公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
三九四 竜門雑誌 第四四八号 大正一五年一月 年頭所感 【青淵先生】(DKB80020m)
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三九四 竜門雑誌 第四四八号 大正一五年一月
年頭所感
青淵先生
一
竜門雑誌の為めには暫く先輩諸公の追懐談を継続して来たが、年も改つたことであるから、全然新しい題目、即ち私の平生感じて居る処に就てお話をしよう。
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世の中の事柄に関して、同一の事柄に就て一方には「斯う云ふ有様では困る」と憂ふる者があると同時に、他方には何事も楽観的に見る人もある。其処で今私が述べるのは、人々が口癖のやうに言うて居る単なる「困る」ではなく、心から改良せねばならぬことに就て特に述べるのである。偖てこの悲観する側の人と楽観する側の人とを個人的に例を挙げて見ると、井上馨さんはよく「困る困る」と言ふ方であり大隈重信さんは「結構だ」と楽観する側の人であつた。この楽観の方も中々面白いので、私のよく話すことではあるが、曾て明治の初年私が大蔵省へ出仕するやうになつた時の如き、大隈さんの勧めに対し私は「大蔵省の事務は殆ど知らないから」と云つて断つた処、「知らないからそれを創造してやるのである。日本建国の昔、当時の神々はその全部を創設したのではないか」と言つて頗る楽観して居た。又私が東京瓦斯会社を経営して居た時、市民の瓦斯使用量が非常に低かつたので、そのことを話し、如何にも斯る有様では困ると歎息した処、之に対し大隈さんが「事業に熱心な渋沢の歎息は無理ではないが、瓦斯を市民が使うて居ないと云ふことは、結局将来多く売ることが出来ることであつて、事業発展の余地のあることである。今市民の十分の一しか瓦斯を使用して居らねば、今後現在の十倍は使用せられるやうになると見てよいので、前途洋々たるものである。だから愚痴を言ふことはない。寧ろ反対に愉快であると大いに喜んでよい」と言つて笑つたことなどもあるが、かう云ふ見方もないではない。実に一理あることである。それと反対に井上さんなどのやうに悲観する方の例を言ふと、これは事実あつたことではないが、仮に例を生糸にとると、本年生糸が約八億円から売れたとすれば、井上さんは「今年は八億売れてよかつたが、よく売れると云ふので価格を引上げたり、品質を落すと来年は五億しか売れぬかも知れない。従つて貿易業者も製糸家も注意を要する」と悲観的に見て警戒するだらう。故に所謂楽観、悲観はその何れとも道理があると言へる。
二
然し私の心配する所は今述べた楽観でもなく悲観でもない。其何れにも片寄らない衷心からの感じであつて、静かに総てを観て述べるのである。大きな問題は勿論私の領分外ではあるけれど、談話は勢ひ国家と云ふことに及ぶこともあるであらう。先づ近頃の若い人々に就て観察して見ても、結構なこともあるが、或る点には甚だしく緊張味が足らぬやうに思はれる。これは一般に現代の若い人々共通のことで、私達の成長した当時の友人、または其時代の他の色々な人々に比較して特にさう感じるのである。実に此頃の人々は非常に物馴れて居る。所謂畳ざはりがよく調子がよい、そして利巧である。ただし強い意志を持たず独立心に乏しい。従つて何事にも自信がないやうである。私共は或は自信があり過ぎたのかも知らぬが、相当に強い意志を持つて居たのである。即ち最初に考へたことは、一生百姓でこの血洗島に終るのが人間としての本分であらうかと考へた。十七歳であつたが、それに付て両親に大変叱られ、二三年は野心を捨てて居た。処がその後日本の海外との関係がいよいよ進んで来ると共に、尊王攘夷の説が高
