公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四一二 事業之日本 第六巻第五号 昭和二年五月 憂ふべき社会相 【渋沢栄一】(DKB80038m)
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四一二 事業之日本 第六巻第五号 昭和二年五月
憂ふべき社会相
渋沢栄一
私は今経済界に対して直接の
関係が尠いので、最近の財界殊に銀行のパニツク等に就いても具体的意見は申し上げられぬが、どうも今日の経済界は、銀行にせよ会社にせよ、其の局に当る人々が大変真面目を欠いて居るやうに思ふ。
金融と云ふ事は、事業運営の上に於いて非常に重用なものではあるが、是に携る者にその人を得ないと、どうしても悪い結果を齎す事になる。銀行は人様の大切な金を預ると共に、之を必要な事業方面に貸附けて金融の円滑を計るものであつて、私どもの経済生活には重大な役目を持つものであるから、之れが経営者は克くその職責を自覚して資金の運用に万誤りなきを期せねばならぬ。
それにも関らず、最近のやうに銀行の破綻が相踵ぐと云ふ事は、他にいろいろな事情もあらうが、要するに之が経営者の不注意によるものと云はねばならぬ。
人間は、得る事を知つて失ふ事を恐れるものである。得る事は積極的に自分を益するし、失ふ事を止めれば損はないと考へるのは、殆ど
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人間の通有性とでも云はふか、兎に角得る事の為めには「人は何うでも自分さへ得られればよい」と考へ、失ふ事に対しては「人は何うでも自分だけは失ふまい」とする。当然手放さなければならないものでも、何とか理窟を附けて飽まで握つて居ようとするのである。個人が既にさうであるやうに、之れが国際問題になると、一層劇しくなるものである。得るものは得ると同時に、捨てるものは捨てなければ物事は円満に解決するものではない。
政界、経済界を見ても矢張り同様である。多数の迷惑は関はぬ。自分の利益さへ得られればよいと云ふやうな利己主義的な考へでは、物事が永続するものではないのである。
毎度云ふ事だが人間の
社会生活は智恵だけでは危険である。尤も文化文明と云ふ事は智恵により模倣によつて進歩発達するものであるが、知識は善悪共に利用されるから、若し悪の模倣をする事になれば世の中は次第に悪化する事になる。孟子も「尭の服を子服し、尭の言を誦し、尭の行を行へば是尭而已矣。桀の服を子服し、桀の言を誦し、桀の行を行へば是桀而已矣。」と云はれてゐる。必らずしも尭と桀には限らないが、尭と桀は善人と悪人の代表者のやうに思はれてゐるから、之れに喩へたものであらう。然し世間には知識さへ進めば世界は自ら平和になると考へてゐるものもある。
アメリカのスタンホルド大学の名誉教授ジョルダン氏は有名な平和主義であるが、確か大正三年だつたと思ふ。此の人が私の所へ来訪されたので此の事を話すと、氏は
「いや知識が充分に発達すれば、利己主義や唯物主義は結局自分を益するものでない事を自覚するから、そした心配はない」と云ふ意見であつた。丁度その時仏蘭西と独逸とがモロッコ問題で議論を闘はせてゐた時なので、之れに資する氏の意見を聞くと、矢張り大した事にはなるまいと云ふのであつた。氏は帰国後も同様の意味の手紙を私にくれたが、其後間もない大正三年の七月には彼の欧洲大戦が勃発したのである。
私に云はせると知識の発達
と云ふ事は非常に結構ではあるが、之れに道徳が伴はぬと反つて其の弊害に堪へられなくなる。例へば欧洲戦争に独逸が使用した毒瓦斯なども、文化が発達した為めに出来たものであるが、それが為に多数の死傷者を出すやうになつた。文明の利器は総じて利器であると共に悪器である。故に之を悪用すると否とは使用者の人格如何による事であつて、其処に仁義の必要が生ずるのである。
私どもは儒教の訓へを受けたので「仁義」と云ふが、之が男女の関係にすれば愛となり、国際関係から云へば礼儀ともならう。言葉の現れは兎も角として、仁義の心なくして永遠の平和を望む事は不可能である。尤も如何に仁義の道が大切だからと云つて、之れに経済が伴はなければ折角其の衿持する所も実行不能に陥り、経済生活の落伍者とならねばならぬから、事業経営の衝に当るものは常に最新の学理を応用し、冗を省いて能率を増進する事に努力せねばならぬ。
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今回の震災手形の如きも
借金をして支払ひの遅れたものが助かり、真面目に返済したものが馬鹿を見たと云ふ風に見えるが、併し之れは、借家人が家賃を滞納して最後に引越金まで貰つて行くのに対し、真面目に家賃を支払ふものは、其の尻拭ひをすると考へられるのと同一で、一見悪人の方が割がいいやうであるが、斯うした事が永久に繁栄を来すものではない。陰徳あれば陽報あるには相違ないが、扨て其の陽報が何時来るかは不明であるが、予め打算を以つて之をなすと云ふ事は避けねばならぬ。
之を要するに、銀行と云ひ会社と云ひ、総ての事業経営には知識の外に徳義を加へねばならぬ。道徳経済の二つがピツタリ接触して進まなければ人類永遠の平和と進歩は望まれないのである。