デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
大正期 三九三 中外商業新報 第一四三一三号 大正一五年一月一日

■資料

三九三 中外商業新報  第一四三一三号 大正一五年一月一日  金利は国力の象徴(DKB80019m)
別巻第8 p.62-64 ページ画像PDM 1.0 DEED

三九三 中外商業新報  第一四三一三号 大正一五年一月一日
   金利は国力の象徴
      銀行の高利貸化を警む
                 子爵 渋沢栄一氏
      一
 老生は一昨年来病気のため経済界の実際に親しく接してゐないので創立当時から関係の深い中外商業新報のためにも纏まつたことが申述べられない。さて四五年前米国旅行をしての帰途、サンフランシスコで新年を迎へた時一詩を得たが、その転結に
  米寿算来猶欠五。金門迎得太平春。
とある。それは当時の年齢が八十三歳であつたからで、それが明年は米寿を迎へることになつた。つくつぐ長く生きたものであると考へる
 - 別巻第8 p.063 -ページ画像 
が、この長い間に世の中のため充分に尽すことが出来なかつたのは遺憾の極みである。そして現代の一般風習は功利を目的とし、自己主義の者が多く、忠恕とか仁義とかは殆どなく、徒らに権利のみ主張して義務を忘れるといふ有様である。かくいへば渋沢がまた世迷言をいふと嗤ふか知らぬが、将来私をして「それ見たことか」といはせることのない様にしたい。出来るならばこれを杞憂に終らせたいと敢て此言をなすのである。
      二
 私は金融界とか商工業界とかの事態、海外貿易の実際等に就て言はんと欲しても今いふを得ないのであるが、ただ一つ申して見たいのは輸出入の不均衡も、生産状況の不振も、諸物価の騰貴も、結局わが国の金利が高いからであるといふことである。我国の金利の高いことは何人も認め、またその悪影響も周知のことである。この頃金融市場はやや緩和の傾向で、コール日歩は相当低下してゐるやうであるが、未だ一般の貸付金利息は低下してゐない。金利の高低はその国家の富の程度、事業の状態、歳出入の多寡、軍備の度合、教育の如何などによつて決るもので、総ゆる国力を象徴し、総ての隆運の尺度となり標準となるものであるから、国家として金利を安くすることに努力せねばならぬはずである。然るにわが国において果してこれが努められてゐるであらうか。
      三
 わが国金利高の原因は、大正三年欧洲戦争以来、事物の甚だしい変転を示し、米国と共にその好い影響を受け、生産品は都合よく売行き内地の景気は非常に繁盛に向つた。そして大正七年休戦となり、幾分とも衰頽すべきを予想せしめられた。実際は私達の経験に見ても、余りに進み過ぎては不可である。現に日露戦後に失敗した苦い経験がある。従つて私は関係の深い向へはその注意をしてゐた。処が好景気は九年頃まで継続して私達をして寧ろ奇異の感を懐かしめたのである。併しそのままの状況が長く続くべきはずがない。けれども好景気の余勢は兎に角二ケ年続いた。実際景気を保つべき実力が失はれてをるのに、物価はさして低下せず、依然好況時代に近い高値が続き、一般にこの続くことを望んだ。そこで昂騰を見越して売買契約を行つた向はその後の変動来にかなりの損害を蒙ることになり、契約上の訴訟や議論が各所に起り、私もその仲裁に立つたことが度々あつた。かくの如き状態は今日もなほ継続してゐる。然るにある政党の如き、積極策を求めてさらに飽くことなく、また実業界の人の中にも、これに呼応して好景気の来ることを望む有様であつた。成る程好景気が来れば、十万のものは二十万、三十万となることもある。
――かくして日本の実力、自己の働きを忘れ、徒らに計数の膨脹のみを見ていよいよその誤りを強めた観があつた。これに対し現内閣は消極策を採つて来たが、消極も度を過ごすと却て自らを殺すことになるのである。要は時の経済界の間違つた点を正すべく努力することが肝要である。
      四
 - 別巻第8 p.064 -ページ画像 
 今日わが経済界の根本的欠陥は金利の高率なることであるが、この原因に就て過般ある有力な銀行の首脳者と談話した時、その人は、
 わが国における各銀行を通じての預金貸出合計の概算は、約百億である。ところがこれを真に整理すれば、三割位を減じて約七十億程度になる。そこで銀行側はこの差額から生ずる欠陥を補ふために金利を高くするので、自然高利たらざるを得ないことになる。
といつてゐたが、誠に百億のものが七十億の貸借となれば、勢ひこの間の収益減を補塡するため金利を高くすることになる訳で、普通の道理である。然しこの手段は、昔からなる高利貸の採つて居る手段である。またこれも普通の道理である、止むを得ないことであるとして、対策を講じないでは、この欠点を矯正することは勿論、銀行の貸借の状態を堅実にすることは困難である。さてまた金利のことをいへば議論は銀行のことに及ばねばならない。日本銀行、正金銀行の如きは立派なものであるが、中には国家の監督、保護を受けてゐるもので、道理に適応しないものがあると聞いて居るが、かくのごときは自然その貸付利息を高くするものであらうと思ふ。
      五
 曾て私は銀行クラブで、当時政友会総裁であつた高橋是清子と席を同じうし、何か話をせよといはれたので、その時、
 或る会社が銀行から五百万円借りたところ、その利息が年一割であつたといふ。かくのごときは実に高利で、これでは文明式金融界は社会の進歩が増し知識のある一種の高利貸である。故にこの銀行集会所は高利貸の集合所で、私達がこれを建てた時には、かう成るものとは考へなかつたのであるが。
などと述べたことがある。これは一昨昨年であつた。かねて私はかやうに金利の高いことを憂へてゐたが、今日なほこの趨勢が続いてをるのは誠に遺憾である。現政府の採つてゐる緊縮策は結構であるけれど金利に対する努力はなほ足らぬやうである。従つて今年の経済界においては、官民相協力して無理のない経済復興を待つと同時に、人の努力によつてこれを促進せねばならぬと切実に感ずるのである。即ち経済界の進みは金利安でなければならぬ。この点は英、米の状態を見、日本の現状を比較すれば何人も肯定する処である。慶賀すべき新年に愚痴を述べたやうであるが、来年の正月には之を繰返すことなく、こん度は金利が安くなつたといふ様になりたいのであつて、経済界の人人の御努力を切に望むのである。殊に私が現在実業界に働いて居ない身柄であるから、かくは遠慮のない意見を述べた次第である。