デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
25款 其他ノ鉄道 8. 神戸電気鉄道株式会社
■綱文

第9巻 p.370-374(DK090041k) ページ画像

明治39年11月17日(1906年)

是ヨリ先、神戸市ニ電気鉄道ヲ敷設センカ為メ出願スルモノ数派アリテ栄一及ビ安田善次郎等モ之ニ加ハリ、競争激烈トナリシガ、先願ノ池田貫兵衛等ノ神戸電気鉄道株式会社ニ合併シテ再出願ヲ為シ、是日其免許ヲ得タリ。


■資料

竜門雑誌 第二二三号・第四二頁〔明治三九年一二月二五日〕 ○神戸電気鉄道株式会社株式募集(DK090041k-0001)
第9巻 p.370 ページ画像

竜門雑誌 第二二三号・第四二頁〔明治三九年一二月二五日〕
○神戸電気鉄道株式会社株式募集 神戸市内を循環する電気鉄道を布設し、且つ一般運輸の業務を営み、猶電気供給其他之に関聯して必要且有益なる業務を営む目的を以て設立せられたる同社(資本金六百万円)に於ては、本月十五日より二十日迄の期間を以て株式の募集を発表せられたるが、其発起人は青淵先生・安田善次郎・大倉喜八郎・近藤廉平・加藤正義・田中市太郎・伊藤長次郎・村野山人・山本亀太郎氏外六十名にして、総株式十二万株の内十一万株は発起人に於て引受け、一万株を一般より募集せりと云ふ


東京経済雑誌 第五三巻第一三四一号・第一〇三五頁〔明治三九年六月一六日〕 ○神戸市に於ける市街電気鉄道問題(DK090041k-0002)
第9巻 p.370-371 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三四一号・第一〇三五頁〔明治三九年六月一六日〕
    ○神戸市に於ける市街電気鉄道問題
神戸築港問題に次で、神戸市民が其成行如何に注意しつゝあるは、市街電気鉄道問題なり、抑も我神戸市は貿易の発達と共に驚くべき勢を以て膨張し、今や人口三十万の大都会となりたるに拘らず、交通機関の整備全く欠如せる為め、市民の不利不便言ふべからざるものあり、此時に際し、電気鉄道を敷設して以て其交通に資せんか、市民の利便大なるは勿論、経営者は優に相当の利益を収め得べきを以て、神戸市の実業家は先年其敷設を出願したるが、市会は其筋の諮問に対して、市の交通上支障ありとの答申を為したるにより、内務省は何等の指令を与へずして数年を経過したり、然るに一昨年に至り、阪神電気鉄道は神戸市内線延長の有利なるを認め、其筋に出願したるより、忽ち神戸市の一大問題となり、市参事会は市会と相協同して電鉄調査委員会を組織したり、当時大阪にては市営電鉄拡張の計画を立つるあり、市
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営論は市民の興論《(与)》となり、調査委員会も亦市の直営に附すべく一決して、市営案を作成するに至りたるが、其後或向の運動に依りて方針全く一変し、私立会社の経営に一任して、市は唯相当報償に甘んずることゝなりたれば、安田善次郎氏が自己の勢力圏内に在る人士を網罹《(羅)》して、資本金六百万円の会社を組織し、昨年末其筋に出願したるを始め各方面より四派の出願を見るに至れり、是に於て各派の運動極めて激烈、一時混戦の躰なりしが、其問斡旋《(間)》する者あり、安田派外二派は遂に合同することゝなりて、今は小曾弥嘉一郎氏等一派と相対立するの姿なるが、合同派の勢力極めて強大なると同時に他方小曾弥派の勢力亦悔るべからざるものあり、初めは一時安田派(今は合同派)に対して許可の内意を伝へたる服部知事の如きも、大に躊躇しつゝあり、形勢斯の如くなれば、内務省の意嚮何れにあるにせよ、容易に其許可を見るに至らざるべく、斯くては市民の迷惑大なるを以て、神戸実業協会は決然起つて其解決に努むることとなりたるも、其成行未だ測るべからず、要するに市内交通機関の欠如は、市民の最も痛苦とする所なれば、内務省が種々の情実に拘泥せずして、速かに解決せられたしとは市民一般の希望也


