公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四四四 竜門雑誌 第四九三号 昭和四年一〇月 義務を尽して権利を得よ 社会教化の第一目標 【青淵先生】(DKB80070m)
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四四四 竜門雑誌 第四九三号 昭和四年一〇月
義務を尽して権利を得よ
社会教化の第一目標
青淵先生
我が国現時の社会状態には、幾多の寒心すべき事柄が起つて居るのであつて、私が特に喋々申述べるまでもなく、此事は世の識者の夙に
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深く憂ひつつある処である。従つて文部省に於ても社会教化の必要を痛感し、頃日来教化総動員を行つて居るのは誠に結構な企てであると申してよい。
而して社会人心の趨向を観るに、近時我が国民は何れも知識に於て異常なる進歩を為し、勢ひ事物の進みも驚くべきものがあるのであるが、精神的な道義の方面に於て見るべきものがなく、真実心快しと感ぜられるが如き事がないのであつて、これこそ社会事象の面白くない最大の原因であると考へる。知識の進みと道義心の発達とは相伴ふべきものであるに拘らず、知識の進みが、却つて道徳を無視するが如きは極端な行走りと謂ふべきである。「才は仁義と一しよでない」とか「才があつても道義心のない人がある」などと昔から云はれて居るのも之が為めであつて、楽翁公も亦、楽亭壁書の中に「有るも無きにおとるは誠なき人の才」と書いて居られる。蓋し此の点を喝破したものである。
斯様に智慧と道義とが相伴はないのみでなく、近頃では智慧を得る手段のみが教育の眼目となつて居るから、世は挙げて道義よりも知識を重んずると云ふ風である。これは西洋に於ける教育の仕方を模倣するものであらうが、何れにしても現在の如く多数の人々を一時に教育するに当つては、或る信念を持つ者が人格中心で以て教育を進めて行くことは困難である。そして若し斯る教育者があつたとしても、それは特殊なものであるから、一般的に論ずることは出来ない。要するに今日の我が国の学校教育は東洋式でなく又精神的でなくて、何処までも形式的の知識教育であると断言して憚らない。故に或る場合には之が進めば進む程精神的には悪化し、社会的の罪悪を助長することなしとしないのであつて、極言すれば余りに知識的に傾き過ぎると悲観せざるを得ない有様で、無くもがなと云ひ度くなるやうなことさへあるのである。
私の此の議論は今日に始つたものでなく、古くから論じて居るのである。一体教育と云ふものは、師たる人の志を学ぶのみでなく、言語行動からも人としての感化を受けると同時に、その人の学問、技芸を学ぶのであつて、精神的陶冶と知識的啓発とを併せ行ふにあると信ずる。更に進んでは、知識的啓発は第二義的であつて、精神修養が教育の第一義であると云うても差支ないと思はれるのである。例へば熊沢蕃山が中江藤樹の門に学んだのは、藤樹の学識よりもその人格、精神の感化を受けようとしたのである。と云ふのは学識に於て藤樹とさして径庭のなかつたと想像せられる蕃山が、進んで弟子となった点で説明出来ると思ふ。実に斯様な道義を主とし知識を従としてこそ、本当の教育であると思ふ。然るに今日では多数の学生を一時に教育するのであるから、昔のやうに師の感化を直接に与へることは出来ず、どうしても学問の切売的になる。従つて知識の啓発が主となり、智慧は増すが精神の修養は行届かぬやうになり勝である。此事に就ては嘗て故穂積陳重男と議論したことがある。穂積は本来法律家ではあつたが、教育に従事して居たので、私が「智慧のみ進んではいけない」と云ふことから、前に述べた中江藤樹と熊沢蕃山との例など挙げると「成る
