公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
二 太陽 第一五巻第一一号 明治四二年八月 渋沢男と安田善次郎氏 山路愛山(DKB80093m)
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二 太陽 第一五巻第一一号 明治四二年八月
渋沢男と安田善次郎氏
山路愛山
(一)
或人より渋沢男と安田善次郎氏に就き足下の意見を聞きたしとの注問あり。因て思ふ所を述べんに、我等は二君は始より同じ模型の人物に非ず、従て同じ尺度を以て寸尺を比較すべき人柄にも非ずと信ずるものなり。仔細は、世間は渋沢男も安田氏も均しく金持なりと思ひ其
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金持たる点より一様に見做すものもある様子なれども、我等の見る所にては渋沢男は決して金持に非ず、又金持として成功したる人にも非ず。単に金持として男を論ずるは甚しき見当違なりと思へり。日本帝国小なりとは申せども今は二十億円の国債を背負つて立つたる国民なり、渋沢男ほど持ちたるものをも金持と云はば随分金持の多きに因るべし、されば渋沢男自身も、余は貧乏人に非れどもさりとて世に云ふ富豪に非ずと述懐し居らるる様子なり。此段男としては誠に正直なる白状にして、男は決して金持として論ずべき人に非ず。実際又金持として論ずれば男は必しも成功したる人物なりとは言ひ難し。論より証拠、仮りに日本富豪の分限帳を作り、其身上の高に従つて等級を附けたらば我等は男の身上は無論幕の内に上らず、二枚目にすら或はむづかしと思ふ位なり。然るにかかる小身の男爵が日本の実業界に重を為し、何人も坐を争ふ能はざる特別の位置を占め居る所以は如何。昔もさる例なきに非ず。たとへば豊太閤の世盛りの時、黒田如水は僅に豊前中津十二万石の小身なりしかども、日本の諸大名孰れも其小身の故を以て如水を侮らず。太閤も恐ろしきものに思ひたる英雄なりとて尊敬したり。当時家道の大小を以て武人の番附を作らば如水などは端の方にちいさく書かるる人なるべきに、事実は然らず、人望却て大藩の諸侯を凌ぎしものは何ぞや。如水の志、常に天下に在りて、区々たる一身の経営に在らざりければなり、渋沢男も亦此如し。男は金持として日本に幅の利く程の身上に非ず。男の日本人民に感謝せられ、若しは咀呪せらるべき点は金持たることに在らず。男は一身一家の富よりも外の働にて日本の歴史に一地歩を占めたる人なり。是れ男の男たる所以なり。それを人並の金持の様に論ずるは男を解せざるものなり。
(二)
福翁自伝を読むに、福沢先生の母なる人は慈善の心に富みたる人にて、先生少年の頃中津に一人の女乞食あり、白痴にて至極の難渋者なり。毎日市中を貰ひ廻るを見るに、穢きこと臭きこと、申ばかりも無し。着物は破れ髪には虱が湧き、人皆面を掩ふ。然るに先生の母刀自はかかる白痴の乞食女をも棄てず、天気の善き日などには此方に来よとて、其乞食を表の庭に呼び入れ、土間の草の上に坐らせ、自身襷掛けになりて乞食の虱狩を始め、先生を加勢に呼出し、虱を取て庭石の上に置き石にて潰させたることも毎度なりしとあり。我等は此一条を読みて福沢家の今日あること決して偶然ならずと思へり。先生の父福沢百助氏は帆足万里門人にて九州には匹敵少かりし学者なりし、其上に母氏には又此の如き非凡の仁心あり。かかる家庭より福沢先生の出でたること当然なりと謂ふべし。是は積善の家には余慶ありなどと云ふ因果話よりしか言ふに非ず。斯様に縁も由緒もなき乞食までも憐みて人の厭やがる世話をする広き心が先生に遺伝したれば、先生も亦一生天下国家の事を苦労にし、天下国家を以て自己分内の事としたる其意思が、やがて先生の人物事業となりて現はれしが故なり。人の心には公の心あり。私の心あり。誰も相手にせぬ虱たかりの女乞食の事まで苦にするは公の心なり。此心が学問の鍛錬を経ればやがて救世済人の猛志となり、此猛志がやがて天下有用の器を作り出す源となるもの