神戸市電気事業買収顛末 第五―一一頁〔大正七年三月〕(DK090041k-0003)
第9巻 p.371-372 ページ画像

神戸市電気事業買収顛末 第五―一一頁〔大正七年三月〕
電気鉄道敷設の計画は、電灯事業より後るゝこと約六年、即ち明治二十六年中に出願せられたるもの二あり、一は池田貫兵衛外七名、一は土居利正外四名の計画に成るものにして、後年特許を得たる神戸電気鉄道株式会社は、実に池田貫兵衛氏等の出願に基礎を有するものとす
○中略願書は直に市会に対して里道使用に対する支障の有無を諮問せられたるも、後明治二十八年に至り設計変更の為、里道の使用を要せざることとなれり。同年七月二十三日の市会に於ては、本市に電気鉄道敷設を必要とせざる旨の建議成立したり。其要旨は「電気鉄道事業たる、我邦現今実行せるもの晨星啻ならざるに依り、自然其安危得失等の実験に乏しく、察するに本市の如き街衢概ね狭隘にして、高低迂曲甚しきのみならず、海陸百貨通行頻繁なるものに、直に敷設するが如きは危険を招くは勿論、形勢上尚早の感あり、殊に目前に横はる給水事業に関係を及ぼす大なるに依る」云々とあれども、世運の進歩は電気鉄道敷設の出願頻出し、明治三十二年には鹿島秀麿外一名より摂津電気鉄道株式会社の出願あり、之に対して市会は曩の建議に反し、里道使用に対して支障なき旨を答申し、明治三十六年八月、神戸市街電気鉄道敷設の出願ありたるに対しては、道路設備の関係より公益上支障ありと答申し、明治三十七年八月四日の市会に於ては市街電気鉄道調査委員八名を置き、同月十五日の市会に於ては市街電気鉄道敷設の利害調査の為技師及書記各一名を置くことを議決し、且つ公益上支障ありと答申したる市街電鉄線路変更に付、更に知事の諮問案を上議し之を電鉄調査委員に附託したり、又市内に敷設すべき電気鉄道は之を市の経営とするを以て適当とすとの委員会の議を上議したるも、事情に依り決定を延期し、後之を撤回したり。三十九年三月三日の市会に於ては、市会委員と市参事会員との合同調査に成る電気鉄道敷設条件
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を議決したり、其敷設条件左の如し。
○中略
神戸電車鉄道株式会社(発起人総代秋山忠直)、神戸市街鉄道株式会社(発起人後藤勝造外八名)、神戸電鉄株式会社(発起人総代岩崎虔)、兵神電気鉄道株式会社(発起人総代渡辺満寿太郎外一名)の諮問に対して、前記の条件を附して許可せらるゝ場合は、何れの会社にても支障なき旨を答申せり。
明治三十九年五月に至りて、明治二十六年九月に出願したる神戸電気鉄道株式会社は、設計及発起人に変更を加へ、資本金を六百万円としたりしかば、同年十一月七日附を以て特許状を下附せられたり。現在経営せるものは此特許状に基き建設せられたるものとす
○中略
明治四十四年七月十五日、神戸電気鉄道株式会社は主務大臣より電灯及電力供給事業兼営の許可を受けたり。是より先、神戸電灯株式会社は、之に対抗する為競争態度に出づるあり、斯くて両者競争の結果は市の永久的利益にあらざるに依り、合併の議は遂に各当事者の容るゝ所となり、大正二年五月一日神戸電気株式会社の設立を見たり。


電気事業五十年史 第四二四―四二五頁〔大正一一年一〇月〕(DK090041k-0004)
第9巻 p.372-373 ページ画像

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神戸市史 本編各説 第二八七頁〔大正一三年六月二〇日〕(DK090041k-0005)
第9巻 p.373-374 ページ画像