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程人格の高い人の下にあつてはよい教育が出来るが、それは特殊の事情に基くので、現代の如き多数を一時に教へる場合に於てさうした風には出来ない。特に反対して西洋式の教育を弁護するのではないが、智慧が進めば利害得失とか善悪とかを見分けられるやうになり、自然善へ移るに到る。勿論教育の根本は精神にあるけれども、悪を為す者は不知なり、と云ふこともあるではないか、勢ひ知識の進みは道徳的たらしめるものである」と云つて居たが、私は承服出来ず、よく内々のこととて、教育に就ては門外漢の私も穂積に対し自説を主張して居た訳である。
先般も文部省で教化総動員に用ひるのだとて、私の談話を求められたから、之と同様の説を述べたのであつたが、今更如何に善くとも、教育の有様を維新以前に引きもどす事は不可能である。故に以上は既往の経過を、老人の愚痴に過ぎぬけれども一応申述べたまでである。
然らば現在何を主義として、何を教育の根本方針たらしめたらよいかと云へば、勿論教育勅語に依るべきであるが、特に私は義務の観念を第一とし、権利を第二とすべきであると思ふ。今日の世相の面白からぬ原因は、殆ど権利のみを主張して、義務を尽すことを忘れた点にある。権利と義務とは綯へる縄の如きもので、権利が表へ出ると次には義務が現れる。義務が現れると次に権利が出ると云ふ風に、循環する。故に、権利を唱へる前、自己の義務を果すことが緊要である。義務とは単に借金を返す如き事柄でなく、前途に望を置いてそれに向つて己の為すべき最善を尽すことである。例へば一家を栄えしめようとか、一村一郷を如何に導かうかとか、或は、大にしては天下の有様をどう正しく改めようと云ふが如く、望みは狭くも広くも持てるのであるから、それに対する適当の義務を尽せば、自ら権利も伴ひ生じて来る。即ち希望の分量に応じて、当事者が此仕事を斯くしようとするに当つては、常に権利を先にせず義務を先にせねばならぬのである。卑近な言葉で云へば取る前に与へることである。
私は今俄かに、総ての人々に斯くの如く改革せよと申すのではないが、青年子弟をして此の覚悟を持たさしめること、男も女も本分として之を力めると云ふことを教育上の主眼としたいと思ふのであつて、左様すれば自然に能率も上り、物議も起らないで、物事が順調に進んで行くであらう。云ふまでもなく事柄の利害得失や、その純不純、善悪正邪は智慧を以て識別してかからねばならぬが、兎に角権利の主張よりも義務を尽すことが根本問題である。故に竜門社の諸君は此の点に最も眼を注いで戴きたいものである。又斯様に申すと徒らに他を謗るやうであるが、決して他を謗るのでなく、社会の不完分であることを顧みては、私自身の微力を不甲斐なく感じて、自ら謗つて居るのである。而して此の義務を尽すと云ふことは実行方法として容易なものであると思ふ。
要するに、老いも若きも、男も女も、それぞれ持つて生れた義務を完全に果してこそ完全なる権利を得るのである。そして望む処は大きくとも小さくとも、それ相当の義務を尽すことに依つて達せられるので、一年や二年で果せなければ五年、十年、或は一生義務に向つて居
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てもよいであらうと考へる。私は曾て官民間尊卑の別が甚だしかつたのを見て、之れを正さねばならぬとした。それだけは自分の力でも出来ようと、早くからそれを私の義務として努力した。先づ民間の人々が官にある人達と同様に尊敬せられるには、民間の我々自ら其の本分を完全にとは行かないまでも努める、そして義務を尽す、さすれば当然権利が生じて尊敬せられるやうになる筈であると考へ、必死になつて実行した積りであるが、漸く近年に及んで実業界の有様が進んで来て、官民間尊卑の別がなくなつて来た。従つて実業は一個の営利的経営であるとは申せ、それに従事する者が義務として公共的に尽すならば、勢ひ政治方面乃至は官庁の方面からも、民間にある人を重んぜなければならなくなる訳である。されば斯かる観念を持つ人が多ければ多い程、実業界は尊重せられるのである。六十年前の有様と今日の状態とを比較するならば誠に感慨に堪へぬ程の相違となつて居る。此の実例に徴しても私の「先づ義務を尽せば後権利が必然的に到る」と云ふことが決して空論でないと確信するのである。(十月十一日談話)