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なれば斯くは申すなり。渋沢男の事を按ずるに、是亦同様なり。渋沢男の父は武蔵国榛沢郡血洗島淵上の人渋沢市郎右衛門とて、其家を中興し、領主に二千両程の金をも用立て組頭より名主に進み、郷士の格式に取立てられたる程の働者にて、農家ながら詩も作り俳句などの嗜もあり、殊に世話好にて、固より一郷の仁者なり。其上母なる人は其碑文にも、慈悲ありて施を好むとあるが如く、人の事を我事同様に苦労したる人なり。たとへば、近所に住みける人運悪く、二たび三たび妻に先立たれけるが、後には血統など善くもたださで又の妻を迎へたるものあり、年経て其妻癩になりて人々指弾するを、当人は猶ほ心づかず。平気にて人中に出づ。後には人々疎みて物言ひかはすさへ避け嫌ひけるを、男の母刀自のみは前にかはらず親切に行交ひけり。彼女我が此病は鹿島の湯に浴せば治験あるべく思へども同じ村にもあらねば独りして行がたしと云ふ。是は親族の者もさる病者を伴ふを恥ぢて連れ行かぬなるべしと思ひければ、されば我と共に行けとてやがて其女を伴ふ。鹿島の湯と云ふは同じ郡手計村の鎮守鹿島明神の社頭に年経たる欅の大樹あり。其根の洞になりたる中に古き井あり。其水をくみて風呂を立つるに万病の効ありと云伝へ日毎に病人多く来て浴す。やがて其所に至りけるに、先より浴したる人々顔見合せ、おのおの出でて帰りゆき後には一人もあらずなりしと云ふ。是は男の長女穂積博士夫人の記文にあれば浮きたる事に非ず。此父にして此母あり。渋沢家には人の事を我事とする公の心、其血統に充ちたりと謂ふべし。此父母ありしが為に渋沢男も少年より独り一身の計を思はず天下を憂ふるの士となり、或時は攘夷党となりて横浜焼打の計画を為し、或時は一橋侯に仕へて其政治運動に加はり、或時は役人となり、或時は銀行家となり、或時は実業家となりたり。勿論渋沢家は百姓の時代より商売を兼ね貨殖の術に於ても遺伝の長所ありしに相違なかりしも、男をして今日あらしめたるものは其貨殖の術ありしが為に非ず、全く此公心に在り。男は何処にでも公けの心を有する公人なり。其伝記の価値は一身一家の富を為したる手段、方法に在らずして、其天下国家に与へたる利益に在り。是れ男を論ぜんとするものの先づ知らざるべからざる所なり。
(三)
若し夫れ安田善次郎氏に至ては其富を論ずれは固より渋沢男の比肩し得べき所に非ず。其家道の大小を言へば安田氏は加賀、仙台に比すべき大藩にして、渋沢男は十万石の大名なり。若し多く富を積むが人間の成功と云ふべからんには、安田氏は渋沢男よりも十倍も二十倍も成功したるものなり。甲州の若尾逸平氏なども今は安田氏の塁を摩する大身上となりたれば、無論渋沢男よりも成功したる人なりと言ひ得べき筈なれども、人間の価値は独り財産の多寡を以てのみ判断すべからず。多く金を積みたるのみにては実は埒もなきものなり。或は戦争の時に安田氏は莫大の公債を一手に引受けたり。安田氏若し財布の口を閉ぢ公債募集に応ぜざらんには、露西亜との戦争もあの様に甘く行かざりしなるべし。安田氏の国家に功ありしこと此の如しなどと云ふ人もあらん歟。それもさることながら我等には是は安田氏の財力の畏
