デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第29巻 p.14-57(DK290004k) ページ画像

明治15年7月14日(1882年)

是日栄一、夫人千代子逝ク。仏諡シテ宝光院貞容妙珠大姉ト曰フ。十月二十二日本葬ヲ執行ス。


■資料

はゝその落葉 穂積歌子著 第二四丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0001)
第29巻 p.14 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第二四丁 明治三三年二月刊
    巻の一
○上略
今年 ○明治一五年夏の始つかた。大人には銀行の支店見めぐり給はんとて。陸奥の方へ出で立たせ給ひけり。まだ御旅路におはします頃より。をちこちに悪き病流行するよし聞えけれバ。いといと心もとながらせ給ひ。とりわけ帰り給ふ程を待ちわびさせ給ひけり。我夫とわらはとの御傍に侍る折は御けしきいとうるはしくましませども。常ハ何となう御心細げに見え給ふとこそ人々ハ云ひしか。後に思へばおのづから此頃ほひより御身の弱らせ給ひけるなるべし。大人帰りまして後。あしき病ますますひろごり行くにぞ。西が原なる別荘は人里も遠く静かなれバとて。七月七日の頃我夫とわらはとをも誘はせ給ひ。そこに移らせ給ひけり。十二日の夜いとのどやかによもやまの御物がたりして。更たけて御前を退きたりしが。其時までハつゆ常にかはれる御ありさまも見えさせ給はざりしに。あくる十三日の暁がた俄に御病おこり。とみにおどろおどろしく悩ませ給へバ。ありあふ人々驚きあわて。まづそれそれへ人走らせ。いかにせましと騒ぎまどふほどに。常に親しく来通ふ医師猿渡ぬし直ちにはせ来られ。つと御傍にありてミとりまゐらせ。つゞきて池田・樫村・佐藤・べるつぬし。など名ある国手たちをむかへ。力のかぎり治療に治療を施しまゐらせけれど。いさゝかもしるしなく。終に十四日の夕つかた。四十二の御齢を一期として、はかなくならせ給ひにけり。 ○下略


はゝその落葉 穂積歌子著 改訂版・第四七―五一頁 昭和五年一〇月刊(DK290004k-0002)
第29巻 p.14-15 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  改訂版・第四七―五一頁 昭和五年一〇月刊
    巻の一
○上略
 今年 ○明治一五年の夏の始、父上は銀行の支店視察の為め奥州の盛岡辺まで出張されたが、まだ御旅行中の頃から所々に虎列剌病が流行すると云ふので、非常に心配されて、とりわけ御帰りを待ちかねられ、私夫婦が御傍に居る時は御機嫌がよいが、常は何となく御心細さうに見えると人々が云うたが、後に思へば自然此頃から御体が弱つて居られたと見える。
 - 第29巻 p.15 -ページ画像 
父上が帰られて後、悪疫はいよいよ蔓延するので、西が原の別荘は人里も遠く静かだからとて、七月七日に私夫婦をも誘はれてそこに移られた。十二日の夜も大層のどかに様々の御話をして夜更けて御前を退いたが、其時まではすこしも常と変つたところも御見えにならなかつたのに、翌る十三日暁がた俄に御発病なされ、急に御重態になられた故、居あはせた人々は驚き周章て、まづそれぞれへ人を走らせどうしたらよからうと騒ぐうちに、主治医の猿渡常安氏が直ちに馳せつけられ、御傍に附き切りで看護され、続いて池田・樫村・佐藤・ベルツ氏等名医の方々を迎へ、力のかぎり治療されたがすこしも効果なく、十四日の夕方に四十二歳を一期として終に御逝去あらせられた ○中略
 父上はじめ誰も誰も、只夢に夢みる心地がして何事も手につかず、ことに私たちは、世もこれで尽きはてた様に思はれて歎きまどう外は無かつた。然し只泣いてばかりは居られぬ故、泣く泣く且大いそぎで仮の御葬儀を取り行つたのである。
 言ふはつらいが、言はねば胸のふさがりが晴れぬのは、深い悲歎の追懐であるから、今少し話さう。母上の御病気は、流行の悪疫に類似の症であつたのである。最初からひどく懼れられて、予防におろそかは無かつたのに、どうして感染せられたものか。それで早速届け出すと、検疫係りの警官が出張し、みだりに病室に出入することを禁じられ、看護人も始めに定めた人々の外は許るされぬなど、勿論当然の処置であるけれど、世事に慣れぬ婦人たちには、何やら御病人が罪人視される様に思はれて、此上なく情無い気がした。
 いよいよ御臨終といふ際にも、常には片時も傍を離されなかつた愛児たちにも、取りすがつて泣くことすら許されず、間を隔てゝ伏し拝ませるばかりであつた。涙ながら訣別せられた父上が泣入る琴子・篤二の二人を引きつれて、病室を去られた時の有様は、時々目先にちらついて、私の為には生涯の悲劇である。其夜すぐに荼毘所へ御送り申さねばならぬので、御召物を新調する暇は無く、有合ひの白無垢を召させて、柩に納め奉つた。白蝋の様な御顔が、最後に御棺を閉づる時には、安らかに神々しく見上げられたのがせめてもの慰めであつた。
○中略
 十五日の朝御骨上げして、御遺骨を飛鳥山邸に帰へし入れた。今まで親戚中に火葬せられた方は絶えて無かつたので、私共には始めての事であるから、余所にばかり聞いて居た無常迅速といふことが、ひしひしと身に迫つて感じられた。
 極暑の時節殊に悪疫流行の折柄故、十六日に略式の葬式を営み、御戒名を宝光院貞容妙珠大姉と諡せられ、御自身択んで置かれた谷中の墓地の、杉の木立繁く苔の露深い所に御遺骨を埋葬した。
 ○中略 十月の二十二日、百ケ日の御忌日に御本葬が執行せられた。御着なれになつた御召物をかたしろとして柩にをさめ、深川の家から送り出し、上野の御寺で荘厳な御葬儀の式が行はれたのである。
○下略


