デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四四二 竜門雑誌 第四九一号 昭和四年八月

■資料

四四二 竜門雑誌  第四九一号 昭和四年八月  道徳主たり政治経済客たり 【青淵先生】(DKB80068m)
別巻第8 p.179-181 ページ画像PDM 1.0 DEED

四四二 竜門雑誌  第四九一号 昭和四年八月
    道徳主たり政治経済客たり
                      青淵先生
 政治界、経済界を初め、一般社会に心持のよい事柄が継続的に起らないまでも、時々少しでもあつてくれるならば、私達は如何にこの夏を涼しく感ずることが出来るであらうかと思ふのであるが、聞き見るものは何処までも面白くないことばかりである。然らばどうすればよいかと云へば、自分としては特に案がないので、如何にも意気地がなく、己れの足らざるを深く恥づる次第である。従つて私の述べることは老人の繰り言となり、渋沢がまた同じやうな歎声を洩らして居ると思はれるかも知れぬけれども、常に多少とも世の中の為めには云ひ手のあるのがよいことかとも考へられる。或は大方の人は又かと云ふとしても、竜門社の人達は青淵老人は斯う思つて居ると、仮令全部でなく一部の人が深く覚つて下さつてもよいとして、此処に愚痴と云はれるかも判らぬことを更に繰り返す次第である。
 私が百姓から身を転ずるに当つては、政治界に乗り出し、封建の制度を王政に復せしめようとすると同時に、当時は一切様子が判らなかつたから、乱暴にも外国関係を解決するには外国を排斥すればよいとして、所謂攘夷討幕を実行しようとした。然し事情が判然して中止のやむなきに到り、次で京都に出でて、一ツ橋家に仕へるやうになつたが、程なく一ツ橋慶喜公が将軍職を襲はれた為め、私としては進退に困つた、すると俄かに仏蘭西に赴くことになつた、と云ふ風に世の有様が変ると同時に身柄も変化して行つた。特に私自らの思ひ入れが変化したと云ふ移気からでなく、自然に周囲の事情が斯様な結果を生ぜしめたのである。
 扨て私は斯くて色々な変化に遭遇して居る間に、自分としては政治界に立つべきでないと観念したが、さればと云つて、再び百姓も出来ず、かと云つて、大富豪になることを目的にもされなかつたのであつて、ただ聊かでも社会的に時世に尽し報ゆる処あらう、さすれば人たるの本分も完うし得られるべきである、而してそれには人の世に立つ有様を平等にし、従来の官尊民卑の弊を打破りたいと、理論の方も実際の行為も自ら身を以て当つた。即ち換言すれば官民間の平等を現実に現したい、自分としては大したことも出来ないからこれ位な望だけでも達したいと希つたのである。然しそれが実行に際しては自ら守るの用意が必要である、自分の一家が社会に存在する上にあつて人の助だけけを[助けを]受けるやうでは希望も何もあつたものではない。或は道学先生で終るならばそれでもよからうが、一家を支へることの出来ない事態であつてはならないと考へたのが、私の今日ある処の所以である。
 爾来年月を経るに従つて、或る場合には積極的に官辺に近づき、直接政治上の事に携らうとの意が動いた事もあるが、最初決定した意志は動かすべきものでないと自問自答し、既往を回顧して努めて迷路に踏み込み彷徨せぬやうにしたから、今までその点のみは一歩も踏み違へた事がないと云へるのである。其処でつづめて云へば、斯くの如くして昔の制度の上から、よくないと思つた風習が追々と減じて移り行
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く、其の行き方が日本としては、他国からの影響で自然に左様になつたので、英米の如く自ら新制度を生み出したのとは根源に於て相違があるとしても、形の上は大して違はない。そして独り東洋のみでなく西洋に於ても同様であるが、政治、経済、道徳の移り合ひが、決して力さへ増せばよいと云ふのでなく、先王の道、即ち王道を持つてやらねばならぬとは、東西を問はない、また変らない真理である。
