デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
7款 全国地方商業学校長会議
■綱文

第26巻 p.838-846(DK260145k) ページ画像

明治36年5月21日(1903年)

是月十八日ヨリ二十二日ニ亘リ、全国地方商業学校長会議東京ニ開催セラル。栄一ソノ招請ニ応ジ是日会場タル東京高等商業学校講堂ニ於テ、商業教育ニ関シ一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK260145k-0001)
第26巻 p.839 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
五月廿一日 晴
○上略 午前九時高等商業学校ニ抵リ、各地ノ校長ニ会シテ一場ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第一八号・第一―九頁[第一八五号・第一―九頁] 明治三六年一〇月 ○青淵先生の商業教育談(DK260145k-0002)
第26巻 p.839-845 ページ画像

竜門雑誌  第一八号・第一―九頁[第一八五号・第一―九頁] 明治三六年一〇月
    ○青淵先生の商業教育談
 本年五月東京高等商業学校に於て開会せし全国商業学校長会議に於て青淵先生の演説せられしものゝ速記なり
初めて御目通り致す方々に申上げまする、今松崎君から御紹介を得ました渋沢栄一でございます、どうぞ以来御心安く御願を致します
此程中から諸君には商業学校の学務上に付て、御会議の為に御出京のことゝ拝承致して居りました、其機会に一度私が諸君に御目に懸つて商業教育に関する愚見を申上げて欲しいと云ふ当校長松崎博士から、御申越しでございましたから、今日は此処に参上致して諸君に御目に懸る次第に至りましたのでございます、御案内の通り教育事務に縁遠い私ですから、毎日専務として其方に御従事の諸君に、利益を与へる考が私には出やうとは思ひませぬです、去りながら商業と云ふものに付ては、学問的に是まで修めた訳ではございませぬけれども、商売人は斯くありたい、商売人は斯様に身を立てゝ行きたいと申すことは、不断に心掛けて居りまするために、玆に其学問に付て生徒を引立てゝござる諸君に対して、一言の希望を申述べるのは、所謂他山の石で玉を磨くと云ふことにもなりはせないかと考へまするから、前に申す通り学問上に縁遠い身をも顧みず、此処に参上致した訳でございます
商業教育の今日に沿革して来ましたことは、もう諄々と申上げるまでもございませぬ、諸君も御熟知のことである、其の昔は普通教育に比すれば大に賤められて、日本に西洋主義の教育の開けましたる以来も商業教育と云ふものは決して好位地に居りませなんだ、其位地の低いばかりでなく、世の中に認められる程度も甚だ低かつた、併しそれは殆ど二十四・五年以前のことで、爾来段々世の中が必要を感じて参りまして、既に斯く商業教育の専任の方々がちよつと御集りでも、此一堂に満つると云ふ程に進んで参りましたのは、御互此の上もない仕合せで、即ち日本の商業の発達と申して宜からうと思ひます
元来維新以前の商売と云ふものは、商売其の物の区域の狭いのと力の細いのと同時に、之を取扱ふ商人が学問もなければ地位も低かつた為に、維新草創の間はそれ等に付ての教育も、一つも世の中に注目されなんだが、今申す二十四・五年以前から、国の真正なる発達富強はそれではならぬと云ふことを、政事家も学者も、亦其事に従事する吾々も共に唱へて今日に到つたのでございます、既に此商業教育の追々に押拡まつて行つた成績に付て悦ばしい一・二を申上げますと、私は昨年海外に旅行を致しまして、亜米利加に、英吉利に、仏蘭西に、或は独逸・白耳義等、四・五ケ所を廻つて参りましたが、前にも申す通り此教育上に付て何たる貢献した事もない私が各地へ参りますると、此学校即ち東京高等商業学校出身の人々が、或は聴知り若くは見知りを
 - 第26巻 p.840 -ページ画像 
