デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四五五 竜門雑誌 第五〇八号 昭和六年一月

■資料

四五五 竜門雑誌  第五〇八号 昭和六年一月  年頭の一感想 何事も一時的とならず永続的に 【青淵先生】(DKB80081m)
別巻第8 p.214-217 ページ画像PDM 1.0 DEED

四五五 竜門雑誌  第五〇八号 昭和六年一月
    年頭の一感想
      何事も一時的とならず永続的に
                      青淵先生
 年々一歳づつ年を重ねるのは当然のことで、特に言ひ出す程のことではないが、年が新らしくなるとまた新らしい気分も生ずるのであつて、仮令私のやうな老衰した者であつてもこの一般的の感触を有たざるを得ない。然したださうした感じから御話をすると、毎年似たやうなことになる恐れがある。実際私は何時も世の中が段々に好くなるよ
 - 別巻第8 p.215 -ページ画像 
う、斯う云ふ有様に進めたいと希望する点は同じで、其の観念は失はないが、それも決して完全に望み通りになつて来ないのは、己れも悪いであらうと思ふけれども、一般国民の努力も足らぬと言はざるを得ないのである。而して、たとへ思ふ事の十分の一も成しとげ得られないでも、始終継続的に社会をよくしようと希望し、主張して居れば、自然に世の中が好い方へ傾いて行くのは当然の成行であつて、それを望むのも徒らに空想とすべきではあるまい。そしてただ呆然と年を重ね、百歳の齢を自然に委せて送り迎へたとて何にも成らないが、確然たる希望を持ち、信ずる所を世に発表するのは、日常自己を磨くと共に、世の中を進歩せしめることであるから、老い先の短い私も「日に新たにしてまた日々に新たなり」と云ふ、古人の言を身を以て行ふ考へで、またも同じことになるか知れぬが一応感想を申述べて見よう。
 今日の日本の有様は決して悲観すべきでなく、改善もされ、また幸にも進歩しつつある如くに見られるが、其の根柢がかたまらないに拘らず、時々穏当を欠いた浮れやうをするので、どうも本筋でない嫌ひがあるかと思はれる。事業にしても一時的に力を傾注し過ぎ、余りに人力が強く働きかけ過ぎるため、直ぐに後が弛むと云ふ風があり、悪くすると永続性を欠くやうなこともある。然らば機会ある毎に考へるのでなく、平素から考へて、一日一日と強く大きくすることが出来るかと云へば、それは難しいから、或る特殊の機会に臨んで奮励心を起し、その後を継続して行くやうにせねばならぬ。あの蘇東坡の父が二十一歳から書を読み始めて、たとへ学者的でなくとも相当の域に達したと云ふやうなことは、それで今他に斯々の例があつたと指摘することは出来ぬが、何事にせよ物事の進み行くには動機があることを考へる必要がある。
 例へば社会事業に関する仕事にしても、其沿革を回顧すると、毎年幾らづつか進んで来て現在では稍見るべき域に達したと言ひ得るであらう。勿論国内の窮民を全く無くすることは極めて困難であるかも知れぬが、一時的にでなく、種々の会や各方面の人達が継続して行ふならば、何時かは目的を達し得るのであつて、単に都会地の如き政治上行届く処や文化の発達した処のみでなく、全国の如何なる寒村僻地にも行き亘るやうにありたい。其処まで進めることは、一朝一夕のことではないかも知れぬけれども、それ程困難な事業が必ずしも不可能でなくなつたのも、文明の進みにより、又、政治家や一般の人々が、此の方面に日常眼を向けるやうになつたからである。就中東京市などは此方面へ注意が行届くやうで、快心に堪へない。斯かる事業は東京市のみでなく各地に於ても同様に実行されつつあることと思ふが、その観察が届かぬのは自分が年老いた故であらうと考へ、頗る遺憾に思ふのである。
 次によきニュースを伝へ、刺戟的に其事を唱道するに就て、今日の各新聞社は深い注意をし力を注いで居る模様である。故に、新聞を悉く読了し、此等を綜合、分解し、それによつて社会の出来事に対して私としての説を立てることにしてもよいのであるが、其処まで手がとどかない。併し時事新報にしても、東京朝日にしても、東京日日にし
