デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16

別巻

談話四 余録

余録
来簡抄
諸家来簡 尾崎行雄書簡

■資料

[尾崎行雄 書簡 渋沢栄一宛] 一  大正一三年三月二二日(DKB80184m)
別巻第8 p.409 ページ画像PDM 1.0 DEED

  一  大正一三年三月二二日
拝啓拙著「政戦余業」第二輯出来致候間一部贈呈仕候、小生ハ多年無敵の状態に安逸を貪り候報ひにや、今回ハ競争者現ハれ苦戦致居候、過日来四十余日間自己の選挙区を巡回致候処、余りの不面目さに身心痛く疲労致候故、不得止一と先山荘に帰臥し昨日より静養罷在候、弱虫の近状御一笑可被下候、十日間計りも摂養の上健康回復致候ハゞ重ねて戦地に向ふ覚悟に御坐候
  (書入レ)大正十三年             行雄
  三月廿二日
    渋沢先生
          梧下
                           用箋二枚

[尾崎行雄 書簡 渋沢栄一宛] 二  (昭和二年)六月一六日(DKB80185m)
別巻第8 p.409 ページ画像PDM 1.0 DEED

  二  (昭和二年)六月一六日
拝啓先般ハ友人田川君の為無理なる御願致候処、早速御快諾に預り感謝の至に御座候、同氏よりも感謝の意を通し来り、更に御礼申上けくれとの事に付、玆に重ねて感謝仕候、何れ帰京後万事可申上候
                    樺太行途中にて
                          行雄
    渋沢先生
          侍史
                         18.8×20.5cm

[尾崎行雄 書簡 渋沢栄一宛] 三  昭和六年六月一七日(DKB80186m)
別巻第8 p.409-410 ページ画像PDM 1.0 DEED

  三  昭和六年六月一七日
拝啓爾後久しく御無音に打過候段御海容被下度候、過日ハウストン博士の歓迎宴に御招待を受け候節ハ、久々にて拝顔を得へき乎と存し参会致候所、御静養中の由にて拝晤を得す遺憾に存候
実ハ私事最後の欧米見学に依て、多少君国を裨益すへき資料を集めたく存居候所、幸ひ米国なるカルネギー平和財団より招待せられ候に付七月中には出発渡米致度、目下準備中に御座候
政治方面には米国に多少の知人も有之候へ共、経済方面には更に知己無之、而して今回見学の目的ハ主として経済方面に在ること故、其方面の有力者に対して御招介状を請ひたく、且つ暫時の拝晤を得て高教をも仰きたく、旁以て御暇乞ひを兼て参堂仕度存候が、御都合如何に可被為在候や、若し御差支無之候ハゞ本月廿二日以後の時日御指定被下度、何時にても拝趨可致候
先ハ右御都合承りたく一書謹呈仕候 草々不具
  (書入レ)昭和六年
  六月十七日
 - 別巻第8 p.410 -ページ画像 
                          行雄
    渋沢先生
           梧右
                           用箋二枚

[尾崎行雄 書簡 渋沢栄一宛] 四  昭和六年六月三〇日(DKB80187m)
別巻第8 p.410 ページ画像PDM 1.0 DEED

  四  昭和六年六月三〇日
拝啓過日ハ御休養中をも顧みす御邪間仕候段御海容被下度候、只今電話にて御尋問相成候件々左ニ拝答仕候
一、出発ハ七月中旬の見込なれ共或ハ八月になるかも知れす
二、道順ハハワイを経て桑港に着し、それよりニューヨーク及ワシントン着に趣く予定
三、用事ハ見学、特に世界的経済上の困難に関する事項を研究すると同時に、日米親善にも出来得るだけ貢献したき希望
四、兼て見学的漫遊を計画し居たる折柄、五月十六日付の書状を以てCarnegie Endowment for International の Peace Division of Intercourse and Education 主任 Dr.N,M.Butlerより右財団の賓客として招待され候間応諾致候
五、若し御差支無之候はゞ七月二日午前十時半を期し飛鳥山御本邸迄拝趨可仕候、もし同日に御差支あらば四日同刻に参上可致候、何れにしても前日電話を以て御都合承るべく候(三日だけハ先約有之候)
先ハ貴答旁御礼まで 草々不尽
  (書入レ)昭和六年
  六月三十日朝
    青淵先生                  行雄
          梧下
 尚々本年秋期を米国にて送りそれより英国に赴き、序に大陸をも旅行の希望に御座候
                           用箋二枚

[尾崎行雄 書簡 渋沢栄一宛] 五  昭和六年七月四日(DKB80188m)
別巻第8 p.410 ページ画像PDM 1.0 DEED

  五  昭和六年七月四日
拝啓過日ハ一方ならさる御懇情を忝うし、令夫人にも久々にて拝顔を得候段、望外の幸慶に御座候、特に御依頼申上候件に付てハ着々御進行被下候由、只今特に電話を賜ハり御厚情感謝の外なく候、尚一報次第何時にても重ねて拝趨可仕候間、適当なる時日御電話相願度候 草々不具
  (書入レ)昭和六年
  七月二日                    行雄
    青淵先生
          梧下
                           用箋一枚

[尾崎行雄 書簡 渋沢栄一宛] 六  昭和六年一〇月一三日     昭和六年十一月拾七日《(ゴム印)》(DKB80189m)
別巻第8 p.410-411 ページ画像PDM 1.0 DEED

  六  昭和六年一〇月一三日     昭和六年十一月拾七日(ゴム印)
拝啓御紹介を辱うせる人々にはそれぞれ会見致候所、何れも親切に待遇致しくれ候
 - 別巻第8 p.411 -ページ画像 
陸軍の乱行にハ驚入候、折角日本に対して好感を増加せる米国も是れにハアキレたる模様に候、早く撤兵して局面を一変するに非されば、全世界の文明国ハ何れも日本に反対可致と存候
欧洲大戦以前の如き武力万能の世界なれば格別なれど、今日ハ不戦条約、国際裁判等の行ハれんとする時勢なり、日米条約、九ケ国条約、其他一切の条約を無視して満洲問題を片付んと欲するも、結局世界の非難攻撃を受るだけにて、決して目的を達する能ハさるべし、然るに内閣柔弱にして軍部を制する能ハす、輿論ハ却て軍部に賛成する様にてハ、日本の前途ハ非常の困難に陥るへく候
憂慮と慨嘆の余り一書相認め申候、本日ゼネヴの聯盟会議の模様ハ未た明白ならす、日本ハ其決定を機会に活路を開くこと必要と存候
  十月十三日
                          行雄
    青淵先生
 小生ハ本月下旬まで当地に滞在し、それよりボストンやワシントンに赴き、幾多の人物を訪問する予定候
                           用箋三枚
   ○右ハアメリカヨリノ発信ナリ。用箋第一枚上部ニThe St.Moritz ON THE PARK.New York.トアリ。