公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四二四 中外商業新報 第一五〇四一号 昭和三年一月一日 社会の現状を見て 知識の進みと誠実の退き 思ひ起すシヤンド氏の訓言 【子爵 渋沢栄一】(DKB80050m)
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四二四 中外商業新報 第一五〇四一号 昭和三年一月一日
社会の現状を見て
知識の進みと誠実の退き
思ひ起すシヤンド氏の訓言
子爵 渋沢栄一
一
烏兎匆々、瞬く内に一年を経過して、此処に昭和第三の新春を迎へた。寔に日月の歩みの速かさは、老人の私としては特に驚くの外はなく、一昨年の暮、畏れ多くも 大正天皇の崩御遊ばさるるあり、国民挙つて非歎の涙にくれたのであるが、早くも茫乎として夢の如くに思
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ひなされる程となつたのである。
偖て毎年同じ歎声を発するやうではあるが、私の観察するところ、現在の政界にしても、経済界にしても、単に恢復せんと図ることも必要であらうが、更に不合理なる点を根本的に合理化さしめなければならぬことが多くあると思ふ。殊に近年に到つて一般の人気は甚しく軽佻となり、根柢を欠くものがある如くに感ぜられる。或はこれ時代の動きであるかも知らず、又私が老年となつて居る為めに物事を敢て非観する嫌ひがあるのに因るからでもあらうが、然しながら総ての事物に信頼するものが少く、其の時々の間に合せが大事小事ともに多いやうである。例へば人にあつても、同じ信念を貯へて百雷が一時に落ちて来ても、些の驚きを為さぬと云ふやうな人はいよいよ稀になる。反対に知識は益々進んで、何事も智恵で以て判断を下すやうになつて居る。かう云ふ有様は世界的風潮で単に日本のみではないが、結局に於て動乱を惹き起す原因となるのではあまいか。或は知識が進めば自ら考へも変化するから、常に同じことばかりを強く信じて居ることは出来ぬともいひやうが、私等の思想からは、斯くの如きは完全なるものではない。懸念すべきものが多いと云はずには居られないのである。
二
先づ国家的の大事と地方的の事柄とに拘らず、その行はれて居る事実を見ると、総て真実を忘れ時の勢ひに乗じて居るやうである。中にも甚だしきは、国家の予算の如きにおいても、各省共に懸値を事としうまくやつた者が余分の予算を得るといふ風で、懸け引きの上手下手で予算が定まるなど、実に言語道断のことであると申さねばならぬ。また東京市の有様なども信と義とに乏しい結果あゝなつて居るので、政治界に現れて居ることのみを見ても慨歎に堪へないものが多いのである。更に眼を実業界に転じるならば、此処もまた政治界に類し、事業を進めるに当つてそれが社会に必要であるからといふのでなく、やれるならば実行しようとする。そしてその行走りは程度を無視して居るから行詰まり勝ちであり、一度行詰まればこれを弥縫するために拡張し、遂には取纏めることが困難となり破綻を暴露するに到るのである。この事は事業界ばかりでなく金融界にも、同様の言葉があてはまる。即ち弥縫のための事業拡張に対し無暴にも資金の貸付けをなす如きであつて、昨年各銀行の閉鎖相次いだ原因もその点によると思ふ。これを一言にいはば誠実を欠くために起つたものである。
三
私が明治六年初めて日本に銀行を起した当時の考へは、日本人の商業は個人々々であつて小さく、しかも労に報ゆるものが少い。故にこれを集合して一つの事業をなせば、知識あり能力ある者が専心仕事に従事して、その効果をして増さしめるであらうと、所謂会社組織を普及せしめることに努めたのである。殊に従来農工商に従事する者の人格が低く、役人などに比較して卑しい者であるとされて居たため、官尊民卑の思想が強かつたので、一つは個人の生活が豊かになるやうにまた一つは商人の人格を高めようとした。重ねていへばその目的に添ふものは会社組織(当時合本法といつた)であるとしたので、かくて
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実業界に相当の人物も出で事業の利益も多くなり、政治界に立つ人々と同様の地位に進むものと感じて、封建時代の産業制度を打ち破らうとしたのである。
その時分この事は政治に携はつて居る人々とも論じ合つて同意を得たので、自然と官民の人物に差等がなくなるやうにと願ひ、さうした実業上の力を纏めることに努力した。すると幸ひにも社会の進運に伴つて、私の素志は着々効を奏して、現今の如くわが経済界は著しい発展をなして、国の富を致したと同時に商工業者の地位も進んで来た。然るに実業の進展に伴つて猫も杓子もこれに従事するに及び、力も乏しく思慮も豊富でない者までが、不相応な仕事をするやうになつたため、間違ひを起すことが多くなつたのが近頃の有様であつて、金融業者も不注意ならば事業家も能力以上の仕事をしようとした罪である。結局両者何れも注意が足らなかつた、思慮分別が及ばなかつたといはねばならぬ。
