デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
大正期 三八一 竜門雑誌 第四三七号 大正一四年二月

■資料

三八一 竜門雑誌  第四三七号 大正一四年二月  ○青淵先生説話集其他 ○中略 今後の教育(DKB80007m)
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三八一 竜門雑誌  第四三七号 大正一四年二月
  ○青淵先生説話集其他
○中略
    今後の教育
 私は教育といふことについては経験もなければ知識もない。だから私に教育についての意見をといつて求められても、私の申すことは玄人筋の考とは一向出会はないかも知らない。
 元来人間といふものは物質と精神とから成つてゐるものであるからしたがつて其の教育といふものも矢張り物質方面と精神方面と二つに分るべきものであると思ふ。其の二つの方面が均衡を得るといふ所に完全な教育が生れるものではないか。若し教育といふものが、この二方面の均衡を保つことができないで、何れか其の一方に偏したならば必ずやそこに弊害が生じてくると思ふのである。全き人を作るといふ教育は、どうしても此の二方面の調和均衡が完全に保たれねばならないと信じてゐるのである。
 そこで日本の教育を考へて見るのに、古い時代の我国の教育は物質上の知識には誠に乏しく、甚しく精神教育に偏してゐたやうである。ところが今日の教育はどうであるかといふに、これは又昔とは全然反対に科学的教育が偏重される結果、精神教育の方面は殆ど顧みられない状態である。何事にも知育一点張りで、徳育といふ方面は全くないといつても好い。したがつて世の中は益々世智辛くなるばかりで、人人は何れも自我を主張し、私利、私慾をむさぼるといふ甚だ憂ふべき思想が有力に人心を支配するやうになつてきてゐる。このやうに総ての教育が知育にのみ力をいれるといふやうでは、道徳的に尊敬さるべき人物はいつかな出来ることではない。大詔も渙発されたことではあるが、かうした教育が改革されない限り、質実剛健なる気風などいふものは恰も木によつて魚を求むるやうなものであると思ふのである。
 然らば今日の教育を如何に改革すべきか、どの程度まで精神教育を加ふべきかといふ事は、実は中々容易ならぬ大問題で、私は到底具体的に申すことはできないが、今申す通りの懸念は多分に有つてゐるのである。
 今日の我国の社会状態を見るのに、貧富貴賤の別なく一般人心は頗る功利に鋭いと思はれるのである。殊に我が多くの家庭について見るのに、親が子供を教育する其の為方はただ単に子供の栄達といふことのみを目的にしてゐる。自動車を乗り廻すとか、大厦高楼に住むとか或は高位高官に就くとか、さうした事のみを以て子供の成功と心得、いやが上にも其の方面への鞭撻を事としてゐるやうである。軽佻浮華奢侈贄沢といふやうな悪傾向は已に家庭に於て醸成してゐるといつても好い。
 大詔のお言葉もあることだから、それは日常の生活に於て家庭及学校が協力して努力するにあらざれば到底実現は覚束ない。大臣なども盛にさうした事を言ふが、ただ口で言つたり、文字に表したりするだ
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けでは神社のお守札と同じ事で、何の効もないと思ふのである。
 かう考へてくると、どうしても最も大事な事は、先づ小学校の教育について改革をするといふことである。この点から初等教育の任務は実に重大であると思ふのである。
 嘗て私は、教育調査会の委員になつた事がある。菊池大麓さんや、其の他の人と此の問題の調査をしたことがあるが、其の時私はこの意見を提出したのである。ところが、菊池さんのいふのには、其の説は大体は尤もではあるが、今の大学教育などでは実行が六つかしい、と言つて余り賛成しては呉れなかつた。だが私はかうした教育意見は其の当時も只今も少しも変らないのである。今の学生の教育は、第一に小学校時代からしてもつともつと精神の教育、即ち徳育をしなければならないと思ふ。
 小学校などで徳育の振興を図る一つの方策としては、其の地方徳望ある人物をして名誉校長とでもいつたやうなものにしてはどうかと思ふ。そして月に一回なり二回なり其の人の訓話を児童に聞かせるといふ事などは好い事かと思ふのである。
 ヨーロツパの教育状況と言つても、これは私の一偏見にすぎないかも知らないが、知育が非常に進歩してゐると同時に、徳育も亦相当に効果を挙げてゐるやうに思はれるのである。日曜などには一同教会に集つて、徳の高い人の話を聞くといふやうな事が盛に行はれてゐる。又家庭に於ける教育といつた方面も、余程よく家庭的友情といふやうなものが効果を挙げてゐるやうである。私は両三年前アメリカの二三の家庭に入つて見たことがある。(一々名を挙げられたが、筆者ききもらす)其の感想を言ふと、母の子供に対する態度などは可なり教育的で、そして温情の籠つたもののやうに見受けられたのである。前にも申した通り、或はこれは私の観察が誤つてゐるかも知らないが、私はさう感じたのである。
 今日は大詔も渙発されてゐる次第であり、どうか物質に傾いて知育に走り過ぎないよう、精神教育の方面も同時に重んじて貰ひ度いと特に願つてゐる次第である。
 何だか、現在の教育に対して甚だ誹謗を加へた事になつて了つたが私の意のある所をくんで貰へば結構である。
            (文責在記者)(教育研究一月号所載)