デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四三四 竜門雑誌 第四八三号 昭和三年一二月

■資料

四三四 竜門雑誌  第四八三号 昭和三年一二月  義利何時能両全 【青淵先生】(DKB80060m)
別巻第8 p.163-165 ページ画像PDM 1.0 DEED

四三四 竜門雑誌  第四八三号 昭和三年一二月
    義利何時能両全
                      青淵先生
 現代に於ける政治、経済、教育、社会の各制度が完全でなく、是等の運用の上にも少なからぬ欠陥があるが、一般に其の事実を認めながら根本より匡正することをせず、目前を弥縫してすます嫌がある。之を人の身体に譬へるならば、部分部分の治療はするが、全体の恢復には意を用ひないと同様であるから、其の身体は完全なる健康体となることが出来難いのである。之ではならぬこと勿論であるが、さらば如何に改善すべきかと云ふと、その断案は容易に下し得ないのである。私としては抽象的に「至誠を以て立ち私を後にし公を先にせねばならぬ」と言ひたい。然るに今日の実際の有様を見ると、至誠を以て世に立つ人が少く、概して己を先にするやうに思はれる。自己の労をなるべく少くして報酬の多いことを望み、少額の出資をしながら多くの収益を期待する者が多い。かくして世間の尊敬を増し、幸福を受けると非常に世才があるやうに思はれる傾がある。然しながら之は憂ふべき傾向であつて、巨額の資金を投下したり、或は多くの苦労をした場合に、直接其人にそれだけの酬いがなくとも、彼是云ふべきでなく、其の結果多少でも社会の何処かに効果を現せば満足すべきである。自分自身よりは国家社会に貢献すればよろしいと云ふ観念を以て、各人其能力に応じて努力するやうにせねばならない。
 前に言うたやうな一般の傾向に就て、私如き老人が口を出して、強く批難することは心苦しい。加之今日の風習を改善し得るや否やが疑問であるに於ては、一層具合が悪い。甚だ面目ないとも感ずるのであるが、私としては世間の労少くして酬い多きを求むる考へとは正反対を期して居る、之を一言に云へば「利を以て利と為さず、義を以て利と為す」と云ふ「大学」の一句を重んじて居ることを申述べたいのである。
 私は毎年拙いけれども年頭所感の詩を作る例になつて居る。此二三年は種々のことで作らなかつたが、本年は九十になるので塩谷博士(温)などの勧めもあり一つ作つて見た。勿論未定稿で推敲中のものであるが、それは次の如くである。
  義利何時能両全。毎逢佳節思悠然。
  回頭愧我少成事。落花流水九十年。
 之に対し塩谷博士は「大体に於て謙遜に過ぎる。も少し威張つた方がよい」と云うて居たが、それは私の流儀でないから御断りして置いた。それから「落花」と云ふと年頭の所感に相応しくないから、「開花」とした方がよいと云はれたが、どうも面白くないので、私は春去秋来九十年か、或は流水開花九十年としようかと思つて居る。今私が此の詩に義利何時能両全と云ふのも、前に申述べた時勢に就ての感慨
 - 別巻第8 p.164 -ページ画像 
である。義利の弁は誰でも説明は出来るけれども、之を行為の上に実現することは困難である。度々云ふことであるが、義務を尽せば自然権利が生ずるから敢て権利を主張する必要はない。然るに少しの義務で多くの権利を得ようとか、中には権利ばかりを主張して義務を忘れて居るものがある。繰返して言ふが之は間違ひであつて、私は多くの義務を尽して少しの権利を得ればよいのであると主張する訳である。事実世の成行を見ると、此の義務を尽すこと少く、然も権利を多く主張する処に争が生ずるのであつて、其の為めに甲の云ふことを乙が壊し、乙の行ふ処を丙が破ることになる。そして狭い処から多勢が一度に出ようとして相争ふ為めに無理が出来、軋轢が生じ、為めに合理化しないことになる。言ふまでもなく争ふことによりて、多少は事物の面目を改める事になることもあらうが、真正の進歩は望まれない。之に反し若し私の主張する如く、義務を先にすれば、国家社会は平和に経済の発展、政治の整備は期して俟つべしであると思ふ。
 社会の現状が此の様になつて来たのは、明治の末年からで、大正に入つてから次第に其勢力を増して来たやうに感ずるが、質朴な人情や善良な風俗がそれに圧迫され、一般的に狂人走り不狂人も走るやうになり、遂には相互に貪り合ふやうになつて来たのではあるまいかと思ふのである。昨日(十二月九日)の新聞の報ずる処に依ると、経済審議会で教育制度改善案に付て考究して居ると云ふことであるが、実に結構なことと思うて居る。私共も今から十数年以前に、学制改革に就て協議したことがある。団琢磨氏や木村久寿弥太氏も仲間であつたと思ふが、二三度兜町の事務所へ寄つたこともある。そんな関係から、嘉納治五郎氏が教育の経験者であるので、氏に教育の根本改善案の調査を依嘱したりした。それから政府の任命で教育調査会の委員に成つた時にも、菊池大麓氏などと共に出席して論じたこともあつたが、当時の説も今日の説も同様で少しの変りもない。私の教育に対する持論とも云ふべきは次の通りである。
  我が国では明治維新後、俄かに学問をする人が多くなつたので、昔の寺子屋式では不都合である処から、欧米式の学制を定めた。日本の在来の教育は頗る家庭的で師弟の情合が強かつた。彼の中江藤樹と熊沢蕃山との間の如き特殊のものは少いが、一般に師弟の間は親密で、単に学問をするばかりでなく、先生の人格気風に触れ、交遊の中に自ら精神的感化を受ける有様であつた。然るに今日の学校は云はば大きな寄席のやうなもので、学生は「あの先生の講義は面白いから聞くが、あの先生のは面白くないから聞かぬ」と云うて選り好みをする有様で、昔とは大変な相違である。従つて教師も学問の切売をし、学生をして学問の根本義を理解させるよりも、文字上のことだけを教へるに過ぎず、従つて学生も道理を理解する者が少いのである。教育の眼目が人に重きを置かぬから、情合は更になく理窟に傾き此のクラスを終ればよい、教師などは眼中にないと云ふ風である。之れでは教育の効果が挙りやうがない。であるから教育の根本方針を改正せねばならぬと思ふ。
  謂はば私は昔風の教育に猶ほ希望を繋いで居るが、教育調査会の
 - 別巻第8 p.165 -ページ画像 
ときも之を主張したところ、菊池男爵などは「無理もない議論である」と云うて居た。同氏などは欧米の学制になじんで居る人々であるに拘らず、敢て反対しなかつたのである。
 私は教育には門外漢であるから、その改正に付ても具体的な説は持たないが、学問の切売でなく、人情を加味した教育を行ひ、一方科学的理論的な教育と共に、実際的の教育をせねばならぬ。斯して、義務を先にし権利を後にし、進んでは義利両全の時代を生むやうに、教育を根本的に改革し、依つて以て、社会の現状を改善せねばならぬと感ずる次第である。(十二月十日談話)