以て、到る処に於て特に一会を開いて、海外の商業の実地を私から質問するとか、又日本の此商業教育の経歴を彼等から私に尋ねるとか、商業教育の未来に付ては斯くあつて欲しいと云ふ談話をするとか云ふことで、臨時に各地に於て同窓会を開いて共に歓を尽し、又共に議論を闘はせました、是は紐育で一回、倫敦で一回、仏蘭西の里昂で一回香港で一回、都合四回、其他各所に此学校出身の人が大分居りますけれども、特に二十人若くは十四・五人の同窓出身の人が打寄つて、左様に商業上の事柄を談話すると云ふ愉快な事が、海外にても為し得られたのでございます、左様に昔日と違ふて大に進んで所謂各地に普及して居るために、今日も皆様が此処に御会合なすつて、尚ほ未来の事を種々攻究の際でございますからして、門外漢がもう此上に望を申上げます必要はないでございますけれども、併し折角此処に出ましたから二・三の気附きを申上げて、是から先きに諸君の学校に於て生徒を導いてござる、一つの御参考にも為し下されますれば、誠に幸慶と思ひますから、其点を二・三申上げて置かうと思ひます
偖此に私が商業教育に関する二・三の事を申上げましても、今一般の商売人が私の理想の如くになつて居るか、縦令世間一般の商業者は所謂過渡の時代だからさう行かぬのは曲げて恕すとしても、私の監督して居る銀行なり会社なり、所謂自分の勢力範囲に多数の事務者も居るだらう、それ等の人に向つてそれ丈のことは果して望み得られると思うかと云ふ、斯う云ふ御反問を蒙むるとなかなか希望と申すものは、我が手の届いた所と云つて、隅から隅まで屹度其通りになり得るとは申上げ兼ねます、けれども吾々商業者は是非左様にありたいと云ふ希望は、縦令一般に其通り行はれぬことがあるにも拘らず、飽までも其位地に達することを心懸けねばなるまいと考へまするのであります、是は御申訳の如く一言先づ反問のない前に弁明を致して置くのでございます
玆に第一に申上げて置きたいと思ふのは、成丈け此商業学を修むる生徒に対して私の希望は、其の学問の広いと云ふよりは、精いと云ふことを心懸けたいと思ひますのです、尤も学ぶと云ふ所から論じますると、努めて其境域の広くして何事にも通達すると云ふことが欲しいのです、去りながら又人の脳力には限りもありますし、寧ろ多くの事柄を浅はかに知るよりは、成丈け其中の重なる物を備かに心得ると云ふ方が、実地に処して利益が多からうと思ひますで、故に商業教育は広いと云ふよりは精いと云ふ方を主として、平日の授学に心を用ゐられたいと思ひます、例へば学科に付ても単り商業教育のみならず、一般の学校に付きましても私共の側から見ますと、蓋し今日の学制は広きに失して精きを欠くとでも言ひたいやうに思ふのでございますからして、精々此点には御注意を篤くなされて、出来得る限り科目は節約して、さうして其節約した科目に付ては十分に修めて、其手続が能く呑込み得られるやうに、詰り教師が親切にあれかしと云ふことを望みます次第でこさいます、独り商業学校ばかりではなく、一般の学問に対しても自分の卑見は、左様ありたいと希望致しますのでこさいます
次に申上げて置きたいと思ひますのは、言取りが甚だ致し悪うござい
 - 第26巻 p.841 -ページ画像 
まするけれども、先つ此教育の方法を、注入主義と云ふよりは寧ろ自修的に、させたいものと希望致します、既に教へると云ふ側から論しますると、到底吹込まざるを得ぬ訳であるから、其生徒の心任せにしたならば、決して十分な勉強も亦た十分な修得もなし得られぬでありませう、故に止を得ず学問と云ふ側からは、家庭に於ても其生徒が帰つて来たならば、必ず復習せよと云ふて、督励しなければなりませぬし、又其在校中教員、殊に全体を統理なさる校長の御方々が努めて之を怠られぬやうになさると云ふことは、蓋し注入主義になりまするかも知りませぬけれども、物を拵へなす如く、所謂鉢植主義に指導をして行くことは、どうしても面白からぬやうに考へます、然らば如何にするか、どう云ふようにやつたら宜いか、と云ふ御反問は御答に窮します、自分は其教務に従事しませぬが、併ながら大体の主義からして考へますると、学ばなければならぬと云ふ命令法で教育すると云ふよりは、其生徒自身が自力を修めなければならぬと云ふ観念を起させるのが、甚だ利益であらうと思ひます、申す迄もごさいませぬ、諸君の御承知の英吉利に於る授学の流儀と独逸の流儀とは、教師の心得方も教育の方法も大分違う如くに承りまする、併し是等に付ての得失優劣は、私は玆に速断して申上げ兼ねますけれども、惟ふに此商売人など成り得べき丈け、己の心から事物の発するやうに仕組んで行きたいのです、旁々以て総ての生徒に皆此主義が徹底すると云ふことは、或は能はぬかも知れませぬけれども、諸君が一校を統治するに於て、成たけ生徒の自修観念を強めると云ふことに御努めあらんことを希望致します、詰り私の希望は大体に付ての空論たらざるを得ますまいけれども、自分の考へる所は左様致した方が、其就学の生徒にも利益であらうし、商業教育としても左様にあつた方が、効能があらうと思ひますのでございます
