デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.41-52(DK040003k) ページ画像

明治6年8月1日(1873年)

是ヨリ先、七月同行、資本金ヲ弐百四拾四万八百円ニ定メ、利益金配当定則、諸役員月給旅費支給定則其他ノ諸規則ヲ制定ス。七月二十日、仮開業免状ヲ下附セラレ即日開業ス。三十一日、本免状ヲ下附セラレコノ日株主会議開カル。栄一議長トナリテ創立総会以来開業以前ニ取扱ヘル諸般ノ事務其他ヲ報告シ、株主ノ承認ヲ受ク。引続キ開業式行ハレ紙幣頭芳川顕正祝詞ヲ述ベ、栄一亦株主総代トシテ祝詞ヲ朗読ス。


■資料

銀行全書 初篇 一(DK040003k-0001)
第4巻 p.41-42 ページ画像

銀行全書 初篇 一 (三井文庫所蔵)
     六月廿七日受上局ヘ出ス 六月廿五日
九拾二号 同廿九日済             中属 渡辺融 
     同卅日正院往復課達済
   (朱印)
  総裁  (印) 紙幣頭 助 (印) 属
第一国立銀行より株高之義別紙之通申出候ニ付、正院江御進達案左ニ相伺申候
      御進達案
  昨壬申年八月伺済ニ而、発起人三井八郎右衛門外七人本資金弐百万円第一国立銀行創立致し株金相募候処、今般別紙之通集金高ヲ以株高ト相定度旨申出候ニ付、聞届申候、依而別紙相添此段申上置候他
    明治六年 大蔵省事務総裁
      六月三十日 参議 大隈重信
    太政大臣 三条実美殿

   株高取究方之儀ニ付御届書
当銀行株高之儀は昨明治五年六月中三井八郎右衛門外七人より書面を以て奉願、同八月中御許可ニ相成候通差向金弐百万円を目的ニいたし、往々金五百万円迄増高可致見込ニ御座候処、同年八月五日御制定御頒布之銀行条例ニ従ひ、同十一月より当明治六年四月迄公告を以て株主を相募り、右加入之者共、都合金弐百四拾四万〇八百円此株数弐万四千四百〇八株と相成候間、此集合高を以て当銀行之株高と相定申度、尤も向後増株いたし度候ハヾ都而条例成規ニ拠り其時々書面を以て申上候様可仕候、此段御聞届被成下度候他
  明治六年六月廿五日
            第一国立銀行
 - 第4巻 p.42 -ページ画像 
             取締役  行岡庄兵衛(印)
             取締役  永田甚七(印)
             取締役  斎藤純造(印)
             頭取助勤 三野村利左衛門(印)
  芳川紙幣頭殿


第一国立銀行半季実際考課状 第一回〔明治六年下期〕(DK040003k-0002)
第4巻 p.42 ページ画像

第一国立銀行半季実際考課状 第一回〔明治六年下期〕
               第一国立銀行
  明治七年一月十一日 東京ニ於テ
明治六年七月二十日、当銀行開業以後六ケ月間実務施行之順序及諸勘定向ノ各件ヲ、頭取取締役ヨリ株主一同エ公示スル第一考課状
    銀行創立ノ事
○上略 明治六年一月ヨリ追々入社ノ申込アリテ、同年四月中ニ至リ現今ノ株数ニ登リシニ付、其五月中発起人ハ株主一同ノ初集会及株高ノ四割入金ノ事ヲ一同ニ通達シ外ニ一割ハ入社申込ノ節入金相済同年六月十一日ヲ以当銀行エ会同シ、右株高四割ノ入金ヲ為シ、且銀行取締役撰挙ノ件及銀行営業ノ要旨ヲ協議定案イタシ候、右集会ノ後席ニ於テ新任ノ取締役等ハ頭取副頭取撿査為替掛支配人其他ノ役員ヲ撰任イタシ候
銀行創立証書、定款、取締役誓詞、役人ノ証書株高半金入金済ノ証書申合規則、同増補株主姓名宿所表、役員人名録、利益金配当定則、月給旅費支給定則、銀行諸印信、及ヒ役員ノ印信其他創立初歩ノ手続ヲ其六月ヨリ七月マテニ悉ク書面ヲ以紙幣頭閣下ヘ申立、都テ其公許ヲ得申候
明治六年六月二十五日ヲ以テ当銀行ノ惣株高ヲ弐万四千四百〇八株即チ弐百四拾四万〇八百円ト相定ムルコトヲ取締役ヨリ紙幣頭閣下エ願出テ七月三日其公許ヲ得申候
右創立初歩ノ手続斉備セシニ付、明治六年七月二十日、当銀行仮開業免状ヲ紙幣頭閣下ヨリ相渡サレ、同月三十一日ニ本免状御渡相成申候
    銀行営業ノ事
当銀行ノ開業式ハ明治六年八月一日ヲ以テ相行ヒ、株主一同集会シテ祝杯ヲ挙ケ、且六月十一日初集会、決議後取扱ノ件々ヲ頭取取締役ヨリ一同ヘ披露イタシ候
当銀行営業ノ順序ハ明治六年六月十一日株主一同ノ初集会ニ於テ決議シタル要旨ニ従ヒ、総テ其事務ヲ株主ヨリ委托セラレタル当任取締役等ノ考案ニヨリ、毎月五十ノ日ヲ以テ其会議日ト定メ、諸立則ヲ議判シ、頭取支配人ハ其決議ニ従テ現務ヲ処置イタシ候
株主ノ定会取締役ノ会議ハ都テ要件録ヲ作リ、逐次決議ノ次第ヲ掲載イタシ置候
当銀行勘定ノ起算ハ明治六年七月一日ヨリ相立ヘキ旨、取締役之ヲ決議イタシ候 ○下略


