デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

談話(四)
新聞・雑誌に掲載せられたる談話(承前)
昭和期 四六二 竜門雑誌 第五一四号 昭和六年七月

■資料

四六二 竜門雑誌  第五一四号 昭和六年七月  最近二三の感想 【青淵先生】(DKB80088m)
別巻第8 p.236-241 ページ画像PDM 1.0 DEED

四六二 竜門雑誌  第五一四号 昭和六年七月
    最近二三の感想
                      青淵先生
 - 別巻第8 p.237 -ページ画像 
      一、フーヴァの投げた一石
  アメリカ大統領フーヴァ氏は独逸の財政的疲弊の甚だしいのを救ひ、またそれが原因をなして世界の経済界が半身不随になつて居るのを救治するため、戦債及賠償金の支払ひを一ケ年延期しようと関係各国に提案しました。従つてその投げられた一石によつて世界的財界の空気も一時的であるか知れませんが、聊か乍ら暁光を見せました。さうしたことを目のあたりに見ますならば、米国の考へは世界の成行を洞察して居るやうに思はれ、日本の見る処などは、その視野が大変狭いやうに考へられますが、――青淵先生のこれに対する御感想は如何でございませうか。(尾高雑誌委員)
 さう一言にして言ふならば、日本の考へる処は到底米国に及びもつかず「仰せ御尤も」と恐縮するやうで、頗る頼りないのみならず、意気地なく感ぜられるのである。然し事実に於て常に米国から先手を打たれて居る風があるのであるから、致方もない。故に私としては如何に日本は米国より富力が低く国がまた小さくとも、人民の頭脳の程度はさして相違ありとも思はれぬから、一層も二層も奮励して、日本人としての誇りを持ちつつ、世界人としての人格を進め、度量を大きくして、国際的に立たねばならぬと思ふ。そして或る一部の人々のやうに、米国の為す処が悉く傍若無人であると思つて見るならば、かなり感情に触れることもあり、勢ひ考へに角が立つのであつて、それが度重なると大きな腫物とならぬとも限らぬ。であるから余程広い考へを持つて、事物に注意してかかる要がある。但し「長い者に巻かれろ」と云ふやうな卑屈な心であつてはならないので、国は小さくとも富力は及ばずとも、常に総ての方面に譲らない、仮令実力はそれ程確かと言へぬまでも、日本人の特色は此処にあると云ふ自信を持ちたいのである。また持つやうにあらしめたいのであつて、さう云ふ人を作りなすには、抱擁力を大きくして、こせこせした感情に走らぬ国民性を第一に養はねばならぬであらう。
  フーヴァ氏の態度は経済道徳合一主義にかなつて居りませうか。(尾高)
 道徳的であると思はれる点もあるが、幾分ともにアメリカ主義の政策が加味されて居るやうである。されば一面世界を一呑にした様な感じがあり、己の力に依れば世界はどうにでもなると云ふ我力を誇るところから、時に無理なことをも言ひ出さぬとも限らぬ。故に人道的であると考へて尊敬ばかりも出来ない。特に親切の後が恐ろしいなどと言ふのではないけれども、ただ有難いと感謝のみして居てよいかどうかは疑問で、その点はよく考へて事の良否を公平に判断して見ねばなるまい。
 しかし大体にフーヴァ氏今回の言動は、世界的に結構なことであると思ふが、ただアメリカが斯うした国際間の事柄を意のままに引廻し得る処から、後々その力を自ら頼んで相当無理を言ひ出さぬとも限らぬと云ふ懸念を多少とも持つのである。
      二、米国の考へる移民問題の癌
  最近日本の人口は年々増加して、一ケ年平均大分県の人口だけ増
 - 別巻第8 p.238 -ページ画像 
すやうであります、処がその死亡率もかなり高いのであるから、日本の出産率は大変でありませう。兎に角これではどうしても人口の過剰は免れません。北米合衆国など尚ほ広漠たる原野が沢山あるのですから、徒らに日本移民を排斥せぬやうな調和的な好方法は何かないものでありませうか。(尾高)
