公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四二二 竜門雑誌 第四七〇号 昭和二年一一月 ○青淵先生説話集 ○中略 日支の経済的聯繋(DKB80048m)
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四二二 竜門雑誌 第四七〇号 昭和二年一一月
○青淵先生説話集
○中略
日支の経済的聯繋
支那国民性は容易に判断されぬ
宣統帝三年(明治四十四年)十月、廃満興漢の旗幟の下に革命が起り、十二月には南京は革命軍の為めに陥られ、黄興は大元帥となり、孫逸仙は大統領に推され、翌一月孫逸仙は大統領就任の宣誓をなすに至つた。満洲朝廷先きに袁世凱を起たしめたが遂に及ばず帝位を辞し、民国の樹立を見るやうになつた。
斯くして革命が成功したけれども、幾干もなく第二革命その他内乱蜂起して殆んど寧日なしと云ふ有様である。現在の動乱の如き何時果
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てるものか、如何なる結果となるものか、何人と雖も予測することが出来ない。斯くして、第一革命以来約二十年近くも経過して、猶且つ国家として統一を得ないのである。
或る学者の如き、斯く支那に統一の出来ないのは国民性の然らしむる処であらう。即ち支那人は人として各方面の能力があるけれども、自ら纏めることが出来ない。丁度砂の様なもので、水分がなければ如何に之を握つて見ても締まらないやうなものだ。成る程この批評は穿つた処があるやうに思はれる。けれども之れが本当に正しいものかどうか、深く研究して見なければならぬ。遠くは三代(夏、殷、周)は統一され、礼記に、三代の礼は一なり、民共に之れに由る、と云ふ位立派な国家が成立した。ついで秦となり、始皇帝により統一された。それから前漢の百十一年、後漢の百九十六年があり、後に魏、蜀漢、呉の三国統一がある。ついで西晋及東晋、五胡十六国、南北朝、隋、五代、宗、遼及西遼、金、夏となり、下つて元、明、清となつて今日になつた訳である。
これを以て見れば、強ちに統一することの出来ない国民性であると云ふこともどうかと思ふけれども、又知識があり能力ある彼等は、自身で一国をなして居ると云ふやうな有様にも見える。称めて良いか誹つて良いか評論し難い処がある。例へば英国人は質実、ドイツ人は剛健、米国人は勇敢と言へばその性質を具象して居るやうに思はれるけれども、支那人になればどうも之れを言ひ現はすに難いやうである。
東亜興業と中日実業
この判断し難い国民に対し我が国は従来如何なる態度をとつて来たか、支那からすれば寧ろ頼み難いと云ふ惧れを抱かしめたと云ふやうなことはないか。我が国の文化は多く支那に負ふ処が多いのである。言はば我が国のお師匠であつたのである。故に相共に親しくし、お互に国家の発展に資する考へを以てしなければならぬ。然るに事実に於て之れと相反するやうなことが行はれた。支那は天恵に富んだ国であるが、その富源を開発することを怠つて居る。そこで日本が其処に働いて両国の経済的聯繋を図らうと考へ、及ばずながら之に尽さうとした。確か四十一年頃と思ふが東亜興業を起した。此の計画に対しては桂、大浦氏なども力を添へて呉れたので、能く事が運ばれた。そして之れによつて漸く日支両国の経済的関係を、一時的でなしに規則立つた継続的なことにすることが出来た。現に白岩氏は実際の衝に当つて居るが、満更倒れるでもないが、どうも面白く進んで行かない。相共にやつて行かうと云ふことが出来ない。あちらが悪いか、こちらが悪いか判らぬが困つたものである。
大正二年孫逸仙は革命を遂げて日本へ遊びに来た。当時、袁、孫とはその力が相両立したと云ふよりも、袁は孫を凌ぐやうであつた。袁は英雄肌で力で国家を統一しようとするし、孫は所謂三民主義によつて統一しようとするから、どうしても主義が合はぬ。益々二人の中が悪くなつて来た時であつた。
玆で私は孫に向つて政治で争ふのは丁度鼬ごつこをするやうなもので、それ程効果があるものでない、それよりも実業界に力を入れた方
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が良い、鉱山でも鉄道でも、文明的事業を起さうとせば起せるではないかと談つた。孫も之れに賛し、評議段々進んで来たけれども、折悪しく袁と孫と仲違ひがひどくなつた。その中に孫の股肱宗教仁が殺された。これは袁の教唆に由るものであると云ふので革命が起された。この革命は甘く行かず、孫は日本に亡命したと云ふやうな騒ぎもあつた。
孫はこの計画に賛成して居たけれども、政治界の人であり、それに実業の実情に暗いから創立のことまでに力を入れる余裕がないと云ふことであつた。然るにこの計画に袁が力を入れるやうになつて出来たのは今の中日実業である。
事業の不進歩と不干渉主義
折角出来たこの事業も甚だ進歩しない。何故に進歩しないかと云ふに、政府が少しも之れに力を入れて呉れぬからである。所謂無抵抗主義だとか、不干渉主義だとか言つて放つて置くからである。折角出来ようと云ふ場合になつて居る時、之れを打ち壊さうとして居るものがあつて、之れを放つて置くから遂に何事も出来なくなつて仕舞ふ。前内閣などは実にそのやうな有様であつた。力を入れるのは張作霖を援助すると言はれると言つて逃げる。それだから折角世話せんとするものでもなくなるから遂に振はぬことになるのは当然でないか。又かうしたら良からう。あゝしたら良からうと云ふことまで他に気を廻はして躊躇する。勿論干渉して外国との関係を悪くしてそれから手を引く様になつても困るが、唯袖手傍観の態度ではどうにもならぬではないか。無為無能であるならば政治がないと同様ではないか。
政治上責任の重い者には思ひ切つたやうなことをやるのは六ケしいかも知れないが、もう少し意見が一致してあり度いと思ふ。今の政治は引込思案でなく、東方会議を開いてその解決を与えようとして居るやうであるが、その結果はどうなるか、事実を示さない中に之れを批評することが困難である。困難であつても、日本のみの都合でなく、世界の為めに提携してやるべきことで、単に政権を得ることのみ念とするのではいかぬ、又共産主義でもいかぬ。所謂共存共栄でなければならぬ。又日本も之れに対して親切にし、いま少し実業について日本人の力によつて事業を進めて行くと云ふことでありたい。紡績事業の如き顕著なる発達の道程にあるのは、皆日本人の力ではないか。之れを思はば支那人は自利のみ図らず、日本人に信頼して共に実業の発達に貢献することを考ふべきである。
道徳と経済との合一
而してこの経済を運用するには、之れに配する道徳を以てしなければならぬ。私の常に唱へる道徳経済の一致之れである。孔子の教へも実に玆にあり、吾人は安んじてその教へを奉じた訳であり、而もその教への根本が支那にあることを思ふことの一事でも、支那との聯繋を忽にすること出来ない。それに支那は天恵に富んで居り、且つ接壌して居るから、此点から見ても最も親しみ易く、そして両国が所謂共存共栄の実を挙げるやうにすべきである。然るに事実思ふやうにならぬのは、多くは政府の更迭が頻出して、その方針の変更を見ることが多
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いからである。斯くては如何に努力する者があつても、効果がないのみならず、寧ろ不利益を来たすことが多いのである。吾人は隣国支那の為めのみならず、我が国の為めその提携を望むこと切なるものがある。(実業時代八月号所載)