渋沢栄一書翰 尾高惇忠宛 (明治一五年)七月一六日(DK290004k-0003)
第29巻 p.15-16 ページ画像

渋沢栄一書翰  尾高惇忠宛 (明治一五年)七月一六日  (尾高定四郎氏所蔵)
 - 第29巻 p.16 -ページ画像 
 ○本書冒頭破損ニツキ上略。
十三日夜ハ先相凌、翌十四日ニ至り、早朝より又外国医師ベルツと申すもの相招、且池田・佐藤も交々来会候得共、如何とも方策無之と相見ヘ、午後四日《(時カ)》ニ終焉仕候、誠以丹精之甲斐も無之、小生ハ勿論、家眷一同悲傷無涯、御憐察可被下候
右様之急症ニ付、不得已医師と相談し、類似虎列剌と御届もいたし候故、葬儀も内葬式ニいたし置、他日本葬式可致と存し、即死去之夜ニ規則之如く火葬ニ取計、今日上野寛永寺墓地ニ埋骨仕候(午後三時)血洗島手計又吉見抔ハ近傍ニ付立会来候得共、貴方仙台等ハ追而本葬儀之時と存し、態と御出京無之様、電報も仕候義ニ候間、不悪承引可被下候、真ニ可惜之至、所謂苦労中ニ右様之劇症ニ感し、生前ニハ充分後事相議候場合ニも不相成、遺憾之至に候、併当春長女新婚も相済穂積も同居為致候間、看護其外ハ頗行届候ニ付、敢而只残懐と申のミニも無之候、只可憐ハ手計おくに抔、真ニ慈母ニ離れ候想を為し、悲傷如何とも困却、且長女及子供両人後来之世話方ニハ小生も殆困却仕候、僅々両日之間病気、死去後又両日ニても妻も失て子之愛を増し申候、右ニて百事御推察可被下候
右者不取敢今日寸間を得、凶報詳細申上度如此御坐候 匆々
  七月十六日
                      渋沢栄一
    尾高大兄
 尚々御一同ヘ宜御願申上候
 此度ハ大川姉・勝五郎・平三郎、其他いつれも実ニ勉強看病もいたし呉、且後事之世話も行届申候、聊荊妻平日之世話甲斐有之候事と小生も大悦之至ニ候、右等ハ不幸中之幸福ニ御坐候
 両日を過候得共一同無事、先心配無之候、乍去予防注意ハ充分ニいたし居候、御省念可被下候


