公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四三〇 竜門雑誌 第四七七号 昭和三年六月 ○青淵先生説話集其他 智慧熱が昂じた労働争議と協調会(DKB80056m)
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四三〇 竜門雑誌 第四七七号 昭和三年六月
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○青淵先生説話集其他
智慧熱が昂じた労働争議と協調会
昨年十月に勃発した野田争議は、其の後いろいろな人達の斡旋調停もあつたが、互ひに自説を主張して譲らず、コヂレコヂレて今日の危急に差し迫つた事は誠に遺憾である。
私どもも協調会との関係から先日来、之れが和議調停に及ばず乍ら努力をして居るが、今その具体的なお話しは控へたいと思ふ。
私は野田の労働争議を考へる前に、先づ野田醤油は何故名高いのであるか、また何故野田でなければならないかの点に就いて興味を持つものである。
「亀甲万」と云ひ「山サ」と云ひ、風味のよい醤油は何れも利根川の水を利用して醸造される。そして同じ茂木家の醤油にした所で本村と云はれる所よりも、出倉と云つて河岸で出来たものの方が上等であると云ふ事実から見ても、醤油の醸造に最も大切なのは水であると思ふ。関東平野を流れる間にいろいろな成分を含んだあの利根川の水が風味ある醤油を製出する上に非常な効力を持つものであるらしい。
元来醤油の原料と云へば大豆、小麦、塩が其の主要なものであるが大豆は下総から、小麦は相州から、塩は外国からと云ふ具合に何れも他国から購入するのであつて、野田で仰ぐものと云へば僅かに水だけであるから、私が斯く考へるのも決して理由なき事ではあるまい。
無論醤油の醸造には、醸造技術と云つたものが別にある。例へば麦だとか、小麦、大豆の火入れ具合とか、攪拌方法とかいろいろあるのであるが、麹にした所で、原料の火入れや、攪拌方法にした所で、しかく難かしいものではないのである。
私は、古く野田に縁辺のものが居つたので、ずつと以前其処を訪ね醤油醸造の実況を見た事があるが、其の頃の野田醤油は、二百年来の主従関係を以つて継承されて来た手工業であつた為め、其の規模も小さく、内部も非常に平穏であつた。
それが最近欧米機械文明の輸入となり、大量製産的に事業を拡張する事になつたので、自ら之れに従事する機械職工のやうなものを多数に要する事となり、主従の関係も段々疎遠になつた結果、今日の不祥事を惹起すに至つたのである。
然し、一概に不祥事とは云ふものの此の労働争議なるものは、旧組織から新組織へ守旧的観念から進取的観念へ推移する際には、免がれ得ない出来事であつて、他の一面から見れば茂木家の醸造事業が、それだけ近代的に進歩し発展した事を裏書きするものと考へることも出来る。
子供が大きくなるにも、其の間には病ひもあり劇しい発熱もある。昔の人は成長時に於ける発熱を智慧熱と云つた位であつて、事業もそれが発展向上する課程に於いてはいろいろな故障があると見なければならない。
茂木家にした所で、過去の小規模な手工業から、大規模な近代工業に発展したのであるから、労働争議の一二回位は仕方がないぢやないかと云ふ事にもなる。
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しかし、之れは局外者だけの観察で、今度の野田争議は少し猛烈過ぎるやうだ。智慧熱が少し高過ぎる。
私は労働代表の松岡駒吉氏には逢つたが、茂木家の人には未だ誰れにも逢つて居ない。が、要するに今度の争議も双方からら歩み寄らなければ解決が付くものでない。互ひに自分の意地を突張り合つたのでは何うにも方法が無い訳である。
労働者側の云ひ分を聞くと「雇傭者は吾々労働者の権利と人格とを認めず、依然自らは王者の如く振舞ひ、労働者を奴隷の如く扱つて居る」と云ひ、茂木家の方では「何も自分から好んで売つた喧嘩ではない。主従関係、家の子郎党で円満に解決すべきものを、詰らない争議団などが尻押しをやつて事件をコンガラかしたのである。先方から仕掛けられた喧嘩であるから、自分の方で何うと云ふ訳には行かぬ」と云ふのである。
斯んな具合で両者相対峙する事既に六ケ月、労働者は其の家族を餓ゑに泣かしめ、いたいけな子供達も通学出来ぬと云ふ悲惨な処まで落ち込んで了つたのである。
今は野田の町も此の事業の為めに形造られて居る位であるから、茂木の職工は申すに及ばず、その家族及び是等工場関係の人々の疲労困憊は極度に達して居る事と思ふ。
私どもも協調会との関係から、いろいろ心配して居る事は前にも述べたが、協調会では主として常務の添田君が専ら此の問題に就いて奔走してるのである。
協調会は大正八年床次氏が内相の頃、労働法案の実施に先だつて創立されたもので、其の趣旨は、此の労働法を直ちに実施すると、反つて労働争議を示唆する恐れがあるから、斯うした法律を決定する前に先づ労資両面の協調を図らうと云ふのであつた。其の時私は、さう云ふものを拵へた所で実際に役立つか何うかを疑問としたのであるが、お前がそんな事を云つて居ては仕方がないと云ふやうな事で、私も幹部の一人に推される事になつたものである。
扨そこで、労資問題協調と云ふ仕事に取り掛つたのだが、何せよ始めての事なので一向分らない。其処で欧米諸国に於ける制度や方法を種々研究して之を日本に応用すると云ふ事になつたのだが、扨て之等の研究が都合よく今度の野田争議に当て嵌るかと云ふと、さう甘くはいかない。
同じ夫婦喧嘩でも西洋と日本では違ふやうに、同じ調停役でも、西洋其のままの調停法を直ちに応用すると云ふ訳には行かぬ、薬は良くても、身体の出来がパンを喰ふものとは違ふのである。
また喧嘩には仲裁の時期と云ふものがあるが、野田争議もお互ひにもう疲れたであらうから、労働者側では理窟を離れ、資本主側もまた従来の意地や行掛りを捨てて、情徳を以つて此争議を円満に解決したいと思ふ。(事業の日本六月号所載)
因に此の御話は野田の争議が解決しない以前のものでありますが、その後協調会添田氏等の斡旋効を奏し、両者の互譲によつて、四月十九日円満手打が成つたのであります。(編輯者附記)