デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

余録
雑誌に掲載せられたる栄一論
八 実業之世界 第二四巻第九号 昭和二年九月

■資料

八 実業之世界  第二四巻第九号 昭和二年九月  子爵の知遇を蒙る一人として 駐日独逸大使 ドクトル・ゾルフ(DKB80099m)
別巻第8 p.274-275 ページ画像PDM 1.0 DEED

八 実業之世界  第二四巻第九号 昭和二年九月
    子爵の知遇を蒙る一人として
              駐日独逸大使 ドクトル・ゾルフ
  人間の幸福は何か
 といへば、健康で長寿を保つこと意外にはない。
 子爵渋沢栄一氏が本年八十八歳の齢を重ねられたといふことは、単に渋沢子爵一人の幸福であるに止まらず、広く日本国民の幸福でなければならぬ。
 言ふまでも無く渋沢子爵は、青年時代に仏蘭西を初め欧洲各国を視察され、帰朝後はしばらく明治政府に登用せられて、財政経済方面の発達のために尽されたが、日本産業の発達には、どうしても民間に立派な指導者が居なくてはならないことを感じて、自ら実業界の第一線に立つて、不倦不撓身命を擲つて先駆者として努力してこられたことを聞いて居る。
  人間の長寿繁栄は
 偶然からは決して生れて来ない。累々たる原因がなければならぬ、
 - 別巻第8 p.275 -ページ画像 
渋沢子爵の長寿繁栄は、社会公共のためにその身を捧げて、壮者の如く東奔西走されるにある。
 仏蘭西から帰朝されて以後今日までの子爵の社会的功績は、既に新聞雑誌に依つて発表賞讃されて居ることで、私が今更言ふまでもないが、子爵の賑恤の心の厚いことは、如何なる慈善事業、如何なる慈善会にもあの温容な子爵の姿が見えないことの無いのを見ても知られ、何かの事業には先んじて名を列せられ、殊に金品の寄附なぞは喜んで分以上のものに応ぜられるといふことは、私は聞きもし見ても居る。
 欧洲大戦当時は不幸にも、日独矛を交えることになつたが、その際には在日本吾国俘虜のために、或時は慈善会を催したり、或時は金品を贈られたりして、遠く他国にある俘虜の心情を慰安された如きは、今にして想出しても涙無きを得ないのだ。
  此の子爵の行為は
 勿論子爵の持つて居られる崇高な温かい一片の慈善心の発露とは雖も、一面には日独両国間の親交といふ点に、非常に心せられた結果だと私は信ずるのだ。