 さらば道徳は、他のものと如何なる関係にあるかと云へば、多く政治は道徳を利用するが、道徳は政治を左右しない。又経済上には損得のことで道徳を使ふが、道徳上から経済を動かすことは少く、結局道徳が負けて損得が勝つ、換言すれば世の成行は政治経済が主で、道徳が客となつて居る弊を免れぬのである。私としては老衰しても、政治と道徳の一致、経済と道徳の合一を頻りに説いて、あの例とか此の事実とか、いろいろ実際上に基き、常に近親の者や親戚、さらに範囲をやや広めては竜門社の人々、また一般的に政治界経済界に向つても、右の意味の議論をして居るのであるが、事柄が抽象的で、ばあつとして居るから、何時でもしつくりと今は何度位になつて実行されて居るか、次には何度になつたと云ふ風に云ひ得ない。標準を示す針が遠ざかつたり近よつたりする処の指表とさるるものがないので、具体的には何とも云ひ得ないのを遺憾とする。
 然し斯うした状態にあるのも、時世の然らしめる処である、とは云へ、此の道徳と政治経済の一致なる観念は私が主張するのみでなく、心ある人は大抵此の説に賛成し、政治の如きは形であり、経済の如きも道徳的であらうとする一手段に過ぎぬ、人生の要は、真の道義である、只今日それが実際上に堅実なる進みを見せないのである。然らば未来はどうなるか、私の云ふが如くに進むか否か、此処に於て私は直接に政治上から直して見たいと云ふことを職分とするを得ず、又自分の力が弱く世を導くを得ないのを哀しむのである。而して私は竜門社員初め世の中の人々が、後年、道理を強く進ませるに就て、渋沢が斯う云ふことを述べたとて、その言葉を珍重されるのを喜ぶことも出来ず従つて徒らにあんなことを言うた人があつたと考へられるだけでは残念であると思ふ。故に此の道徳的である処の道理を尊敬し、実行せしめるやうにあらしめたいと思ひ、且つ真の道理は永遠に磨滅するものでなく、早く三千年の昔、孔子の仰せられたことが今日でも変りないのであるから、以上は単に私の一家言ではないと云へよう。故に軈ては私達の理想とする黄金世界が現れないとは、誰しも断言し得られないのであつて、それを望むのを迷信と同一に見ることは出来ないであらう。然らば果して世が其処まで完全に進むかと云へば、それにも疑問があり、経験によるとその間、右から見ては好いやうでも左から見ると感心しない、前からは揃つて来たが、後からは著しく不揃ひであると云ふ風であるから、老い先が短くなると、このどうなるかが甚だ懸念に堪へず、愚痴がましい事をも云ひ度くなるのである。然し全く望みがないとて歎息するのでなく、政治が公正に行はれ、経済的の進歩があり、富も加はり、国民に力が延びると、又勢ひ道徳的な時代を出現せしめ得るのであつて、決して夢を語るものでないのは前にも
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述べた通りである。而も現状に於ては幾多の懸念があるとは云へ、私の説に対し、善光寺を信仰するお婆さんを慰める位の意味であるのかも知れないが、渋沢の言は尤ものことであると云ふ人のみで、いやさうでないと主張する人はない。ただ斯様なことは力で圧へ智慧で守らせようとするが如きものでなく、と云つて実益主義で人を誘ひ得るものでもないのであつて、良い事である以上、其の道理は永久に悪くはならないから、行はるべき日の到ることが必然であると思ふ。此の主張は幾度も繰り返して述べる処であるが、特に例を掲げて申す程でもないので、抽象的ながら同じやうなことを申した訳で、夏向きの話ではないが、或る点からは幾分心が緊縮されて、だらけ易い身体を引緊め得るならば、夏を銷す一つの談話と云つてもよいであらう。
                      (八月八日談話)