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くなつて来た。初め私は人間として世に立つ為め百姓をよさうと思つたのが、この時には日本と云ふ国をこのままにして置くことは出来ない、家よりも国が大切であると云ふので、遂に親の許しを得て故郷を飛び出したのである。その時分の青年と今日の青年とを同列にして比較することは、時世が違ふから無理であらうが、今の青年には強固な意志が乏しく、物柔か過ぎて質実剛健の風がないやうである。かく言へばとて粗暴であるのが良いと言ふのではない。
これは概括的の見方からで、中には例外の人もあるであらうが、一般の風習が斯う言へると思ふのである。然らばこれは何によつてであるかと考へるに、恐らく精神修養が足らぬ反面に智識の吸収のみが多いためであつて、教養が一方にのみ偏したからであると思ふ。私共の少年時代には、教育と云つても漢籍を少し読む位で、勿論百姓が漢籍を学ばねばならぬ訳ではなかつたが、私共はこれを学んで部分的ながら一つの気風に養はれ、緊張力を増したのである。当時おしなべて田舎でも都会でも、十七八歳頃から一定の理想を抱く者が多く、何人も「将来は斯うしよう」との観念が強かつた。云ふまでもなく素朴であつたり粗野であつて、嫌ふべき処もあつたらう。遊戯などにしても、棒押しとか、角力とか、脛押しであつて、今日のやうなフットボールとか、ベースボールと云ふやうな規則だつたものはなかつたのと同様である。そしてそれだけ精神的な強い処があつた。
三
斯様に現代人は、頗る文明式であるだけ、精神は虚弱たるを免れない。現代の人も自身で自分の赴くべき方向を定めるであらうが、強い意志に依て之を遂行しようとするのではないやうに見える。之は前に述べたやうに智識の吸収が多過ぎるからであると思はれる。この事は断言は出来ないが、六十年以前よりは確に智識も進んで居り、気の利いたものになつた。周囲の事情から概して青年の気風も左様ならざるを得ないのである。従つて奉仕とか、報恩とかの観念が少くなつて浅はかとなり、軽薄になり、犠牲的なことをするのを愚だと思ふやうになつて来て居るので、孟子の四端、即ち「惻隠之心仁之端也。羞悪之心義之端也。辞譲之心礼之端也。是非之心智之端也」などは顧られる処はない有様である。
実業之日本の新年号に是非にと云ふので書いたことであるが、「おしなべて現代人は権利を主張して義務を忘れる風があり、権利として義務を行はうとする風がない。また義務を果して後権利の生ずることをも忘れて居るやうである」との感じが深い。私は敢て現代の青年が昔の青年と比較して風習が悪くなつたとか虚弱になつたとは云はぬ。比較的にはよくなつたと言うて差支ないと思ふ。殊に身持などは非常に良くなつて喜ばしいと思つて居る。然しながら報恩の意が薄くなり義務的観念は乏しくなつて居ると思はれるが、若し之が教育から来て居るとすれば、教育家は勿論一般国民は深く考へなければならぬ。然もそれが不堅実なる思想と道伴れになつて居る場合は、殊に考へなければならぬ。そして之が現代我国おしなべての風習であるとするならば、我国民性が斯うなつたとも言へるのであつて、実に人情の軽薄は
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上御一人に対しても相すまぬ次第であると言はなければならぬ。
此事実を極論したならば、要するに政治上、教育上之を助長するやうな現状にあるからであると言ふことも出来はせぬかと思はれる。斯の如きことを云為するのは或は私の分外に属するかも知れないが、門外漢であるからとて敢て黙して居ることは出来ないのである。
四