第一国立銀行利益金配当定則(DK040003k-0003)
第4巻 p.42-44 ページ画像

第一国立銀行利益金配当定則
当銀行ノ殖益金ハ毎年両度総勘定ノ節銀行一切ノ諸経費其外ヲ差引キ、純益金ヲ正算シテ銀行条例第十三条第一節ノ趣旨ニ従ヒ株高ニ応シ公平ノ分割ヲナスヘキコト当然タリト云トモ、同条第四節別段積金ノ制、及申合規則増補第四十条ノ趣旨ニ拠リ爰ニ銀行利益金配当ノ割
 - 第4巻 p.43 -ページ画像 
合ヲ制定スルコト如左
   第一条
当銀行ノ総勘定ハ毎年両度 七月十二月 其正算ヲ為シ、全体ノ殖益金ヨリ一切ノ諸経費ヲ差引キ、其純益金ヲ現ハシ其高総株金ノ一割以上タラハ其配当割合左之通リ
   純益金高百分ノ十    別段積金
  是ノ別段積金ハ条例第十三条第四節ニ従ヒ元高ノ二割 百分ノ二十 ニ至テハ之ヲ積立ルニ及ハス、尤モ年々積立ノ分ハ銀行別段預リ金ノ部ニ加ヘ公債証書ニ換ヘ而シテ其殖益ヲ謀ルヘシ
  非常ノ変災等ニテ臨時ノ費用アレハ此積立金ノ内ヲ以テ之ニ充ルコトアルヘシト云トモ、通常家屋ノ営繕又ハ一切器具ノ買入其他必用ノ支店又ハ屋宅等ノ建築費ハ都テ銀行年々ノ諸経費トシテ之ヲ仕払ヒ、此積立金ニ関ス可ラス
   純益金高百分ノ十七   銀行諸役員賞与配当
      内訳
      百分ノ三  頭取臨時交際入用金
      百分ノ二  賞与配当ニ列ナラサル下等役員其他雇入ノ者ヘ臨時賞与金手当
  但此二口ハ頭取ヘ受取切リ其考案ニヨリテ処置スヘシ
      百分ノ五  頭取取締役本局支配人等配当
      百分ノ七  副支配人以下七等以上配当
  頭取取締役本店支配人ヘノ配当ハ其配当高ヲ月給高相当ノ割合ト其勤務ノ摸様トニヨリテ其時々相当所分アルヘシ
  副支配人以下七等以上役員ヘノ配当ハ其配当高ヲ月給高ニ割リ当テ十円一株ノ計算法ヲ以テ相当ニ配与スヘシ
   純益金百分ノ七十三 株高総配当
  是ハ株金ノ多少ニ応シ其割合ヲ以テ相当ノ分配ヲナスヘシ
   第二条
若其純益金一割未満三分以上タラハ内別段積金百分ノ十ヲ引去リ 別段積金ノ取扱ハ第一条ノ通リタルヘシ 残高百分ノ九十ノ内ニテ
   純益金百分ノ十五   銀行諸役員賞与配当
    内訳
    百分ノ二半  頭取臨時交際入用金
    百分ノ一半  賞与配当ニ列ナラサル銀行下等役員其他雇入等ノ者ヘ臨時賞与金手当
  但此二口遣払ハ前同断
    百分ノ四   頭取取締役本店支配人等配当
    百分ノ七   副支配人以下七等以上配当
  但配当割合ハ前同断
   純益金百分ノ七十五  株高総配当
   第三条
若又純益金三分未満ナラハ頭取取締役ハ株主一同ノ臨時集会ヲ乞ヒ会議ノ上其配当割合ヲ論定スヘシ
   第四条
此定則他日改正ヲ要スルコトアレハ株主一同ノ衆議ニヨリテ之ヲ増損スルヲ得ヘシ
 - 第4巻 p.44 -ページ画像 
右之通相定候事
 明治六年六月十九日        第一国立銀行社印