それから第三に申上ますのは商業道徳のことであります、既に修身とか倫理とか云ふことは、相当な科目も設けられて居りますからして、此道徳とか徳義とか申すことに付ての教育は、今日はソレソレ備つて居るやうにございますが、商業者の将来は所謂信用を以て、資本とせねばならぬと云ふことは論を俟たぬことで、而して其信用の基は手短かに申すと、嘘を吐かぬやうにせねばならぬと云ふのであつて、支那教育で申すと云ふと、或は孝悌忠信又は誠実律義抔云ふやうな事柄が甚だ必要である、然るに今日の商業上に付て、否商業ばかりではない押並べて世の中が嘘偽りを程能く言ふが、人の智慧の如くに誤解する風習は、余程強く行はれて居るやうに思ひます、種々なる方面に実に嫌ふべく忌むべきことが始終聞こえますのは、是は独り商業者ばかりではない、御互に甚だ此世の中に訴へて、矯正せねばならぬことゝ思ひます
政事に従事せる人は或は止むを得ぬ、所謂方便と云ふこともあるか知らぬが、商業者は前にも申す通り方便抔の必要はない、殊に信用と云ふものは、何から起るかと云ふと、偽らぬと云ふのが根源である、偽らぬと云ふ根源がなければ、信用と云ふものが生じやう筈はない、信用と云ふことを論じながら、甚だしきは卑劣な商業者は嘘を一の資本
 - 第26巻 p.842 -ページ画像 
にするなどゝ云ふ誤解を以て、それを甚だ恥づべきことでない如く言做して居る者がある、随分私共の友人にも偶々あるのです、之を体能く懸引などゝ云ふ、既に懸引と云ふは取りも直さず嘘と云ふことになる、此悪弊をばどうぞ商業界から、追払つて仕舞はなければなるまいと、自分等は実に刻苦致して居りまする、是は即ち生徒を教育するに付て其蘖から、十分に御心を用ゐて下さらぬと、成長した枝を矯むることは益々骨が折れる、現在の商業界に居る者は、中には本統の教育を受けて成立つて居る者もございますけれども、吾々年輩の者は皆俗に申す腰験し業で、多少聞覚えに、学理的の論もしますけれども、併し淵源を備へて居るとは申されぬのである、又一方には支那道徳の素養ある者もございますけれども、是等は一般の気運に連れて自から世に疎んぜられて居る、然らば則ち果して今日の人心を維持するものは何であるかと云ふと、唯功利あるのみと言ふ様になります、併し斯の如く其地位を墜し其品格を損して、終に其功利をも得ることは出来ぬのであります、之を極く商業道徳などの高い国から見られるとどうも日本の人は相手にならぬ、日本人の云ふことは少しも信用が出来ぬと云ふやうにまで成り行きはせぬか、斯う考へますると実に商業の未来が、甚だ心細いやうで憂惧に堪へませぬ、是は先づ現在の有様であるから諸君に訴るのでもなし、又諸君に直して戴きたいでもないが、是から先き商業界に力を有つべき生徒を養成する任に当たる諸君はドウゾ未来は十分御心を用ゐて戴きたいと云ふことは、余程強く申上げなければならぬと思ひます、之を平たく申せば商売人にならうと思ふならば、一言でも嘘を吐くと云ふ考があつてはならぬぞと、時々刻々に御示しになる事が必要である、嘘を吐くやうであれば決して商売人ではないと迄、私は言ひたいのでございます
