公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四四七 竜門雑誌 第四九五号 昭和四年一二月 教化の原理 ――文部省教化資料の一つとして―― 【青淵先生】(DKB80073m)
別巻第8 p.188-193 ページ画像PDM 1.0 DEED
四四七 竜門雑誌 第四九五号 昭和四年一二月
- 別巻第8 p.189 -ページ画像
教化の原理
――文部省教化資料の一つとして――
青淵先生
一
私は本年九十歳の老人で世事には頗る疎くなつて居ります。殊に教育上の素養もなく又実際教育に従事したこともないから、教育界には全然門外漢であります。然し教育そのものに付ては年来心配して居りますから、年老いるに従つて一層憂慮して、向後如何にしたらよからうかと考へるのであります。故に此度、文部省に於て教化総動員を行ひ、各方面に亘る教化の改善に御尽力なされると云ふのは、誠に時節柄適当の御処置として、私は真に感佩に堪へぬ次第で、非常に嬉しく感じて居ります。
併しながら一般の人気が良くない方面へ傾いて来た今日の有様は、今日に於て斯くなつたのではなく、遠く過去に其原因は醸成せられて居たと考へねばなりませぬから、今良くない点のみを直ぐ除去しようとしてもそれは無理な注文で、水源を問はずに流末のみを澄さうとするに等しいから、如何に力の有る人でも、極言すれば一国政府の権力を以てしても難しとする処であらうと思ひます。故に一歩進めて言ふならば、何故に斯く成り行つたかと云ふ事実に付て、篤と考へなければならぬと思ひます。斯く根本に向つて論ずる時は、何等為すことのない老人が只往事を非難するやうにも聞えて、徒らに他を攻撃して自己を衒ふものと思はれるやうな嫌ひがありますけれども、私は決して左様な意味で申すのではありませぬ。
二
元来私は埼玉県下の農家に成長し、而も当時は旧幕時代でありましたから、学問というても欧米式のは少しも習得せず、単に漢学を素読して修めたのみで、今日から見ると実に些細な教育を受けたに過ぎませぬ。併しながら少年の頃より旧幕府の外国に対する有様を見て、これではどうも日本の国家が危いと云ふ観念から、攘夷論を主張する多数の同志と交り、遂には生命を賭して過激な行動を執らうとした位であつたが、その様な乱暴は幸ひ為すまでに到らなかつた。去りながら右等の関係から自然郷里で農業をする訳にも行かず、浪人となつて京都に到り、縁あつて一ツ橋の家来となり、後、幕府の吏員に転じ、徳川民部公子に随従して仏蘭西に留学しましたが、その内王政維新となつたので帰朝して、後、一時新政府の役人となつたが、帰朝前より深く感ずる処があつたので、間もなく辞して実業界に入り、経済界の各方面には多少努力もしまして、七十七歳即ち喜の字の老体となつたので、右等の関係を全部辞退して、爾来社会事業又は教育界、もしくは外国関係の事などを取扱うて居るのであります。是は私一身の経歴を一括して述べたので、少年時代に受けた教育は甚だ浅薄なもので、単に孝悌忠信の根本的修身上の書物と、簡易なる和漢の歴史を素読したのみである。只、父兄又は先輩の懇篤なる教訓で、日本の国民としては何処までも此世界無比の国体を重んじ、愛国心を忘れてはならぬと云ふ、重要なる主義を切実に服膺して居りました。その結果が、前に
- 別巻第8 p.190 -ページ画像
述べたやうに種々変化して今日に至つたのであります。
三
明治維新後の世の推移を見ました時、私はどうしても日本将来の教育は、単に精神的のみに止めず、欧米風の科学的教育を加へなければならぬと自覚した、と云ふのは多少海外の事情を知り、心に深く感じたからでありましたが、維新後は政治家なり学者なりが新らしい教育には特に心を用ひられ、学制なども速かに布かれましたけれども、兎角一方に偏する傾きがあるので、私なども安心して居ることが出来ず身分相応に心配しました。それに就て私個人のことを申述べると、何となく我物顔に物を云ふやうな嫌ひがあるかとも思はれるが、実際あつた事を少しく話すことに致しませう。外国の言語も通ぜず、書物も読めぬながら、前後二年ばかり仏蘭西を中心に欧洲を視察して帰朝した私としては、向後是非欧米の文化は充分に採り入れねばならぬ、若しこれを疎外したならば、第一に日本の財政は衰へるに違ひない、故に将来は十分に欧米式の科学を進めることに対して努力せねばならぬと考へまして、最初定められた学問の仕組即ち我が国の学制も西洋に則つた仕方として、先づ宜いであらうと思ひました。然し年月の進むと共に、余りに智識の注入にのみ傾き過ぎる欠点を認めるやうになつて来たのでありました。是は私の一家内の談話でありますが、私の長女の夫で先に故人となつた穂積陳重と云ふ人は、極めて学問的性質であつたが、教育問題に就て時々私と討論したのであります。