公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
四五四 実業之世界 第二八巻第一号 昭和六年一月 青年は煽てに乗れ 【子爵 渋沢栄一】(DKB80080m)
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四五四 実業之世界 第二八巻第一号 昭和六年一月
青年は煽てに乗れ
子爵 渋沢栄一
◇生きる意義
現代は生存権とか、生活権とか、生きて行かねばならぬとか、生きる道とか、生きねばならぬといふ様な風に、生きるといふ事について
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ナカナカ八釜しく言はれて来たのは至極尤もな事と思ふ。併し言葉は怎う言ひ現はさうとも、タダ衣食住さへ足れば宜いといふ意味に於ての生きることだけでは、甚だ物足りなく感ぜられはしないかと思ふ。
もとより現在に於ては、単に生きること――即ち衣食住のみについても頗る困難を感ずる様になつて来て、いはゆる労働問題とか社会問題とかいふ思想が擡頭して来た。それに就ては今玆で申さぬが、併し何等の理想もなく抱負もなくタダ生きて行くといふ丈けでは誠に詰らぬことで、人間としての面白味がなく、又価値もなく、生き甲斐ない事ではなからうか。
◇血の躍動する青年期より老々年期へ
人間が生きてる以上は、生きた丈けの事がなくてはならぬ。殊に青年時代は血気盛りで青年の血はいはゆる躍動してゐる。人間には幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期、老々年期といふものがあるが青年期に充分の覚悟を以て活動しなくては、壮年期、老年期を意義ある可く生活して行くことは出来ない。
そこで私は今の青年諸君に「青年は須らく煽てに乗りなさい」といふことを希望したい。煽てに乗るといへば語弊がある様だが、言ひ換へれば「人生意気に感ずる」といふ精神を欲しいと思ふ。
◇乗せられる価値
総じて煽てに乗らぬ人は、よく言へば理性が発達してゐると見られぬでもないが、一面に於ては、タダ自己の都合ばかり考へたり、人を見れば泥棒と思へといつた様な、悪い意味の個人主義的の人で有り勝であると思はれる。
それに煽てに乗せられるのも、それだけの価値があるからこそ煽てに乗せるので、何も役に立たぬ人間であれば煽てはせぬ。ごく卑近な例で申せば、煽てに乗せて使ひ走りをさせるといふ場合でも、その使命を果すことが出来ぬやうな人間であれば、始めから煽てに乗せぬことに成るではありませんか。「お前でなくてはならぬからゼヒ之れをやつて呉れ」とか或は「お前は将来見込みがあるから大にやれ」などと激励されるのも、矢張り一種の煽てに乗せられることである。
◇青年の無邪気
斯かる場合に自分の都合のみを考へたりする人は、容易に意気に感じない。激励を心から受け容れない。つまり煽てに乗らぬ事になれば或は身の安全は保てるかも知れぬが、之では前にも申した通りタダ生きて行くといふには差支ないとしても、そこには青年らしい躍動的の無邪気な働きが現はれぬ。それでは世の中が味気なく干乾びたやうになつて、人生は無味乾燥なものとなりはせぬでせうか。
◇「出師の表」を見よ
昔から偉人英雄、又それまで行かなくても、一方に頭角を現はすほどの人は、意気に感じて奮起したものが多い。
彼の有名な「出師の表」で知らるる支那の諸葛孔明は、時の王侯である劉備玄徳が、自ら三度その草廬を尋ね、辞を低うし礼を厚うして是非軍師になつて呉れと切に出廬を促した為めに、その誠意に動かされ、意気に感じ、「人生意気に感ず、又誰か巧名富貴を論ぜん」と蹶
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然として奮起したのである。
斯くの如く意気に感じて奮起する場合には、同じく働くにしても一切の利害得失を離れて全力を傾注する様になる。そこに非常な力強さがあり然も人生の言ふに言はれぬ妙味が感ぜられるでは無からうか。
◇煽てに乗り成功した日本の政治家
今一例として孔明を挙げたが、日本でも、彼の楠正成公の如きは意気に感じて働かれたのではなからうか。伊藤(博文)公の如きも私と親密であつたが、意気に感じ煽てに乗る方であつた。之に反し山県(有朋)公は煽てに乗らぬ方であつたやうに思はれる。
