸甚に御坐候、何れ材料を貴所に御蒐集被下候はゞ宮崎氏と協議致し応分を竭し可申候 敬具
十二月六日
浮田和民
増田明六様
(増田明六) 書翰 控 浮田和民宛 大正一五年一二月一〇日(DK570248k-0009)
第57巻 p.506-507 ページ画像PDM 1.0 DEED
(増田明六) 書翰 控 浮田和民宛 大正一五年一二月一〇日
(渋沢子爵家所蔵)
添田和民様《(浮田和民様)》
拝啓 六日付牛島氏伝記編纂に関し尊慮御申聞の尊翰拝読仕候、右に付き其後渋沢子爵と種々御協議致候処、同氏の偉績として語るべき生前の事業が目下係争に属し、御遺族友人等も其結果に付き深憂致居候折柄、其編纂の為め彼是と人を労するは深切の行為にあらざるべしと相成、即之を当分見合はせ置き、右結末相着き候上発案致候方可然と帰着仕候間、此義御同意被下度候
過日渡辺金三氏来訪にて、貴台より右編纂の御相談に接し候も、実は生活の資料を得べく迫られ居候に付、是非其衝に当れと申さるゝ場合は、明一ケ年間少くとも二千円の報酬を得ざれは能はさる境遇にありと打明けての話有之、且同氏も編纂延期説を主張し、恰も当方の所思と一致致し誠に好都合に御座候
伝記資料蒐集の義は渡辺氏に於ては快諾被致候間、必要の場合と相成候はゞ、同氏所有の分は貸与せらるべく、又福岡方面の分は同地の知人に取調方依頼し呉るゝ事と存候、裾野の福島氏、桑港の滝本氏には夫々小生より依頼書発置可申候
右様の事情と相成候間、先便申上候宮崎氏に依頼の件は不必要と相成候、御承知被下度候
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先は尊書御受旁拝答申上度如此御座候 拝具
大正十五年十二月十日
増田明六
(浮田和民) 書翰 増田明六宛 大正一五年一二月一二日(DK570248k-0010)
第57巻 p.507 ページ画像PDM 1.0 DEED
(浮田和民) 書翰 増田明六宛 大正一五年一二月一二日
(渋沢子爵家所蔵)
12月14日受領 月 日回答
復啓 去る十日附の尊翰拝誦、故牛島氏伝記編纂の件に関する渋沢子爵の御趣意委細敬承仕候、斯くまで此件に就て子爵に御配慮を煩候事恐縮千万に奉存候
宮崎氏へハ最初渡辺氏と同時に交渉致候処、同氏支那旅行の為め協議の機会なく今日に及び居候間、子爵の御高配に就てハ同氏へも小生より報道可仕候 敬具
十二月十二日
浮田和民
増田明六様
(宮崎小八郎) 書翰 渋沢栄一宛 昭和元年一二月二八日(DK570248k-0011)
第57巻 p.507-508 ページ画像PDM 1.0 DEED
(宮崎小八郎) 書翰 渋沢栄一宛 昭和元年一二月二八日
(渋沢子爵家所蔵)
謹啓
大行天皇には去る十二月廿五日崩御あらせ給ひ、皇室の御嘆きは申すも畏多き事で御座います。私共草莽の微臣に至りますまで痛心いたして居ります。願くば皇室の上に豊かなる神の御加護と祝福のあらんことは私の熱祷する所で御座います
子爵には過日来御風邪に冒されなさいましたやに新聞紙上で承はり、その頃早速御機嫌伺旁御見舞申上べき筈で御座いましたのに、旅行のため失礼いたしました。その後如何遊ばされますにや、御案じ申上げて居ります。気候甚だ不順の折で御座いますから、何卒御静養専一に祈り上げます。
先き頃牛島未亡人と御高堂に参上いたしました際、子爵より直接故牛島氏の伝記を編むやうにとの御言葉に預り、私にとりましては大任とは存じながら、子爵の故人に対する御高誼を拝察し、その儘御受いたしました。その後浮田博士その他の関係者と御相談申上げ、特に未亡人とも御協議申上げて居ります。けれどもストウジ博士御夫婦御来朝の時から最近まで歓迎の事、案内通訳の事、旅行等にて落着いて在京することも出来なかつたやうな事情のため、今日まで延引いたし、何とも申訳なき次第で御座います。去月末支那より帰京いたし、早速故人牛島氏の片腕として創業当時辛酸を共に嘗めたる福島氏と面会し、伝記の事につき話し合ひ、その結果私事新年早々福島氏を裾野の宅に訪ひ、当時の事を聞き書きすることに手筈を定めて居ります。尚又数日前増田氏を事務所に御訪ね申せし節、子爵の御手許にある資料を御貸与願ひたき事と、桑港に於ける在米日本人会に資料提供方を御交渉
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願ひたき旨を申述べたる次第で御座います。
御賢察の通り牛島氏の伝記中最も光彩を放つべき点は、氏が若年大望を抱いて単身北米の野に赴き、幾多の困難、逆境相踵いで襲ひ来りしにもかゝはらず、確固不抜の一大信念をもつて、遂にあれだけの事を成し遂げたる点と、私心私慾を去つて在米同胞のため、我が帝国のため、延いては日米平和親善のため、日本人会長として多年尽瘁せし点とにあるかと愚考いたします。同氏の遺業に関しては或は遺憾とする所があるといたしましても、牛島氏はたしかに伝ふべき人物であると存じます。寧ろ故人が余り熱心忠実に公事に奔走したる結果、私事を充分顧慮することか出来なかつたのではあるまいかとも察せられます右申上げましたやうな事情で失礼いたしました事を何卒諒察の上、今後の事につき御高教を垂れ給はんことを切に御願申上ます 敬具
昭和元年十二月廿八日 宮崎小八郎
子爵 渋沢栄一 閣下
侍史
竜門雑誌 第四六四号・第八三―八四頁 昭和二年五月 牛島謹爾君之碑(DK570248k-0012)
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竜門雑誌 第四六四号・第八三―八四頁 昭和二年五月
