公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
[田辺太一 書簡 渋沢栄一宛] 一 明治六年一月一三日(DKB80167m)
別巻第8 p.399-400 ページ画像PDM 1.0 DEED
一 明治六年一月一三日
文況益御清粛遥頌此事ニ御さ候、生瓦全濫竿罷在御放憐是祈
扨新廃藩一条ニ付云々之御細報星泓兄より伝覧候而悉詳細大慰客況申候加之知事翁之狼狽其態如見ニ候、乍然御書中、筆者もし実況を知らされハ云々と有之候て、夫子御自任とハ存候ヘ共、杉靄ハ兄之僣称と申越候、いつれをいつれとも隔海万里之外殊ニ近来禅悦ニのミ耽居候劣生ニは審判仕兼候得共、生従前老台を知る処より今日を推察候ヘハ御自任ニ過可申哉、抔とも疑慮仕候、是等カ所謂好功喜事、廟堂上も江湖上も同一般之御処措ニや、又々犯鱗恐悚此事也
秘魯国使節之儀ニ付種々之新聞も有之、右ニ付小生一策御さ候、右は星泓兄より書送候よしニ付此ニ贅筆不仕候
三世那帝も齎恨殂落、乍然法国は為ニ共和之基礎固まり可申と存候、人世変遷朝海暮田チーレリーホテルトウイルもコムミューン之一炬に帰し、ボアデフログも軍用之為林木を斫伐いたし候也、落葉踈処より巴里城内之屋根を見るへくなり、凱旋門も閣上之馬人形を取去られ、プラースウァンドーム之一世那帝之立像も烏有ニ帰し候、夫等を屈指候ヘハ巴里城も余程衰頽候様ニ候ヘ共、流石ハ繁華之土地、不相替体ニ御さ候
ルーペルゴレーヅ之ホテルも昨今矢張かし店之札かゝりおり候、経過之度山陽聞笛之感なきにあらす、此節故都児格公使館ラムベルト預り之家当政府より貸渡し相成、雇入候メートルドテルは例之アルホン神田孝平なり毎度御噂申出、且コロネルチレット之不法を追咎いたし、セダン之戦ニも尽力不致抔訴出候事ニ候
申迄も無之候得共、英仏新聞紙を並視候ニ議院之議論英ハ根柢も有之何も実着之事而已、仏は強弁ニ近きこと多く更ニ議論之所届分り兼候
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様之始末ニ御さ候、右ニ而相考候ヘハ、御国抔にて議事御取開き相成候とも、仏之万一ニも髣髴せさる国俗にてやたらニ開明之真似をなすも到底多議論少成功、結局デスポチク之政ニ不及事可有之哉とも相考ヘ申候、不相替因循論修禅之一弊ニヤ、将世故ニ老するものゝ確論ニや、世に識者あらハ必すこれを判するものゝあらん、此審判定りて後更ニ一師を興し、喜事好功と禅悦沈黙との雌雄を決し可申候、呵々
鳥鍋之御さしむかひも御賢労にて御行届相成兼候よし、反之当地之様子ハ伸も欠もいたし尽し、極楽界之御預ケ物と申姿ニ消日罷在、星泓よりも委曲申上候事と存候、御憐察可被下候
当城花柳之場も□例盛之様子僕未得慮意者毎霄空し敷プロミネいたし申、在英中は頗得意之事も有之、何レ帰京後午夜再酌之節御話し可申上と楽居候、何も御報まて 草布
正月十三日
太一拝
青淵老台
青照
ミノ半截罫紙三枚