公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四四五 竜門雑誌 第四九四号 昭和四年一一月 世界の平和に就て 【青淵先生】(DKB80071m)
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四四五 竜門雑誌 第四九四号 昭和四年一一月
世界の平和に就て
青淵先生
一
現在、世界各国は、何れも平和を熱望し、平和の維持に対して努力して居るが、何時になつたら国際平和の理想が実現するかと考へると前途遼遠の感なきを得ない。併し国際聯盟の如きものが、世界の平和を維持する一つの制度として組織せられ、果して充分なる効果を挙げ得るかどうかと疑はれながらも、現に相当貢献して居る。例へば先般来露支間の紛争などの如きに際し、国際聯盟や不戦条約の存する為、お互に己を顧る場合もあつたかに見受けられるやうなこともあつた。また過般京都で開かれた太平洋問題調査会の大会の席上、余日章氏は日本に対する不平、特に満洲問題に就て、無遠慮な主張を為したさうであるが、それも国際的な会議の席上のことであり、平和を進めようとする主旨に出でた会であるから、利害相反する両国間のみの正面衝突的論議とは非常に相違した空気の裡に議論されたやうである。故に国際聯盟の会議の外、時々、経済会議、軍備縮少会議、また今回我が国で開催された太平洋問題調査会大会とか万国工業大会、世界動力会議等の如き、国際的会議の開かれる機会の多くなつて来たことは誠に喜ぶべきことであつて、其の間常設された国際聯盟が、国と国との間に立ち、一種の緩和剤となり戦争を未然に防ぐやうであれば、容易に平和が破れるやうなことはない筈である。とは申せ米国などは、ウヰルソン大統領が国際聯盟を主張し、大いに力を入れたにも拘らず、今尚ほ之に加盟して居ないのは如何なる理由によるか知らないが遺憾千万である。
二
「平和は人文の進歩に俟つ」と云はれて居るが、人文の進展は学問的論理によつて諸種の新らしい発明や発見となり、所謂科学の進歩に
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よつて、鉄道、電車、自動車等の交通機関を初め、電気応用の動力や灯火、或は各種の機械器具などの製作となり、そして人文を進めて行くのである。併しながら表面的な物質文化が完備したとしても、真実人文は進歩したと云ひ得られるであらうか。私は真実なる人文の進歩は物質と精神とが相伴ひ共に進むのでなくてはならぬと考へて居るのである。然るに一般的に精神方面は科学方面の進歩に及ばないのみならず、おしなべて権利義務をとり違へて居る。即ち現代の有様は義務を忘れて権利を主張し、権利の伸長のみを心懸けて居るのであるから勢ひ人と人との間にしても、国と国との間にしても、争ひが絶えない訳である。此処に於てか道義心が一層進んで権利よりも先づ義務を尽すと云ふことにならねばならないと云へるのである。今までの世の有様を見ても、物質一方の片寄つた進みでは却て害があり、世界の平和にしても乱れ易くなる惧れがある。謂はば知識の進みは人の心を圧迫するやうになるので、爆弾とか毒瓦斯の如きものの発明は何れも知慧の働いた結果で、戦争には役立つても平和には些かも役立たぬ。此等は悪く走つた知識の実例である。
三