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一五年(DK290004k-0004)
第29巻 p.16-18 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一五年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
七月十三日 曇
今早朝川口良作王子より医者呼迎ひニ参り候趣ニテ、立寄申ニハ、奥方様昨夜午後三時《(午前)》より御発病、御下痢御座候テ、纔三・四回ニテ音声枯れ且御眼が非常ニクボミ、御苦患之よし申ニ付、小生速ニ出張致し可申一ト足先ヘ参り候様川口良作ニ申付夫より早食致し、第一国立銀行ヘ出頭候処、行違ひニ大川栄八郎殿弐人引之車ニテ小生迎ひニ参、深川ヘ参り候よしニ付、増田氏ニ頼置、直ニ出頭、奥ヘ通り主君ヘ御目通り致し、直ニ表座敷奥様御寝所ヘ伺候処、余程音声枯れ、御苦労之体ニ御座候、医者ハ猿渡親子並大学病院長樫村先生診察、同先生ニハ小生出張之途中俗ニムネツキ坂と申処ニテ出会申候(送リ馬車安五郎駆者)夫より馬車ハ佐藤先生ヘ参リ、最早御出懸ケ相成候趣ニテ、池田先生ヘ廻リ、馬車ニテ御出相成、御立会御診察薬法相成相用候得共、次第ニ御重体相成夕刻ニ相成弥類似症之兆有之候ニ付、届ケ方可然、又看護人も手分ケ取扱可然事ニ医師被申、警察署ヘハ左之通リ
      御届ケ
 - 第29巻 p.17 -ページ画像 
               府下北豊島郡
                西ケ原千三十六番地
                   渋沢栄一妻
                      千代
                天保十二年十一月廿三日生
 右之もの類似コレラと診断致し候間、此段及御届候也
  十五年七月十三日
                   日本橋区
                    薬研堀町六番地
                      猿渡盛雅
    板橋警察署
      衛生掛御中
本文御届ケハ、夜ニ入板橋ヘ使差出候事、直ニ掛リ員出張、コレラ之張札致し、又病室入口ヘ看護人之外猥リニ入ヲ禁ス張札致し、明朝七時迄病気原因始末書差出可申旨、医者常安殿より引合立帰リ候事、偖奥様ニハ終夜御苦痛、医者ハ猿渡両人詰切リニ致し居、加減御薬時々刻々差上候得共、薬験無之事
    看護人ハ
      大川御新造
      尾高おとよ
      増田すま
      金子おまつ
      川口良作
      芝崎確次郎  臨時内外兼帯
      尾高勝五郎
     〆
      尾高御新造  是ハ翌十四日来荘看護ノ事
七月十四日 晴
今朝ニ相成候テモ御容体悪し敷、昨夜カラシノ脚湯致し候得共、本日も同様脚湯正午時頃致し候、次第ニ御疲労、御声更ニ立不申、只御苦痛大患ニ御座候、佐藤進先生参リ居、午後三時半御臨終之際江独乙人ベルツ氏参リ、一層之手当致し候得共、無其甲斐御逝去被遊、残念之御事ニ御座候
  御主君ニハ佐崎可村之宅他ヘ引越させ、明ケ置可申、亦子供ヲ連レ大川之宅江相避ケ候都合、其余御申置同所江御越相成候跡ニテ急変ニ付急使二回差出、早々御出御臨終御見届ケ相成候
右御臨終相成候ニ付、其際上下動揺不一ト方、泣ハメキ周章仕候旁夜ニ入葬儀之件ニ付区役所及警察署之届ケ致し、会社之役員谷氏其外重立候役人廉々相託し、土葬致し度積之処、流行病ハ火葬ニ限る事ニ付無拠千住焼場ヘ上村之懇意ナルモノ有之候ニ付、同人ヲ差出掛合セ候処、中々此節柄支居、三日目則十六日夜ニ相成不申テハ、焼キニ掛リ不申候旨ニテ、立帰リ種々御評義之上、何与歟工風相付度、又非常之手当ニテ急速取扱依頼之内心ニテ、諸事之御用意相付ケ候事
    手計・血洗島より
  市郎様  おくにさま
 - 第29巻 p.18 -ページ画像 
  御出京相成候得共、御間ニ合不申、落涙之処ヘ御出ニ相成候次第残懐此事ニ御座候
夜ニ入十一時頃より棺ヘ納メ、湯棺ノ節人名左ニ
  芝崎確次郎  川口良作   大川御新造
  須永伝造   大川平三郎  尾高とよ
  渋沢喜作   渋沢市郎   尾高勝五郎
  警察署出張員壱人      同婦美
午後一時穢物取揃人足手配相付《(午前)》キ、不残送送千住焼場《(葬カ)》ヘ罷越し候、小生壱人跡ヘ残、病室其外下男嘉蔵ヲ相手ニ取片付致し、跡消毒施法之上、〆切リニ致し、三時半少々休寐之積リ玄関ニ臥、五時ニ焼場ヘ参リ候方々一同帰邸、尤明日十時より火ヲ掛ケ候事ニ付、関直之其外四五人番致し居候
  主君ニハ表御門脇可村之宅ヘ、若様・琴様御同道ニテ御泊リニ被為入候、附女中ハ大亦よし枝、熊枝、なつ、男ハ大橋嘉蔵等ニテ守護致し候
七月十五日 晴
今朝右取込、諸方ヘ電信或ハ案内状認メ差出し方、又内外用ニテ大混雑致し候、十一時より須永・尾高之両人千住焼場ヘ立会ニ罷越し候、小生ハ左之案内状諸方ヘ差出し候、其文左ニ
 陳ハ奥様御義、去ル十三日暁より御発病、下痢御座候ニ付、早速医師も参リ御手当有之候得共、御疲労相増し、猿渡親子・池田・佐藤・樫村之諸先生、並ニ独乙人ベルツ氏等ニテ百方御尽力致し候得共、終ニ類似症之事ニ相成、其筋ヘ御届も致し候、其後追々御重体、御養生不被為叶、昨日午後四時ニ御逝去相成候、誠ニ残念之至ニ御座候、御葬式之義ハ明日午前八時(火葬)、寛永寺ヘ仮葬式被遊、追而御本葬被遊候御都合ニ付、時節柄此度御出京無之様致し度、右御案内可得貴意旨、主人より被申付如此御座候 匆々敬白
  十五年七月十五日
                      渋沢執事
    各位
寛永寺之方ハ谷敬三殿並鈴木善三殿両人ニテ聢と引合致し置候
午後六時骨上ケニ参リ、小生ハ嬢様・若様之代理兼、若旦那と馬車ニテ参リ、焼場ニテ須永・尾高信吉・斎藤峯吉・大川兄弟・渋沢市郎・関直之ニテ、未ダ火之有ル処拾ひ揚(是ハ本職ニ取扱ハセ申候)而シテ暮方寛永寺江持込預ケ置、此夜之番人ハ須永伝蔵・渋沢信吉両人ナリ、夫より王子ヘ帰リ、明日葬式之手配奔走致し候、終夜不寐候
  主君ニハ若様・琴様御連レ可村之宅ヘ御越し、御休寐之事


御悔到来帳 明治一五年七月一四日(DK290004k-0005)
第29巻 p.18-23 ページ画像

御悔到来帳  明治一五年七月一四日          (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)
明治十五年七月十四日
         御悔到来帳