神戸市史 本編各説 第二八七頁〔大正一三年六月二〇日〕
 明治三十七年以前に於ける電気鉄道の計画は、明治二十六年池田貫兵衛外七名と土居利正外四名とより出願せるを以て嚆矢となす。就中前者は後年特許を得し神戸電気鉄道株式会社の基礎を成せるものにして、敷設予定線路は現在のものと大差なく、単線延長七哩とし、許可の日より起算し六ケ月以内に著手し、著手後六ケ月以内に竣工せしむべく、軌条は三十磅乃至四十磅の凹字形鋼製のものを用ゐ、二十八人乗の客車十四台を運転せむとせり。然るに此設計中に里道使用の件ありしを以て、県当局は其支障の有無を神戸市会に諮問せることありしが、其後明治二十八年出願者が其設計を変更し、里道を使用せざることとせしを以て、此難関は自ら排除せられたり。然れども同年七月二十三日の市会は、電気鉄道の経験浅き我国に於て一般に得失を速断し難しとするも、少くも神戸市の如き、市街狭隘にして高低迂曲甚しく、而も海陸百貨の出入頻繁なる都市に於て、直ちに之を敷設するは危険少からず、加之其目前に横はれる給水事業に大影響を及ぼすべきに思ひ至りて、終に電気鉄道敷設は時機尚早なりと決議せしかば、電気鉄道敷設の事玆に暫く頓挫せしが、其後世運の進歩に促され、市民電気鉄道の必要を感ずること切なりしを以て、数年ならずして出願者続々として現はれたり。而かも市会の方針依然として一定するなく、三十二年鹿島秀麿外一名より摂津電気鉄道株式会社設立の出願ありしに対しては、里道使用支障なしと答申し、敷設を許容するが如き態度に出でながら、三十六年八月神戸市街電気鉄道株式会社設立の出願に際しては、道路設備の関係上公益に支障ありと答申せり。斯かる甚しき矛盾は、これ畢竟該事業に対する一般の理解の尚ほ至らざるものありしが為ならむ。然るに三十七年八月四日に至り、市会大に悟る所あり、市街電気鉄道調査委員八名を挙げ、精密に調査を遂げることとし同月十五日技師及書記各々一名をも任命し、且つ曩に公益上支障ありと答申せる神戸市街電気鉄道線路変更に関する知事の諮問案を覆議し之を前記調査委員に附托するこゝし、委員会に於ては市営論を主張する者すらありしも、これは決定延期となり、踵いで撤回せられたり。
 明治三十九年に至り完了せる委員の調査は、参事会を経て市会に上議せられ、電気鉄道敷設条件として発表せられしが、其要旨は、先づ線路敷設を二期に分ち、滝道より柳原に至る縦貫線、柳原より兵庫部を廻りて多聞通に出づる線、裁判所前を過ぎて山手を東走し加納町四丁目に出づるものを第一期に掲げ、旧湊川に沿ひ北進するもの、山手線より西走して湊川線に合するもの、更に之を延長して長田・林田を廻り南下して吉田新田を経て神明町に至るもの、滝道より加納町を経て上筒井に至るもの、更に南下して脇浜に至り磯上通を経て一期線に合するものを第二期線に包含するも、此予定線に対しては市は必要に
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応じ適宜の変更を命じ又は適当と認むる新線路の敷設を指定する権を保留し、起工認可の日より三ケ月以内に著手せしむべく、竣工期間をば第一期線二ケ年第二期線四ケ年とし、乗車賃金は四銭以下の均一制を採用すべく、営業期間をば五十ケ年と定め、満期後は無償にて市に譲渡するものとし、期間内は報償の意味にて利益の幾分を市に提供せしむべく、営業開始後三十ケ年後、会社は市の希望により適当の価格を以て売渡に応ずべきこと等を規定せしものにて、市会は此条件だに失はれずば何人に許可あるも更に支障なき旨答申をなせり。然るに当時市街電気鉄道の敷設出願中にかゝるものに、池田貫兵衛等の計画し明治二十六年以来屡ゝ設計に変更を加へ反復出願し来りし神戸電気鉄道会社の外、秋山忠直等の資本金六百万円、線路延長十六哩余の神戸電車鉄道株式会社、後藤勝造外八名の資本金三百万円、線路延長六哩の神戸市街鉄道株式会社、岩崎虔等の資本金八百万円、線路延長二十三哩余の神戸電鉄株式会社、渡辺万寿太郎等の資本金八百五十万円、線路延長二十三哩の兵神電鉄株式会社等ありしが、前記市会の決議ありしを知るに及びいづれも其特許を得むとして競争を始め、就中池田貫兵衛等の神戸電気鉄道株式会社は其設計及び発起人に新に変更を加へ、資本金をも六百万円に改めて再出願をなし、三十九年十一月十七日ついに其特許を受け、直ちに春日野・兵庫間即ち東西に市を貫通する幹線三哩五十七鎖の工事に著手し、四十三年三月竣成を見、四月一日より運転を開始し、四十四年七月十五日には電灯及び電力供給事業を兼営するの許可をも得て神戸電灯会社と競争の姿となりしが、其競争の結果市民の永久的利益を害すべきを察し調停の労をとる者あり、合併の議遂に成りて、大正二年五月一日神戸電気株式会社成立す。此合併に先だち、電気鉄道は、大正元年十二月二十八日布引線一哩三十五鎖を開通せしが、会社合併の後二年六月七日楠公前・島上町間七十八鎖、同八月十二日島上町・西柳原間五十五鎖、同九月三日平野線六十九鎖をも竣工開通せり。
   ○右ノ免許年月ニ付キ「電気事業五十年史」(大正十一年刊)ニ四十年四月十九日、「神戸市電気事業買収顛末」(大正七年刊)ニ三十九年十一月七日、「神戸市史」(大正十三年刊)ニ三十九年十一月十七日、「帝国鉄道年鑑」ニ三十九年十一月十七日、「明治編年史」ニ三十九年十一月十四日附ニテ特許状ヲ下附セラレタル如ク見ユ。夫ハ三十九年十一月十七日附ガ正シカラン。
   ○青淵先生職任年表ニハ「明治三九年八月神戸電気鉄道株式会社発起人トナル」トアリ。