デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四一九 東洋生命社報 第四三号 昭和二年一〇月

■資料

四一九 東洋生命社報  第四三号 昭和二年一〇月  ワナメーカー氏と私 【渋沢子爵談】(DKB80045m)
別巻第8 p.130-131 ページ画像PDM 1.0 DEED

四一九 東洋生命社報  第四三号 昭和二年一〇月
    ワナメーカー氏と私
      渋沢子爵談
 私が初めてジョン・ワナメーカー氏に会つたのは、大正四年十一月廿七日の事で、その時私共の一行を特別の賓客として、氏の経営して居る百貨店にイルミネーションを施して大歓迎してくれた。そしてワナメーカー氏自身が案内してくれましたが、第一に私共に見せてくれたのは、最上階の皿洗場でした。それから荷造場と云ふやうに仕事場ばかりを見せてくれて、さて最後に一室へ案内して云ふには
 「ここは秘密室で、私と専務と支配人と三人しか入らない室です。多くの使用人が居るので、銘々云ひたい不平もありませうし、忠告したい事も気附くでせう。さう云ふ事を執務中、又は客の居る中で私共に云はれるのは困りますので、私共三人が時間を定めて一人宛この室に居ります。そして何か告げたい者は順番で待つて居て、私共に告げます。四時になりますと、もう一般の者を入れないで、今度は私、支配人、専務と三人でその日に聞いた事について協議して処理するやうにしてゐます。――店内には、綺麗な所は沢山ありますが、あなた方は何もアメリカに綺麗なものを見に来られたのではないと思ひますから、御案内はわざと、これだけに致しておきませう。
と云つて、その日はそれで別れました。
 翌日早朝私は約束によつて、ワナメーカー氏の訪問を受けました。
 - 別巻第8 p.131 -ページ画像 
その時に日米親善、救貧、育児事業などについて打解けた談話を交換しました。最後にワナメーカー氏は「何が貴方をさう云ふやうに社会の為めに働かせるやうにしたのです」と云ふ質問を発したので、私は自ら信ずる儒教の事について語りました。
 すると其の日の午後、私を迎へに来て、氏が建てた立派な教会につれて行きました。其処でワナメーカー氏は、
 「先程貴方のお話を承はると、全く私の信じて居る基督の教と変りません。救世主が今日居られたならば、東洋に貴方一人の居られるのを、どの位歓ばれるでせう。貴方のやうな方を迎へるのは基督教の誇りですから、どうか教徒になつて下さい」と勧められた。併し私にも私の信仰があるし、斯様な問題は簡単に決せられないので、「若しも私が貴方に仏教によい処があるから改宗なさいと勧めたならばどうなさるか、孔子も己の欲せざる処を人に施す勿れと云つて居ます。御思召は難有いが」
 と云つて好意を謝しました処、氏もこれを諒として、
 「併し今日貴方と此処で斯く肝胆相照した事だけは永久に記憶に残して頂きたい」
と云つて別れた。
 それ以来、非常な親交を続け、その次に渡米した際には自分の家に泊めてくれたり、大変歓待してくれましたが、ワナメーカー氏は実に信仰深い大人格者でありました。
 関東大震災の際、第一番に私の処に見舞の電報を寄し、「どの方面に寄附したらよいか指図してくれ」と言つて来たのは、ジョン・ワナメーカー氏の死後、店を経営してゐるロッドマン・ワナメーカー氏とヴァンダリップ氏とでありました。
 そしてワ氏は四万五千弗を寄附してくれたのでしたが、その親切が実際嬉うございました。