四
昔のことを思ひ起すと述べたいことが沢山あるが、中にも第一銀行を創立した当時大蔵省にシヤンドと云ふ人があつた。この人は英国人で、もとパース・バンクに居つた銀行家であつて、学者ではなかつたが銀行の事務に通じた経験の深い人である。そして当時我国では銀行を進めるには簿記からやらねばならぬと云ふので、シヤンド氏をして「簿記精法」と云ふやうな書物を著述せしめて、銀行経営の手引としたが、その中に英蘭銀行の役員であるギルバートの説として、銀行家への訓言のやうなものなどが書かれて居た。今私の記憶にあるものを掲げて見ると
一、銀行の事務は叮寧を旨とし遅滞なく処理すること
一、金融の相談を受けたる時はその良否を速かに識別すること、しかも断りたる場合相手の感情を害せしめざること
一、当時の政治に明識あること、而して知るもこれに投ぜざること
斯様な意味のものがあつたが、ちよつとした言葉でも、しかも深い意義を蔵して居ると思つたので、私はそれを守ることに心掛けたのである。
五
私は第一銀行の経営者として此シヤンド氏から銀行の検査を屡々受けた。シヤンド氏はなかなかに厳格に詳細なる検査をする人で、二ケ月置位には来たから一年に四回位の検査であつたやうに記憶する。先づ第一に金庫の中の現金を調べる。第二に各備へ付の帳簿を一つ一つ当つて見る。それから第三には貸借対照表に目を通すのであつた。殊に預金と貸金との大口のものには質問を続けて「この預金主は如何なる人であり、この預金された金の性質はどうであるか、商人の預金か資産家のものか公共ものか、また一時的か長期に預けて置くものか」等を聞く、そしてそれに適応した方面へ、或は当座預金とか、或は通知預金とかまたは定期預金などに夫々を預入させるやうにした方がよいと注意して「銀行の方でそれだけの親切を持たねばならぬ」といつた。また貸金は一時的か長期かを調べ、次では取引先の事業、借主の
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人格、資格、性質等を一つ一つ聞いて行くので、若し「判らぬ」などと答へやうものなら「大抵重なる貸金は何に使はれてどういふ風に流動すかを予め知つて置く必要がある」と教へられる。なほ甚しきは、私も記憶違ひなどあつて前回の答へと相違することなどがある、すると手帳を出して「貴方は前にはかういつた、それと違ふではないか」と突つ込んで聞くといふ風で真に敬服したものである。また私は、第一銀行の業務は内地も海外も同じやうに取扱ふものとして、海外発展にも思ひを致し、明治九年年頃朝鮮の釜山へ支店を出し、次で上海に支店を出さうとした。シヤンド氏は明治十年頃帰国したが、その時親切に、上海支店設置の不可を注意せられた。氏がいふには「日本の銀行は米国のナシヨナル・バンク・システムを採用したものであるが、一般に同じく銀行といつても、内地銀行であるから海外に支店を出して為替業務を取扱ふのは危険である。その上東洋では金銀比価の差の変動が甚しいから得て失敗し勝ちになる。敢て上海に支店を出すのを悪いとはいはぬが、それで進めば飛んだ間違ひを引起すであらう。決して堅実な仕事ではない、失礼な話であるが、まだ日本には為替業務に精通した人は居ないから危険なことである」などと懇親の間柄であるからとて、意見書まで出して呉れたので、私は尤もであるとして直に中止したことがある。その内横浜正金銀行が創立されて、為替業務を専門的に取扱ふやうになつた。
六
今日我国の銀行が、多数閉店するのやむなきに到つた事情を見て、私は実際に当つて居らぬ身柄であるだけ、どうすればよいと具体的な意見を申述べられないのを遺憾とするが、それだけシヤンド氏から受けた忠告や厳しい検査をしみじみと思ひ出さずには居られないのである。そしてこれを先賢の格言であつたとさへいひたい程である。実にこれまで日本の事業も著しく発展したものであると思つて居たのに、現状は目もあてられぬ有様であつて、日本人の不注意、不熱心、不思慮の結果であると情無く思ふ。
これを一言に尽せば、知識が人格に伴はぬからで、軽薄なる知識の進みは幸福でない所以で、却て弊害を起すといふ歎声を発せざるを得ぬ。経済は人類の生活上に無くてはならぬ。故にその進みは知識のみに依るべきものではなく、道理に依らねばならない。即ち私が経済道徳の合一を説く理由はここにある。世人も此点に深く注意せられたいものである。
昭和三年の年頭に際して、回顧談になつたが、今日の社会の有様を見て憂惧に堪へないためかく述べた。不祥の言の如くであるけれどもこれも日本を思ふの念から発したのである。幸ひに中外商業新報は我経済界に重きをなすものであるから、以上の感想を寄せて以て年頭の言葉とする次第である。