大正三年にスタンフォード大学総長ジョルダン博士が日本へ来られ種々談話をした折に、私は「知識の進みのみでは駄目で道徳的でなければならぬ」と主張した処、博士は「東洋道徳の主張も結構であるが孔孟道徳のみで知識が進まなければ世は発展しない、又知慧が進みさへすれば利害の上から戦争も起らない筈である」と主張された。恰度モロッコ関係から、仏国と独逸との間に戦争が起りはしないかと云はれて居た時であつた。ところで独逸から米国のモルガン商会に公債募集の相談を持ちかけたけれども、モルガン商会では「戦争に使ふ金では応ぜられない」と断つた為、遂に独仏の間は戦争にならずに済んだと云ふので、此の事実を実例としてジョルダン博士は帰国する時、私に「斯様な有様であるから心配しなくてもよからう」と述べられた。私も当時さうした風に国際間の平和に就て解釈して居た。故に後に彼の欧洲大戦の導火線となつたセルビヤの一青年の暴行に付て聞いた時にも、たぶん戦争の原因にはなるまいと考へ、慶応義塾の何かの会で小幡篤次郎氏と談じた際の如き、ジョルダン博士の説を引いて「戦争は起らぬであらう」との強い意見を述べ、又六月の半ば頃養育院の用件で安房へ行く為めに乗つた船中でも、同様の予断をしたのであつたが、程なくそれは戦争となつたのみでなく、遂には世界の国を挙げて戦争に参加すると云ふやうな、未曾有の大戦乱となつた。かくして私の予想は全然的をはづれ、国際間の機微なる事情は、素人にはなかなか判断が出来ないと云ふことを知つた次第である。そして戦争はいよいよ長く続いてどう成り行くか逆睹しがたい有様であつたが、幸に大正七年十一月に休戦するに至つた。
四
扨て当時の米国大統領ウヰルソン氏は、平和の理想を実現せしめたいと、休戦直後自ら欧洲へ赴き、国際聯盟の組織を提唱したから、私は「さすがに米国である。戦争の根源を全く断つことは出来ないまで
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も、戦争を防ぐ一つの国際的団体を組織することは結構な企てである」と思つて、其の勧誘には応ぜねばならぬと考へた。また各国も同様に考へて国際聯盟が成立し、加盟各国には之れを支持する国際聯盟協会なるものが組織せられたにも拘らず、国際聯盟を主唱した米国が如何なる理由なるか今猶加盟しないのは遺憾の至りである。勿論議会の成行は、時に見識ある人達の行動とは解釈せられぬものがある。即ち此事も政党間の争ひとしてウヰルソン氏に反対したと云ふことであるが、また彼の移民法の制定なども、日本移民の好くない点などの理由もあるであらうが、要するに埴原大使から国務卿ヒューズ氏に送つた手紙の中にあつた「グレーヴ・コンセクエンス」と云ふ文字が上院議員の感情を害し、大多数を以て通したと云ふことであるが、斯様な点も公平にして事理に明るい米人の行為としては判らないものの一つである。勿論此の移民法の原案は、加州に於ける排日家たる、シャレンバーグ、フィーラン、ジョンソン、インマン等の人達によつて成されたと云ふことである。此等の人達は予て移民法の必要を論じ、移民の制限に就て強い主張を為して居たのである。私共としては日本移民を欧洲移民と同様に取扱ふならば致し方もないと思ふが、それと全然区別したことは面白くない。私は今猶頻りにそれに対する不足を述べて居るが、依然として改正されないのは遺憾の極みである。
五
加州の労働団体の指導者たるシャレンバーグ氏は、恰度太平洋問題調査大会へ出席の為め渡来して居らるるので、近く特に会見する筈にしてある。此人は日本人を排斥するのは労働賃銀が安い為め米国労働者を駆逐するから困る、と云ふのでなく「日本人の性格には敬服して居るが、移民としては入つて来るのが嫌である」と云うて居る。それは外でもない「日本人は同化心がなく、愛国心が強いから、かかる国民が米国へは入れば、米国にとつては悪くすると騒動の原因となる恐れがある。故に排斥するのである」と主張して居る。その主張は同志である上院議員のフィーラン氏に宛てた手紙の中に書いてあつたさうである。大正四年に桑港でパナマ運河開通の記念大博覧会が開催せられた時、労働大会が同地で開かれたので、日本からも代表者が出席してはどうかと、紐育のシドニー・ギュリック氏から注意もあり、恰度友愛会の鈴木文治氏の外一二人が出席したいと云ふ希望を持つて居たので之を伝へた処、シャレンバーグ氏は之を快諾した。するとフィーラン氏等が「日本労働者は我々が排斥して居る。然るに其の代表を大会へ参加せしめるのは如何なる理由であるか」と非難したので、それに答へて「我々は日本の労働者を嫌ふのでなく、米国への移民たる日本人を嫌ふのみである。それは同化心がないからで、其の国の労働者と移民とは全然異るものだ」と云つたのが、氏の日本移民観であるやうである。申すまでもなく、此のシャレンバーグ氏は、米国労働界の大立物ゴンパース氏を援けて居た人である。聞く処に拠れば最近氏の日本人観が余程変つて来たさうである。