第一国立銀行諸役員月給旅費支給定則(DK040003k-0004)
第4巻 p.44-45 ページ画像

第一国立銀行諸役員月給旅費支給定則
   第一条
当銀行役員ノ月給ハ本店支店共別紙表式ノ差等ニ従ヒ、毎月廿五日ニ其月分ヲ渡ス可シ、右渡方ノ手続本店ハ賄方ニ於テ其人員等級等ヲ記入スル計表ヲ毎月廿日迄ニ支配人役場ヘ差出シ一度差出シタル後人員等級ニ差異ナキ場所ハ前表ノ通ト云フ書付ヲ差出スヘシ、尤モ差異アレハ更ニ其表ヲ改メテ之ヲ出スヘシ頭取支配人ノ撿印ヲ乞フテ伝票ノ手続ヲ為シ、勘定方ヨリ其総額ヲ受取リ、其定給ニ従テ相渡スヘシ、尤モ人員等級及月給高ヲ記シタル帳面ヲ作リ月給渡済判取帳ト号スヘシ給料ヲ渡セシ人名前下ニ実印ニテ受取印ヲナサシム可シ若シ代人ニテ受取ル事アレハ本人名前下ニ代印ヲナサシムヘシ其帳面ハ支配人役場ニ収置ヘシ
   第二条
月給前借ハ堅禁スト云トモ、銀行用向ニテ他方出張ノ向ハ其旅行日数見積半年以上ナラハ三ケ月分ノ月給ヲ出立ノ前ニ貸渡シ、出立後毎月ノ渡高ニテ之ヲ差引ク可シ、最モ一ケ年以上ノ出張用向ハ其時ノ評議アルヘシ、六ケ月以内ノ見積旅行ハ月給先貸ヲナス可ラス、尤モ出立日廿五日後ナラハ其月ノ分ハ之ヲ渡ス可シ
  但右等手続ヲ以テ通常規則外ノ受取ヲ為ス者ハ別仮請取書ヲ差出ス可シ尤賄方ニテ毎月ノ計表仕出シ候トキ其者ハ外書ニ之ヲ記スヘシ用向ニテ他行ノ者ハ月給受取方其外留主引受ヲ相立其段支配人迄申立置ヘシ
   第三条
各支店在勤向ハ其支配人ニ於テ前ノ二条同様ノ取計ヲナシ、翌月五日迄ニ通常臨時共其明細書ヲ人員等級金額等ヲ記シタル細書ノ事支店ノ諸経費報告書ト共ニ諸経費報告書ノ差出方ハ別ニ取扱フ規則アルヘシ之ヲ本店支配人ニ差出ス可シ
   第四条
月給ハ月ノ大小ニ拘ハラスト云トモ新ニ撰任セシ者又ハ放免セシ者及転役ノ者ハ其当日ヨリノ日割ヲ以テ渡方ヲナスヘシ譬ハ十円ノ月給ニテ十六日ニ新任シ、其月大ナラハ十円ヲ三十一分ニシテ其十六日ヲ渡スヘシ病気ニテ勤日数二十九日以内不勤ノ者、及ヒ病気治療、又ハ父母ノ病気等ニテ願済十四日以内不勤ノ者ハ定則通リ其月給ヲ与フ可シ
  但右日数ヲ超レハ其月給ヲ差引可シ、尤療用帰省等ニテ願済ノ日限ヲ超ル者アレバ之ヲ罰スヘシ
   第五条
銀行用向ニテ臨時旅行ノ者ヘハ別紙表式ノ差等ニ従ヒ旅費並ニ日当ヲ渡スヘシ、尤旅費ハ往返里程ニ応ジ日当ハ見積旅行日数ニ応ジ相当ノ割合ヲ以テ出立ノ前之ヲ渡スヘシ、並ニ旅行早逓共一日十里詰ト定メ往返トモニ表式ノ旅費ヲ渡スヘシ、尤モ最端里数ハ二里以上六里以内ハ半数渡シ其以外ハ一日分ヲ渡スヘシ、日当手当ハ三十日前後ノ区別ヲ以テ表式ノ通リ渡方ヲ為スヘシ
   第六条
近方旅行其日帰リノ分ハ往返五里以上ヨリ日当丈ヲ渡ス可シ、尤右以
 - 第4巻 p.45 -ページ画像 
内ニテモ一泊以上ナラハ日当丈ケヲ渡スヘシ
  但十里以内ノ分ハ都テ里数ニ応スル旅費ハ渡サヽルヘシ
東京横浜往返ノ旅費ハ其日往返スルトモ亦ハ滞留スルトモ表式ノ通リ渡方ヲナスヘシ、最モ日当リハ其日数ニ応ジテ之ヲ渡スヘシ
   第七条
各支店在勤ノ者、旅行ノ節ハ都而前ノ手続ニ従ヒ其在勤ノ地ヨリ之ヲ算計シテ渡方ヲナスヘシ、最始メテ東京ニテ撰任セラレ他方ヘ在勤之向、亦ハ他方ニテ撰任セラレ東京ヘ到着ノ節ハ其旅行中ノ旅費日当ヲ渡スヘシ
各支店在勤ノ向モ更ニ東京ニ転勤セシムレハ其旅行中ノ旅費日当ヲ渡スヘシ
  但此二章ハ出張ト異ナレハ到着後ノ日当ハ渡サヽルヘシ
   第八条
道中川留雪支等ニテ延日セシ向ハ、其証拠慥ナレハ帰着後三十日後ノ日当ヲ其増日数丈ヲ渡スヘシ
銀行ノ旅行便ニ附シ荷物ヲ運搬スルトキハ人足亦ハ船賃共慥ナル受取証書ヲ以テ其運賃ヲ渡スヘシ
   第九条
旅費日当ハ都テ凡積ニテ渡シ置キ、用済帰着ノ上其精算ヲナシテ過不足ヲ差引ヘシ
右凡積旅費日当渡方並精算ノ都合ハ其者ヨリ仕出シ書ヲ作リ、之ヲ支配人ニ出シ支配人ハ頭取ノ検印ヲ乞フテ伝票ノ手続ヲナシ、賄方ニ命シテ之ヲ取扱ハシム可シ
   第十条
願済タリトモ私ノ旅行ハ旅費日当トモ一切渡サヾルベシ
   第十一条
此定則ヲ以テ旅費日当ヲ支給スル上ハ旅中船車ヲ用ユルトモ、滞留中何様ノ都合ニテ止宿スルトモ、其者ノ勝手タルベシ
   第十二条
別紙等級外別雇入ノ者アレハ其旅費日当等ハ其節相当ノ詮議ヲ以テ兼テ其者ト之ヲ約束シ置クべシ
   第十三条
此定則他日改正ヲ要スルコトアレハ頭取取締役ノ衆議ニヨリテ之ヲ増損スルヲ得べシ
右之通相定候事
 明治六年六月十五日 第一国立銀行