    七月十四日
 一 金壱円                     清水武治
 - 第29巻 p.19 -ページ画像 
 (○ハ朱印)                第七拾七国立銀行
 一○西洋蝋燭 壱円五拾銭           代 大塚音次郎
                       王子
 一○西洋蝋燭 壱円五拾銭           八百屋 三五郎
                        三井八郎右衛門
 一○棒砂糖 三本 四円              三野村利助
                          今井友五郎
                       王子田中屋事
 一○素麺 壱箱 五拾銭             三上金左衛門
 一 金五円                    浅野宗一郎
                          西園寺公成
                           斎藤純蔵
                         三井八郎次郎
 一○香 七円五拾銭
                         佐々木勇之介
                          須藤時一郎
                         向井小左衛門
                           飯沼長蔵
                           綾部平助
                            小林桂
                           東条昌太
                           平内彦三
                           新井十三
                           水野西陰
 一○西洋蝋燭 五円
                          斎藤熊四郎
                           三上靖秀
                           川井伝平
                          小笠原喜八
                            小熊保
                           田辺鶴松
                           有沢孫七
                          杉山熊太郎
                           藤村利之
 一 金千疋                      小松彰
    七月十五日
 一○西洋蝋燭 壱箱 五円               大倉組
                       横浜喜助聟
 一○西洋蝋燭 拾弐包 弐円五拾銭         清水満之助
 一○西洋蝋燭 壱箱 五円              種田誠一
                           西村勝三
 一○西洋蝋燭 拾五包 三円
                           依田柴浦
 一○日本蝋燭 壱箱 壱円              川村伝衛
    七月十七日
                       瓦斯局人足
                          田中巳之松
                          石井伊之助
                           吉田兼吉
 一○西洋蝋燭 十 弐円
                          田中惣兵衛
                          井村秀次郎
                           山田為吉
 - 第29巻 p.20 -ページ画像 
                          上村欣一郎
                            山崎一
                          鈴木徳次郎
 一 金六円
                           小寺信徳
                           中村順一
                          小川恒次郎
                          松本幾次郎
 一○茶 壱円五拾銭                伊藤留次郎
                           飯川金蔵
 一○蝋燭箱 六十銭                 川口新八
 一○ローソク 二タ箱 六十銭           小林市五郎
 一 金壱円                    大谷倉之助
 一○茶 壱斤 五拾銭             海老屋喜右衛門
 一○香 壱包 五拾銭                花沢扇寿
 一○香 壱包 弐円                瀬川安五郎
 一 金壱円                     瀬川直吉
 一 金千疋                     猿渡盛雅
 一○線香 五拾銭                 鈴木巳之助
 一○蝋燭 五拾銭               花野屋 金太郎
 一○線香 壱円                  高橋芳兵衛
 一○練物 壱箱 壱円五十銭             斎藤純三
                        滝の川
 一○灯油 弐升                  戸部弥惣次
 一○茶 壱箱 五拾銭               斎藤辰次郎
 一○菓子 壱箱 壱円五拾銭            西園寺公成
 一○日本蝋 壱箱 壱円               堀田端松
                          小野善次郎
 一○切手三円
                          行岡庄兵衛
 一○西洋菓子 小 百和香小箱 五拾銭        田辺南竜
 一○西洋酒 一タアス 四円五拾銭           杉山勤
 一○西洋カステラ 壱円五拾銭            米倉一平
 一○沈香割木 弐拾六匁六分 弐円         清水九兵衛
                          佐竹作太郎
 一○沈香 壱箱 弐円五拾銭
                           小野金六
 一○丸沈香 壱本 弐拾五匁 弐円      第三十三国立銀行
 一○胡麻油 弐升 壱円               小松吉次
 一○油切手 弐円五十銭                日報社
                           条野伝平
 一○油切手 弐円五十銭
                           西田伝助
 一○小奉書 弐タ〆 弐円六拾銭          福地源一郎
 一○草花 壱対 弐円                 新燧社
 一○日本蝋 壱箱 五拾銭             竹本鶴太夫
 一○菓子切手壱円                 広部清兵衛
 箱捨ル
 一 カステラ                    日下義雄
 一菓子 壱箱 三円                蜂須賀茂昭
 - 第29巻 p.21 -ページ画像 
 一西洋蝋 拾弐包 三円               鹿嶋岩蔵
 一○日本蝋 茶フリキ詰一ツ 三円五拾銭       中山譲治
 一○西洋蝋 五函 線香壱函 弐円          梅浦精一
 一○香 壱円                    田島昌作
 一○茶 壱円五拾銭                 木村清夫
 一 金壱円                     福岡春清
 一○乾物 壱箱 壱円五拾銭              谷敬三
 一○葛粽 七十本 外壱品 富貴豆壱皿 壱円    佐々木可村
 一○蝋燭 壱箱 薫物 弐円            常盤屋主人
                             とら
 一○蝋燭 壱円                  髪結
                             まつ
 一○日本蝋 壱箱 五拾銭             岡野栄太郎
 一○蒸菓子 壱箱 壱円               田中譲三
 一 金千疋                     猿渡常安
 一 金弐円                    福田彦四郎
                        猿楽町
