デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四二五 実業之世界 第二五巻第一号 昭和三年一月

■資料

四二五 実業之世界  第二五巻第一号 昭和三年一月  昭和三年の初めに同胞へ呈するの言葉 【子爵 渋沢栄一】(DKB80051m)
別巻第8 p.142-143 ページ画像PDM 1.0 DEED

四二五 実業之世界  第二五巻第一号 昭和三年一月
    昭和三年の初めに同胞へ呈するの言葉
                   子爵 渋沢栄一
 - 別巻第8 p.143 -ページ画像 
 私もとつて八十九歳になります。顧みれば随分世の中も変つて来ました。而して現在の社会をどう見るかとの御尋ねに対して、明確な御答が出来ないのを私は恥かしく思ひます。
      ○
 此頃の人心の傾向はどんなものであらうかと申しますに、全部が全部決して非とは言へない、私共の様な昔流儀の論語を主として行く者と、どちらが良いかの判断は、却々難いものでは無いでせうか。まつたく此辺の事に対して、一代の人心を統べて、これだとはつきり言ひ得る識見を持ちませぬ。
      ○
 然しこれだけは言ひ得る事と思ひます。現代の人達は余りに物質に重きを置いて、この弊害に苦しんで居る人が却々多い様に見受けられます。成程、物質が無ければ生きて行かれない、喰ふ事も着る事も出来ないから、これは大切なものには違ひありませんが、併し、現代の人々は、使ふ可き物質に余りに使はれて居る傾向のあることは、私の不思議に思ふ所であります。
      ○
 今日の人々が、社会問題とか思想問題で苦しみ騒いで居るのは、要するに生活の為めでありませう。而してこの生活は自己の安心と幸福を得る事にある可きは言ふまでもありませんが、余り物質を偏重するところから、反つて物に支配されて苦しみ騒いで居る様に見受けられるのであります。
      ○
 何程あつても飽く事を知らない。従つてこの慾心を満足せしめるために他人を傷つけ、社会を毒し、自分を危くして居る人があります。余り物を重く見るために、反つて物に汚されて物を失つて居る実例が却々多いのです。
      ○
 例へば此頃の銀行会社の破綻がそれであります。銘々の能力に応じてやるのはいいが、能力以上に望めば失敗が伴ひます。世界の富を自分が一手に掴んだらどうなるでせうか。何でもかんでも金そのものを蓄へるのが嬉しい様ではいけません。と申しましても決して私は貧乏人になれと言ふのではありません。ただ私は物に使はれてはいけないと申すのであります。
      ○
 現代の人達にはどうも、人生意気に感ずるといふ気概が無い様に思ふ。恩愛に生きるといつた様子がない様に見受けられます。
 総ての判断の標準を物質に置いて何人でも自分の損になる様な事には尻込みをし、自分の利益と見れば人を押し退けて、我れ先きに争ひ取ると言つた具合に、総て物で差引計算をする傾向になつて参りました。これはどう考へても決して良い事ではありません。
 幸多い昭和三年の年頭に置きまして、私は以上の、物に使はれてはいけないと言ふ事を皆様に申上げるのであります。結局、私は道徳と経済とを一致させたいのであります。