東京日々新聞 第四三三号〔明治六年七月〕 【本銀行左ノ命ヲ蒙リ…】(DK040003k-0005)
第4巻 p.45 ページ画像

東京日々新聞 第四三三号〔明治六年七月〕
本銀行左ノ命ヲ蒙リ則開業ス
                    第一国立銀行
其銀行条例ノ通諸般手続相運候ニ付開業差許候尤本紙免状ハ追而可相渡候条此段相達候也
  明治六年七月二十日
                紙幣頭 芳川顕正印

 - 第4巻 p.46 -ページ画像 

銀行全書 初篇二(DK040003k-0006)
第4巻 p.46 ページ画像

銀行全書 初篇二 (三井文庫所蔵)
 (二行朱書)
 七月十七日上局江出ス 同十九日済 七月十七日 七月二十日達済 中属 渡辺融
 (朱印・前島) (朱印・芳川) (朱印・小林・青江)
 総裁 紙幣頭 助(印) 属

第一国立銀行之儀開業免状不相渡以前より御都合有之候ニ付、特典を以既ニ社号為相唱、且本月五日資本金六割之半高公債証書代りとして当寮江相納候ニ付、公債証書並開業免状共可相渡筈ニ候得共、右証書並免状之製造方至急相運兼候、就而者御用之御都合も有之、開業免許不致候而者御差閊之義も有之儀ニ付、急速開業免許いたし度、依而御達案左ニ相伺候也
      達案
                  第一国立銀行
  其銀行条例之通諸般手続相運候ニ付開業差許候尤本紙免状者追而可相渡候条此段相達候也
   明治六年七月 日 紙幣頭 芳川顕正