 日本としては北米への移民は望む処であるけれども、米国としてはこれを好まぬ。勿論その真相を私が掴んで居る訳ではないが、米国ではその国民性を作り上げるため日本人は入れぬ方がよいと考へて居るのではあるまいか、移民問題に就て米国人の弁明する処に依れば「移民の制限は大体国論からであつて、特別に日本人を嫌ふのは国論でない」と言ふが、果してその主張する如くであるかどうか、口には明かにそれと言はずとも、米国一般の政治家の頭脳は「日本人を米国人として入れることは、将来の国内平和のためによくない」との念慮を持つて居るやうである。フーヴァ大統領などは、どの程度の考へを持つて居るか判らぬが、大体に米国人としては、その建国が新らしいのと各国人が打ち寄つて居る国柄であるから、少しも早く米国としての国民性を作り出し、米国魂を発揮するやうにしたいと云ふ国家意識がかなり強いやうである。従つて、特に変つた国民はこれを移民せしめぬ方が、統一上よいであらうと考へて居るやうである。実際日本人が米国人になつたとしても、事ある毎に日本風を吹かせるのでは自然嫌ふと云ふ結果になる。謂はば一般的に米国にては、日本人の日本人らしい国民性を経済上の関係以上に嫌悪するのである。否それを恐れる点が多くありはしないかと思はれるので、今左様に想像すると、米国人は日本人を軽蔑するのでなくて、却て畏怖して敬遠するとも申せる。此の議論は尚ほ米国内でも明らさまに述べる人は少ないやうであるが一歩進んで露骨な米国人の感想を聞いたならば、さう言ふであらうと思ふ。即ち同じ移民であつても伊太利人移民に対する感情は、日本人移民に対するやうに嫌悪の情が強くないのであつて、日本人の国民性は帝国主義的であると云ふ風に考へ込んで居るから、日本人の這入ることは水に油を注ぐと同様で、米国の国民性を養成する上に邪魔にこそなれ益にはならぬと解釈して居る模様に見受けられる。
 排日の巨頭たるヂョンソンとかフィランとかインマンとかまたマクラッチーなども、日本の移民がどうも米国を自国と思はぬ、加州在住の労働者の如き殊にさうした風があるので、その点を何よりも排斥するやうである。私はマクラッチー氏と両三度も会見して意見を交換したが、氏は日本移民の排斥を弁護して「別に仇同士の如くは考へて居らぬ、ただ米国に移住した以上、米国人として一致の行動を採らねばならぬのに、日本人は何処までも日本風にやつて居るから、風習からしてしつくりしない」と云ふやうな意味を述べて居た。故に加州の日本労働者排斥も、人数の増加とか自国労働者の経済関係なども原因であらうが、要は米国の国民性の一般化に障害となるものであると考へて居るらしく想像される。然し何分米国は、ああ云ふ様な抱擁力の充分にある国であるから、事柄が急迫して来ても、特に過激なことにはならないであらうと思ふ。
 - 別巻第8 p.239 -ページ画像 
      三、鮮支人の衝突事件
  満鮮地方に於ける支那人と朝鮮人との衝突事件は、両者の生活問題に根ざして居るやうですが、日本にとっては直ちに対策を考へなければならぬ大問題でありませう。(尾高)
 実際困つたことが起つたものである。こんな事件が突発すれば、平素余り真面目に働いて居ない者よりも、真に必死になつて働いて居る者の方が困つてしまふ。而も日支の関係が相当紛糾するは免れない処であらう。私としては一寸その断案を下すことは出来ないが、これが禍根となつて将来度々同様の事件を繰り返さないとも限らぬから、鮮支人の優劣などを問題とする前に、日本としてはじつとして見て居られないのであつて、如何なる措置を執つたらよいか、またどうすれば此の騒擾の根因を除き得るかと云ふことは、尚ほ深く研究して見なければ、今直ちに卒爾に申せないことである。
      四、現状打開の要と明治維新の打開策
  日本に於ける教育問題は、大改革を必要とする時期になつて参りましたから、文部省の人々は勿論、朝野の人士の間に教育制度の根本的改善が叫ばれるに及んで居ります。即ち我が国では教育行政のみが非常に後れて、一つの残された王国の如くなつて居ります。それは文部省の行政はその相手が少青年である処から、後れたままで済まされて居たのであります。処がそれが商工省、大蔵省、農林省乃至は内務省などになると、相手が大人であります故うかうかとしては居られないので、社会の進歩に順応して行く傾向にあります。さうした進歩が文部省では今まで全く欠けて居たと申せませう。それが此処まで来て、遂に根本的な刷新改善を行はなければならぬやうになりました。その現れは経済社会と因果の関係にありますが、学校内部の紛議、学校卒業生の就職難などと八方塞りの状を呈して居ります。同じ八方塞りでも、明治維新の際には、青年の間に開国進取の気象が勃々として居りましたけれども、今日では我が国民にそれがない。それが第一の根本的な疾患であらうと思ひます。そして対外的には露西亜にも支那にも米国にも、進む手がかりがないと云ふ真の八方塞りの状況でありますから、此の現状の行詰りを自覚して、日本人は再び世界の大勢なり、日本の行く手を見直す必要はないでありませうか。(尾高)
