デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
大正期 三七九 竜門雑誌 第四三六号 大正一四年一月

■資料

三七九 竜門雑誌  第四三六号 大正一四年一月  乙丑の年頭に際して 【青淵先生】(DKB80005m)
別巻第8 p.8-10 ページ画像PDM 1.0 DEED

三七九 竜門雑誌  第四三六号 大正一四年一月
    乙丑の年頭に際して
                      青淵先生
      一
 想ひ出の多い甲子の年を送つて乙丑の年を迎へたに付ては、竜門雑誌に意見を述べるに際しても、特に既往を回顧して感想を述べることになる。斯くては或は老人の繰言と笑ふ人があるかも知れないが、それは人情の然らしむる処であると私は弁解し度い。
 昨年は歳末になつてから感冒から特に持病の喘息を起し、比較的重かつた為め約一ケ月を病蓐に送つたが、幸に追々快癒し、心身ともに旧の如く、仮令自己が直接事に当らなかつたと云つても、総ての事に対して是非の心を発露し得られることを喜んで居る。
 凡そ人は誰でも多少の差異はあらうとも理想を持つことが必要であり、又持つて居るのであるが、手近い処の目的を達し、それを適当に進めて行くには、自然の推移に順応して行く必要がある。私は昨年までの華甲一周の過去を顧ると、丁度二十四歳の時に家を出てからその変化の跡の著しいのに無限の感慨が湧くのを禁ずることが出来ない。そして世の為になつたことの少いのを恥づると同時に、立てた目的の微々たるものであつたのを恥づかしいと思ふが、またそれに付ては惜む点もあり、慰むべき点もないではない。其間の変化の極まりのない有様は、これまでにも屡々述べた処であるが、実に此六十年の歳月は私の一身上に関する変化よりも社会の変化はより以上に著しいものがあつた。それは洋の東西を問はず甚しいもので、私が二十四五歳の青年時代は封建の末世とは云ひながら尚幕府の勢力は中々強力であつて当時は形勢が如何に変転し来るべきか、誰にも予想は出来なかつたのである。或は理想を抱いて居た者とか、目的を持つて居た者はあつたであらう。併し何時如何に形勢が進展して行くかに就て、立派な誤りのない観察を下し得る者はなかつたのである。寔に意外な変化が慶応の末に起つて、あのやうな一大転化を実現した。そして、封建は一変して郡県制度を布くに立到つたのであつて、一つの奇蹟であると云へる。勿論それは聖天子を初め古今に稀な人物が多数にあつた為め、この大事業を遂行し得たのであるが、此大変化は奇蹟であると云つたとて決して無理な言葉ではないと思ふ。
     二
 然るに変化は単に日本の内部にのみあつたのではなく、外国に於ても顕著であつた。今私自身の卑近な回想に依つて見ても、慶応三年に幕府の微々なる一属吏として、仏国巴里に開かれた世界大博覧会に徳川民部公子の随行として赴いたのであるが、其の時(千八百六十七年)の仏蘭西皇帝ナポレオン三世は、英、独、露、墺其他諸国の大官を前に置いて実に堂々たる宣言的大演説を試みた。その言辞は荘厳と云はうか、雄大と云はうか、形容に苦しむ程で、世界を一呑にしたやうな誇大に過ぎるとさへ思はれる位な演説を遠慮なくやつたのであつたが、それに対して英、独、露、墺其他強国の人々は等しく御尤もと云ふやうな迎合的演説を為したのであつて、仏国の勢力は何処まで強
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大なのであらうと思はせられた。処が此勢力も一時に昂まつた高熱が吹き払はれたやうに、須臾にして衰へてしまつた。私は学問がないから漠然と之を見、且つ聞いたが、多少とも奇異の感じがした。とは云へ欧洲の歴史に通じた人々であつて、ナポレオン三世の勢力が斯く数年の間に変化するものと知つて居つたものはなかつたであらう。またこのナポレオンの勢力が衰頽するにつれて、その余勢を全然滅却せしめるに力のあつた独逸は、其後国勢隆々として英帝国を凌ぐ程であつたが、欧洲戦争の為め一朝にして今日の状態に陥つた。