青淵先生伝初稿 第九章上・第五八―六〇頁〔大正八―一二年〕(DK040003k-0007)
第4巻 p.46 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章上・第五八―六十頁〔大正八―一二年〕
   開業免状
  第一国立銀行開業免状
  大蔵省
   紙幣寮 第一番
    開業免状
武蔵国東京第一国立銀行より差出たる証書に拠り、此銀行は大日本政府の公債証書を引当として紙幣を発行し、之を通用し、之を引換ゆる儀に付、明治五年八月五日大日本政府にて制定したる銀行条例の趣意に従ふて創立し、其開業前の手続ハ、都て此銀行条例の規則を履行したること分明なるに付、今此開業免状を交付し、自今銀行条例に従て銀行の業を営むことを許可するもの也。
  右の証拠として、明治六年七月二十日、余は大蔵卿の命を奉して爰に姓名を自記し官印を鈐するなり。
        (印)
       
    明治六年七月二十日 紙幣頭従五位 芳川顕正(印)


第一銀行五十年史稿 巻一・第五五―五七頁(DK040003k-0008)
第4巻 p.46-48 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻一・第五五―五七頁
   営業の開始
六月二十五日、本行は金二百四十四万八百円を以て資本総額と決定せんことを紙幣寮に申請し、七月三日允許を得たり。かくて七月十九日には、利益金配当定則、月給旅費支給定則、役員等級表、役員月給旅費日当支給表等を制定せしが、翌廿日に至りて仮開業免状の下附あり即ち本店を東京日本橋区兜町、支店を大阪高麗橋筋四丁目、神戸弁天の浜、横浜海岸通り一丁目に置き、本店と大阪支店にては普通銀行事
 - 第4巻 p.47 -ページ画像 
務を営み、神戸横浜の両支店にては官金出納の事務を開始せり。尋で同月三十一日に至りて、本免状を下附せられたりき。
八月一日、本行は大蔵省官吏及為替会社、商社、蒸気船会社、蓬莱社開拓会社の代表者並に株主一同を本店に招待して盛大なる開業式を行へり。これに先ちて株主会議あり、渋沢栄一頭取に代りて議長席に就き、創立総会以来、開業以前に取扱へる諸般の事務を報告し、また開業免状の下附せられしことを述べ、銀行紙幣を示し、創立証書・定款・申合規則・同増補・利益金配当定則・役員月給旅費日当支給定則・株主姓名宿所表・役員等級表・役員月給旅費表を一同に配布し大蔵省金銀出納約定書を示したる後、更に銀行従来の諸勘定は、七月一日を以て分界とし、三井小野両組と銀行との勘定を精算する事、銀行将来の諸経費は、支店を合して毎月五千円を超過せざるべき事等をも述べたり。かくて本店の営業所は、素と三井組にて自家営業の為に建築せるものなれば、合議の結果、実費拾弐万八千五百円を以て購入する事、神戸・大阪・横浜の三支店は総計七万円未満の予算にて将来新築すべきも、暫く仮店にて営業すべき事を詢り並に皆株主の承認を得たり。かくて別席において、祝賀の宴を開く。此時紙幣頭芳川顕正の祝詞に曰く
    第一国立銀行開業の祝詞
  諸君 方今宇内国を立るもの、千を超て万に赴き、其民亦万に上りて億を重ね、而して政は国に由て其体を異にし、民は習に由て其俗を殊にし、其性や、行や、亦教と法によりて以て其情状を分ち、千差万状其涯際を極むる事能はずと雖とも、其相集りて生々の業を営めるや、相輔け相成し、彼此相資らざるを得ざるなり。僕之れを先世の歴史に鑑み、又これを当世の実事に徴するに、宛然として符節を合するが如く、未だ其差異あるを聞かず、之を将来に推すに、亦何ぞ然らざらん、是化主人に付与する所のもの純然均同なるもの僕の疑を容れざる所なり。