 一○菓子 壱円                    御老母
 一○蝋燭 壱円                   穂積重頴
                        参議
 一○酒切手 代八円七十五銭              井上公
                          木下栄次郎
                          長屋玄次郎
                          小原権三郎
 一 香 壱箱弐円                  中村寿政
                          飯嶋藤次郎
                           天野光茂
                           村上正一
                           山石茂忠
                           板井松枝
 一○菓子 壱箱 三円               蜂須賀茂昭
                           御使ニテ
 一○荼 壱斤四 四円               古川市兵衛[古河市兵衛]
                             栗嶋
 一○蝋燭 大箱 壱円
                            綾瀬川
 一○西洋蝋 大壱箱 五円            海上保険会社
 一○香具并香 弐箱 壱円五拾銭           益田克徳
 一○菓子 壱折 壱円五拾銭             川杉義方
                        伊香保
 一○金弐円                     木暮八郎
                        久松座
 一○作花 壱対 五拾銭               橋本茶屋
                        洗濯屋
 一○金五拾銭切手                  竹内定吉
 一○菓子 壱折 弐円              松田旧知事公
                             奥方
 一○蝋燭 壱箱 六十銭              幸手屋庄八
 一○西洋蝋 拾五包 三円七十五銭          平野富二
 一○日本蝋 大壱箱 弐円              花房公使
 一○日本蝋 三箱 壱円三十銭            川上鎮石
                        越後屋内
 一○線香 壱箱                  森本庄太郎
 一○菓子 壱箱 弐円                大沢正道
 一○蝋燭切手 五円               小野善右衛門
 一○清燭 弐箱 壱円五拾銭             横山貞秀
 - 第29巻 p.22 -ページ画像 
 一○御料理切手 代金五円              市川好三
 一○蝋燭 弐箱 壱円五拾銭             藤井能三
 一○茶 壱箱 壱円五拾銭              小嶋信民
 一○カステーラ 壱箱 線香 壱箱 弐円       池谷貞司
 一○砂糖 壱箱 壱円五拾銭            徳川昭武公
 一○菓子 壱折 壱円五拾銭             永富謙八
 一○西洋蝋燭 弐円五十銭             杉浦寿太郎
                        能州塗物屋
 一○線香 壱箱 五拾銭              中尾屋彦平
 一○線香 壱箱 五拾銭              下田文次郎
                          松平慶永
 一○菓子 壱箱 弐円                   公
                          松平茂昭
                        本所
 一○油切手 壱円廿五銭              越後屋平七
 一 金拾円                     戸塚貞輔
 一○花香 壱箱 壱円                 津田束
 一○白砂糖 壱箱 壱円               大木良房
 一○蝋燭 壱箱 壱円                木村義三
 一○棒砂糖 壱本 壱円三十銭            成島柳北
                        建具屋
 一○日本蝋 壱箱 五拾銭               徳次郎
 一○カステーラ 壱箱 壱円五十銭           荒木功
 一 金三円                    長谷川一彦
 一 金壱円五拾銭                  片岡新祐
 一 金千疋                     外山修造
 一 金千疋                    平瀬亀之助
 一 金五百疋                   甲谷権兵衛
                        静岡
 一 金百円                      徳川公
 一○練物 壱折 壱円五十銭            藤田伝三郎
 一○日本蝋 壱箱 五円               平岡集蔵
 一○菓子 壱折 壱円                山辺丈夫
 一 金壱円                     平山省斎
 一○菓子 壱折 壱円五十銭          第十四国立銀行
                        上野屋村
 一 金五拾銭                   大谷孫三郎
                           土橋恒司
                          清水巳之助
 一○西洋蝋燭 弐円五拾銭             川村市兵衛
                           中山為吉
                          佐々木可村
 一○ゆは 白玉粉 五拾銭                村定
 一○菓子 七拾銭                 小山伊兵衛
 一○吉野葛粉 三盆砂糖箱入 五円          玉乃世履
 一 金五拾銭                    穂積耕雲
    八月七日
 一○棒砂糖 三本 三円九十銭            志賀直道
 一 金弐円                      森理七
 一 金五拾銭                   大久保源蔵
  ○西洋蝋 拾五包 三円七十五銭        川崎八右衛門
 - 第29巻 p.23 -ページ画像 
  ○菓子折 五拾銭                 竹部竺治
                           本乃松翁
 一○日本蝋 壱箱 壱円
                          本松斎一得
 一 金弐円                     西田耕平
 一金弐円 ○酢小樽一ツ 壱円           幸松雄三郎
 一○素麺 壱箱 壱円五拾銭             小室信夫
 一○日本蝋燭 大壱箱 三円              益田孝
                        王子
 一○日本蝋 壱箱 五十銭              金子四郎
 一○籠入 椎茸 干瓢 三円             真中忠直
                        野州
 一○御香 壱円                   河野俊意
                        西京
 一○御香 壱円五十銭               川嶋甚兵衛
 一○沈香 壱円                   藤間よし
 一○菓子切手 金五円                笠原平造
 一○線香七本 五拾銭               松原新之助
                           田中平八
 一○御茶切手 代五円
                          田中菊次郎
                        砂村新田掃除屋
 一 日本蝋 壱箱 壱円             榎本音右衛門
 一 金五円                     細野時敏
    ○印品代凡積
     金弐百廿六円六拾銭
  〆
    正金百六拾円七拾五銭
合計金三百八拾七円三拾五銭
一 金弐円                      川村正平
十七年五月中献納                太田町
一金三円也                     高橋波太郎