 - 別巻第8 p.216 -ページ画像 
ても、中外商業新報にしても、或は国民、報知その他にしても、同じやうに社会事業に対する報道は怠らない。否、年と共に盛んに進歩せしめることに努力して居る様子で、真に嬉しいと思つて居る。社会事業に対し、私はその学問上のこと、制度上のことを特に研究したのでないから、時に識者から「よいかげんな説だ」と言はれて居るであらうが、それはそれとしても、心を一にし信ずる所を継続的にやつて来た。そして永い間同じ事柄を同じ観念で心配して居るので「好きこそ物の上手なれ」の諺の如く、幾分は実地の経験から理解して居る積りである、否社会事業は常に私の心から離れ去る時がないのである。
 前にも述べた如く東京市の社会事業では、例へば失業者を指導する方法の如きも行きとどいて居り、他の都市でも同様の事業の途がついて居るので誠に結構なことである。しかし「まあこれでよい」と云ふのでは最早行詰りとなるものである。何所までも未完成であると考へることによつて次第に進んで行くものであるから、決して満足すべきでない。幸に日本の社会事業は、制度の上にも着々として各般の施設が行届き、諸外国に劣らぬ程になつて居るのは結構であるが、更に一歩を進めて、欧米に範を示す為、我々は一層その完備と発展に尽さねばなるまい。私は新聞の記事を切れ切れに読んで、之によつて彼我の社会状態を比較して考へて見て居るので、無論不十分であらうが、自分の見る所では、人情や風俗が相異して居る結果、日本では単なる御務めでなく、親切と人道の上から事を為して居るのに、他国では救助せられる人々が権利として之を主張するやうである。此の態度に此方から嫌味は云はぬが、時に心配なのは、さうした思想の拡ることを防禦する手段を講じなければならぬことで、実に人情の美しさを捨ててしまつて、権利によつて事物を解決しようとするのは誠に情無いことで、斯ることはどうかして避けたいものである。
 それは扨て措き、我々は人を救ふ位地に立つても、救はれる位地には立ちたくないものである。併しよし救つたとてそれを恩に掛けることなく、人道上当然のこととして喜んで之を行ふと云ふことにならねばならぬ。斯くてこそ一般の人情が穏健となり質実となるのである。日本は多少とも其方面へ進んで居るので愉快である。習慣は恐ろしいもので、悪いことであつても慣れればそれを悪いと感ぜないで、その理由も結果も考へず行ふやうになるから、世の識者は注意して指導し人たるの本分を忘れないやうに、世の中のために尽すことを喜ぶやうに慣れ行はしめ、それを普通のことと考へるやうにせねばならない。そして之を政治的に拡めようとしてもなかなか難しいから、各個人がその心掛けとなり、心から心へ拡めて行くべきである。社会事業なども、一時的でなく、継続的に順次改善し新案の事業も昨年は斯うであつたが昭和六年には斯くの如くしようと、よりよい方へ少しでも進めて行く必要がある。併しまた社会事業は、助けるとか同情するとかでは真正なるものでない。社会に貧富のあるのは世の常で、皆が富んでしまつてもよくなければ、貧之でもよろしくない故、お互ひにその分に応じて仕事に楽しむと云ふ風に、社会の進みをあらしめたいものである。
 - 別巻第8 p.217 -ページ画像 
 私は本年九十二歳になつたが、過去六十年の間養育院の事業に従つて居る。特に効果ある程の仕事も出来ないで、自ら顧るとお恥しい次第であり、未来を考へると悲観せざるを得ないのである。今年頭に当つて社会事業のことを述べるのも、頭の中にそれが満ちて居るからであつて、養育院の事業なども、不満足ではあるけれど、年と共に進んで居るのをまだしもと自ら慰めて居る。故に竜門社の諸君は、経済をどう進めるとか、文化施設を如何にするとか他に国家的な仕事を夫々持つて居る人々であるから、その大きな方面に眼をつけると同時に、一般国民として、社会事業をも理解して、人道の上から之を援けて欲しいのである。今私が老後の一事業として東京市養育院に関係して居る処から一言社会事業に関して述べ、年頭の辞に代へる次第である。
                     (一月十四日談話)