今諸君の力を協せ、心を同うし、銀行を創立して以て世の公益を謀らんと欲するもの、蓋し世の相輔け相成すの中に於て、最大なるもの也、惟ふに化主の意に体して、其義務を尽すに非ざるを得んや、僕の当職を辱むる亦其意に非ざるなし、向に政府国立銀行条例を頒せるや、人或は其条の煩なるを厭ひ、或は法の厳なるを疾み、未だ其挙に応ずるあらざるなり、然るに諸君の其業を創めし以来、人始て其法の精にして則あり、其条の密にして確なる事を信じ、銀行を創立せんと欲するもの、東西相望んで興起するに至れり、諸君警寤の功豈偉と云はざるべけんや。蓋し銀行命名の義、固より別に意あるにあらず、然れ共諸君の協同他人より固く、諸君の富貴他人より高く諸君の着鞭他人に先ずれば則其第一の名号復偶然に非ざるに似たり。然らば則今より以往、邦内銀行の業を営するもの、第一を始とし万千無究に至り、以て人々相輔け相成すの道をして益盛大ならしめば、国事之に由て其歩を進め、人智これに由て其致を極め、産物之に由て其額を増し、貿易之に由て其軌を改め、世人をして駸々乎として開明の域中に馳駆せしむるに至り、以て其第
 - 第4巻 p.48 -ページ画像 
一の功を奏する者、亦只に十年一日の如く諸君の其力を協せ其心を同うして黽勉拮据するにある事之僕の深く諸君を信ずる所にして亦営業の日に盛に月に大ならん事期して竣べきなり。
    明治六年八月一日
                  紙幣頭 芳川顕正謹言
次に渋沢栄一もまた株主を代表して祝詞あり。其文に曰く
    第一国立銀行開業祝詞
                        渋沢栄一
   余今当銀行ノ株主トシテ、此開業ノ盛典ニ列スルニヨリ、謹テ蕪詞ヲ陳シテ以テ此宴会ヲ祝シ、併テ会同ノ諸君ニ稟ス。
  夫レ銀行ノ業タル、其邦家ノ商業殖産ヲ補益シテ福祚ノ昌盛ヲ賛成スルハ、世人ノ亮知スル所ナレバ、今更ニ喋々ノ弁ヲ用ユルヲ要セス。然リ而シテ、其之ヲ補益賛成スル所以ノモノハ、実事適用ノ際ニアリテ、空理虚設ノ間ニアラサルハ、亦世人ノ能ク了得スル所ナリ。蓋シ滋味モ食ハサレハ、口腹ヲ養フ能ハス、好書モ読マサレハ真理ヲ明カニスル能ハス、邇キヨリスルノ勉メナケレハ、遠キニ達スルノ効アルヘカラス、耕耨ノ労ナケレハ、秋成ノ穫アル可ラス、凡ソ人間万事能ク世道人事ニ裨補アル所以ノモノハ、亦只其時宜ノ適ヲ得テ実際ノ用ニ称フヲ以テナリ。惟ルニ維新已降、朝廷鋭意開明ノ真冶ヲ求メ、旧ヲ去リ、新ニ就キ、弊ヲ〓シ、利ヲ興ス、凡ソ宇内万国ノ美事良法、知テ採ラサルナク、採テ行ハサルナシ、曩ニ通商殖産ノ昌盛ヲ企望シ給ヒ、夙ク商法司通商司等ノ創置アリテ、三府五港其他ノ巨商ヲ勧誘シ、各地商会ノ建設アラレシモ、当時之ニ従事スル者未タ全ク其真理実用ニ通暁セス、俄カニ一日ノ速成ヲ求ムルヨリ間或ハ些瑕末弊ナシトセス、然リ是レ運歩ノ楷梯ニシテ、善者之ニ継キ能者之ヲ述ヘテ其全ヲ得ルニ至ラハ、其弊固ヨリ其効ヲ晦マスヘカラスシテ推スニ嚆矢ノ功ヲ以テセサル可ラス。爾来朝廷益々物貨流通ノ真理、富国理財ノ実用ヲ考覈シ給ヒ、衷ヲ誘ヒ萃ヲ抜キ、貨紙幣ノ制度大ニ更張確立シテ、而シテ、此銀行ノ条例モ、亦始メテ一定シテ全国ノ頒布アルニ至レリ。実ニ是レ流通ノ枢軸富殖ノ根柢ニシテ、億兆ノ共ニ感戴スル所ナレハ、乃我儕ノ協同戮力以テ此銀行ヲ創立スル所以ナリ。故ニ余今此開莚ニ当テ、先ツ其由縁ヲ叙シテ其沿革ヲ知リ、上ノ令スル所、下ノ奉スル所、並ヒ馳セテ相悖ラスシテ、以テ福運ノ隆興進歩スルヲ賀シテ、併テ此賀莚ノ悠久ニ及ス事ヲ望ム。冀ハ此銀行ノ株主及其実務ニ従事スル者ハ、能ク此真理ヲ体認シテ、私ヲ去リ、公ニ就キ、協立ノ意念ヲ拡充シ各相調和シテ相雷同セス、浮華虚飾ノ弊ナクシテ淬礪精確ノ実アラハ、其業愈盛ニシテ、其事愈牢ク、能ク各自ノ実利ヲ興シテ併テ全国ノ人民ヲ裨益シ、以テ富国理財ノ一助タランコト翹足シテ待ツヘキナリ。然則此賀莚ニ於ルモ、亦其首尾相応スヘクシテ、啻ニ其空名ヲ賀セスシテ、果シテ其実効ヲ賀スルヲ得ヘケン他。
    明治六年癸酉八月一日 栄一謹白

