デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四二七 竜門雑誌 第四七二号 昭和三年一月

■資料

四二七 竜門雑誌  第四七二号 昭和三年一月  青淵先生 年頭所感二題 ○中略 大礼記念国産振興東京博覧会に就て(DKB80053m)
別巻第8 p.144-146 ページ画像PDM 1.0 DEED

四二七 竜門雑誌  第四七二号 昭和三年一月
                      青淵先生
  年頭所感二題
○中略
    大礼記念国産振興東京博覧会に就て
 今秋行はれる御大礼を記念する為め、国産振興博覧会を東京商業会議所が主催して開くことになり、其の協賛会の総裁に就任するやうにと勧めて来ました。私は博覧会に対する知識は持たないが、古くから商業会議所とは縁故も深いので、此の博覧会を旨く運ばしめる世話人として立つ意味で、それを引受けたのであります。
 扨て日本人中では、博覧会の実際を見た点で私などが一番古い者であると云へる。即ち千八百六十七年仏国の博覧会へ徳川民部公子のお伴をして行つたからであります。私は当時から博覧会に就て特に学問
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した訳ではなく、又趣味があつたのではなく、職務柄実地に接触したのに過ぎないので、爾来幾多の博覧会なるものを見て居るが、未だそれに対する論断は至難で、或る点は大いに感服に値する働きを為すが半面からは徒らに空騒ぎを為し、人の心の統一を欠き赴く処を迷はせて、左右に岐路をさへ作らしめることにもなるやうであります。故に之が果して有益か否却つて世人の迷ひを多からしめる結果になるか判らない。尚ほ今日では種々なる科学上の知識を博覧会で見せる為め、之を理解して一層其の進歩を図ることにもなるであらうが、又見た人が之を咀嚼する能はずして、恰も滋養物を摂り過ぎて下痢を起すが如きことにならぬとも云へない。だからただ見せると云ふのみでは、仏作つて魂を入れないと云ふことになるでありませう。
 六十年前仏国で其の博覧会を見た時の感じを、今でも明かに憶えて居ります。博覧会の開会は三四月頃であつたが、七月頃閉会式か或は褒状授与式と云ふやうなものであつたか、兎に角博覧会の式場にナポレオン三世が出席して演説をした。其の言葉は頗る壮大で、寧ろ誇大と云へる程のものでありました。此の演説を公子随行の英仏語が出来る箕作麟祥と、漢学者の田辺太一とが相談しながら 訳して居つたのを傍から聞いて居て、私は面白いと思つたが、中に一種の宣言のやうな言葉があり、それが如何にも誇張せられた申分だと思つたのであつた。然しまた他面から考へると尤もな点もありました。其の主意は
 国民の知識を進めるには其の目的を或る程度だけ先へ置く、今日よりも三四段高い処まで上らしめるやうにすることが緊要である。徒らに高い処へ置けば現在の人類には余りに高尚過ぎて其処まで赴けない、と云つて低く置くやうでもいけない。社会の進歩は政治によつても教育によつても、斯かる方針と仕組を要する。故に博覧会の如きに於ては此等の点より人類の希望や知識を誘導せねばならぬ。
  今度の博覧会の目的や施行の方法に就ては、それぞれ印刷物となつて居るから、自分は述べないが、要点のみを挙げるならば、新発明のものの傍へ古いものを陳列し、精密な機械のそばへ粗雑なものを、進んだ国のものの所へ後れた国のものを置いたから、後進のものも軈ては其処まで進めると自ら説明されてあり、且つ国の進歩の程度、学理の働きの度合なども自然に判るであらう。そして斯かる有様をよく見、よく理解して行けば必ずや世の進歩発展を促し得るのであつて、それでも尚ほ進むことの出来ないものは、世の進歩を図り得ない者である。
 と断案的に斯くナポレオンは演説したのでありました。実際斯様にすれば、科学的進歩のみでなく、一国の真正なる発達を喚起し得るのであつて、私は敬服したのであつた。然し此の宣言に近い雄大な言葉も、三年後には政体の変化で全然水泡に帰してしまつたので、今からすれば一場の華やかな飾り言葉に終りました。
 ナポレオンの言葉を回顧しますと、博覧会に右のやうな希望を持ち遠大に高尚に考へたこと、又此の宣言を為したことを無暗に非難する訳には参らないのであります。実に科学上の発明進歩も博覧会によつて、物質的に応用せられるならば直接の利益があり、同時に精神的に
 - 別巻第8 p.146 -ページ画像 
も一国文化の進展を為さしめ得るでありませうから、自分に博覧会の知識がなく趣味も少いからとて、粗略に考へることも出来ないので私は勧められるまま当事者の希望に応じて虚名を出しました。勿論事々しい思案の結果でなく、商業会議所の関係からであつて、先刻も協賛会の会長である星野さんと杉山委員長とが見え、色々其の施設に就て相談し意見を申したのであります。此処に六十年前のことを併せ思ひ出し、其の顛末を些か述べた次第であります。(一月九日談話)