デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四三一 中外商業新報 第一五三一八号 昭和三年一〇月五日

■資料

四三一 中外商業新報  第一五三一八号 昭和三年一〇月五日  実例を示し 国家的の施設へ 政府にお願する積りです 【◇……渋沢子爵の談】(DKB80057m)
別巻第8 p.158 ページ画像PDM 1.0 DEED

四三一 中外商業新報  第一五三一八号 昭和三年一〇月五日
  実例を示し
    国家的の施設へ
      政府にお願する積りです
        ◇……渋沢子爵の談
右につき渋沢老子爵は語る。
「私は東京市の養育院に関係した機会から、一度は東京市会にもその施設を要求した事がありましたが、その際は市会議員諸君から「渋沢は善人だが、あまりお人好しでそんな理想的な事が出来るものではない。若し東京市が癩患者を収容療養するといふことにでもなれば、全国の癩患者が東京市に集つて来るではないか」といふ様な意味で一蹴された事もありました。その後東京市を始め附近十三県の有力者の助力を得て、自治の資力なき所謂浮浪患者だけを収容する隔離所を創立する事が出来ました。これが東村山にある全生病院です。従来草津温泉に最も沢山同患者が集つて来るを利用して、彼地に一隔離療養所を設けようといふ計画です。経費が十万円もあれば二三百人の患者が収容出来るといひますから、一般の後援も御願してその十万円が集り次第着手して見たいものです。ただ私が微力でどうも念願ばかりで、十万円が仲々容易になりませんので、未だに着手出来ないで今日に至つた次第です。そしてこの草津のが実現したら初めてその実例を政府に示して、今度は国家で大々的にやつて下さいと御願しようと思つて居ります。」