デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

余録
雑誌に掲載せられたる栄一論
九 実業之世界 第二四巻第一〇号 昭和二年一〇月

■資料

九 実業之世界  第二四巻第一〇号 昭和二年一〇月  人類の太陽渋沢子爵に 慈父の如く導かれし予の二十年間 聖路加国際病院長 ルドルフ・トイスラー(DKB80100m)
別巻第8 p.275-278 ページ画像PDM 1.0 DEED

九 実業之世界  第二四巻第一〇号 昭和二年一〇月
    人類の太陽渋沢子爵に
      慈父の如く導かれし予の二十年間
               聖路加国際病院長
                   ルドルフ・トイスラー
  神の如き型の人物
 宇宙の如き包容力と、太陽の如き慈愛を持つた真に偉大な人物は、此の世の各時代を通じて極めて稀に出るものであるが、もしかうした偉大な人物を現代に求むるならば、まづ私は子爵渋沢に指を屈しなければならぬ。
 もし又日本固有の崇高なる武士道を現代化し、心から全人類の進化幸福に尽瘁する事を以て最高のプライドを感じ、最大の満足を見出すと言つた様な、神の如き型の人物を求むるならば、私は子爵渋沢を措いて他に無いと信ずるのである。
 子爵の一切の行動は、国家を超越した燃ゆるやうな人類愛の精神に基き、その全生涯の光栄ある記録は、国土、人種、民族、信仰等の差別を超越して、真に人類のより良き文化への不断の努力であつた。
  桂総理官邸に於ける会見
 初めて私が子爵と会見し、深い深い印象を刻まれたのは、今から約十八年前のこと、時の総理大臣桂公爵の官邸に於てであつた。
 時恰も創立間もない私達の聖路加病院が畏くも両陛下の御目に止まり、僅かな私達の努力を御認め遊ばれて御寛大にも御内帑金の中から五万円を御下賜遊ばされた時の事である。
 その当時でも矢張り子爵は、明治時代の最も異彩を放つ人物として上は聡明におはす明治大帝、下は見知らぬ路傍の人々にまで、等しく尊敬の眼を以て迎へられて居つたのである。
 当時の総理大臣桂公爵は、諸閣僚及日本駐在の数ケ国の大使、有力
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な実業家等と共に、私を官邸に招かれて、国際的人類愛に基く私達の病院に対する、御寛大なる御下賜金の御沙汰を公表されたのである。
 その時桂公爵は雄弁に、この有難い皇室からの御下賜も、民間の保護なくしては意味をなさなくなるから、有力なる諸兄の援助を希望する旨を述べられ、午餐の終りに際して総理大臣は渋沢子爵に対し、この寄附金募集に関する仕事を引受けるや否やを問はれたが、子爵は直に全責任を以て引受ける旨を答へられると同時に、例の気軽さで賓客一同と相談会を開き、その場で役員、委員を定めて、猶予なく目的の完成に向つて着手されたのである。
  八十二歳でアメリカ訪問
 財務元締の子爵及び中央顧問幹事長阪井徳太郎氏等の御熱心なる活動に依つて、殆ど想像も及ばぬ短時日の間に、御下賜金の二倍以上の寄附金が約束され、総計十五万円を以て、東京聖路加国際病院の新建築及び敷地購入基金としたのである。
 かうして一歩一歩完成に向つて努力する間に、一瞬間と雖も子爵の御援助は衰へず、病院の一さいの仕事に就て、常に利己心の無い献心的助力を快く承諾されたのである。私達が今日、過去に於て遭遇した色々な難関を顧みる時、子爵に対する感謝の念は、涙なくして言ひ表はし得ないものである。
 子爵の最も優れた特長の一つは一旦なした約束への忠実さである。一旦約束されたからには、如何なる困難も物ともせず、如何なる努力も惜まれない事である。
 此の事実は一九二一年子爵がアメリカ合衆国訪問の際に遺憾なく発揮されたのである。読者諸兄は、当時子爵が八十二歳の高齢であつた事を忘れてはならない。