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るべきことを証するものとはなれども、其財力が特に国家社会の用を為すものなりとの証にはなり難きやうに存ずるなり。其故は安田氏に集りたるだけの金は、安田氏なくば天下に散在すべき筈のものなり、公債募集の時、安田氏が一諾の下に沢山引受けたるは天下の財が安田氏に集り居りしが為のみ。其金は安田氏なくとも何処かに存し居ればまさかの時にはやはり国家の用を為すことの出来る筈のものなり。されば安田氏が一手にて沢山の公債を引受けたりとて、日本人民としてはさまで難有がるべき筈に非ず。却て斯様の大金持が国財を一家に壟断したる結果に就て政治家たるものは深く心配すべき筈のものなり。そは天下に事のある度に大財主の顔色を窺ひ其財嚢を開かしむるに苦心し、其の明諾若しは暗諾の経ざれば戦争もなり兼ぬる様にては国の権は逆に金持に取られたるものにて、国の大事ある毎に高利を金持に払ひて公債を募集し、其交渉の度毎に政治家は金持の機嫌を取り、果ては国の制度法律も金持の気に入るやうに仕掛を立つることとなり、国の膏腴を挙げて金持に吸取らるるに至るべき患へを生ずべければなり。近頃は金持の威張る世の中にて金持と見れば英雄豪傑の如くし、其金持になりし手続を書物にし或は新聞雑誌に載せ、金持はみな一廉の人物のやうに申せども、金持となることさばかり六ツかしきことなるや否や我等は窃に疑なきこと能はず。我等の知れる限にては、金持となるには色々の術も方便もあるべけれども畢竟は其人の根性が自然に金持になる様に出来居るものが金持になると云うて可なり。其証拠には、昔より大阪などにては金持なる家筋あり。其家筋の者は一旦零落しても再び金持になると云伝へたり。故古河市兵衛氏も実家の森氏は京都岡崎村の旧家にて祖父の代までは村にては金持なり。大倉喜八郎氏も質屋の二男にて金もうけは家に伝はりし芸なり。安田氏も身分は富山の小身なる士族の子ながら父なる人は節倹力行の徳ありと聞えたり。先祖は田舎にて果て自身は都にて繁昌すると云ふ差違はあれども金持となるべき素性のものが金持となりしに至ては松の種子が松になり杉の種子が杉になりしものにて、別段不思議とするに足らぬことなり。学者の種子が学者になり画工の種子が画工になるも同様なり。たとへば学者が書物の中に首を埋め、毎日毎夜それにて暮らし、白頭に至て倦まざる其有様を他人より見れば根気の強き精力に驚くべく、寸陰を惜む勉強も敬ふべし。されど当人より見ればそれが苦労にても勉強にてもなし。唯だ学者筋に生れたる因果の性分にて左様にするが面白くてたまらぬ故にすることにて、年積りては自ら碩学大家とも云はるるなり。金持も亦此の如し、安田氏の行儀を他人より見たらば、安田銀行に行けば給仕小使の食ふ十銭の弁当の一粒も残さず甘さうに喰ひ、在宅の時は子息を始め召仕に至るまで主人と共に惣菜の粗食にて満足し、居室の壁間には積塵為山の四字を掲げ、自ら勤倹堂松翁と号し、旅行をしても茶代をはずまず、使用人にも決して高き給金を与へずと云ふ其行方を見れば、何か克己自制の徳あり、胸中一定の成算ありて今日の富を致したるが如くなれども、詰る所は金持になるべき根性ありて、金持になりたるに外ならざるは学者になるべき根性あるものが学者になるに同じ。烏賊が墨を吐き、蜘蛛が巣を作るは各天の
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賦与したる所の為せし迄にて秘密も軍略もなきことならん。されば金持になるべき人が金持になりたりとて別段奇とするに足らず、金が好きで、一銭一厘たりとも愛惜し、強情我慢を立通し、義理人情に負けず、微を積み細を累ぬるだけの辛抱が出来る上、それを興味あることに思ひ、学問好きの少年が一片の紙に書きたる文字も読までは気の済まぬやうなる心掛を以て一個の銅貨をも大切にする其人が遂には金持になるものなり。されば金持になること、元来其筋に生れて来ぬものには青天に上るが如き難事なれども、金持筋に生れたるものが金持となることは桃の木に桃の実を結ぶが如きものにて敢て難事ならずと信ずるなり。然るに此金持と云ふものは大抵利己心強きものなり。或は利己心強からざれば金持となるを得べからずとも思ふなり。