私は余りに日本の教育が欧米式に流れ過ぎて居るのを憂へて「昔風の孝悌忠信の道を学校の教科中へ入れる必要がある。それを説く人は偉い学者でなくとも相当な人格のある人であればよい。「忠恕」とは斯う云ふもの「五倫五常」とは斯かるもの、また日本の国体は斯様であると云ふことをよく説明して、子供の時から国を愛し、神を敬ひ、君父に忠孝を尽して、我が本分を守る心掛けを持たしめるやうにしなければならぬ。唯智識のみ進める今日の仕組では、人が機械化され、終には人としての精神を忘れるであらう。少くとも熊沢蕃山が中江藤樹の訓育に浴した片鱗でも実際にあらしめたいものだ」と主張しますと、穂積は私の此の説に対して「其憂慮と希望は決して無理ではない、精神に於て尤ものことである。併し今日のやうな学校の制度で多数の生徒を教育するには、家庭で親が子を教へ、師が弟子を訓育するやうには出来ない。若しそれを行はうとすれば非常な手数がかかり費用を要する、故に希望は其処にあつても、教育を普及せしめる上には他に仕方がないのである。少しく強弁のやうになるかも知れぬが、現在の教育方針は智育に重きを置く風があるとは云へ、元来人は事物を知るならば、事の是非善悪は必ず理解する。さすれば悪を斥け善に進む、悪は将来の損である、善は終に利益になると云ふやうに解釈する、此の善悪と利害とを混同するのは教育の趣意や学問上の理論からは余りに自我的で善くないが、多数に対してはそれが行はれ易いのである。殊に「悪を為す者は無智也」との古人の格言もある程であるから、智恵が増せば悪事には遠ざかる、悪事を避け嫌ふに到る。それは人間の天性である。故に現在の教育は、多数の者に智識を与へて利害得失正邪曲直を
- 別巻第8 p.191 -ページ画像
判然せしめるのである」と説明し、これに対して私は又「先づ事の理非曲直が判るまで学んで来ればよいが、少しばかり物を知ると却て威張つたり鼻にかけたりする惧れがある。それでは寧ろ知らぬがましと云ふことになるだらう。さうして唯利害のみによつて事を判断するならば、其弊や推して知るべしである」などと時々論じ合ひました。私としては今日も此の憂ひを持つて居ります。さらばと云つて私の説を極論して、単に仁義道徳ばかりに固つても狭隘になつてしまふ、或は狭隘でも真直ぐであればよいが、得て頑迷に陥り易く、それでは仁にも義にもならないことになる。故に穂積の説も一面尤もと申さねばならぬ点もあるのであります。
扨て然らば、根本的に道徳を尊重せしめる途は如何と云へば、私の従来主張して居る一案であるが「全国の各小学校に対して名誉校長を置くことにし、此の名誉校長は其地方に於て、人格あり、名望あり、郷党から尊敬を受けて居る人を選べばよい。そして道徳的指導を為させると云ふ仕方は実行出来ないであらうか」是は私が先年教育調査会が設けられた時、委員を命ぜられたので、同僚たりし菊池大麓氏、外山正一氏其他教育専門の諸氏にも種々協議して見たけれども、諸氏の決論は「意見は賛成なれども実現は困難であらう」と云ふことでありました。
四
大分岐路へ入りましたが、今般文部大臣が教化総動員をおやりになると聞いては、私も昔の思出話を遠慮なく申上げたくなります。而して大臣も、下問を恥ぢずして老人の繰言を御聞き下さると信じます。縦令其意見が平凡であるとしても、詰る処は従来の道徳主義に科学の知識を加へて行くのである。而して其方法を如何にしたらよいかに就て考究を要するのであります。想ふに此問題に付て完全なる方法を案出するには、学者の論説、教育専門家の意見、又は世故に慣れた人の考案をよくよく吟味して行かねばならぬと思ひます。而して次に述べる私の一案は、世故に慣れた者の考案として、或は旧弊に泥むの嫌ひはありませうが、決して頑固な言葉でもなければ新しがりの主張でもないと思ひます。
現在世に立ちて務を為す人は、老幼尊卑又は男女の別なく其心掛けをどう云ふ風に考へたら宜いか、之を要するに自己の権利と義務との何れを先にすべきかが第一の問題と思ひます。蓋し権利と義務とは恰も綯へる縄の如きもので、義務を尽す裏に権利が生じ、又権利を行使すれば必ず義務が生ずるのでありまして、義務を尽さずに権利のみを維持することは出来ない。されば、此の権利と義務との意義が完全に理解され、巧妙に運用されるならば、社会は平穏に調達し、人々相和して相互の事物は進歩し、大きく云へば国家、小さくは一郷一家の治安を得て其富も増加して来るのであります。然るに現今の実状を見ると、世界を通じて一般に義務の方を後にして、権利のみを主張する、従つて常に利権争ひが生ずるのであるが、如何にしたら此の観念を変更して、義務を先にして後権利を主張するやうにせしめ得るであらうか、私の智慧では斯くすれば宜いとの具体案が出ないが、唯斯様にな