宝光院殿中陰御法事次第書(DK290004k-0006)
第29巻 p.23 ページ画像

宝光院殿中陰御法事次第書      (渋沢子爵家所蔵)
    宝光院殿中陰御法事之次第
初七日  七月廿八日 午前第九時 百光明供  一山総出半素絹五条
二七日  七月廿七日 〃     法華読誦  同
三七日  八月三日  〃     常行三昧  同
四七日  八月十日  〃     六道講式  同
五七日  八月十七日 〃     法華三昧  同
六七日  八月廿四日 〃     例時光明供 同
尽七日  八月卅一日       胎供    同
 右之通修行候事             東叡山
  明治十五年七月               幹事
    正五位 渋沢栄一殿
            執事御中


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一五年(DK290004k-0007)
第29巻 p.23-25 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一五年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
七月十六日 晴
本日御葬儀ハ都合有之、午後三時ニ延し、漸諸物品相整、十二時小生布施其外見込処上申粗御決定、且適宜ニ取計致し候旨上申、御聞置相成、而しテ寛永寺ヘ出張之途中、鈴木善三殿ニ面語、直ニ寛永寺ヘ同
 - 第29巻 p.24 -ページ画像 
道致し参、夫より谷敬三殿与三人ニテ布施物相談之上、右之通リ取計申候、正午後二時御家族様方御出相成候得共、新規之幕出来方間ニ合不申、大ニ手間取れ、漸出来ニ付、僧着座、焼香順序帳之通リ着座、読経葬儀之式終テ焼香、終テ来会人焼香、終テ墓所ヘ衆僧不残送々《(葬送)》、同所ニ読経、又御前焼香相済、而しテ衆僧退散、御家族御親類方御引取相成ル、若旦那・小生居残、埋方差図致し、十分ニ致し今夜両人附置方花屋辰吉郎ヘ申付置候事
   金三拾円         御布施
   金拾五円         七々日経料
                導師
   金五円             院ヘ布施
                凌雲
                幹事
   金三円             院ヘ布施
                常照
   金三円          同吉祥院ヘ同
   金三円          同等覚院ヘ同
   金三拾六円        衆僧拾八人ヘ布施壱人ニ付弐円ツヽ
   金壱円五拾銭       小僧三人ヘ壱人ニ付五十銭ツヽ
  〆金九拾六円五拾銭
 外ニ金四円          書記其外三人ヘ手当
   金五円          焼出し相頼候賄料
   金五円          同断ニ付茶代
                迎僧弐人
   金四円五拾銭            ヘ別手当
                詰番壱人
                下男壱人
   金壱円五拾銭
                雇人弐人
  〆
○下略
   ○中略。
七月十八日 晴
早朝御邸ヘ罷出、鈴木氏ヘ本所之越後屋呼寄、むし物申付方托し、夫より弐人引ニテ寛永寺ヘ参リ候、途中松坂ヘ寄、前之勘定致し、更ニ新調之幕麻地持出張候様申付、寺ヘ参リ諸事打合、照会済之際ヘ参リ候ニ付、幕用場処見分為致、夫々寸尺記載之上立分れ、墓地ヘ参リ候処幸ひ若旦那被為入居、墓地上家木材悪敷ニ付取替方御談ニ付、無論差替方申付、且初七日前、十九日中出来候様申付候事、植木屋方も土地植込之事共無相違間ニ合候様再念申付、花屋辰吉郎ヘ其他之事共申付ケ退散、帰途第一銀行ヘ立寄、再ひ帰宅大工清水方喜右衛門ヲ呼寄、墓地御門急出来方中等積四十九円余之処ニテ、十九日中出来之筈ニテ申付候、諸手配済ニテ夕刻王子ヘ罷出、主君ヘ御面語同夜一泊致し候去ル十三日已来十八日迄、入用予算相立候処一千円以上之入用与相成候、金四百円之小切手御下附相成候、今夜ハ少々早寐ニ一同致し候事
   ○中略。
七月廿四日
終日在宅、御邸ニテ諸事調物ヲ致し居候、亡奥方御病気中来診之医師江左之通薬礼致し候、但し若旦那謝義物携帯廻勤被遊候事
   金五円          樫村清徳君ヘ
      菓子折壱ツ添
   金拾五円         池田先生ヘ
 - 第29巻 p.25 -ページ画像 
       秋田畝織壱反添
   金弐拾円         佐藤先生ヘ
      外端物一反添
   金弐拾円         独乙人ベルツ氏ヘ
    〆                  謝義
七月廿六日 晴
○上略
明廿七日亡奥方初七日相当《(二)》ニ付、御仏参相成候ニ付、早朝出張手配致し候筈ニテ帰宅臥ス
七月廿七日 晴
早朝谷中天王寺花屋立吉郎《(花屋辰吉郎)》ヘ罷出、御墓所掃除及新規花取替致し、寛永寺ヘ参リ詰番等覚院ヘ面語代拝之旨陳述、未タ九時ニ不相成候ニ付花屋ヘ帰リ亡母之墓参致し、勘定向致し而しテあせ流し致し居候際ヘ御出ニテ、直ニ参リ御目通リ致し夫より直ニ四ツ谷荒木町鞭の湯ヘ御一同御出相成、小生ハ寛永寺ヘ参リ読経、終テ焼香相済シ退散三河町常安先生ヘ立寄候処、御不在ニテ口上申置銀行ヘ立寄、夫より帰宅候事
夜ニ入、主君外御一同共御帰邸相成候
   ○中略。
九月十七日 雲
○上略
 今夜宝光院殿本葬式執行之件ニ付、親類方集会、来十月廿二日与御定日、其外之事ハ一応寛永寺江罷出、式取調其上決定之事
   ○中略。
十月廿二日 晴
休日
本日亡奥方宝光院殿御本葬、出棺午後一時ナリ、馬車拾壱台、人力車数不知、行烈五百人《(列)》、途中雑踏ニ付取締之為メ仲町屯所ヨリ巡査四人借受、守護為致、上野山内護国院釈加堂《(迦)》ニおゐて御式執行、当日上天気、且休日ニ付存外会送人有之、受付ニテ記名之分八百人余有之、非人ハ沢山参リ申候、存外賑々敷葬儀ニ御座候、諸会社より献品有之候、右葬儀ニ付八方奔走尽力いたし、無事整頓致し候、墓参致し、跡仕舞見届ケ、夜ニ入八時半帰邸、何分小生之用向相重リ、尽し切れず、委敷記帳不致、此処押テ可知
   ○右七月十六日・十八日・二十四日ニ見ユル「若旦那」トハ穂積陳重ナルベシ。前掲七月十六日尾高惇忠宛栄一書翰ニ「当春長女新婚も相済穂積も同居為致候」トアリ。


はゝその落葉 穂積歌子著 第二五丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0008)
第29巻 p.25-26 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第二五丁 明治三三年二月刊
    巻の一
○上略 涙にあかしなミだに暮し。かわく間もなき袖の上に。時雨ふりそふ冬の始め十月二十二日百ケ日の御忌日に御本葬をいとなみ奉る。召しなれ給へる御衣をかたしろとして柩にをさめ。深川の家より送り出し奉り。上野なる御寺においてはふりの式いとおごそかにぞとり行ハれける。大人の御光ハ云ふもさらなれど。母君御徳高くおはしましけ
 - 第29巻 p.26 -ページ画像 
れバこたびのかなしみにあたかもおのが親に別れぬるばかりいたみなげく人々かずも知られず。此日御柩にそひて送り奉りしもの三千人に近かりとけりとなん。 ○下略


