デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
大正期 三九五 中外商業新報 第一四三四九号 大正一五年二月七日

■資料

三九五 中外商業新報  第一四三四九号 大正一五年二月七日  最も尽力の要ある本邦の蚕糸業 【子爵 渋沢栄一氏】(DKB80021m)
別巻第8 p.69-71 ページ画像PDM 1.0 DEED

三九五 中外商業新報  第一四三四九号 大正一五年二月七日
    最も尽力の要ある本邦の蚕糸業
      子爵 渋沢栄一氏
      ◇
 蚕糸業がわが国として最も力を尽さねばならぬものであることは今更私が喋々しく述べるまでもない。しかしその現状を見、将来を卜するに、最近まで他に比類なしとされた我養蚕製糸業も、この頃では彼の人造絹糸の発達につれて、これに圧迫されるかの趨勢にあるから、これに対抗するには是非とも値段を安くすることに心掛け、品質をも
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より改良するにあらざれば、今日の如くわが海外輸出額の首位を占め総額に対し三割六分からの輸出を見ることは至難な結果となる。
      ◇
 実に人造絹糸は、今後いよいよ発達して次第に品質なり用途なりを天然絹糸に近づける。之に反し天然絹糸は改良さるるとも、人造絹糸の進度には及びもつかぬであらう。ただしわが製糸業が明治の初年から発達して来た有様は誠に目醒しいものがある。又それが農業として桑葉の培養養蚕、それから工業としての製糸、更に商業として貿易品となる如く、各方面に亘つてゐるものであるに対し、私は永年それが進展に尽し、農、工、商の三方面の実務にも当つて来た。したがつて歴史上からも私は養蚕製糸と深い関係があるので、常に其将来を憂慮してゐる訳である。
      ◇
 すなはち桑葉の培養にしても、蚕種にしても、科学的に気候と時期とを利用することが進んでをり、また製糸の上でデニールのこと、特殊織物への適用糸を製造する関係など、驚く程の進歩のしかたであつた。就中私が明治の初年大蔵省にゐた時代、富岡へ国立製糸場を建設して西洋式の模範的製糸に従事した時などに比較すると、真に隔世の感がある。そしてこの日本生糸なるものは、東西独歩の地歩を築いて今日に及んだが、今後はさらにその独特の品質に基く改良法を研究しかつ産額を増加して出来るだけ価格を安くしなければ、これまでのやうな売行きは望まれまい。殊に人造絹糸といふ強敵があるにおいて然りである。
      ◇
 今、人造、天然両絹糸の大消費地である米国に於る値段は、一ポンド人造絹糸二ドル三十セント、天然絹糸六ドル八九十セント見当で、前者は後者の約三分の一である。故に人造絹糸がなほ発達して来ればたとへ根本から素質に相違があるとしても、勢ひ天然絹糸の領域は安価な人造絹糸に圧迫されずにはゐまい。既に今日でも天然絹糸が騰貴して人造の三倍以上となれば、売行きを阻害されてゐるのである。勿論両者の値段を同一にすることは到底至難であるが、天然絹糸を幾分とも安くすることは可能であると私は断言して憚らない。そしてまた両者の素質が全然異なつてゐるから同一には論ぜられないけれど、値段を低くし品質を改良することは、わが国人の最も尽力しなければならぬ処である。
      ◇
 現にこの研究は各所で熱心に行はれてゐると聞くが、私の故里埼玉県八基村の渋沢治太郎君はつとにこれが研究を行つてゐる。そして、従来は春蚕、夏蚕、秋蚕の飼育だけであつたのを、最近、秋蚕を初秋蚕、中秋蚕、晩秋蚕と発達せしめて来たが、その上に今回治太郎君の手で初冬蚕なるものの飼育が成功したのである。即ち初冬の候においても養蚕が出来ることになつたので、その頃は恰度農閑期で非常に好都合である。ただ桑葉の培養を伴はねばならぬから地味肥妖の地であることを要するが、この方面の研究をも行ひ、全国で初冬蚕を飼育す
 - 別巻第8 p.071 -ページ画像 
るに到れば、それだけわが生糸の産額を増して値段を安くすることが出来るであらうと思ふ。私が特に養蚕、製糸業に今後努力せねばならぬことを力説する所以は先づ以上の通りである。