公開日: 2024.12.1 / 最終更新日: 2025.3.16
解題
本巻編纂に当って用いた原資料は、渋沢家保存の茶箱五個その他であり、枚数は大小取り交ぜて夥しい数であった。他に記念写真帖類も少なからずあった。
右を根幹として更に図書等からも求めて、七三〇余枚の写真を選んで本巻を編成した。編成の方針は栄一の伝記に添うようにして年次を追うことに努めた。しかし、文書類と異って序列的に年次を追うことは不可能であった。その関係事業にしても網羅的に掲出することは出来ないので、重点的に関係の深いものを選んだ。
全篇は左の六項目に分った。
前期
中期
後期
諸影
邸宅
永眠と記念事業
編年的に編成したものを、更に、前、中、後の三期に区分したが、この分類は強ち本編の分類に従わず、前期は少年時代からフランス滞在中までとし、中期は帰国した明治初期から大正五年実業界引退まで、後期はそれ以後とした。
初期の写真は渋沢栄一伝記資料編纂室が発足する以前から集められていた写真が多く、それらがここに収録されたことになる。静岡藩仕官時代の着衣、大蔵省在官時代の着衣の写真は戦前の乾板によって作成したが、着衣その物は戦火に遭って焼失している。会社・工場の写真は多くは「青淵渋沢先生七十寿祝賀
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会記念帖。明治四十四年春」及び「清水方建築家屋撮影」に依ったものが多い。
文書関係の写真で新たに収録したのは東京都公文書館所蔵の文書で、同館の厚意に依ってここに収めることができた。「諸影」には肖像写真、家族中心の写真の他私的な写真を集めた。年次の明確な写真を中心に編成し、肖像写真として広く流布していながら年次の不明な写真もあり一括して収めた。
スナップ写真というものは現在は普通であるが、古くは殆どみられない。栄一の長男篤二は明治二十年代から写真に趣味を持って多くの写真を残したが、栄一自身のものは極く僅かしかない。篤二撮影の写真(主として風景)は昭和三十八年、その三十三回忌に当って渋沢敬三によって「瞬間の累積」として出版され、その中から何枚かを本書に収めている。「邸宅」は殆ど古い写真帖から複写した。現在残っている建物は、深川邸の一部が三田綱町に大蔵省の第一公邸となって存在するのと、飛鳥山邸の庭園の一部及び青淵文庫・晩香廬が残っているのみである。
三田の綱町邸は明治三十九年、篤二の新居として土地を購入し、同四十二年、深川邸の一部を移築した。後、敬三の邸宅であったが、戦後大蔵省の第一公邸となった。
兜町邸は大正十二年の関東大震火災に焼失し、王子邸本屋は昭和二十年三月十四日戦災に遭って焼失した。従って本書に収めた写真はそれ以前の撮影によるもので、現在は全く姿のないものである。
栄一の胸像、銅像の類は生前から数多く造られているが、代表的なものを収めて総てを網羅してはいない。碑類についても同様である。
尚、人物の集合写真で氏名の判明し難いものが少なからずあり、殊に古い年代のものにあるが、求め得ないままとなっている。
写真の説明には総て敬称を略した。