宝光院殿御葬送之次第書(DK290004k-0009)
第29巻 p.26-27 ページ画像

宝光院殿御葬送之次第書         (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)
宝光院殿
         御葬送之次第書
                    寛永寺
    御葬送次第
  十月廿二日 午後一時 御出棺
  次龕前堂着棺     階下奏楽
    御棺台へ安置
  次施主着座
  次伶人列座
  次奏楽
  次衆僧入堂列立
  次導師入堂
  次止楽
  次列讚 同音之時賦鐃鈸
  次導師登高座
  次着座讚 早鈸一匝
  次法則 有鐃
  次諸天讚 供養段三遍鐃如常
  次奏楽 此間撤鐃鈸賦打鳴
  次導師下高座
  次止楽
  次始経 自我謁此間導師於御棺前焼香献供作法
  次導師着座 向而右之方
  次焼香師
  次奠湯奠茶
  次起龕鎖龕
  次歎徳
  次導師下炬 賦鍬 畢而帰曲〓
  次始経 安楽行間至同音逆行道一遍導師行道無之
  次導師着座
  次施主拝礼
  一会葬諸君焼香《(此ノ一行別筆)》
  次奏楽
  次導師衆僧退去 止楽
    出勤人名
                   寛永寺学頭
  導師                凌雲院暢海
  始経                護国院宣順
  焼香師               青竜院亮常
  歎徳師               春性院守慶
 - 第29巻 p.27 -ページ画像 
  鐃                 現竜院亮邦
                    顕性院侃祐
  諸天讚               勧善院亮実
                    本覚院晃信
                    普門院深敬
                    養寿院純栄
                    円珠院韶儼
                    津梁院光純
                    修禅院良泉
  讚頭                覚成院義栄
  鈸                 見明院融宣
  起龕                吉祥院円朗
  鎖龕                泉竜院潤海
  奠湯                常照院長栄
  奠茶                明王院高善
                知事
                    等覚院光轍
                    寿昌院慈尚
                荘厳役
                    信浄房常仁
                    充潤房覚順
                    十妙房祐観
                侍者
                    教観房円成
                    法忍房亮恭
  右之通候也
   ○右「御葬送之次第書」ノ初メニ次掲行列道順ヲ附シテ「宝光院葬式手続」トシテ印刷セル如ク、ソノ校正刷保存シアリ。ココニハソノ校正刷ニ依ラズ原本ニヨレリ。


渋沢子爵家所蔵文書 【深川区福住町宅ヨリ福島橋通リ…】(DK290004k-0010)
第29巻 p.27 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書
深川区福住町宅ヨリ福島橋通リ永代橋ヲ渡リ小網町通リ小舟町左ヘ堀留町右ヘ大横町於玉ケ池通リ左ヘ東松下町右ヘ小柳通リ昌平橋ヲ渡リ御成道通リ広小路三橋ヲ渡リ左ヘ不忍弁財天前通リ切通シ坂ヲ上リ右折シテ護国院釈迦堂ニ到ル


宝光院殿御本葬御行列之記(DK290004k-0011)
第29巻 p.27-29 ページ画像

宝光院殿御本葬御行列之記       (渋沢子爵家所蔵)
 明治十五年十月二十二日午後第一時、深川福住町御出棺、東叡山護国院釈迦堂ニ到ル
  前駆           関直之
  前駆           清水政吉

  高張          白丁 壱人
  高張          白丁 壱人

 - 第29巻 p.28 -ページ画像 
  伶人             三人
                     馬車壱台
  伶人             三人

  迎僧             三人  馬車壱台

  造華          白丁 壱人
  造華          白丁 壱人

               穂積陳重
  御位牌          渋沢篤二  馬車壱台
               尾高惇忠

  高張          白丁 壱人
  高張          白丁 壱人

  幡           白丁 壱人
  幡           白丁 壱人

  紗灯          白丁 壱人
  紗灯          白丁 壱人

  造華          白丁 壱人
  造華          白丁 壱人

               穂積ウタ
  御香炉          渋沢コト  馬車壱台
               大川ミチ

    御棺脇 渋沢信吉 吉岡新五郎
  御棺          白丁 十人
    御棺脇 岡部礼助 渡辺栄八郎

  天蓋          白丁 二人

  棺台          白丁 壱人
  棺台          白丁 壱人

  造華          白丁 壱人
  造華          白丁 壱人

  紗灯          白丁 壱人
  紗灯          白丁 壱人

  幡           白丁 壱人
  幡           白丁 壱人

  高張          白丁 壱人
  高張          白丁 壱人

 - 第29巻 p.29 -ページ画像 
               渋沢テイ
  親族           尾高クニ  馬車壱台
               渋沢ヨシ

               尾高フミ
               永田ユウ
                     馬車壱台
               木村ノブ
               尾高トヨ

               渋沢五郎
               渋沢喜作
                     馬車壱台
               大川修三
              尾高幸五郎

       尾高勝五郎   渋沢文作
       渋沢愛吉    鯨井勘衛  人力車
               諸井サタ
                時二郎
              新島語三郎
               福岡健良
                同コン
               峰岸ミキ
              尾高治三郎
       須永伝蔵   韮塚
              井原     人力車
 御親戚ノ来会セル者此ノ外ニ数名アリ、会葬者人姓名帳ヲ見ルベシ
  以下会葬諸氏