牛島謹爾君之碑
牛島謹爾君ハ大日本国福岡県三瀦郡鳥飼村ノ人ナリ、父ヲ弥平ト云フ、君少小ヨリ大志アリ、年二十五ニシテ奮然米国ニ航シ、加州ニ於テ一大農場ヲ興シ、独特ノ方法ヲ以テ大ニ農産ノ発展ヲ計リシモ、未ダ完成ニ至ラザルニ客年三月俄ニ疾作リ、其二十七日溘然長逝セリ、享年六十又三、嗚呼哀イ哉、君資性剛毅ニシテ愛国ノ念深ク、夙ニ日米国交ノ睽離ヲ憂ヒ、在米ノ邦人ト謀リテ日本人会ヲ桑港ニ組織シ、其会長トナリテ両国ノ親善ニ尽瘁スルコト殆ド二十年ニ及ベリ、君下村氏ヲ娶リ三男一女ヲ生ム、長男東豪家ヲ嗣グ、頃日在米知友相謀リ碑ヲ建テヽ君ヲ不朽ニセントシ、文ヲ余ニ請ハル、余ハ日米国交ニ於テ君ト憂ヲ同クシ努力スルコト玆ニ年アリ、誼辞スベカラズ、乃チ嘗テ君ガ著ス所ノ別天詩集ニ題セシ一絶ヲ録シテ以テ銘詞ニ代フ
一出郷関四十年異邦早已令名伝欽君独闢別天地事業風流両得全
昭和二年西暦千九百廿七年三月
子爵 渋沢栄一 撰並書
(牛島しめ子) 書翰 増田明六宛 昭和三年四月一〇日(DK570248k-0013)
第57巻 p.508-509 ページ画像
著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。
〔参考〕渋沢栄一書翰 控 牛島東豪宛 昭和三年一一月九日(DK570248k-0014)
第57巻 p.509 ページ画像PDM 1.0 DEED
渋沢栄一書翰 控 牛島東豪宛 昭和三年一一月九日 (渋沢子爵家所蔵)
案
加州バークレー市
牛島東豪殿
東京 渋沢栄一
拝啓 益御清適の条欣快此事に候、然ば去る十月十二日下村明氏東京なる弊事務所に来訪相成、貴台始め御一同の近況及び本年度馬鈴薯の作柄並に市価等詳細談話有之候趣小畑久五郎氏より伝承致候、又先考逝去後御遺業上整理を要する問題も有之候様に承知致居御心労の程遥察致候、乍去先考の奪闘と成果とを追想せらるゝ時は、相続者たる貴台に於ては別して感奮興起せざるべからざる義と存候、但し右様申上候とて、徒らに感情に駆られ過激粗暴の行動に陥らざる様注意すべきは勿論に付、其辺常に御自省被成、真の勇者たるべく御努力の程期望の至に候
御母堂より砂糖漬果物一箱御恵贈被下正に拝受、御厚意感謝の至に候御親切に対しては荊妻より直接御礼申上候得共、老生よりも陳謝之儀可然御致声被下度候
右拝謝旁得貴意度如此御座候 敬具
昭和三年十一月九日
〔参考〕(牛島東豪) 書翰 渋沢栄一宛 一九二九年一月八日(DK570248k-0015)
第57巻 p.509-510 ページ画像PDM 1.0 DEED
(牛島東豪) 書翰 渋沢栄一宛 一九二九年一月八日 (渋沢子爵家所蔵)
Viscount Shibuzawa
Tokyo
Japan
Sir;
Introducing to yon, Mr. Herbert Fleishacher of San Francisco.
As you know, Mr. Fleishacher is the sole executor of my Father's Estate. He is the only person empowered in the reorganization of my father's company, which is being contemplated. He is in a position not only to answer your questions but to act upon his convictions.
It will please us all very much--not only my famliy but the Japanese and American people as a whole, if you, the symbol of good will between the United States and Japan, would meet with Mr. Fleishacher, who is such an influential man and has been so good to the japanese people in the United States.
My mother sends her best regards to you and Mrs. Shibuz
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awa.
Respectfully,
Togo Ushijima
January 8th, 1929.
(右訳文)
東京市 (一月廿八日入手)
渋沢子爵 閣下 昭和四年五月十七日一覧《(栄一鉛筆)》
一九二八年《(一九二九年)》十二《(一月)》月八日 牛島東豪
拝啓 益御清適奉賀候、然ば玆に謹て桑港のハーバート・フライシヤツカー氏を御紹介申上候
御存知の通りフライシヤツカー氏は亡父の遺産管理人として全権を有し、又目下考量中なる亡父の会社の組織変更を実旋し得る権能を有する唯一の人に御座候、同氏は唯に閣下の御質問に答へ得るのみならず自己の確信に従つて行動し得る地位に在る方に候、日米両国親善の象徴たる閣下が斯る有力家にして在米日本人に対し常に多大の好意を示さるゝフライシヤツカー氏を御引見下さらば、小生の家族のみならず日米両国民共に大いに歓喜可致候
閣下及び令夫人に対し呉々も宜しくと母は申居候
右御紹介旁得貴意度如此御座候 敬具