世の諺に金持になるには三かくの術あり、義理をかき、人情をかき、恥をかくこと是なりと云へり。又金持と灰吹とはたまる程穢しとも云へり。是れ則ち孟子の書に、仁を欲すれば富まず、富を欲すれば仁ならずと云ふものなり。義理を思ひ、無情を感じ、世間の附合をしては金持になり難し。安田氏などの大家は暫く置く、我等の知れる小さき金持を見るも大抵は義理人情に疎き奴が金持になるなり。昔遠州見附に白木屋と云ふ呉服屋あり、其家法なりとて人の話したるを聞くに、世間にて我家を悪口する間は我家は繁昌すべし、万一世間にて善く言ふ様になりたらば其時は用心せよ。是れ我家運の傾くべき始なりと先祖の遺言なりと聞きたり。金持となる人物には固より聖賢に比すべき善き人格もあれども、それよりも強欲非道の奴は猶ほ多きやうなり。されば単に金持ちなりとて別段尊敬するに足らず。百万石の大名にても残忍非道の輩ならば、人間に於て何か有らん。人間に感謝せらるべきは其力に在らずして其力の運用が人間社会に利を及ぼして害を為さざるに在り。金持なりと云ふのみにては、安田氏にても、安田氏を十倍、万倍したる金持にても、是れ唯だ一個の大なる私人のみ、公人として論ずべき価値は毛頭もなし。
(四)
斯様に申したりとも我等は金持を以て世間に用なきものなりと言ふものに非ず。人間は誰しも好んで書物を読むものに非ず、唯だ天性書物の好きなる学者気質のものが学者になるばかりなり。其学者とても唯だ博覧強記なりと云ふ分にては何の用もなき様なれども、世間には左様の博覧強記も必要なるものにして、まさかの時には学者に頼みて学問の筋を調べさせ其学力に依頼する場合もあるなり。金持も亦此の如し。人間は誰しも好んで義理を欠き、残忍冷酷にして以て金を積むものに非ず。世間に悪しく思はるるに頓着せず唯だ金持になるが好きなりとて拝金宗に執着するものに非ず。やはり金持気質のものが金持になるのみなり。是だけにては金持も別段用なきやうになれども、人家に庫あるを要するが如く国にも金持なければまさかの時に金の融通は利かぬものなり。或は金持なくても金は天下に散り居るものなれば其金を集むれば国に入用の金は何時でも出来べき筈なり、敢て金持を要せずとの論もあらんかなれども、平時に其金を集めて置かねば臨時の役に立たず、自然に其金を集め置き、誰れも頼まぬに金の番人をす
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るが則ち金持の役目なり。庫の鍵は堅固なるべき筈のものなり。金持の生きたる庫なり。金持が天然にけちなるは是れ自ら活たる庫の役目を為すものなり、金持のけちならざるは蕃椒の辛からざると同じく実は其本性を失ひたるものなり。天の才を生ずる、区にして別なり。所謂柳は緑、花は紅にして各其用あり。世に江戸児は宵越の銭を使はずと云ひて貯蓄心なく将来に備ふる心掛なきを笑ふものあれども、金銭を塵埃の如く心得、物質に執着せざる人間も、百人に一人位は必要なり。頼朝に貰ひたる銀の猫を里の子に投げ与へたる気象は西行法師をして日本の精神界に何等かの寄与を為さしめたり。善き兵士は往々貧家の子より出で、金持の子は鉄砲をかつがせても護国の用を為さざることあり。宵越の銭を使はざる無頓着の気質は時として好個の武人を作る、是亦あながちに排斥すべきにあらず。斯様に人間には様々の性質あり、各其役目と持場のあることなれば、金持には又金持の世に無くてはならぬ訳もあり。我等は固より金持を無用視するものに非ず。特に今の世は大機械の世にして何事も大仕掛にせねばならず、それには大金の一手に集り居るを必要とすることなれば、金持と云ふ活きたる金の番人ありて天下の金を一人の手に集め置くは世の中の為めに都合善きことなり。されば我等は金持の世に在りて益を為すは学者の世益を為すに殊ならずと信ずるものなれども、是は靴屋が靴を造り大工が家を作ると同様の事にて畢竟私の益を計るものなれば、時としては世の益を為す代りに、時としては世の害を為すことも亦なきに非ず。