公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
六 実業之世界 第二四巻第八号 昭和二年八月 世界の驚異子爵渋沢の人物 駐日米国大使 チャールス・マクベー(DKB80097m)
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六 実業之世界 第二四巻第八号 昭和二年八月
世界の驚異子爵渋沢の人物
駐日米国大使 チャールス・マクベー
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△子爵渋沢程米国に知られた名前は無い
子爵渋沢といふ名前ほど、米国に知られて居る名前は無いと私は信ずる。
現代で世界的人物、驚異するやうな偉大な人を挙げれば、米国のフォードとか、英国のボールドウィン、仏国のクレマンソーなどを挙げ得られるが、真に驚嘆すべき人物として、全世界に大なるセンセーションを起して居る人物は、私のこれから申述べんと欲する子爵渋沢に他ならぬ。子爵渋沢は日本帝国は勿論、世界に於ても比類の無い偉大な事業をした人である。
子爵渋沢が博い人類愛の発露から、日本帝国の同胞は勿論、国際的に人類の安寧と幸福増進のため、或は日本帝国及び国際的の工業発展と商業の現代化といふ事に対して、自分の身を忘れて活動されたといふ事は、アメリカ人にはよく知られて居る。
△日本帝国の真の長老
日本の政治界には長老といふ者があつて、国家のために非常に功労のあつた人を、この栄誉ある待遇をするやうに聞いて居るが、此の長老の地位に在る人は、勿論国に対して非常な功労者であらうが、子爵渋沢に比較しては及びもつかないと思はれる。
日本の真の長老は、子爵渋沢と同時代の人では見受けられない。従つて子爵渋沢は日本帝国の最高の功労者として、今日に至るも尚至上の尊敬を払はれて居るのである。
このやうに偉大な人物となられた事は、子爵渋沢の健康長寿にも依るが、物質的財宝を狙ふ私心が無く、日本帝国の発展を願ふ熱烈な愛国心と、人類の幸福を願ふ博愛心が、子爵渋沢をして今日に導いたものと信ずる。而もその成功は再び博愛活動の原動力となり総ての慈善事業及び国家活動の中心点ともなつたのであらう。
子爵渋沢が未だ若い時代に、養育院を設立することを東京市へ建言した事を聞いて居る。所が色々な事情で子爵渋沢の高尚な意見も、市会で採用されずに否決されて終つた。子爵渋沢は止むを得ない事として私財を投じて小規模ながら自分一個で始められ、永い間コツコツと養育院の仕事を継続されたので、遂には東京市も之に対して援助をし子爵渋沢を院長に戴き、立派な成果を収めてると聞いて居る。
△日本社会の救世主でもある
子爵渋沢は日本帝国の富豪の一人として、何人も異論のあらう筈がないが、富豪と称する程そんなにお金持ではないと聞いて居る。日本のみならず世界の何所でも、富豪の一般的傾向としては、社会の貧乏な人達を救ふために金を出すことをしない。然るに富豪といふべく余りに小さな富の所有者たる子爵渋沢が、社会のためとなれば衆に先んじて相当な援助を喜ばれるのは、他人の態度の如何に依つて、自分の態度を決する人達の決して真似の出来ない事である。
米国ではヂャッヂ・ゲアリーといふ偉い人があつて、米国産業発展のために活動されるかたはら、社会慈善事業のために懸命に努力されて居るが、子爵渋沢と共通した色々な美点を持つた人である。
△商業道徳の建設者
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日本には古から武士道の精神といふものがあつて、サムライは相当にこの精神を重んじて、もし此の精神に反して不正をした場合には腹を切つて謝罪をする位に、却々厳格なものだが、商売人の道徳は極めて低く、取引に掛引があつたのを、子爵渋沢は非常に心配されて、総ての人達にも武士道が必要であること、これからの国際関係では不正が成功せぬことを高唱して、商人道徳の向上維持のために努力されたことを聞いて居る。もし日本の実業界、商売界に子爵渋沢のやうな人がなかつたならば、日本のビジネスは今日程の国際的生命を維持し得られなかつたかも知れない。
日本帝国が近々五六十年の短い間に、世界の三大強国として尊敬されるに至つたのは、聡明果断の明治大帝が上に在して、日夜御活動遊ばされた事に依るのは勿論であるが、下には渋沢子爵の如き偉大な人があつて、産業発展のために尽されたからである。文明が段々進歩して国際関係が複雑になると、その国の消長は経済力が優れて居るか否かに依つて律せられる。子爵渋沢の至誠は日本帝国の国際関係を益々発揚するであらうと信ずる。
△珍らしい勉強家
過去に於て種々な方面で、社会的に知られた人は却々多いが、此の人達はその人自身の非凡な特質から、自分を社会的に意義あらしめたもので、此の人達には非常に長所があると共に反面から言へばその長所が乱用されて、非常な短所となり、とかく失敗して晩節を全うする者が極めて少いのである。此点に於ても子爵渋沢は非常に円満無碍に発達して居り、その常識の発達して居ることは驚くべきほどで、これは子爵渋沢が非常に勉強家で、内外の書物を熟読され修養される結果であらう。若い時代によく勉強した人でも、年をとつてからもこれを継続することは、非常に困難なことで、これがその時代に遅れて、頭が堅いとか理解がないとか云はれることになる。従つて社会と相容れないやうになり、時代から忘れられて行くのが自然であらう。
然るに子爵渋沢が八十八歳の今日なほ壮者を凌ぐ元気を以て活動され、近代的の思想と識見を以て世人を感化し、よく忘れられずに尊敬されて居ることは、如何に子爵渋沢が知見の吸収に努力して居られかを語るものである。
△永久に長命で幸福であれ
子爵渋沢が世界の平和といふ理想を以て、和平運動に努力されて居ることもよく知られて居る事柄である。
外国人で日本を訪問する相当な人は、まず第一に子爵渋沢の名前を慕つて、その家を訪れるのが常であるが、どんな多忙の時でも始終ニコニコして親切に話される。恐らく子爵渋沢に会談した程の外国人は不満悪感を持つて帰るやうなことはなく、皆満足して帰るやうで、従つて子爵渋沢を通じて行はれる国際的の色々の事業も、単に子爵渋沢が顔を出して下さるといふことだけでも、非常に円満に遂行される。
殊に日米関係に於て陰に陽に努力された事は、日米人の挙つて感謝しなければならぬことで、色々の問題を持つて、度々アメリカを訪れて、有力者と会見して両国の親善に努力され、あの高齢でアメリカで
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演説をされた数は非常に多く、その都度子爵渋沢の人格の偉大さと、高尚な主義と至誠のために、全米人を感動せしめて居る。
此の感動が何時もアメリカ人の頭の中に生新らしく蘇つて居るといふことは、今回の八十八の謂ゆる米寿に際して、アメリカの知名の人達から祝電が来たことに見ても明かである。
八十八歳はおろか百歳までも、出来ることなら永久に、日本国人の尊敬の中心となりながら長命で幸福で益々人類の幸福増進のために、生き永らえられんことを、私は多くの日本人米国人と共に望んで止まないのである。 (一九二七、七、一〇稿)