公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
三八四 竜門雑誌 第四三九号 大正一四年四月 ○青淵先生説話集 ○中略 経済的国難来る(DKB80010m)
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三八四 竜門雑誌 第四三九号 大正一四年四月
○青淵先生説話集
○中略
経済的国難来る
現代人の欠点 は「真面目の精神欠乏」である。真面目な精神に欠けて居るから事業が権道に陥り易い。僥倖的利益のみ追求して、永遠の大策と云ふ事に考へ及ぼされないといふ風習が滔々として現代の各方面に横溢して居る。一面軽佻浮薄の風ともいへるが、斯の如き思想が現代の人心を左右してゐる間は到底国運の発達は望まれない。独り国運の発達と云ふ大局上の問題ばかりでなく、個人の進歩向上も期し得られない。実に経済的国難来ると言はねばならぬ。軽佻浮薄の風習は人をして非道徳的ならしむるものである。今日我国民の状態は不真面目であると共に非道徳的傾向に向ひつつある。この風は個人の行為に於てのみではなく政治的にも経済的にも同様の傾向が窺はれるのである。現代の政治家中「政治は力なり」「政治は術数なり」と云ふことを広言して憚らないものがあるが、之は明かに不道徳的政治を肯定してゐるもので、斯ることを公言しても世人が何等怪しまないと云ふことが既に政治が不道徳になりつつあることを示して居るものである。政治だからと言つて、根本は道徳でなければならぬことは云ふまでもない所であつて、根本の道徳を忘れると、国家は危機に陥るか、あるひは頽廃するか、けだしその一を免れることは出来ないと思ふ。私をして忌憚なくいはしめるならば、今日の政治家の大部分は「政治は道徳なり」といふ根本の観念を忘れてゐる。政治が堕落した、腐敗したといふのは政治家に道徳心が欠如してゐることからいふのであつて、政治が「力なり」とか「術数なり」とかいふことを信じられてゐる間は、我国の政治上の革正は望まれないと言はねばならぬ。政治は国家活動の要素であつて、一日も欠くことの出来ない廃すことの出来ないものである。その政治を行ふ上に於て――殊に実際政治に於て力と術数は必要で、其処に政治の進歩があり発達があるのであるといふかも知れない。然しながら如何に必要であるからと言つて、根本精神、基礎観念が忘れられて発達するものではない。封建専制時代の政治ならば知らぬこと、立憲政治は正しい倫理概念の上に立脚して、術数、権
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謀などといふ権道を廃されてこそ発達進歩を見るのである。
経済に於ても これと異る処がない。全体我国民は経済に対する考察を怠つてゐるものも尠くない様に思はれる。経済をただ利害によつてのみ判断するから凡てに錯誤が生じて来るのである。何うしてもこれは正しい道理によつて判断するといふことにならなければならぬと思ふ。詰り富と云ふものは所有者だけの富が真の富でなく、世の中の大きな利益が真の富でなければならぬと考へなければ不可ない。一人で天下の財貨を掌握するといふことは出来るものではなく、仮令それが出来たとした所で、それは真の富であり得ないのである。真の富は全体の人の進歩を図り、全体の人の人格を進め、全体の人の事業が進歩発達して始めて真の富といふものが生じて来るのである。ただ個人的に独りで財貨を集めて決して栄華を得る訳には行かない。「己立たんと欲して人を立たせ、己達せんと欲して人を達す」といふ孔子の教へが我経済界にも適用されなければならないのである。
言葉をかへて 言ふならば、個人が富むといふよりは、寧ろその国の経済事情が正しく発達して行けば、其の利益は我人共に均霑して、万人が幸福を享くることになる。其処に真の富の意義が発見されるのである。私はこのことについてカーネギーを想はざるを得ない。彼はその父なる人が産業の革命と共に家業であつた機織りの仕事がだんだん不可なくなつて、遂に家計が立行かなくなつた時、彼は父と共に家をたたんでアメリカへ出かけた。それは彼が漸く十四歳の時であつた。アメリカへ出た後の彼の勤勉努力はカーネギーの伝を読んだものの等しく知る所であらう。その賜として、彼は今日の大富豪となつたのである。富に対する考へが多くの財貨を独りで掌握する事が正しいとすれば、彼はそれで満足すべき所でないと考へ、その富が如何にすることが正しいかと思ひ悩み、最後に経済界の為めに散ずることに依つて始めて真の富の意義があると考へたのである。即ち世界の経済界の発展を図るのが自分の富を積んだ本旨だといふに達したのである。そこで彼は
世界経済発展 の必要を覚つた。夫には世界が平等でなければならないといふので、平和殿を造つた。其の他各所にカーネギー・ホールを作る等、其の富を以て社会の為めに多くの貢献をなした。そこに彼の所謂富を私せぬといふ崇高なる精神が窺はれるのであるが、斯の如きに依つても、経済と道徳の一致は必ずあるものであり、そしてそれを為し遂げた好個の手本が彼であると云ひ得られるのである。然るに不都合にも世の中には如何にして富を私せんかと考へ、その富を作るには如何なる権道を逞うせんかと考へてゐる人があるのだから驚かざるを得ない。固より事業には気勢といふものがある。ただ著実といつて眠つてゐるかの如き状態では、事業は所詮萎縮退嬰するものであるから、事業は凡て進取的積極的にやらなければいけない。進取的といつても決して道徳と氷炭相容れないものでないことは説明するまでもない。然るに世の中には進取と云ふことが権謀であり、術数であるかの如く心得てゐるものがあるのは誤解も甚だしい。進取は権道でないと共に断じて非道徳ではないものである。
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今日我が国民が 徒らに眼を権道にのみ向けて進取的気象の振はないのは誠に遺憾である。殊に現下の国情から見て、此の進取的気象が最も緊急を感ずるものである。現下の情勢はただ経済的のみでない、政治に社会に全く行詰りの状態にあり、真に重大なる危局に直面してゐると言ふことが出来る。此の現状を打破して局面を転換せしむることは急務中の急務と言はなければならない。そもそも我国が現在の如き難局に陥つた原因は何処にあるかといへば、畢竟多数の国民が不合理な経済生活を敢てし、思慮を欠いた行為を続けて来た報いであるといふことが出来る。故に難局打開の途は昨日の非を覚つて国家国民の経済生活の樹て直しをするにあるのである。それには財政の整理緊縮も必要であらう。然し何より国民が権道を廃して進取的に進まなければならない。一言にして言へば、国民が覚醒しなければならないのである。そして産業を旺盛ならしめ、優秀なる製品を多数生産して海外に輸出し、以て貿易の発展を図らねばならぬ。凡そ国産品は海外に輸出してこそ始めて真価を認められるのであつて、単に自給自足を図る如き消極的行為では自然鎖国状態となり、到底此の難局を救ふことが出来ない。これが
何うしても進取的 積極的に出でて根本的に我国経済生活の樹て直しを図らなければならない所以である。今日此の点は随分多くの人々から唱へられてゐて決して新しい説ではないが、何うも百知は実行の一事に如かずで、言ふ事は行ふ事と違ふものである。知つて言ふ事は行ふことによつて始めて価値が生ずるので、知つて言ふことだけではいささかの価値もありはしない。内憂外患国家多事の秋、切に国民の自覚勇往邁進を望む次第である。 (人間世界三月号所載)