例へば安田氏は多くの銀行を助けて其破産を救ひ預金者に迷惑を掛けず、数々市場の恐慌を救ひ一般の不景気を喰止めたる其功は少からずとて賞讃する人あり。それもさる事ながら其代りに地方の通貨は安田氏の手に吸収せられ、財貨の権、全く安田一家の掌握に期し、智慧も分別も安田一家ならぬものより出でしは資本と共に働く能はず。たまたま安田氏に採用せらるる智慧分別は要するに安田一家を肥すものならねば安田氏の同意を得ず。世間漸く安田氏の金縛りに逢ひ、空しく不平を飲むで止むの観なきに非ず。然らば則ち其人民に与ふる利益と云ふも、一面より見れば天下の利権を一家の壟断したるに過ぎず。されば我等は安田氏が唯だ日本に屈指の金持たりとのみにては未だ之に感謝すべき理由を見ず。其場合の全く渋沢男と殊なるを知るなり。
(五)
猶ほ此道理を委く申さんに、我等は最近四十年間の日本富豪盛衰記を大体より観察して、始めは二個の勢力の相並んで進み、而して今や一個の勢力の日に長じ一個の勢力の日に衰ふるを見る。他なし一は則ち個人主義にして、他は則ち合本主義なり。誠に日本現代の大富豪を数へよ。岩崎家なり。三井家なり。住友家なり。安田家なり。或は近時其富を以て安田氏の塁を摩すと称せらるる甲府の若尾氏なり。其身上の持方に至ては各流儀を異にすと雖も、均しく一身一家の富を為すを以て主義とするものにして、要するに個人主義と云ふべきものに非ずや。而して斯る富豪は漸く其富の容積を増し、家門の日に栄え行くを見る。二は則ち自己の富を以てしては独り市場に雄なる能はざるが故に主として株式に依りて事を為さんとするものにして、其発起の動
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機、其仕事の行方は勿論千差万別なれども帰する所は衆人の資本に合し、衆と共に事を為さんとするものなり。我等は便宜の為に之を名けて合本主義と云ふ。此二主義は其始め必しも区別あるものに非ず。独立にて事を為し得べきものは独力の経営を喜び、他人の資本を合するに非れば事を為し得べからざるものは、他人の資本を合し他人と共に事を作すまでの差違なれども、資本家の種類より之を分ては大資本家は自ら独力を頼みて個人主義となり、小資本家は自ら衆力に依りて合本主義となるが故に、此二主義の勝敗は即ち大資本家と小資本家の勝敗と云ふべきものなり。渋沢男は始めより合本主義の唱道者にして大蔵省少丞たりし時自ら立会略則と云ふ書物を著はし、人々資本を合して会社を作るべしと云ふ趣旨を弁じたる頃より小資本家党なり。男は自ら自己が小資本家党たりや或は大資本家党たりや固より心付かざりしなるべけれども、三歳児の魂は百まで失せぬものにて、此時男の心に深く刻みたる株式にて事を為すてふ主義は、自ら男の一生を支配し男をして自然に小資本家党たらしむべき運命を負はしめたり。是は男に取りては固より自然左様あるべきなり。何となれば男の実家は田舎に於てこそ相応の身代ありと云はれたれども、天下を相手に商売を営まんには男程の身上は貧乏人と余り差なければなり。其上関東は負けぬ気の所にて、其関東に育ちたる純乎として純なる関東児たる男の事なれば不覊独立の精神は腔子裏に充満す。何を以て他人の配下に属すべきや。男が合本主義の人たること当然なりと云ふべし。且男の役人を罷めて町人となりたる当時の世界を見ば、町人はいづれも小さき資本を以て一家に籠城し、相応の物持になればそれにて満足したることにて之を鼓舞作興して文明世界の紳士らしくせんとせば、勢ひ余計の世話を焼きて之に自重の精神を吹込まざるを得ず。されば男の位置は独り役人を罷めたる新参の町人たるのみに非ず、町人仲間を教育して文明世界の進歩と並び馳するを得せしめる為めの指南番を兼ねたるものなり。かかる位置も亦男をして合本主義者たらしめたり。