 - 第4巻 p.49 -ページ画像 

佐々木勇之助氏座談会筆記(DK040003k-0009)
第4巻 p.49 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

東京日々新聞 第四四四号〔明治六年八月六日〕 (第一国立銀行開業)(DK040003k-0010)
第4巻 p.49-50 ページ画像

東京日々新聞 第四四四号〔明治六年八月六日〕
   (第一国立銀行開業)
銀行ノ営業ハ、世間融通ノ便利ヲ増シ、人民一般ノ洪益ヲ資クルハ、既ニ官板ノ会社弁又ハ経済書等ニヨリテ、大方諸君ノ能ク了知スル所ナリ、就中、此国立銀行ハ、去ル明治五年八月中、御頒布ノ銀行条例ニ遵ヒ、創立スルモノナレハ、其方法ノ精確ナルハ、銀行条例成規等ニヨリテモ、世ノ共信ヲ全クスルモノニシテ、今更ニ縷述ヲ煩スヲ要セス、玆ニ当銀行ノ儀ハ、去明治五年壬申十一月中、株主募方ヲ公告シ、追々諸社ノ都合相整ヒ、入金其他開業前ノ手続ハ全ク斉備セシニヨリ去ル七月廿日開業ノ公許ヲ得タルニ付、向後左条ノ件々ハ其人ノ要望ニ従ヒ、簡便ト誠実トニ注意シテ之ヲ取扱フヘシ、冀クハ四方ノ諸君、早ク光顧アリテ、以テ交通ノ自由ヲ得、各事業ノ昌盛ヲ謀ランコトヲ
一、当坐預リ金ヲ為コト
 銀行ニテ、当坐預リ金通帳ヲ作リテ金子ヲ預ル時、預ケ主ニ相渡シ置キ、其預ケ金ハ通帳中ノ小切手ニテ、勝手ニ之ヲ引出ス事ヲ得ヘシ
  但此当坐預リハ、無利足タルヘシ、尤モ一口百円以上何程ニテモ之ヲ預リ、十円以上ハ何程ニテモ之ヲ渡スヘシ
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一、此法ハ諸商人又ハ傭員等、毎月又ハ其時々ニ収入シタル金銀ヲ、商業及諸雑費払方等ニ入用アルト、見込ミタル分丈、此方法ニヨリテ銀行ニ預クレハ、第一盗火難ノ患ヲ省キ、且計算ノ労ヲ除クヘシ
一、定期預リ金ヲ為スコト
 是レハ三ケ月以上ノ期限ヲ以テ銀行ニ預ケ金ヲ為サント望ムトキハ、慥ナル預ケ証書ヲ出シ、預リ期限利足割合トモ証書ニ記入スヘシ之ヲ預ルヘシ
  但其ノ高ハ百円以上タルヘシ、尤モ利足ハ其時々之ヲ相談シテ取極ムヘシ
一、諸引当品ヲ預リテ、金銀ヲ貸附ルコト
 是レハ公債証書、地券、金銀貨幣又ハ地金、其他慥成物品等ヲ引当トシ、期限ヲ定テ、金子ヲ貸附クヘシ
  但其高ハ、金千円以上タルヘシ、尤モ利息又ハ日歩ハ月定共、成ルヘク丈低価ニテ、之ヲ約束スヘシ
一、新旧公債証書、又ハ金札引換公債証書、又ハ金銀地金類ヲ買取ルコト
 是ハ普通ノ方法ヲ以テ、可成丈高価ニ之ヲ買取ルヘシ、尤証書ハ一枚以上何程ニテモ所持人ノ望ニ随フヘシ
一、西京、大阪、神戸、横浜等ノ金銀為替ヲ取組ムコト
 是レハ手形面一口五百円以上タルヘシ、尤為替打歩ハ、可成丈低価ニ之ヲ取組ムヘシ
右ノ件々ハ、当明治六年八月二日ヨリ、一般ノ御祭日並ニ一六休暇ヲ除クノ外、当銀行事務取扱時限中ハ、来客ノ望ニ従テ其引合ヲ為スヘシ
  明治六年八月一日
                   第一国立銀行