我が国の教育は明治維新以来、外国の学制をとり入れた。即ち明治六年私が大蔵省を辞職した時の奏議にも「学は八区を別て云々」と書いたやうに、中々にこの学制に就ては研究して実施したので、当時の政府は大いに教育の方面には尽したと言へる。日本古来の教育は個人的であり、精神的であつて、彼の熊沢蕃山が中江藤樹に感化された如きその好例である。これが今日の教育制度に依ると殆ど人格の感化と云ふものはなく、制度を重んじて少しも之を信仰的に見ようとしない所の弊がある。これは多数の学生を画一的に教育するから、大いに進むことの出来る能力を持つて居る者も、或る程度まで延びるとそれより以上延びさせぬ。或は軍艦が進行する時のやうに、最も速力の遅いものを標準とはしないまでも、後れる人の為め進み過ぎる人々は時々進行を止めて待ち、その歩調を揃へる。これも多数を画一的に教育する制度であれば致し方のないことであるかも知れない。又、教育の主力は常に智的方面に注がれ、倫理の如き、精神的な課目はあるにはあつても、力を入れて居るかどうか甚だしく疑問である。私は教育には門外漢であるから、或は私の解釈の通りであるかどうか疑はしいが、若し私の解釈が過つて居なければ、我邦の教育法は頗る拙劣であると言ひたいのである。
昨日も本多静六君が見えて種々話をしたのである。特に教育論をやつた訳ではなかつたが、部分的に色々の話が出た時同君は「どうも貧窮な人の間に優れた能力のある者があり、富有な者の間に優秀の者が少い」と言つて居た。私共の家は富有か否か自分で判断が出来ないのであるが、兎に角富者の子弟に能力のある者がないとすれば困つたものであると思ふ。これは多少余談に亘つたけれど、要するに徳化とか感化とかがないならば、如何に徳の講釈をする人が多くとも何等効果は挙げ得られないであらう。
五
韓退之は「博愛之謂仁。行而宜之。之謂義。由是而之焉。之謂道。足乎己無待於外。之謂徳」と原道に説いた。徳は行ひで智ではないから情意の方に属する。故に其の訓育が必要となるのである。其処で私の右に述べた懸念が杞憂でないならば、当然改善の仕方もあるであらうと思ふ。
私は以前教育調査会委員に挙げられたことがあるが、其時に「小学校に名誉校長を置く制度とし、その地方に於て最も徳望の高い人を相当の待遇をして其地位に推戴する。そして此人をして直接子供に接しせしめるならば、精神的に良感化を与へることになり、自然倫理にしても、今日の英語、数学と同様重要な課目とさるるに到るであらう」と述べたことがある。ただ名誉校長たり得る適当な人物があるかどう
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かは問題であるが、私は之を主張した。この委員の中には菊池大麓君高田早苗君なども一しよに居た。そしてそれは一説で、誠に面白いけれども、到底実行出来ない理想論であるとて、遂に建議するまでに到らなかつたことがある程で、私は当時から教育者の感化と云ふことを考へて居た。更に日本の現状を見るに、女子教育はかなり進んで来て居るとは云へ、未だ日本の婦人には条理が識別出来ぬ嫌ひがある。或は全然さうであるとは言へないまでも、道理正しく、子供を教育し得る人は少いのであつて、多くは名誉とか利益だけを目的とする教育を行ふやうである。男の方で子供を本当の人として教育しようと考へても、肝腎な家庭で充分の訓戒が行はれず、また学校で智育のみを主とするやうでは、私の言ふ処の教育目的を達することは困難である。
従つて現在我が国に於ける青年の気風の厭ふべき風習は、その原因が、智育を主とし徳育を顧みない教育制度に在ると言はねばならぬ。然らば之を改善するに就て如何にすべきか、之に対して適当の案を考へて居る訳ではないが、教育に当る人々には此点をよくよく考へてもらひたいものであると思ひ、また私のこの教育上に関する疑問をも正して欲しいと思つて居る。或は教育専門家から「左様な心配は少しもない」と言はれるかも知れぬ。それなら結構であるが、若し左様でなかつたならば、それこそ義務教育年限の延長などより先へ研究せねばならぬ問題であると確信する。
六
