デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四二一 東京日日新聞 第一八四〇三号 昭和二年一一月二二日

■資料

四二一 東京日日新聞  第一八四〇三号 昭和二年一一月二二日  人生への憂鬱 西洋に「初老」の字なし つまり日本人は修養不足 【渋沢子爵の話】(DKB80047m)
別巻第8 p.133-134 ページ画像PDM 1.0 DEED

四二一 東京日日新聞  第一八四〇三号 昭和二年一一月二二日
  人生への憂鬱
    西洋に「初老」の字なし
      つまり日本人は修養不足
        渋沢子爵の話
 いつの頃からいひ出したのか起りは知らないが、四十になると「初老」といつて老人の仲間入りをする。働き盛りから一歩老境に踏み込んだやうに、全部とはいへないが、おしなべて物事の連鎖、取締りなどを考へて発展より整理気分になる。一時に憂うつになるのは事実らしい。
      ◇
 しかし、大学にも「洵に日日新たなり、日に日に新たにして又日に新たなり」とあるやうに、日に日に進んで足りるところを知らないのが人の一生だ。四十になつたからちぢまるのはちとふに落ちない。
      ◇
 私などよく老人臭くないといはれる。かへりみるのも必要だが放漫に流れない限り進んでゆくのが人間のつとめだ。四十位で老境などとはその人の修養が足りぬのではないか。
      ◇
 「初老」といふのは東洋だけで西洋にそんな言葉がないのから見て
 - 別巻第8 p.134 -ページ画像 
も、日本人は修養が足りない。英国の有名な医者であるラプソン・スミス氏の著書「百歳不老」は、日本でも文化協会から出版されてゐるが、その中に「人間は卅歳までが学問時代、卅から六十までが世に出て働く時期、六十に入つてもまだ老人でなく、九十までは卅から六十歳までの状態を継続出来る」といひ、又「人の生命を保持する年は特に病なければ百四十いくつ」とまでいつてゐる。これから見れば四十はまだ世に出た初歩だ。
      ◇
 自分のことを誇るのではないが、卅の年外国から帰り、大蔵省の役人となり、明治六年卅五歳の時第一銀行を創立した。その翌年新銀行の大株主が破産する、組立つてすぐこの始末、当時まだ世の中は勿論創立者の自分でも銀行をよく知らぬ、経営は頓挫する、その上制度や人気が仕事の妨害をする、その整理維持で苦難をなめ、四十一二までは多少憂鬱にもなつた。
      ◇
 しかし私はこの時より、百姓から浪人になつて、丸つきり身分がへをした廿五の時の方が打撃だつた。廿五の厄年といふから本当にさうかと思つた。けれど生来私は楽天家で、自分に誤りがあつたわけでなし、なるやうにしかならぬと余り屈託しなかつた。それで四十歳前後は深くも感じなかつた。
      ◇
 年とると年とる程、苦悶、おう悩が強くなる。このおう悩が身体にさはることは大したもので、死を早めることが多い。「かの天命を楽しんでまた何をか疑はん」で、苦悩にをることは戒しめねばならぬ。
      ◇
 また論語為政篇で孔子は「吾十有五にして学に志し、卅にして立ち四十にして惑はず、五十にして天命を知り、六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する処に従つて矩を踰えず」といひ、四十歳を「不惑」といつてゐるが、孔子さんがかうだつたので、総ての人にはあてはまらない。私など八十八になつて矩をこえぬどころか、注意ばかり受けてゐる。