- 別巻第8 p.192 -ページ画像
つて来たのは何故であるかと云ふ、其原因を調査してこれを除いて行かねばならぬと思ひます。
前にも述べた如く、権利は主張しなくとも、完全に義務を尽せば自然に来るのであるから、世人に義務を尽す観念は強め度い。殊に若い人に充分持たせ度いのであります。実際之れが完全に行はれるならば社会の紛議は除き得るのであります。但し是等の事は誰でも知つて居る、三歳の童子も猶言ふ事であるとの説もあらうが、百歳の老人も行ひ難いのであるから、詰り之を実行しなければ効果はない。言ふだけでは何にもならぬ、否却て悪くならぬとも限らぬのであります。されば私自身は此頽齢に至るまで日常其の心掛けで義務を先にした積りであるが、教化総動員を行ふに当つても、教化運動を為す人達が、第一に此の考へを是非実際に行つてかからねばならぬと思ひます。社会教化、社会改善の問題は到底僅かの時間で云ひ尽すことは出来ませぬ。以上は只愚見の概略であります。詰る処一般の国民が義務を重んじて権利よりも先へ行ふやうにする観念になることが第一の要件である。義務を尽すことは権利を棄てることではない。又権利があれば義務が伴つて来るのであつて、如何に権利を主張する現在の世の中でも、義務を果さぬ人を感心だとして尊敬する者は絶対にないのであります。
五
私は家に居る時は農業に勉強し、家を出てからは我が国実業の発達に努力したから、地方産業の改善と発展との必要と云ふことは今尚ほ念頭を去らないのであります。殊に農業中の養蚕、これは単なる農業のみではない、例へば桑を仕立て蚕を養ふのは農である。けれども生糸を採るのは工であり、之を売るのは商であります。故に我が国の最も大切な産業である養蚕は、農と工と商との三つが近代的な設備と組織と相俟つて調子よく揃はねば充分な発達は出来ないのであります。それと同様他の農業に於ても、近代的な科学の応用によるとか更に新らしい商業上の助けをも受けねばならぬと思ひます。何分日本の農業は古くから行はれて居るに拘らず学理応用の点に乏しいから、其の為めに生産上に革新的なことも少く、骨の折れる割合に収穫が多くない嫌ひがあります。之などは出来るだけ古来の方法を改良して行かねばならぬのであります。而も農業上の生産が少いに原因して、都会地の工場に於ける労資間の利を中心とした争ひと同様な、小作争議が地方でも屡々起つて居るやうでありますのは誠に情けない次第で、何故に両者相争はねばならぬのか理解に苦しむのであります。併し私の故郷の状況を観ますと、小作人との間も円満で相楽しんで働いて居るやうでありますから、義務を先にすれば所謂小作争議などは起らぬことと思ひます。そして速に文化的な施設を行ひ、物理化学を応用せねばならぬでありませう。但し此事は唯一人では出来ないことであるから、一村なり一郷なりの部落部落で、申合せて行ふ必要があります。又商業との関係に就て、卑近な例を挙げて申しますと、私の郷里などは野菜を作つて東京へ売り出すが、之れなどに今少し運送の方法を考慮したならば、都合良くなるであらうと考へます。即ち総ての事柄を時代の進みに伴はしめて、初めて真に農業の発達があり、国内産業の発展
- 別巻第8 p.193 -ページ画像
があるのであります。それは勿論先に立つ人達が注意して、事物を合理的に進めて行かねばならぬのでありますが、多くの人々は忽ち自分の利益とならぬことに頗る不熱心で、己の権利を主張し、利益を得ようとすることに急である弊が多いのであります。斯くの如く一方道徳的であらしめると共に産業の進展を図るならば、両者相協力して立派な社会を生み出すを得るので、私が多年「道徳経済合一主義」を力説して居る所以であります。
六
兎に角道徳的経済主義を唱へると非常に範囲が広汎となり、議論が抽象的になりますから、此処では権利を後にし義務を先にするやうに国民の観念を変へることが第一義であらう、と云ふに止めます。国民に此の観念が生じない以上、農業でも、工業でも、商業でも、又は政治でも其他何事でも真乎の進歩はないのでありまして、彼の労働争議などに於ても一方事業の方は徒らに「労働者は困つたものだ」その甚しきは「憎い奴だ」と云つて居る。他方労働者は事業家をただに「敵視する」と云ふ有様で、双方の間は益々感情的にも遠ざかり、非常な間違ひを生ずる惧れがある。之れなどは最も義務を後にし権利を先にする処に起るもので、人が各自相互に自分達の働きを無駄にしないやうにするには、何よりも自ら進んで義務を尽すに如くはないのであります。
以上余り利益のある御話ではありませぬが、折角のお求めでありますから、卑見の一端を腹蔵なく述べたのであります。