更に今一つ申上げて置きたいことは、是も漠然とした企望で、果して斯くしたら其希望が達するであらうか、其希望を達するには如何にしたら宜からうかと云ふ反問に対しては、私も御答に苦しみますけれども、併し成べく丈商業者の人格を高めると云ふことに心を用ゐたいのです、前に申す通り、如何に嘘を吐いてはならぬと云ふ丈を、主義として養成して行くにもせよ、根か錙銖の利を争ふと云ふ職に居るのです、此商売人が唯風月を楽むとか哲理を論ずるとか、若くは学理の蘊奥を発明するとか、夜も寝ずにさう云ふことを思案して、始終ぼんやりと一種の隠者見たやうな風彩に心を用ゐられた日には、決して日常の事務が順能く運んでは行きませぬ、故にどうしても商業者は第一に其事柄に付て得失を論究します、物を売らうと言へば価を高く売りたい、買はうと言へば廉く買ひたい、其の高い廉いは何に依るか、即ち銭に依る、始終此計算と云ふものが其行為を離れませぬ、其計算は多いとか少ないとか、乃ち得失多少を論ずると云ふことは決して卑しいことてはないが、併し此風月を楽むとか、哲理を論ずるとか云ふ如き高尚のものではない、昔日の風習は此等の行為を甚しき卑事と解釈したのは間違つたのであるが、其務めは至つて俗務である、極く煩雑した事柄であると云ふことは免れぬ、之に従事する人間ですから動もすると見識が低くなつて了うて、悪くすると拝金宗になつて、金さへ多
 - 第26巻 p.843 -ページ画像 
くあれば人間は貴いと云ふ誤解を惹起す、是はもう人格が大に降つて来る、亜米利加あたりの拝金宗と云ふても其中に豪い人がありますが日本の気風では唯それのみに拘泥する人であつたら、決してそれを人物とはせぬであらうと思ふ、又之を尊敬は致さぬであらうと思ふ、故に此商業界に居る者は、努めて此気韻を高める様に致したいのです、蓋し此気韻を高めるとか、気位を高尚にするとかと云ふ言葉が、極く適当な字で、言ひ現はし書現はすことは、実に苦しみます、偶々気韻を高めると云ふと、妙に光風霽月の虚無を楽むやうになつて来る、左様に気風を高めては商売人を止めるより仕方がない、気位を高くすると云ふと人に対して倨傲になり、他人の言ふこと抔は聞かぬ様になるさう云ふ商売人は、世の中に容れられぬ、既に世の中に容れられぬから宜い事をなすことも出来ぬ、然らば人格を高めると云ふことは出来ぬ、到底人格を高めるのと俗務を処するのと、二つながら得ることが六ケしいと云ふことに帰しさうですが、併し私は決してさうでないと思ふ、如何に塵務に処しても人格を高めることは十分出来る、又気韻を高尚にすることも十分に出来る、是は其人の心の用ゐ方である、又左様に心を用ゐしむるやうに側からの仕向け方で、或は少年からしてさう云ふ心を、追々に成長し得ることが出来るであらうと思ひます、故に此商業者に於ては、別して人格を高めると云ふことに心を用ゐませぬと、働けば働く程其人が卑しくなる、英吉利人などが錙銖の利を争ひつゝ人格の高い、冒すべからざる気性を有つて居ると云ふことは私は羨しう感じました、又亜米利加は亜米利加として一種の風を有つて居る、独逸は独逸として一種の風を有つて居りますが、殊に英人の冒すべからざる気性を備えて居りますことは、真に敬慕に堪へぬやうに考へます、どうぞ我が未来の商人は一層此人格を高めたいと云ふことの希望が甚だ切でございますから、此事も併せて申上げて置くのでございます
最終に今一つ申上げて置きたいのは、今日は学問の総ての方面が斯う云ふ手続で教育するやうに相成つて居りますから、昔日の支那教育に比べますると、師弟の関係、学校に対する生徒の思入りが甚だ薄くなつてをる、是は方法の然らしむるのですから、其厚薄に付て善悪を論ずるのではありませぬが、私の希望する所では余程此学校、若くは教員、若くは此学校を司配する職にある人々が、敢て自から高ぶるとか自から尊大にするとか云ふ趣意になる訳ではないが、成べく生徒をして其学校を思ひ、且つ敬うと云ふ精神を、取失はぬやうに心懸けさせなければいかぬと思ひます、併し之は校長からは申し悪いかも知れませぬが、生徒其者に此学問を重んずると云ふことから、是非此風を養成しなければならぬことゝ自分は思ひます、此教育がもう一歩下つて参りますると、甚だしきは若旦那が碁打を呼んだ、御嬢さんが踊の師匠を呼んだのと同じ事になつて了ひます、是は私は教育と云ふ側から余り褒めべきことではないと思ひます、唯教師に対して恐れるとか、又は教師が威張とか云ふやうにはありたくございませぬけれども、其学校に対し其教員に対して、生徒は常に之を崇拝し、其職員に対して生徒は始終辱けない、又甚だ恐れべきものであると云ふ、所謂威儼も
 - 第26巻 p.844 -ページ画像 
恩恵も共に含んで重んじ、且敬すると云ふ念を有たしめるやうにありたいと考へます