六
私達青年時代に於ける一般の対外的の考へと、今日の所謂平和を主
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張する国際的の考へとは非常に相違して居る。即ち維新当時の西洋諸国はかなり侵略的であつたから、私共は内にあつては尊王、外へ向つては攘夷を強硬に論じて、乱暴のやうではあるが力を以て幕府を倒し且つ外夷を打ち払はうとした。此の外国を排斥する思想を持つたのは当時国を思ふ者の等しく抱いた処であるが、就中英国が支那へ阿片を売り込み、支那側で之を焼いたことを理由として戦争を起し、遂に香港を取つたが、其の始末を書いた「清英近世談」と云ふ書物を読んで英国の暴戻さを憤慨し、「やがて日本も斯かる憂き目を見るやうになるだらうから外夷は速かに打ち払はねばならぬ」と唱へ、当時は中々排外思想が強かつたのである。塩谷温博士の祖父に当る人なども、此の道光の乱に就て「隔靴論」と云ふやうなものを書いて居るが、蓋し日本にあつて論ずるため、靴を隔てて痒を掻く感があると云ふ意味である。処が其後、安政三年に米国からタウンセンド・ハリスが最初の領事として日本へ来て、安藤対島守と条約の締結を為したので、我々は其の無謀を叫び、殊にハリスに対し唐人お吉と称せられた婦人を妾としたと云ふやうな評判から、外夷に妾の世話をしたりして徒らに外国に阿るものであるとしたのであつた。併しながら私が徳川民部公子に随伴して仏国へ赴いた船中で、田辺太一とか杉浦愛蔵と云ふ人達と外国のことに就て議論した際、ハリスの真実日本の為めを思ふ心事を其実蹟によつて説明せられ、日本の財政に対する忠言や、武士道的な行動等を知つて敬服し、爾来ハリスの事蹟によつて米国の友情を感ずるに至つた。彼のハリスの通訳ヒュースケンが、壮士の為め殺害せられた時のハリスの立派な態度などに就ては、屡々述べたから此処には重ねて云はないが、実に日本の武士道そのままであると申してよいのである。
七
ハリスの如く、六十数年前、早くも未開国を開くに当つて何処までも国際平和の主義に基いて行動した人もあつたが、今日に及んでいよいよ国際平和の確立は緊要事中の緊要事であるとされるに到つたのであつて、実に喜ばしいことである。ただ軍備縮少の会議など屡々開催せられるのであるが、真に戦争を無からしめたいと云ふ衷情から各国の軍備を縮少しようとするのであるか否や、或は形式的な表面的な軍備縮少に終る嫌ひがあるのを見ると、該会議の起り、其の働きなどを詳細に見た上で論じなければならぬが、理想には尚ほ遼遠の感があるやうで、微妙な点に及ぶと解釈に苦しまねばならない程である。兎に角世の中は斯くの如くにして、時の進むにつれ、勢ひ総ての状態を変化せしめて居る。将来如何に国際平和の実は挙げられるであらうか、予言は出来ないが、併し各国とも理想として国際間の平和を目標に進んで居るから、やがては知識の進みと道義心の発達に依て之を達成する日が到るであらう。
而して私は、此の理想の実現に対して、現今最も大切なものは道義心であつて、外交と云はず、政治と云はず、将又経済と云はず、総て道徳に基礎を置かねばならぬ、又道徳を基礎とすれば当然国際間の平和は維持せられ得るのであるから、重ねて国際平和に就ては其の基本
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を道義に置くべきを力説するのである。(十一月十日談話)