更に議論は政治問題になるが、最近よく政治は力であるとか、術数であるとか言つて政党を論じ、議会を論ずるのを聞く、そして政治は道徳であると称へるのを聞かない。真実政治は道徳であることは、特に私が言ふまでもなく判つて居ると云へばそれまでであるが、この政治は道徳なりと云ふことの真正であることを理解しない。のみならず今日では悪く言へば、勝負のみを目標として、神聖なるべき政治を玩んで居る風がある。
抑も明治の維新によつて封建制度を破り、世界共通の政策を採ると云ふ主旨から、我が特殊の国体を無上のものとして、その下に憲法制度が布かれた。従つて今日の有様では、多数が政治を行ふことになつた。それには政党が必要であることになる。丁度明治三十一年、伊藤博文公が我が国最初の政党を造ると云ふ時、私は素人であつて之に参加する意思は全然なかつたけれども、政党組織の必要を認めて居たので、政党の生れることの緊切なる旨を述べ、際物的でなく本当の政党を組織しなければならぬと説いた。この頃、伊藤博邦さんから其時の覚書の様な書付を見せられたのであるが、これは伊藤博文公の政友会を組織せられた当時、私が口出したことの証拠の一つであつて、之を見て当時の記憶を呼び起したのであつた。その時どうしても私がその政党に参加しないので、伊藤公から誠意が無いなどと云はれたことを思出す。その後、井上さんに口をきいてもらつたりして結局政党には関係しないで済んだ。当時私の政党に対する考へは、道理正しく徳義を重んじ、徒らに皮相の見解を以て争ふことなく、彼の英国に於てサルスベリーとグラッドストンとが議論には花を咲かせても、常に徳義
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を重んじて相交つて居たやうにあり度いと思つて居たのである。そして伊藤さんの力強い政党組織に対しては、大隈さんか板垣さんかが又別に政党を造り、相互にその政策を天下に発表し、多数の後援を得て政治に当るであらうと思ひ、それにはよく道徳と智識とを協調せしめる要があると当時から感じてゐた。
このことは単に私のみの考へでなく、政治を論ずれば皆此点に帰するのである。所が事実に於ては必ずしも左様でなく、不道徳なことを敢てしながら、衆望を得ようとする者が少なからずあるやうに見受けられる。今日表面に現れた処を見ても、離合集散常なく、殆ど隣国支那の闘争と甲乙ない有様で、これがどうして道徳的であると言へようか。斯かる有様で政治を行ひながら、教育の方面に於て徳義を重んじ義理を尊ぶ人を養成しようとすることは頗る難しいことである。
七
要するに私は経済界が行詰つた、どうもならぬ、と云ふ如き悲観論を為すのでなく、又隣国支那に赤化の傾向があるとて徒らに憂ふる者ではないが、一方に智識の進むことが迅速であるに拘らず人情が浮薄となり、険悪となることを先づ憂慮するのである。実に「成名毎在窮苦日。敗事多因得意時」と云ふが、その通りに、我が国では欧洲戦争の好い影響を受けて事を破る原因をつくつた。政治上からも経済上からも、害を及ぼすことが共に甚しかつたのである。露骨に言へば、総てを力不相応にやつた結果である。現内閣が緊縮政策を採らなねばならぬやうになつたのもそれで、その採つた政策は主義として結構であつた。そして緊縮の為め内の力が衰へた訳ではなかつたから、昨年を境として一般に財界はよい方へ向つて居るやうであるのは喜ばしい。私共今からよく前途の予測をなし得ないが、貿易上の事態などを見ても此調子ならば一般的の風潮には心配すべき程のことはないと思ふ。ただ青年の気力に乏しい事が憂慮せられるのみである。然しこれも文化の進むに伴れて起る自然の結果であらう。私自身が多少とも野蛮であるから或はさう見えるのか知れないけれども、どうも英米人に比し現代の日本人は真に気力が劣つて居るやうに見受けられる。其処でこれは単に青年を攻めるのみでなく、その原因たる政治に、将又教育に依てこれが誘導を誤らないやうにすることが肝要であると切に思ふ。
誠に均衡を得ない談話となつた嫌ひがあるが、年頭に当つて思ひ出したままを話した次第である。(一月七日談話)