 仏国へ行つた当時の私は青年であつたが、此のナポレオン三世の大演説を聞いて、欧洲は成る程科学的には非常に進歩した国であるけれども、真正なる政治、真正なる道徳は余りに重ぜられて居ない所であると感じた。今に於て過去六十年の成り行きを見ると、よくも斯う変化があつたものだと思はずには居られない程である。さぞ西洋の哲学者にも、之等に対しては何とか少なからぬ感想があることであらう。
      三
 蘇東坡が前赤壁賦に於て、曹操と周瑜との戦つた当時のことを思ひ見て「舳艫千里、旌旗空を蔽ふ、酒を釃みて江に臨み、槊を横へて詩を賦す、固より一世の雄なり、而して今安《(いづく)》に在りや」此処には何も形は残つて居らぬではないか、と云つた如きは実に達観した言葉で、悟道に這入つたものであるとでも云ふものであらうか、実に自然が人力よりも遥かに強いことを、議論めいた言葉でなく趣味ある文字で意味深く表現したのである。またそれは哲学的にも意味深いものであると思はれる。斯様に既往を回顧すると、世の推移して居る有様に感慨の情を起さざるを得ないのである。併し右に述べたことはありふれた私の接触したことに就て思ひ起したままを述べたまでに過ぎぬ。私は渺たる滄海の一粟で我生の移るを如何ともすることが出来ない身であるに拘らず色々理想も持つて居たが、周囲の変化に従つて目的も理想も変へて来た。けれども克く思案すると、一つ変ぜぬものがある。それは彼の蘇東坡の「江上の清風と山間の明月」と同様に、何時まで経つても清らかであつて、光明を失はぬものがある。国を治めるには道徳正義を以て事に当らねばならぬと云ふことが即ちこれである。ただ道徳正義を以てしても或る場合には成らぬ事もあるかも知れないが、後に於て心に恥づる処がないことは、自他共に嬉しい誇るべきことで、この観念のみは違へずに居る。また一身上の変化は、遂に実業に従事することになつたが、それも結局申すと、一国の真正なる富を進めなければ政治も進まないと考へたからで、決して一身の富を思うて実業界に立つた訳ではない。そして実業に従事した後は、事柄は小さくなつたが、其間の経営に於ても同様の観念を持つて進んだ。またその間世界的の大移動に比すべきやうな事柄は少しもなかつたとは云へ、身を転じて実業界に投じ第一銀行を経営した当時と今日とを比較して見ると、大いに変化し来つて居る。後から見ると斯うまで変つたかと思ふことが多々ある。
      四
 物事は寔に悉くが変転して、昔の事は跡方もなく変つて行くのであ
 - 別巻第8 p.010 -ページ画像 
る。が、変じ行くものがあると同時に変ずべからざるものがある。彼の「江上の清風と山間の明月」の如きも変ぜない処のものである。蓋しこれは一種の眼に触れるものであるが、今一歩進んで論じると、眼に触れざるものに及ぶのである。眼に触れざる変ぜないものとは何であるか。即ち正理である。政治も経済も、道徳と云ふ根柢によつて何時までも変らず進み得るものであると思ふ。道徳経済の合一と云ふことは、私の常に力説して居る所であるが、道徳政治の合一も亦同様に考へたい。道徳経済の合一即ち道徳政治の合一である。
 然るに今日の有様は如何であらうか。若し此有様で進むならば、世界の平和は容易に見られないと云つても過言ではないと思ふ。この過去六十年の経過を見ると、必ずしも悪い方へのみ進んだとは思はれないけれど、正理の方面へ進んで居るとも思はれないのであつて、此順で進めば安んじて居ることは出来ないと、世の成行を歎かずには居られぬ有様である。この点は我が竜門社の諸君の間にあつても、道徳と経済との一致が必ずしも行はれて居るとは申せないのであつて、それ程此道徳経済の合一と云ふことは困難なことであると云へるが、一般に経済を道徳的に進めて行くならば、政治をも真正なる道徳に引つけて、政治は道徳なり、と云ふやうに為し得ると信ずる。然るに中には我が日本のみが斯うなつても世界が道徳的に進まねば、この後また幾人の孔子を生み出しても所謂世界的なる真の平和は望まれないと云ふ人があるかも知れないが、私は何時か世界の人々が斯うなるやうにし度いとの希望を持ち、先づ手近い人々に之を説くことが斯く厚いのである。而して何時世界が斯様に道徳的に政治経済の事を処理して行くやうな日に到達するかは、遽に論結は出来ないかも知れないが、ただ斯うなることを切に希望して居るのである。