西郷(隆盛)さんには私も会つた事があるが、あの人なども子弟の煽てに乗つたのではなからうか。その結果一時は逆賊の悪名を蒙つたが、後日、その精神が清廉潔白で少しも逆意なく、国家の為めに一騒ぎやつたに過ぎぬ真意が明かとなつて汚名を雪いだ。つまり大西郷は意気に感ずる人で、一身の成敗利鈍などは全く眼中になかつたのである。之に反し、大久保(利通)さんは煽てに乗らぬ人であつたやうに思ふ。
大隈(重信)侯は自分も多少煽てに乗つたが、寧ろ他人を煽てに乗せる方であつた。井上(馨)さんは煽てに乗りさうもない様で、実は煽てに乗つて働く正直者であつた。又私と関係の深かつた古河市兵衛さんなどは、煽てに乗り、意気に感ずる方であつた。
◇日本の大事業家の実例を見よ
岩崎弥太郎さんなども、煽てに乗りさうもない人で実は煽てに乗つたかに思はれたが、如何であらう。だが同じ三菱でも荘田平五郎さんは煽てに乗らぬ人であつた。豊川良平さんは自分も煽てに乗り他人を乗せもしたが、然し、乗らぬ場合もあつた。三井の益田孝さんは煽てに乗らぬ方であつたが、中上川彦次郎さんは乗りもし、乗せもした。朝吹英二さんなどは乗る方で、人を見て泥棒と思はぬ人であつた。
大倉喜八郎さんなどは、乗りさうもなくて多少乗つたやうに思はれる。森村市左衛門さんは他所から見れば乗らない様に見えたが、之は自分自ら気がつかずに矢張り煽てに乗つてゐた人であつた。
又この頃死んだ浅野総一郎さんはナカナカ食へない様な男だつたが実は煽てに乗り、他人を乗せ自分も乗つてゐた。先年死んだ和田豊治さんなどは煽てに乗り、誠に気持のよい人であつた。「実業之世界」の野依君の如きは和田君によく似て居る。野依君は非常に意気に感ずるから、非常な働きを示して世間を賑やかにする。
◇意気に感ずる報恩の熱情
以上は思ひついたままを述べたのであるが、既に一旦煽てに乗り意気に感じて働くといふ決心がつけば、その使命を完うしなければならぬといふ熱情が非常に真剣味を帯び、利害のみによつて働くものとマルデ違つて来る。それに、自分自身も亦愉快な気持で、本当に意義ある活動が出来る筈のものであらう。
又意気に感ずるといふ事は、一面から言へばその恩に感ずるといふ事になつて来ると思ふ。此の恩といふことは、上から下の方のみに対して報恩せよと云へば反感も起きるが、いはゆる自発的に、恩を受け
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たものが恩に報いようといふ気持になれば幸福に感ずるものである。
然も恩は金銭や物質のみで返せるものでないから、あの時にアアして貰つたから、立身出世して恩人の面目を立てなければならぬとか、何とかして仕事を成就しなければならぬとかいふやうな気持になる。これ故に、恩に感ずる事は自分自身にとつても幸福な結果を齎すのである。
◇安全第一主義は青年に禁物
併しながら煽てに乗つて働く人には、人を見たら泥棒と思へとか、世間はウツカリ出来ぬぞとか、いはゆる石橋を叩いて渡る人と違つて時に失敗を招く事がある。だが、失敗は却て尊い経験となつて将来大成する基となる。
タダ生きて行くといふ丈けでは、禽獣でも生きて行くのであるからそれでは人間の価値は余程減ずるものと思ふ。もとより失敗しない方がよいが、失敗があるからと云つて安全第一主義のみでは、青年として将来の大成は望まれぬ。といつて失敗を好い気にしては困るが、国家の為め社会の為めで、勢ひに乗じてやり過ぎた為めの失敗などは、青年時代には止むを得ない事であり、仕方がないと思ふ。
◇余と徳川慶喜公
斯く申す私の如きも、明けて九十二の老齢になるから、今ではもう燃ゆるやうな若い血は涸渇して居るが、青年時代には大に血を沸かし明治維新当時には相当働いたものである。
そして一時は勤王倒幕の思想に駆られて横浜の洋館焼払ひの計画までやつたが、後、幕臣となつて徳川慶喜公に大に認められ、自分の生命も完うし且世間に出られるやうになつたので、私も大に意気に感じて、慶喜公の為めに一身を献げる気持になつた。慶喜公は私を煽てに乗せたとは言ひ得ぬけれども、私はつまりその恩に感じたのである。
◇煽てに乗る幸福
今の青年は兎角悪い意味の個人主義に趨りたがり、且つ物質を中心にして世に処するの傾向があるやうだが、それは間違ひでは無からうか。もとより物質方面も必要であるが、その半面には大に精神方面も考ふ可きである。
そして青年は煽てに乗るのは莫迦らしい様であるが、実際は前に申述べた様に意義のある事であり、自身のためにも幸福となるのであるから、青年は須らく煽てに乗つて大にやつて欲しいと思ふ。