公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四一〇 竜門雑誌 第四六二号 昭和二年三月 ○青淵先生説話集 ○中略 自動車の過去及現在と国産の将来(DKB80036m)
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四一〇 竜門雑誌 第四六二号 昭和二年三月
○青淵先生説話集
○中略
自動車の過去及現在と国産の将来
文明を招致し文化を促進せんとならば、国民は宜しく日に日に新なる研究を進めて、勇往邁進せざるべからず。求めらるるが如き問題に就きて之を説くは、或は常軌を逸するの嫌ひ無きに非ざるべきも、少
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くも過去及び現在に於て体験したる事を思ひ浮ぶが儘に語らしめよ。余は青年時代より少からず旅に出でたる者なるが、其当時は己れを運ぶものは己れの両脚より外に無き物とした。偶々疲労して籠に乗りたる為めには、父より意気地無しとして叱責せられ、与ふ限りは我両脚を利用したるものなりし。
然るに今日迄世態を連続的に追想すれば、夢の如くまた幻の如く、実に其変化極り無かりし事を痛感せざるを得ず。慶応三年初めて欧米の旅を為せるは、今より指折り数ふれば六十年の昔の事にて、当時は自動車も飛行機も話頭に上らず、仏蘭西巴里にて僅かに紐を著けたる玩具の風船が一個飛揚せられ、非常なる喝采を博せるを見たり。灯火も現今の華かなる巴里の街に於て、僅か市役所前の広場を照らす二個のアーク灯を見るに過ぎざりし程、欧米の化学工業界も幼稚なりしなり。日本に帰りて見れば、人間が人間を乗せつつ運搬すると言ふ人力車なるものが創設せられ居りたり。
人世の変化は思ひの外進まんとして躊躇せるものあり。或は未だしと思ふ物にして意外の速進を見るものあり。或は学問のみに依らず、凡百の物皆然か進みつつあるものにて、一時的の流行が国民の心を惹起し、次第に夫れぞれ実用期に入りて、実用的に地味に落ち著き行くものなり。今言はんとする自動車界も、将来は運輸上鉄道を凌駕すべき迄の進歩の著しきは何物も及ばじ。
明治三十五年再び欧米に遊びたる時は、自動車を所有せる者ある事を聞けり。其後余はニューヨークにて自動車に乗じ、ブロドウエーの最も人馬轂撃の中央を通過中、自動車に故障を起し立往生をなし、押せども曳けども此雑沓中を出づる事能はず、同乗せる市原盛宏君其他一二の人々が運転手に難詰したるも、原因不明の為め、運転手も為す術を知らず、詮方無く他の自動車を招きて帰宅せる事あり。最初の乗車とは言ひ此の出来事に遭遇して恐怖の念に襲はれ、実に不快を感じたり。続いて欧羅巴に遊び仏蘭西のアルベー・カーン氏を訪問したる事あり。氏は日本に来たり余の家にも滞在せる因縁もあり、自動車を所有して居る所より好遇置かず、家族同伴にて一日郊外ベルサイユに遠乗を試みたり。天気は良し、道路は良し、風景また絶佳、加ふるに六十哩以上の速力にて疾走する其快言ふべくもあらず。余は時々危険なきかと反問せるに対し、把手を執れるカーン氏は微笑を漏して決して心配するなと言はれたり。而してベルサイユ其他の名所旧蹟を見物して夕景無事帰宅し、晩餐を共にしつつ、見物中有りし種々の物語を為して楽しく一日を回顧せり。而して此の行はニューヨークの自動車に於ける悪感を一掃して、実に自動車なる哉を叫ばざるを得ざらしめたり。何となれば馬車を用ゐ、汽車に頼るも数日を費すべき程の観覧の量と、軌道に能はざる途中の風物に接するを僅々一日にして得たる事は、文明の利器の賜なりと感謝せざるを禁じ得ざりき。
余は固日本橋に居住し、黄塵の中に奮闘しつつ、人力車より馬車に移り、之を唯一の交通機関として仕事の能率を挙げ得る事を得たるも、次第に年を加へ保健上よりして飛鳥山の地に居住を移したり。此処は都も遠く、時間と事務の関係等より安全なる良き自動車もあらば
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と物色せる内、明治四十一年にハンバー号を購入したれば、馬車を廃す事となせり。馬車は飛鳥山を出でて東京の用事を一二軒済せて帰邸する位に止まり、余の如く激烈に乗用する多事なる者には、動物愛護よりも不憫にて使用出来ず。自動車ならば一日幾十軒を訪問し、終日幾十哩を使用するも何等の故障も疲労をも感ぜず、時間の経済と仕事の能率に於て其幾倍なるかを知らず。日比氏、日比谷氏、中上川氏、森村氏、古河氏、大倉氏、三井氏、赤星氏、大隈氏等相前後して此の文明の利器を応用せられたり。
自動車は斯く利便なる物なるが、日本の生活状態が総べて之に伴はざる為め、往々にして其能率を阻止せらるることあり。平素和服にて起居する者が洋服に著替ゆるとか、其他常住の設備に於ても、亦道路の狭隘の為め、中途下車して其家迄意外の時間を要すると云ふが如き矛盾を来す事多し。道路の改良に就ては従来市長や知事に悪口を言ひ進言したる事少なからず。欧米にては家を造る前に先づ道路を作り、町を計画する前に必らず立派なる道路が出来る。是れに比すれば日本の道路は、狭隘なるが上に粗悪にして、両側には物置とせらるる風習あり。偶々中央に樹木を植ゑ日光の直射と防火に備へ、他方に於て風致を添ゆるは好感なるも、其処を物置場視する事は、古物保存か古風保存か斯かる悪例は充分改善すべき事ならん。
日本人は自己の庭園内か、自己所有地内を歩む考へにて公道を使用し且つ歩行するが故に時として他人の迷惑を顧みざる事あり。是れが為めに軌道横断の際、他の交通に障害を来し、自己を傷くる事も亦此の不用意より来り、之れが整理上多数の係官を使用して、更に事件や関係を増大にする。自制すれば国家の経済も自己の安全をも計り得る事は必然ならん。
世界の大戦と帝都大震災は、産業の国家的独立を確立せしめたる試金石にてありし。其内にても自動車の実用的方面に発展したる事は、余が前に述べたるが如き、自己の足を以て自己を運行せし時代より現代に及びたる其変遷は幾何の差異ありや、自給自足の国産を振興せんとならば、官民協力して金融機関の整備と工業保護政策の実行を見なければ不可能である。余は往時より此抱負を持てり、個人の財力と能力には制限あり、玆に於て財団として金融を計らんと規画したるものが今日の第一銀行である。善事は何事も成就し易きものにて、更に糸車にて綿を紡げるを会社組織としたるもの紡績会社にて、機織を集め機械の力を利用したるものが、今も盛んなる大阪の東洋紡績株式会社である。其他郵船会社にせよ、取引所にせよ、国民が相当犠牲を払ひたる為め今日の大成を為したるなり。自動車工業も軌は同一なり。故に折々は石川島自動車部をも督励する事あり。余は国産奨励の意味に於て、ウーズレーを三台も使用し、其他一族も同様国産品として使用為しつつあり。伜も国産の意図を持ちて今や欧米に研究せり。国産品には多少の意に満たざる点ありとするも、心あるの士は財宝の海外流出を防ぐ事と、国産奨励の理由に依り務めて国産品を使用し、其不足は改善せしめ、業者を鞭撻し保護を加へなば、完全なる収穫物を得る事は難事には非ざるべしと思惟す。
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現在乗合自動車とか、タクシーは全国到る処の汽車汽船連絡に使用せられ、人間を運送する外小荷物、郵便物等も運送せられ、多少賃率高価なるも到着早きと、物品の保全に信頼する事を得、更に経営法一段の宜敷きを得ば賃率低下は理想的と成るべし。是には官民一致して金融に生産に、販売に使用に、協力の行動を取り、外国の地勢気候に適切に設計せられたる輸入品の使用を防ぎ、国産として我国の風土に適応して製作せられたる堅牢無比なるものを創造し、日本の美術的、工芸的、技量を示すにあり。余は嘗て仏国より帰りし時、恰も王政復古に際し、家録奉還せられ、徳川氏に帰り、臣下たりし友人等は政変に依り中央政府に乗り込み時めいて居ると言ふ変調を目撃せり。余は郷関を辞する時野心満々たるものありしも、此の有様に君臣の情誼を感じ、断然政界と断ち、其の半面に於て実業界に聊か貢献せん事を期して今日に至れり。国産特輯に際し、貴紙の為めに纏らざる事を呈供したるを諒とせられよ。(自動車と日本二月号所載)