加之男は百姓の家に生れたれども父祖以来の読書家なり、到底独り一家を肥すを以て満足し得るものに非ず。されば其役人を罷めて町人となりたる動機も要するに一己の利害よりは寧ろ町人の位置を進め維新の宏図に背かざらしめんとする公けの心を主としたるものなれば、従て総ての町人の状態に注意したり、是亦男をして合本主義者たらざる能はざらしめたるものなり。斯くて男は自ら町人の仲間に入り、合本主義者として立ち、町人の位置を改むることに骨を折り、町人の世界に新空気を吹込みたり。しかりしより以来日本の町人は男に教へられて株式にて仕事をすることを覚え、男も亦成るべくは株式事業の発達を助け、父祖以来の侠骨にて、頼まれては引くに引かれず色々の仕事に関係しはては近頃大日本製糖会社の相談役にまで担ぎ上げられ、世間より彼是言はるるに至りたり。さりながら是れ過を見て仁を知るべきものなり。男の家人を教ふる雅の言に、人に物を頼まれたる時は、先づ我力にて助け得べきは必ず助くべしとの心掛にて其言ふ所を聴くべし。始より拒絶するの積にて之を迎ふべからずと言へりと云へり。かかる公けの心ありしかば、天下の事業を経営せんとする時は必ず男の助力を
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求め、男も亦大抵は之を拒むに忍びずして其力を、若しは其名を借したるが如し。青淵先生六十年史は明かに之を証す。其日糖会社に加勢して思はぬ迷惑を蒙りたるが如きも亦実に此侠心より生じたる過失のみ、男をして若し身構へのみをする人ならしめばかかる過失は必ず有るまじきなり。かくて男は殆ど四十年間合本主義者の泰山北斗となりて種々なる株式事業を助け、日本の小資本家を助け日本の物質的進歩に貢献したり。然るにここに男と全く其の行方を異にしたる他の実業家あり。此人々は男の如く人の世話を焼かず男の如く他人の資本を集めず、単に一身一家の経営に依りて一身一家の富を為し、微を積み、細を累ね、堅忍不抜、歳月を経、母子の利を合して漸く自ら大資本家となり済ましたり。則ち渋沢男が合資事業の利益を説き、他人の商売に加勢し、世間の景気を善くすることに骨折り、政府と町人の間に立ちて町人の利益と面目とを保護し、未来の町人となるべき人物を作る学校の設立に尽力し、色々世話を焼き肝を煎りつつありし間に、左様なる事には一向頓着せず唯だ一家をのみ肥すことを計り、其術も亦巧みにして遂に天下の大財主となりしものなり。安田氏の如きは則ち此種の人物なりと謂はざるべからず。そは何程安田氏の徳を頌せんとする人にても、氏が日本に於ては屈指の大金持なりと注意せらるるに至りしまでの径路は全く個人的にして、金持となるに成功したる模範的人物としての外は何等の感化と利益とを日本の町人に与へしものに非るを否定する能はざればなり。則ち渋沢男は日本町人の師範、先達にして且日本町人の資本を合し種々の事業を営ましめける大なる原動力にして、日本の産業史は殆ど其各頁に渋沢氏を以て其重なる役者の一人なることを記さざる能はざれども、安田氏は世間に注意せらるること少く、世間の風潮に頓着せず、単に安田一家の富を為すことに汲々として其外を知らず、却て渋沢氏を十倍二十倍する程の大身上となりしものなり。而して四十年来の結果を見るに、合本主義は自然に敗北し個人主義却て勝利を博し、小資本家漸く衰へ大資本家益々繁昌するの傾あり。勿論今日と雖も株式の名を以て事を営むもの多けれども堅固なる株式には大抵大株主なるものあり、其大株主は則ち大資本家にして、小株式は僅に株主の空名あるのみ、会社の実権は大資本家に帰するが常なれば、其実産業は殆ど大資本家の手に独占せられ小資本家は残杯冷肴を以て甘んぜざるを得ず、事実に於ては合本主義破れて個人主義勝ちたるものなり。
(六)