 申すまでもなく現代の日本人は昔ながらの考へで「日本は完全な君主国であり、神国であつて、世界の何れの国よりも勝れて居る、日本に比較すれば他国は悉く野蛮国である」などと云ふ者は一人も居ないであらうが、実際日本人は、極東一帝国の国民としてでなく、広く世界の舞台に立つ国際人として、国際社会の動きを正しく観察して居らねばならない。殊に前にも述べた通り、米国などは、今後如何なる国際的大問題を言ひ出さぬとも限らぬ。現に、今回のモラトリアムにしてからが、日本の如き直ちに賛成か不賛成かを表明しなければならぬ立場にあれば、日本の内部にあるものとしては、必ずその提案に同意せねばならぬものなら、寧ろ米国の提案を待たないで、日本から言ひ出して欲しかつた程であつて、誠に気が利かないと言はねばならぬが
 - 別巻第8 p.240 -ページ画像 
兎に角米国が斯くの如く無遠慮に色々のことを提案すると云ふ事実を予期して、国際的な状勢の動きに眼を放つて居らねばならない。又、近頃日本と露西亜との貿易が大いに復活して来る模様であるが、露西亜との交際は爆弾を抱いて居るやうなものであるから、国民としては決して油断が出来ないであらう。即ち、今日日本人は従来の如き漠然たるものでない、判然とした処の世界観の上に立脚して、事に当らねばならぬ時期にあると思ふ。
 それにつけても明治維新当時のことを思ひ出すと、あの頃の政府の為政者は、皆相当の覚悟をして事に処して居たことがしみじみと思はれる。明治の新政府が樹立された早々、今は焼けてないが、旧江戸城内西丸に御議事の間と称する室があり、其処で政府の首脳者が重要な政治上の協議を行つて居た。その席に列なる人達は西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、江藤新平、後藤象二郎、大隈重信、山県有朋、井上馨と云ふやうな、参議とか各省の長官連であつた。ただ伊藤博文は当時大久保によくなかつたので却けられて居た模様である。私は此の会議に列する程の高官ではなかつたが、権大内史と云ふ役で杉浦愛蔵と二人会議の書記役をした。或る時の会議に江藤新平が「先づ国憲を定める要がある」と言ひ出した。今日の憲法のやうなものを制定しようとしたのであらう。処がそれには君権のことをも議して置かねばならぬので、三条太政大臣と岩倉右大臣の出席を乞はねばならぬとて、その建議案を私に書けと命ぜられた。そして此の案によつて色々協議したが、専ら木戸がその案文を心配して訂正した。また江藤新平と云ふ人は私に対して多少望みをかけて居たものか「井上のみでなく、少し俺の相談相手にもなれ」などと言つて居たが、なかなか議論家であつた。斯して此の建議書が出来上ると、木戸は西郷にその理由を種々説明し、西郷も何かしきりに考へながら木戸の言を聞いて居たが、突然「まだ戦争が足りませぬな、皆戦争を嫌がつて居るやうだが、今日の日本にはまだ足りませんぞ」と云つて、此の建議書に就ては好いとも悪いとも言はないで、遂に話は外のことに移つてそのままになつてしまつたことがある。私はまだ一ツ橋に仕官して程経ない頃、京都で西郷には度々会見し、豚の御馳走になつたことなどもあり、書生流の立派な人物であると思つて居たのに、その時には飛んでもないことを取つて付けたやうに言ひ出したから、どうしたのだらう、何か仔細があるのだらうと思つて居た。井上も「西郷はまさか馬鹿になつたのではあるまいが、突飛なことを言ひ出したものだ。君等の心配した文案があれで効能がないことになつた」と言つて居たが、二三日経て井上が「判つた、判つた、あの西郷の言葉は今一歩進んで廃藩置県を行はなければならぬ、と云ふのだ。処が廃藩置県を実際的に行へば騒動が起る、さすれば当然力を以て鎮めねばならないと云ふ意味であつて、乱暴のやうではあるが至極尤ものことである。又、今では長州側の説も大体之に傾いて居るから、薩州の意見がそれに一致して実行にかかれば容易に行へるであらう、無論さうなると大蔵省は非常に仕事が面倒になる」と申して居たが、それから程なく、愈々廃藩置県の実施となり、大蔵省に一局を設け、私がその長として三百諸侯の藩札たる紙
 - 別巻第8 p.241 -ページ画像 
幣、その借金また禄制などの始末を悉くしたが、当時の忙しさは実際大変で、徹夜などは屡々であつた。そしてそれは西郷が心配したやうな戦争も起らず無事に行ひ得たけれども、実に大人物はよく事前に徹底した考へをして居ると感心した。即ちこれは明治四年から五年へかけての出来事の思ひ出話であるが、後明治十年、西郷の手によつて騒動が起つたことなどを思ひ合すと、尚ほ明治の初年、日本の内部は落ち付いて居らず、何となく動揺して居たので、実際戦争がまだ足らなかつたのであらう。(七月十日談話)