デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
6款 其他 15. 静岡市立静岡商業学校
■綱文

第26巻 p.823-828(DK260143k) ページ画像

明治41年11月15日(1908年)

是日栄一、静岡市教育会主催ノ講演会ニ臨ミタルヲ機トシ、当校ニ到リ生徒ニ対シ、一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

竜門雑誌 第二四六号・第七二頁 明治四一年一一月 青淵先生の静岡行(DK260143k-0001)
第26巻 p.823 ページ画像

竜門雑誌  第二四六号・第七二頁 明治四一年一一月
○青淵先生の静岡行 青淵先生は静岡有志の懇請に応じて同市に赴かれ、本月十五日午後二時より同市物産陳列館に於て開会せられたる同市教育会第九回講演会に臨み「維新前後に於ける教育上の変遷」なる題下に一時間半に亘る講演を為し、午後は四時より商業学校生徒の会合に臨みて一場の訓諭的演説を為し、終て浮月楼に催ふせる園遊に臨まれたり


竜門雑誌 第二五〇号・第二二―二八頁 明治四二年三月 ○学問と実際、仁義と富貴(青淵先生)(DK260143k-0002)
第26巻 p.823-828 ページ画像

竜門雑誌  第二五〇号・第二二―二八頁 明治四二年三月
    ○学問と実際、仁義と富貴 (青淵先生)
 本篇は明治四十一年十一月十五日静岡商業学校学生の為に講演せられし演説の筆記なり
臨場の諸君・学生諸子、此席に出まして最も学業に勉強なされて居る若い御方々に御目に懸るのは、私には別して嬉しい事であります、殊に商業学校に修学の御一同でありまするから、未来必ず商工業者に御成りなさる芽生の御人々と思ふのですから、何だか私には此処に御在でなさる方々は孫か子の様な心持がしますゆへに、甚だ失礼ではありますけれども、孫子供に対する教訓の様な御話をして見度いと思ひます、勿論教訓の話であるから美味しくはない、今迄何も御菓子を貰つた事は無いから、そんな面白くもない話は聴き度くないと仰しやるかも知れぬが、其内には御菓子を上げる様な事になるかも知れぬから、
 - 第26巻 p.824 -ページ画像 
何うぞ克く聴いて戴きたいと思ふ。
先刻は教育会の方で、御維新以後の教育の進んで参つた事に就て申上げましたが、殊に商業教育が斯様に各地に段々盛に相成つた事は実に喜ばしい訳であります、昔の商売人は殆ど教育を云ふものなどは無しで育つたのです、私等も商売の為めには教育としては唯だ商売往来と云ふものを一冊読んだ位のもので、それで此位な商売人になつたのだから、貴君方は此渋沢などを小使に使ふ位の商売人にならなければ学問の権衡が取れないのです、兎に角昔の商売人は左様に教育が至つて低くかつたのであります、殊に其時分には学問と云ふものを甚だ尚ばなかつたからして、現に私などは、丁度各々方位の時分には内密で本を読んでは叱られたものです、うつかり本を読んでる所を見附けられると御父さんや御母さんに叱られる、蔭に隠れて本を読んだものが、今日は何うかと云ふと御父さん御母さんの方から本を読め本を読めと云つて、却つて読まないと叱られる、それですから貴君方は実に有難い世の中に生れて来たのである、故に御一同は喜んで学校に出て勉強しなければならない、又さうしてござらうけれども、中には朝寝をして、早く行かないと学校が遅れると御父さんや御母さんに叱られる方もあるかも知れぬ、私の隠れて本を読んだ頃の事を考へると、斯様に立派な学校へ親達が喜んでやつて呉れると云ふ事、そして又其学校で立派な科業を受けると云ふ事は、此位喜ばしい事はありませぬから、十分に御修業を為されて立派な商業者にならなければなりませぬ、世の中の仕事は決して一人一己、一代一世に成り立つものではない、追追に其事が進んで行つて、遂