竜門雑誌 第二五三号・第八―一〇頁〔明治四二年六月〕 ○明治五年の財界(承前)(青淵先生)(DK040003k-0011)
第4巻 p.50-52 ページ画像

竜門雑誌 第二五三号・第八―一〇頁〔明治四二年六月〕
  ○明治五年の財界(承前) (青淵先生)
○上略
▲第一銀行の創立事情 そこで前にお話した通り銀行制度が布かれた其制度に依つて三井の三野村、小野組の小野善右衛門等は銀行の創立を計画しつゝあつたのであるが私が辞すると同時に是等の人から御辞職なすつたことは御気の毒であるけれどもそれを幸ひに一つ銀行を世話をして呉れまいか、斯う云ふ相談が起つた、それは願つたり適つたり入つてやつて見たいと云ふことは自分が希望して居るのだ、併し待つて呉れ大隈さんは知遇を受けた人であるから其の模様をよく聞いて見なければならぬし井上さんの承諾も受けなければならぬと云ふので井上さんに諮つて見ると至極賛成だ、是非やれ、自分はまア政府に対しても暫らくはボンヤリして居やうと思ふが君は政府に対しても世の中に対しても心配もない身体だから直様やつて貰ひたいと自ら誘導するばかりに言はれた、それから今度は大隈さんの処へ行つて諮つた所がお前も余り過激なことをする、井上は仕方がないとしてもお前があゝ云ふことをやるのは政府に喧嘩を仕掛けるやうで甚だよくない、殊に建白書などは良くないと叱言を言はれた、それは無論自分は建白
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書が良いと思つたからやつたので悪いと言はれることに対しては頗る不満であつたが其の答弁はしないで今後の行動に付てはどうでせうかと云つた所がそれは至極賛成だ、大蔵省としても君の如き者が中に入つて心配して呉れることを悦ぶと云ふことであつたから遂に私が入ることになつた、そうなつた以上は愚図愚図して居る必要はないから一日も早く組立てやうと云ふと実は頭に立つ者がないので色々評議をしても方法が立たぬので困つて居る、そこで甚だ貴下に対して幸ひと云ふては悪いが一つ上に立つて判断を着けて貰ふと都合が好い、今まで互ひに睨合つて事が運ばぬで居つたと云ふのは三井と小野と互格だから工合が悪い、互格といふことになると一つ往かないことがある、それは規則では頭取が一人であつて何人が副になつても困ると云ふので睨合つて居る、そんな馬鹿な話があるものか互に折合ふが宜ぢやないか、所が中々さうは行きませぬと云ふので幾ら説得しても甘く折合が付かない。
▲双孿児重役 そこで大蔵省に諮つて頭取を二人置いた三井八郎右衛門、小野善助、支配人も両方に割付ける、恰かも双孿児組織だ、だから物を判断することが出来ないので私が総監役と云ふ位地に立つて双方を纏めて漸く銀行が成立つたのが其年の七月三十一日で八月一日に開業になつた、それが即ち第一国立銀行であるが開業の時には芳川さんが紙幣頭で来て演説をして呉れ私が開業の辞を述べた、さう云ふ訳で第一銀行の生れ立ちは明治三年から起て六年に至つて初めて成立つたのである。
▲当時銀行業の状況 扨て愈々株の募集となると自分が出て行つて依頼したり種々広告もして募つて見たけれども世の中ではそれだけに気づいて呉れない、それでも蜂須賀さんあたりは入つて新らしい顔触で資本を入れた人もあつて二百五十万の中二軒で二百万持つてあとの五十万を新規の人が出した、それで会社は出来たけれども営業と云ものは三井と小野が銀行の取引をするのが主であとは碌でもない不当な理窟で金を借りたいと云ふやうな迂つかり引かゝればとんだ事が出来ると云ふ有様、取引と云ふても単純なもので又極く範囲の狭いものであつた、それも一つの困難であつたが玆に第二の困難が起つた、兎に角一方に三井、小野、島田と云ふやうな株主ではあるけれども取引先があるから自画自讃の形ではあるが相当な商売人であるから一方から借りて一方に資金を入れると云ふので銀行として生活の出来るだけのことはあるのだから若し伊藤さんの予期した如く金札引換公債証書を以て受取つて居る銀行紙幣が都合よく流通してさまで引換がなく経営されて居れば自分の金を自分で運転するだけでも宜い加減な利益になる、殊に当時の利息は高いもので一割二分以上でも誰も怪しまない、銀行でも一割一分から二分、三銭何厘と云ふ利息であつて一割位の配当をするには差支ない殊に全国に唯一の銀行で有力なる株主があり頗る信用がある、政府でも之に力を注いで居る銀行と看做されて居つたから銀行紙幣を成るたけ流行させて見ろと云ふことで最も初めに奥羽に向つて流通を図つて見やうと云ふので政府の支出金のあるやうな場合に其機会に乗じて銀行紙幣を諸方に散らした、其数は正確には記憶
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して居らぬが何でも百万円以上支出して見た所が初めは甚だ工合が好かつたから手に唾してやるべきものと云ふやうに大に気乗がして銀行はさう心配なものぢやないと云うやうに感じた、それが六年から七年の冬までゞある。
○下略