近頃段々世の事物の進んで来るに付ては、或る場合には学問の出来る若い人を使うが宜からうと思ふ、其若い者も年を取ると段々世事に疎くなるか、若くは思慮が老衰するとか云ふやうになつて、新しき者を迭へて行くと云ふが如き議論もあるやうにございますけれども、是も私共は余程注意をせんければならぬと考へます、己が老人で斯様な事を申すと、矢張り学校と生徒との関係を見たやうに、自からを回護するとか、或は庇保するとか云ふやうな、嫌ひを生ずるかも知れませぬか、世に経歴の多い者に対して重きを置くのは、事物の過ちを防ぐに必要である、支那教育には、長者を敬すると云ふことは頗る重くしてある、蓋し唯年を余計取つたからそれを敬ふのではなく、世故に慣れて居る経歴が多いから、間違が少ないと云ふを以て尊重すると云ふ訳であらうと思ふ、併し此世の中が進むと云ふ方からしては、或は古の教育が世の中に廃れると、新しい教育が自然幅を利かせる、遂には其善悪はまだ分らぬのに、古い事物は粗略に考へると云ふ弊害は、或る時代には偶々起る、今日学校に対する生徒の観念なども、今申すやうな流行の如く考へて、何に月謝を払ふて稽古を買ふて来ると云ふやうに心懸けると同時に、其長い経歴、長い実験を粗略にすると云ふが如き風習も共に行はれるのは、私は今日の通弊と惧れて居ります、欧米を旅行致して見ますると、英吉利は最も此経験を重し、古風な事を尊ぶと云ふ習慣が至つて強いやうです、亜米利加は或は若い人が随分大事に当たり、世の中に余程早く用ゐられて居るやうに見受られます、但し若い人を早く用ゆるので、年寄がさう棄られて居ると云ふのではないと申して宜からうと思へます、教育に付きましても、殊に英吉利は、其場所、其教へた人に対しての情愛は、決して日本の如く学校を去れば直に路傍の人と云ふ有様には相成つて居らぬやうに見受けられます、日本の教育は一歩誤りますると、甚だしきは前に申す若旦那の碁の稽古、御嬢さんの踊の稽古の如くに、行き走りはせぬかとまで気遣ひます、是は余程憂ふべきことゝ考へまするから、努めて教育に従事する諸君には、自からも重んじ、又生徒をして、不断に其誤解を惹起させぬやうに、御心懸けあらんことを希望して止まぬのでございます、詰り是等は必ず其秩序を重ずる為めに、其人達の世に処して誤りを防ぐの大必要の事柄と考へまするのでございます
今申上げましたる四つ五つの廉々は、果して諸君の現に御執りなさる教育上の方針に付て、総て適切なる事柄とも申上げ兼ねまする、是等は平生にあることで、此学校教育の手段として聴く必要はないと、或は御笑ひを受けるかも知れませぬけれども、前にも申上げました通り教育専門の私でございませぬから、教育の方法に付て諸君を裨益することは出来ませぬ、唯平生商売人となるべき生徒を御扱ひなさると云ふに付て、斯かる事柄に御心付きを願ひたい、斯かる事も御注意が欲しいと云ふ自分の婆心を呈したに過ぎませぬ、蓋し斯く申上げました廉々の中に或は、諸君に於て、それは大きに考が違う、其説には同意が出来ぬと思召すこともございませうが、玆に心付きました丈を陳述
 - 第26巻 p.845 -ページ画像 
して、御参考に供しましたのでございます、是で御免を蒙ります


中外商業新報 第六四〇三号 明治三六年五月二二日 ○全国商業学校長会議(第四日)(DK260145k-0003)
第26巻 p.845 ページ画像

中外商業新報  第六四〇三号 明治三六年五月二二日
○全国商業学校長会議(第四日) 全国商業学校長会議は、昨廿一日も引続き東京高等商業学校内に於て開会、当日は渋沢男爵の商業教育に関する演説ありたり、其要旨は、一、広きを避けて狭き方針を以て教育を施すこと、即ち商業教育は学者を造る処にあらす、商業に適切なる人物を造るにあれは、広く各種の事を教ゆるを避け、商業に適実なる課目を選ぶを要す、二、学生に対し注入的教育を避くる事、三、学生の気韻を高むる事、四、学校出身者は兎角愛校心に薄き嫌あれば、卒業生と学校と連絡を附け、直接に間接に学校を保護せしむること、五、老功者を軽ずるは立身の途にあらず、左れば商業に経験を有する先輩に対しては優遇する意思を保持せしむる事の五段階に分ち、約一時間の演説あり、夫れより協議案(昨廿一日本紙参照)委員会の報告あり、正午散会し、午後は文部省の諮問案に対する委員会を開けり、尚ほ本日午後五時より菊地文相・真野実業学務局長・田所秘書官、中川・野尻・針塚の各視学官を招待し懇親会を開く筈なり