に総ての方面に発達をし富も品格も完全になり得る訳である、決して世の進みと云ふものは、只一時に偉い人が出たからと云ふて一足飛に行くものではない、いきなり国が富み且つ強くなると云ふ訳には行かぬ、第二・第三と引続いて良い人々が出て、遂に最上の域に達するのであります、英吉利の今日あるのは、今在る人々ばかりで英吉利の商業・工業は今日の域に達したでもなければ、又百年以前の偉い人ばかりの力に依つて斯くなつたのでもない、祖父さんも偉い、御父さんも偉い、其子も偉し、孫も偉しと云ふ様に相継いで偉い人が出て、斯く立派にしたものである、と斯う考へなければならぬ、世の中と云ふものは俄かに進み得ぬものである、大きな木は一日や一月で大きくはなりませぬ、土当帰だとか竹だとかいふものは直きに大きくなるが、即ち土当帰の大木で一年で直ぐ枯れて仕舞ふ、槻の木や楠の木は一年や二年で大きくはなりませぬけれども、遂には立派な大きな木になる、国の進みもそれと同じ事である、初代の人・二代の人・三代の人と追々に継続して進んで行つて、初めて真正に富み且つ盛んになると云ふ域に到るのであるから、各々方の未来は甚だ頼もしい訳であります、其頼もしいと云ふのも唯だ寝て居つて頼もしい訳ではないので、十分に学んで、且其学んだ事を事実に表はして初めて頼もしい訳であるから、今は学びの途中にあるけれども、其学びはやがて事実に表はれる様に、心掛けなさるが大切であります、私は今日各々方に此学問と云ふ事が唯だ学校のみにあるものだと考へちや可かぬと云ふ事を、一つ御話して置きたいと思ふのである。
 - 第26巻 p.825 -ページ画像 
学校で学ぶ学問は所謂後に事実に学ぶ学問の下拵へであるので、成る程之を学問と云つたら後の事は事実であると云ふ様に、学問と実地に引分けて云へばさう云ふ様に差別も附く、差別が付くけれども、人はつまり死ぬ迄学問だと考へなければならないので、学校で稽古する丈けが学問で、夫れから先は学問ではないと斯う考へたら、世の中の学問は真実には進んで行かぬものである、所謂学問と事実が別々になる恐れがある、此学問と事実と別々になると云ふ事程国家に不利益な事はないから、未だ各々方には此道理が十分に噛み分けられぬかも知れませぬが、今日より此心掛けを為されんければ、学校を去つた暁に有益な役に立つ人になる事は出来ぬと、斯う私は思ふのであります、殊に昔の学問は、別して事実が別物の如き方法になつて教育せられた故に、其教育が所謂経世実用でなかつたと云ふ嫌ひが、此漢学には最も多かつたのです、各々方は今商業学校の課程を修めて居る御人々だから、私が今申上げる書物などに就ては余り興味を御持ちなさらぬかも知りませぬが、論語と云つて孔子の言葉を書いた書物がある、是は孔子自身ばかりが書いたものではない、孔人の門人が集めたものであるが、最も修身上、独り修身上計りではない、家を斉へ国を治めるにも必要なる書物である、先づ道徳学問としては、是位に瑕の無い行届いた尚むべき書物は私は無いと思ひます、此論語に如何に書いてあるかと云ふと、今申す通り、学問と事実とを別にするのが間違つて居ると云ふ事が、始終教へられてある、例へば論語の何冊目でしたか覚えませぬが『民人あり社稷あり、何ぞ必しも書を読んで、然して後に学と為ん』と云ふ事がある、是は子路と云ふ人の云つた言葉である、又子夏と云ふ人の云つた言葉に『賢を賢として色に易へ、父母に事ふるに能く其力を竭し、君に事へて能く其身を致す、朋友と交るに言て信有らば、未だ学びずと云ふと雖ども吾れは必ず之を学びたりと謂はん』と云ふ事がある、是等は矢張り事実が学問だと云ふ事を証拠だてゝ居る、近頃の欧羅巴学問は、左様に唯だ修身上の事を教へるものでなくて、歴史なり地理なり、其内には修身倫理などもありますが、数学なり図画なり、又健全なる身体を作り成すにも体操もやらなければならぬと云ふので、貴君方の今修めて居らるゝ課目は猶ほ外にもありませうが、先づ左様に色々沢山にある、即ち是等は皆学ぶ間は誰の学問であるか、其学んだ所のものは直ぐ様実用されて、さうして己れを益し世を助けるものとなるのである、夫を学問と事実とは全く別物であると云ふ様に分け隔てを附けたならば、其学問は死物になる、実用に適はぬものになる、故に学問は即ち事実、事実即ち学問である、不肖乍ら私今日斯うして七十に垂んとして日常の経営を致して居りますが、始終是は学問と心得、又学問に依つてやつて居るのであります、併しお前の学問は何も学校へ入つたんでないから学問ではなからうと、若し貴君方が云ふならばそれは誤りである、世の事実を道理正しく処置して斯かる経営をして行けば此事は必ず社会に益がある、害はない、害が無いのみならず斯う処置して行けば学問に適ふ、畢竟学問はさう云ふ事を教へるのである。今云ふ漢学の教へも孔子の頃には全く左様であつた、然るに段々に後の学者が事実と学問とを差別して、功名富
 - 第26巻 p.826 -ページ画像 
貴と仁義道徳と引分けて、仁義道徳は功名の少ないものだ、否な功名富貴を思つてもならぬものだと云ふ様に教へられて来たから、事実と学問とは玆に全く別物になつて、学問と云ふものは唯だ心を養ひ己を潔くして、世の中が潰れやうが世間が貧乏にならうが、そんな事は構はぬ、己れさへ済して居れば宜いと云ふのが漢学の教になつた、殊に宋朝の学者などが多くさう云ふ風になつて仕舞つた、故に殆ど学問を修める人は唯だ学理を攻究する丈けで少しも事実を顧みない、又事実に働らく人は学問を修めては却つて邪魔だと之を避ける様になつた、是は甚だしい漢学の弊でありますが、学問と事実とが殆ど長崎と青森との如く懸隔つた有様は、左様に迄行違つたのであります、所が欧羅巴の学問はさうでありませぬ、左様に支那の学問の様ではない、けれども矢張り悪くすると、学問は斯うであるが、事実は斯うであると云ふ様に、学問と事実を引離す弊害が欧羅巴に於ても無いではない、此処が私の繰返して貴君方に此話して置かなければならぬ所です、何処迄も学問の事実で、事実の学問である、さらば各々方に行きなり実務に就けと云つた所が未だそれは出来ない、第一其脳力も生じない、又其地位も出来ぬ、即ち今は其支度をする時である、仕度は即ち学問である、併し其学問を事実と離して考へるのは大いなる間違ひである、事実を離れて居たならば学者も要らなければ学問も何にも要らない、学問は畢竟実際を助けるから必要なので、此実際と云ふ事から教育も学問も皆割出されて成立つて行くのであるからして、是非此学問と事実とは必ず離るべからざるものである、今学んで居る事は今に直ぐ行はなければならぬのだ、即ち学問を修めて相当の年頃になれば、其教へられた事は事実に現はれて来るのだ、一生涯を通じて論ずれば、今学校に居る間も事実に就て居ると同じ事、又実業に従事する時は学問をして居ると同じ事と斯う解釈して行くと、学問と事実が全く密着して行く様になるから、何うか其考へを忘れぬ様になされませと申すのである。
それから今一は、前に支那の学問が兎角に仁義道徳と功名富貴とを差別して、其間違が学問と事実を遠ざけたと云ふ事を申しましたが、今猶ほ西洋学問にも其弊が絶えて無いとは申されぬのであります、而して其功名富貴の考へが強くなると、同時に道徳と云ふものは自ら薄くなる、仁義道徳が厚くなると利害得失の観念が鈍くなる、是は人間の弱点である、何うもさう云ふ風に行きたがりますが、それは大いなる間違ひであると私は思つて居る、もう今の頃からして其事を克く観念して、仁義道徳と云ふものは、功名富貴の間に始終離るべからざること、猶ほ事実と学問が別つべからざると同じ様に心掛けて修養して行かねばならぬと云ふ事を、玆に申添えるのであります、前にも例に引いた孔子の教へ、即ち論語の書物が決して此仁義道徳と功名富貴とを引離されては居らぬのである、それも後の漢学者が無暗に引離したのである、仁を為れば富まず、富めば仁ならずなどゝ云ふ様に教へて、さうして苟くも功名富貴を口にするものは仁義道徳に疎遠な者である又是に就て斯う云ふ言葉がある『疏飯を食ひ水を飲み肱を曲げて之を枕とす楽しみ亦其中に在り、不義にして富且貴きは我に於て浮雲の如
