デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

余録
雑誌に掲載せられたる栄一論
三 実業之日本 第一四巻第七号 明治四四年四月

■資料

三 実業之日本  第一四巻第七号 明治四四年四月  渋沢翁と懇意になつた動機 大田黒重五郎(DKB80094m)
別巻第8 p.261-262 ページ画像PDM 1.0 DEED

三 実業之日本  第一四巻第七号 明治四四年四月
    渋沢翁と懇意になつた動機
                    大田黒重五郎
  △無遠慮な質問
 何でも日清戦後渋沢さんが男爵に叙せられた当時の事であつた。或時朝野名士の集会があつて、余は偶然の機会より渋沢男爵と隣座する事になつた。
 余は其頃までは男爵と面識位のもので、別に何等の知る所はなかつた。併し生来無遠慮なる余は、雑談中卒爾として男爵に左の如き質問をした。
 曰く、私は男爵が無数の事業に関係なされて居る事に就て、一には国家の為に真実男爵の功労を感謝し、又一には、男爵の多々益々弁ぜらるる精力の過大なるに敬服すると同時に、又一には、実際社会に活動する者として斯の如き多くの事業に関係する事が果して善いか悪いか窃かに迷うて居ります。但し何か或一つの事業を中心として、其に直接間接に関係のある他の事業へ系統的に関係する事ならば私も異論はないが、男爵の如き全く種類の異つたものは如何であらうか、其弊としては、中に利害の全く反対して居る事業も生じないとも限らぬ。尤も男爵が斯く多くの事業に関係せらるるのは維新以来実業界の元勲として勢ひ已むを得ざることもありませうが、それにしても一々責任を尽さねばならぬことになると殆ど生理的に破裂しなければならぬ。男爵は特別であらうが我々後進の者は参考として一応お考へを承りたい、との質問を発した。
  △之に対する男爵の態度
 男爵より見れば我輩如きは白面の一書生である。況んや一寸顔を知つて居る位で、忙しい男爵には果して自分を認めて居たか居なかつたか、それすら分らぬ。普通の名士であれば何だ生意気なと頭から軽蔑して、笑不答位な態度に出るのであらうが、渋沢男は極めて真面目に余の質問を受取られて、左の如く答へられた。
  △男爵の返答
 誠に御尤もな御尋ねで、実は私も常にそれを考へて居るのであります。斯く申すと何だか弁解めいて居りますが、維新後私も聊か国家の為に尽したいと思ひ銀行を作りました。当初の考へは唯銀行を作るだけの考へであつたが、さて銀行が出来て見ると、金は集つたが貸附先
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のないのに困まりした。当時は合本組織の事業は無し、商家には浮かと貸す訳にも往かず、已むを得ず銀行ばかり作つても仕方がないと考へ、合本組織の会社を起しました。
 其中時勢はポツポツ事業の勃興を見、是等にも詮方なしに関係しなければならぬ様になつたので、どうも栄一の場合は時代の幼稚な為で例外と御承知を願ひたい。兎に角之より生ずる弊害は栄一も充分感知致し居るので、原則としては無論御説の通り一事業に全力を専注しなければならぬと考へますと、答へられた。
  △公平な人と思つたが縁
 余は之を聞て如何にも尤な説と考へたと同時に、渋沢といふ人は公平な人であるわいと思つた。
 其後程経て高等商業学校の卒業式に招かれ、少し遅刻して往つて見ると、渋沢さんが演説して居られる。後の方で聴て居ると、今後世に出る者は一事業に全力を集中しなければならぬといふ事を話し、実は曾て集会の席で或人が私に向て多数事業に関係する事はよくない事と思ふがどうかといふお尋ねであつた。誠に御説の通りであるといつて斯く斯くのお答へをした様な次第、諸君もどうぞ其心懸で働いて貰ひたいといふ演説であつた。
 男爵は無論余が傍聴して居ると知らるる筈がない。普通の人なら一寸かういふ事は話しにくい事であるのに、当時の問答を少しも潤色せずに正直に話して居られる、して見れば男爵は其場限りの挨拶をされたのではなくて、小僧の言ふ事でも取るべき事ならば、生意気だなどと思はずに取る人だ、余は愈々渋沢さんは公平な人だといふ事の感じを深くした。
  △今猶其観念が去らぬ
 爾来渋沢さんに対しては格別の敬意を払ふ様になつた、といつて自分は渋沢さんに何等のお世話になつた事もない。随分世間では少し知合になると渋沢さんを担いで利用に懸る人も多いが、余は今日に至るまで何の関係もない。併し知己だと思つて居る。渋沢さんといへば「アヽ公平な人だ」といふ感念が直に浮ぶ、「公平」といへば渋沢さんといふ記憶が又直に浮ぶ。それは右の如き動機に出でたのである。