 それは厳寒身を切るやうな冬であつた。大西洋岸の海々は氷雪を以て閉されて居た。紐育市の有力な人達数名が、日米親善国際友情のために尽される子爵に報いるために、子爵を午餐会に招待することになり日を十二月七日水曜日と定めて、私が子爵に招待状を持つて行く事になつたのである。私は子爵秘書小畑、増田両氏と共に、プレーザホテルへ子爵を訪問したのである。色々会談してゆく中に子爵には、火曜日及水曜日の夜はワシントンで退引ならぬ御約束があることが判つたのである。
  紐育ワシントンに於ける子爵の活動
 其処で私は子爵の面前で、小畑、増田両氏と共に色々相談して見たが、結局あの御老体を以てしては、紐育市に於ける水曜日の午餐に出席することは、到底不可能といふ事に一致したのである。
 所が私達の議論の最中に、子爵は例の気軽さを以て、汽車の時間表を求められ、而してワシントンを午前七時に出発すれば、午後一時に紐育へ到着、折返し三時に紐育を出発すれば、夕方八時にワシントンへ到着し、汽車から直に行けば、午餐に間に合ふことを発見され、即座に招待に応ずる旨を述べられ、最後にこの問題に就ては、もう議論を続ける必要が無いと付け加へられたのである。
 私は今だから白状するが、私は紐育での招待を子爵に受けて頂きた
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い事は勿論であつたが、それは厳冬の最中である事、子爵は市から市へと約束で埋められて居る事、ワシントン紐育間往復十二時間の旅行を強ひ、同日に二大宴会に出席する事等は、御体のためにも無理であることを、私は熱心に説いたが、子爵は私の反対と小畑、増田両氏の忠言も聞き入れず、静かに率直に、自分は既に決心がつき、この計画を実行し得る健康を持つて居ると答へ、私に紐育の幹事達に喜んで招待を受ける旨を伝へてくれるよう命ぜられたのである。
  約束に忠実なる子爵の人格
 私達は記臆すべき水曜日に、紐育市の停車場で子爵を迎へたのである。子爵は静かに自動車上の人となり、インデイヤハウスの午餐会に臨まれたのである。
 其処で国際関係に就て素晴らしい大演説をされ、午後三時再びワシントンへの人となり、其夜日本大使及びワシントンに於ける数多の名士との、晩餐会の約束を完全に果されたのである。その晩餐会は子爵を貴賓として、大使が主催されたものであつた。此の出来事は、子爵の人となり、或は約束に忠実なる一面を如実に物語るものであつて、真実価値ありと子爵が考へられた時には、自分一個の都合や身体的の不快を物ともせず、常に絶大な努力を払はれるのである。
  子爵の名は公正博愛誠実の表徴
 子爵は今や八十八歳の高齢にあり、子爵を知る程の者は勿論、知らぬ者と雖も名前を聞けばアヽ偉大なる人類の渋沢と言つて、一様に慕ひ懐かしむのである。
 私は子爵渋沢の名前程、全アメリカ合衆国に知られて居る名前は、現在の日本ではまづ無いと思ふのである。
 子爵の名は、日本に於けると同様に、アメリカ合衆国に於ても、公正博愛、寛大、儀礼等の表徴であり契であるとされて居る。
 又子爵は明かに儒教をよくされ、熱心な仏教の信者でありながら、異教たるキリスト教に対する理解と同情は、熱烈なキリスト教徒以上であることは、既に世間知悉の事実であつて、日本に於ける各種のキリスト教企業或はミッションの諸事業に対しては、常に一視同仁、慈愛を以て援助され、その普及発達のために少からぬ努力を致されて居る。
 その心の寛大と博愛に対しては、かうした各事業に携はる人々の等しく感涙に咽ぶ所である。
  尊い全生涯を人類に捧げた人
 実に渋沢子爵は日本の最善の精華――驚くべき公正、忠実、博愛、寛大、義務に対する献身的態度の権化である。
 子爵の光栄ある立志伝は単に子爵を知る人々への激励となつたばかりでなく此の世により良き状態を渇仰し、人類の進化幸福のために尊い全生涯を捧げて、不断の先駆者となつた子爵の心持を感ずる者にとつては、何れの国何れの民族たるを問はず、全人類の公道を指示する一大烽火となるであらう。
 子爵に対する私の情誼と尊敬は、到底言語を以て現はすことが出来ないが、此処に一文を草して、子爵多年の友情を感謝し、益々健康長
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寿を保持されて、日本社会の諸問題及び全世界の文化の模範を示されんことを祈るのである。