 - 第26巻 p.827 -ページ画像 
し』是は論語の二冊目に出て居る、之を以て直ちに疏食を食べて貧乏しなければ仁義道徳の道に外れて居ると考へたのは、それはまるで書物の読み損ひである、而して又『如し博く民に施して能く衆を済ふことあらば如何、仁と謂ふべきや』と云ふ事を子貢と云ふ人が問ふたらば、孔子は之に答へて『何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か、尭舜も其れ猶諸れを病まん』と云つた、博く民に施して能く衆を済ふと云ふのだから殆ど王者の政である、決して肱を曲げて昼寝をして居られる事ではないのである、多数の人々平等に行渡つて其事に就て一般の人民が幸福を受けると云ふ事は、今の 聖天子の御執りなさるゝ王政の如きものである、故に尭舜も其れ諸れを病まんと云はれたので決して富貴功名をちつとも嫌つて居ないと云ふ事は明らかな証拠である、それを宋朝の学者か無暗に、道徳仁義と云ふ時に富貴功名は何か邪道でゞもあるか、悪魔でゞもあるかの如くに解釈したのである、即ち丁度前に申す学問と事実と別物にされた様に、富貴功名と仁義道徳が差別されたのは是れ学者の大間違ひで、吾々学者ではないけれども是迄さう云ふ論旨を以て教へた人が沢山あるが、是等は皆総まくりにして不調法なる人々で、学問のしぞこなひか書物の読みぞこなひと評論しても少しも憚らないと思ふ。
そこで是から実業に従事する人は、是等の間違を再びしない様に、是等の迷霧に陥らない様に為さらねばなりませぬ、総ての教育に多少の間違が見出さるゝのでありますが、漢学教育となると多くさう云ふ弊に陥り易い、又事実に於ても何うも問違ひ易い、富を増し利益を図る事は何うしても先づ公けの利益より私の利益を先にしたくなる、私の利益を先にするとなれば隣の人より己れが先にしたい、さうなると仁義道徳などは何でも宜い、吾れさへ宜ければよいとなる、玆に於て仁義道徳と功名富貴と相反する様になるので、畢竟富を増すと云ふ行為が始終仁義道徳を忘れたから、遂に仁義道徳を云ふ人が富を作る人を嫌ふ様になつた、先刻教育会の方で述べた如く、商売人が自から卑下したる為めに段々軽侮されたと同じ様に、丁度其仁義道徳を云ふ人の富を図る人を嫌ふたのは、富を図る人に仁義道徳が欠けたから起つて来た事で、それが若し欠けて居ねばなんともない、又各自に進んで行けば真正なる国家の富は増すものであつて、道徳を為す人は貧乏である、富を為す人は不道徳であると云ふならば、是はもう何ちらも跛足である、是が二つ共に行けぬ事は、決してない訳である、丁度学問と事実と懸隔れた様に、此の二つは懸隔れたがるのでありますから、生い先長い学生の人々は余程此処に心掛けて、誤解に陥らぬ様に致さねばならぬのである、繰返して申しますと、此商業界は明治の聖代に於て、実に千年であるか何百年であるか、始終下級に押し下げられて居つた吾々が大いに其開運の時機に向つたのである、且つ私共は其商工業者の第一期生である、初代である、是から二代・三代と段々に進んで、智恵も増し道理も明らかになり、働きも余計になり、富も増し、其処で始めて商工業者が昔から軽蔑されたのが、大いに尊重せられると云ふ様にならねばならぬ、故に諸君の運たるや甚だ強い、亦諸君の負ふ所も従つて甚だ重いのであるからして、今の学問と事実と、又仁
 - 第26巻 p.828 -ページ画像 
義と富とは益々離るべからざるものであると云ふ事を斯くの如く繰返して、何うぞ貴君方の脳裏に十分吸収せられたいと思ふのでございます、今日の御話は是迄に止めまする。(拍手喝采)