渋沢男が関ケ原にて作りたる詩に、籌定将軍樹纛牙。俄然西陣乱如麻。可憐石豎見機拙。漫賭乾坤付大爺。と云ふがあり、石田三成が色色骨折りたれども徳川家康に勝つこと能はず、乾坤一擲の大博奕も遂に豊臣家の社稷を挙げて徳川氏のものとしたるに過ぎざることを歌ひたるものなり。誠に面白き詩なり。さりながら今日の財界に於ける男の位置如何と顧みれば我等は気の毒ながら男の石田三成に似たることを説かざるを得ず。男は明治の初年より合本主義者にして其四十年間の町人たる生涯は則ち株式事業の発達を助けんとて骨折りたるに外ならず。而して四十年後の今日は事実に於て株式事業は日に凋落し大資
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本家の跋扈するを見る。今や株式事業の名ありと雖も多くは大資本家の庇護に依りて其命脈を保つに過ぎざれば之を大資本家の附庸と云ふも可なり。則ち渋沢男自身と雖も嘗て王子製紙会社が三井家のものとなりし跡などを見れば実に大資本の圧迫を感ぜざるを得ざらん。斯くて町人の世界は次第に大資本家のものとなり、なまじひに公の心に富みしが為に一家の経営を専らなる能はず、従つて多くの富を積む能はざりし人々も漸く大資本家の専横を苦み「こんな位ならば我も始より人の世話を焼かず一心不乱に自家の経営をのみ勉むべかりしを今に至りて後悔す」と云ふものあるに至りては、是豈合本主義者の失敗に非ずして何ぞや。諺に元の猫に戻ると云ふ事あり。小さき資本を合して大なる仕事をすると云ふは経済社会中途の思付にして、其始めは一家の主人其家を富まさん為めに自ら働き、或は奉公人を使役して稼がせたるに外ならず。則ち商売の道は到底個人主義に外ならざりしものなり。今や世運一転して昔に還り当今の富豪財界に雄視するものは、合本主義者に非ずして個人主義者なり、小資本家の資本を集めたる株式事業は全く振はずして大資本家独り事業の占断するを見る。当年の合本論者たる男の感情果して如何。我等は此点に於てたしかに男が敗軍の将たるを知るなり。而して又男の敗軍は実に小資本家の敗軍を意味するものなるを知るなり。先日大阪より帰りし人の話に、大阪の実業家も松本重太郎、藤本清兵衛氏など追々失敗し、所謂花役者も其人柄の変り行く中に殊に注意すべきは、今日大阪にて実業界の幅利と云ふものは、自分の銀行を持ち自分の金を廻して経済界に奮闘すると云ふが如き明治三十年式の人物に非ず。多くは大資本家の使用人にして其銀行に頼り、其店を預り、若しは其財力を後楯とするものありと云へり。是亦大資本家の勝利と小資本家の敗北を示すものに非ずや。されば財界に於ては渋沢流の株式主義は破れ、安田流の独力主義は勝ちたるものと謂はざるべからず。思うて此に至る時は、機を見る拙にして乾坤を他人に附したるものは独り石田のみならじ。我等は渋沢男及び男の代表する日本小資本家の為に一掬の涙なきを得ざるなり。
(七)
されば男は財界より云へば時勢後れの人なり。天下の富尽く少数の大資本家に集り、所謂若手の実業家なるものは大抵独立の町人に非ずして、何等かの因縁を以て大資本家の庇護を受くるもの、若しは大資本家の使用人たる場合に於て、男の如き小資本家を以て独力の経営をなさんとするものは如何なる点より見るも時勢に相応したる人格と云ふべからず。我等は男の如く小資本家、男の代表する小資本家は次第に大資本家の呑噬する所となり、小資本家の株式事業は大資本家の財力に圧倒せられ遂に或は全く滅亡するの日に達せんことを恐る。我等は今統計表を掲げて此事実を証明するの隙なし。されど財界の恐慌は大抵一定の時日を以て廻り来り、而して此恐慌ある毎に株式事業は救済の名を以て次第に大資本家に吸収せらるるを見れば、天下の富と産業の経営とが日又日大資本家の手に帰しつつあるは疑ふべからざるに似たり。小資本家の運命真に気の毒なりと謂つべし。されど此事実あるが為に男の日本人に感謝せらるべき人物たる価値は少も減せず。男