   ○地方商業学校長会議ハ五月十八日ヨリ同二十二日マデ東京高等商業学校ニ開催セラレ、全国三十二商業学校長出席ス。会議内容ハ、文部省諮問案一項・協議案八項・報告三項ナリ。(「東京高等商業学校同窓会会誌」第二八号ニ依ル)


中外商業新報 第六四〇二号 明治三六年五月二一日 ○全国商業学校長会議(DK260145k-0004)
第26巻 p.845-846 ページ画像

中外商業新報  第六四〇二号 明治三六年五月二一日
    ○全国商業学校長会議
目下開会中なる全国商業学校長会議に於ける議案及宿所等左の如し
      建議案         提出者 井出力之助氏
 第一 明治二十五年文部省令第十一号中に小学校と同程度の官公立学校は、之れを小学校に準すとの意味を追加せられたきこと 右省令の改正を其筋に建議する件
 第二 乙種商業学校入学の程度を高等小学校二学年修了以上とし、甲種商業学校の予科を廃し甲乙丙種の連絡を計ると同時に、現制の高等四学年程度を断然廃止せしむることを其筋に建議するの件
      協議案         提出者 松村明敏氏
 第一 甲種及乙種商業学校必須科目改正の件
 第二 商業補修学校組織の方案
 第三 商業学校生徒の行商を禁止するの件
 第四 女子商業教育実施の方法
 第五 商業補修学校及小学校商業科教員養成の件
  外十数件
      報告
 第一 各学校生徒品性陶冶に関する実況
 第二 各学科授業に関する実況
 第三 各学校管理及其他に関する実況
      協議案 第二
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 第六 各地商業学校生徒にして、其土地主要物産類に付、売買・慣習を取調へたるものを印刷に付したるときは、互に之を交換すること
                  提出者 松村明敏氏
 第七 商業学校教授細目選定の方法如何(文部省に選定を申請すへきか、又は学校側にて選定委員を定めて調査せしむへきか)
                    松村明敏氏提出
 第八 宿泊修学旅行を有効ならしむるの方法
                    加藤正生氏提出
 
 学校名     校長氏名     宿所
 市立松本    木沢鶴人  神田区駿河台西紅梅町浩養館
 市立横浜    美沢進
 茨城県立    大友泰一郎
 市立下ノ関   斎藤車八郎 小石川区戸崎町九三片桐方
 滋賀県立    安場禎次郎 麹町区中六番町三九中村方
 市立福岡 心得 永田益一  神田区神田橋外昌平館
 宇和島     松村明敏  神田区錦町三の十七明凌館
 府立京都    三戸得一  同表神保町日芳館
 市立長崎    加藤正生  小石川区上富坂町十五
 市立高松    前橋孝義  牛込区若宮町三五吉川方
 市立久留米   浅野陽吉  麹町区富士見町一松葉館
 市立長野    川口酉三  同飯田町三の三十白勢方
 八幡浜     陶山斌次郎 日本橋区本石町四の七万治支店
 笠岡      泉屋清次郎 神田区錦町三の峡陽館
 浜松      小原右馬允 本郷区弥生町三久保方
 函館      神山和雄  神田区表神保町日芳館
 大倉   主事 立花寛蔵  麻布区三河台町十四
 高岡      大坂栄   神田区新石町十四山口方
 湊    教諭 高松大蔵  牛込区北山伏町二十一菅田方
 名古屋     市村芳樹  神田区表神保町日芳館
 熊本      山口誠一  本所区小泉町三二藪方
 京都簡易    井手力之助 麹町区飯田町飯田川岸荒井方
 四日市     千野郁二  牛込区若宮町二十六
 私立大阪    野口銈太郎 神田区錦町三の峡陽館
 岡山      小田堅立  神田区駿河台鈴木町日昇館
 鹿児島     萩原英助  芝区芝口一の蓬莱屋
 金沢      永野耕造  麹町区下二番町四〇横田方
 京華      磯江潤   本郷区駒込東片町九六
 甲府市立    村松弥一郎 京橋区加賀町一伊藤和三郎方
 静岡      岡田禎三
 愛媛県立    蒲生保郷