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が日本町人の地位を高くし其事実に新しき方向を与へんとて、一家を富ますに隙あらざるまでに奔走したる四十年間の公生涯は日本の町人に精神と訓練と自信と元気とを与へたり。たとひ小資本家は大資本家の為めに圧倒せられ、合本主義は衰へ個人主義は跋扈し、一家の経営にのみ汲々たりし人物は成功を歌はれ、公の為めに苦労したる人は失敗を嘲られるるにもせよ、合本主義と協同一致の精神とは今日と雖も大資本家ならざるものが大資本家の専横と戦ふべき好箇の武器たるを失はず。此教訓だけは渋沢男の日本人民に与へたるものとして長く後人に感謝せらるべきものなり。渋沢男は武士と役人のみ人間らしき顔をして町人を卑みたる世に於て町人の為めに憤を発して身を其の中に投じ、合本主義を唱へて町人の勢力を張らんとしたり。男と雖も恐くは四十年後の今日、男は自ら小資本家の代表者となり、世間は別に恐るべき大資本家を生じ、小資本家は大資本家に圧倒せられ、其昔し武士と役人に対し町人の勢力を張らんとて鼓舞したる合本主義と協同一致の精神が、一転して大資本家の圧迫と戦ふべき武器となるべしとは中々に思設けざりしなるべし。世運の変亦甚しからずや。
(八)
若し夫れ安田氏に至ては個人主義の権化にして、其克己と勤勉と智術と好運とに依りて三井、岩崎二氏に亜ぐべき大資本家となりし人のみ。世若し富を積むを以て人間唯一の理想とするものあらば安田氏の伝記に就て之を学ぶは真に其捷径を得たるものならん。金森通倫氏此頃安田氏の小伝を著し、題して金持になる道と云ふ。之を読むに成程と頷かるること多し。金持にならんとするものは、須らく安田氏を模範とすべきなり。されど金持は直ちに天下の利害と相関するものに非ず、其金持たる智術に至りても亦必しも人間の理想とすべきもののみに限らず。金持の尊ぶべきと否とは其持高に在らずして其富の使用法に在り。天下国家を益せず、産業世界の人才を鼓舞せず、単に天下の富を一家に集むるとも是豈我等の感謝を値するものならんや。そは博覧強記の学者と雖も其博覧強記が何等の世用を為さざる時は無用の長物たるに均しきも、安田氏の富が無用の長物たるや若しは小資本家を圧倒して産業界の活気を銷沈せしめしものなりや、若しは天下国家の利益を為すものなりや否や、今日まで《(脱アルカ)》、安田氏だけにては我等は何とも云ひ兼ぬるなり。渋沢男は此点に於て功成り名遂げたるものなり。安田氏の功に至りては我等は未だ多く聞く所あらざるなり。渋沢男は経国済民の念を以て起ちたるものなり、其人は始より公の人にして、其事業は公の事業なり。安田氏に至りては私の人にして、其大なる富は則ち安田氏一家の富のみ、二氏を同じ種類の金持と思ふは全く非なるに似たり。
(九)
若尾逸平氏は今や八十翁なり。渋沢男と安田氏とは今や七十翁なり現代の金穴多くは古稀の齢に達す。此点より見れば財界の寿を要するは猶ほ政界、学界の寿を要するが如くなるを見るべし。渋沢男は嘗て舌癌の大患に罹りたれども幸に医療功を奏して今や健康少年の如し。諸氏の寿にして且健なるは日本国民の健康が一般に進歩したる徴候と
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して大に祝すべきものなり。今や渋沢男と安田氏とは老を告げて実業界より半ば退隠したれども若尾氏は未だ商戦の戦場に立てり。而して男と安田氏も亦全く其野心を棄てざるに似たり。世或は老人の退隠を促すを以て能事とする一種の論者なきにあらず、されど枝に碩果あり林に老樹あり、戦場に老将軍あり、以て自然と人生に趣味を生ず。諸君若し安息を欲せば墳墓あり墳墓に永遠の安息あり、苟も気息あるの人間、健康の身体ある人間、何の退隠を事とすべけんや。我等は世間の老人を厄介視して強て隠居を勧むるものの心事を解するに苦む。因て此に附記す。