御悔到来帳 明治一五年一〇月二二日(DK290004k-0012)
第29巻 p.29-37 ページ画像

御悔到来帳  明治一五年一〇月二二日    (渋沢子爵家所蔵)
 (表紙)
明治十五年十月二十二日
         御悔到来帳
                      丸地藤兵衛
                       中川知一
 一菓物 弐籃 大凡五円位         湯浅徳二郎
                       西脇長吉
                       武田信政
                      村木善次郎
 一石油 壱函 大凡三円五拾銭位       増田啓造
                     第四拾五銀行
 一白砂糖折詰 壱函 大凡弐円位       朝比奈一
 一蝋燭 壱函 大凡壱円五拾銭位       山中譲三
 一香 弐包 大凡五拾銭位          金沢徳平
 一金壱円也                羽毛田次郎
                     信州
 一金五拾銭                 伊藤佐七
 一蝋燭 壱函 大凡五拾銭位         藤本精一
 一菓子 壱函 大凡弐円五拾銭位       米川久敬
 正宗印
 一酒 壱樽 大凡拾弐円位        第一国立銀行
 一金三百円
 一石灯籠 壱対 大凡四拾五円位      西園寺公成
                       斎藤純造
                     三井八郎次郎
                     佐々木勇之助
                      須藤時一郎
                     向井小右衛門
                     本山七郎兵衛
                       大沢正道
 - 第29巻 p.30 -ページ画像 
                      小川貞之助
                       鈴木善三
                      脇田久三郎
                      高橋東三郎
                      市川正之丞
                       増田啓造
                      大井保二郎
                      北村芳太郎
                       藤井晋作
                       清水琇蔵
                       江尻雄二
                      西井理兵衛
                        高橋聚
                        蒲義質
                      沼崎彦太郎
                       高橋新平
                        村井清
                      野呂整太郎
                       増田太郎
                     以上
                       新原敏三
 一西洋蝋 拾包 大凡弐円五拾銭位
                      杉村泰次郎
 一日本蝋 壱函 大凡五拾銭位       榎本吉三郎
 一金弐円也                  辻準市
 一金参拾円也                渋沢市郎
 一金拾五円也               尾高勝五郎
 一金拾円也                 大川修三
 一金拾円也                尾高幸五郎
 一金拾円也                 木村清夫
 一金参円也                 根岸俊平
 一金参円也                 大川栄助
 一金五円也                 吉岡十郎
 一金五円也                 岡部礼助
 一金拾円也                 須永伝蔵
 一金五円也                 小栗尚三
                     仙台
 一金五円也                渡辺幸兵衛
 一金参拾円也                穂積陳重
                      井口新三郎
 一茶 三斤 大凡七円位
                      熊谷辰五郎
                    福住町拾五番地
 一胡麻油 代金壱円五拾銭切手         長家中
                      今村清之助
 一西洋蝋  拾五 大凡三円七拾五銭位
                       岡本善七
 一蝋燭 壱函 大凡弐円位          坂本柳左
 一銘茶 切手弐円              芝崎守三
 一西洋蝋燭 壱函 大凡六円位    第七拾四国立銀行
 一西洋蝋燭 弐函 大凡拾弐円位      茂木総兵衛
 一生蝋燭 壱函 大凡壱円五拾銭位      桜田親義
 - 第29巻 p.31 -ページ画像 
 大祭印
 一酒 弐樽 大凡拾八円位        三井物産会社
 一中判奉書 壱〆 凡三円五拾銭位       益田孝
 一水菓子 壱籠 大凡壱円位         木村正幹
 一金千疋                 三井武之助
                       池田宗七
 一生蝋 壱函 大凡壱円五拾銭
                        母伊勢
 一香重函入 一ツ 大凡拾円位       三野村利介
                      西村虎四郎
                       中井三郎
                      今井友五郎
 一御香資 千疋              三井三郎助
 一御香資 千疋            三井八郎右衛門
 一御香資 千疋             三井源右衛門
 一御香資 千疋              三井元之助
 一御香資 千疋               三井高福
 一御香資 千疋              三井宸之助
 一西洋蝋燭 百袋入壱函 大凡弐拾五円位   三井銀行
 一御菜台 大凡弐円位             荒木功
 一香料 五千疋
                       渋沢喜作
 一生花 壱対 大凡五円位
 一西洋蝋燭 壱函 大凡六円位        第二銀行
 一香 弐包 大凡弐円位         向井一郎兵衛
 一手洗石水鉢 壱箇 大凡弐拾円位      平野吉蔵
                      富永愛二郎
                       関口荘八
                       岡田新七
                      和田鎌次郎
                       川崎総輔
                      松田栄二郎
                       椙山貞治
                      小宮乙次郎
                       田中観六
                      志村仁兵衛
                      中村藤二郎
                       深沢四郎
                      高田敬五郎
                      斎藤喜之助
                      山本忠二郎
                       関口正作
                      亀田清二郎
                        黛邦蔵
                       小川友吉
                       渡辺文吉
                      高橋隼之助
                      桂原清二郎
                      中村義太郎
 - 第29巻 p.32 -ページ画像 
                      谷沢勇吉郎
                      小林徳三郎
                       小林三蔵
                      小林藤太郎
                       川上帰一
                       府馬孝志
                       永山猪三
                        原米吉
                      三輪牛之助
                      一色生次郎
                       永石信行
                      飯島甲太郎
                      土田常次郎
                       橋爪惟忠
                       関口慶吉
                        柴田保
                       土屋長則
                      保坂貞三郎
                    早乙女 昱太郎
                      沼崎平四郎
                       山本朝貴
                       田村政基
                       松田常吉
                      橋本孝三郎
                       殿木三郎
                       岡田寅七
                      佐藤清二郎
                      三宅清二郎
                     松永市左衛門
                      山崎彦五郎
                      安原亀太郎
                       塩山信重
                     以上
                      大井保二郎
 一煎餅 四袋 大凡弐円五拾銭位
                       鈴木善三
 一金弐円                  鯨井勘衛
 一洋蝋 大凡壱円位
 一洋菓子 大凡弐円位
 一洋蝋燭 五函 大凡壱円二十五銭位    浅野幸兵衛
 一御菓子 壱折 大凡三円位         芳川顕正
                        西成度
 一生花 一対 大凡五円位
                       坂元政均
 一蝋燭 壱函 大凡弐円位           佐藤進
 一金拾円也                 尾高惇忠
 一金拾円也                韮塚直次郎
 一金壱円也                 福嶋吉平
 - 第29巻 p.33 -ページ画像 
 一金壱円也                 大島喜一
 一金五円也                 井原仲次
 一金壱円也                 鈴木正偉
 一茶切手 弐円               日東銀行
 一同 切手 弐円五拾銭           小西義敬
 一御香 壱函 凡壱円位          土屋清太郎
                        杉山勧
 一洋蝋 廿五 凡六円位
                       川村義方
 一洋蝋 拾弐 凡三円位           馬越恭平
 一洋蝋 六包 凡壱円五十銭位        松本常三
 一金五円也                 福岡健良
 一菓子 壱箱 凡弐円位          福田彦四郎
 一洋蝋 拾弐 凡三円位           穂積重頴
 一洋蝋 拾弐 凡三円位           児島惟謙
 一蒸菓子 壱函 凡三円位        西園寺猪太郎
 一糖菓子 壱台 凡三円位          大沢正道
 一金五円也                 諸井専衛
 一金壱円也                橋本幸三郎
 一生花 壱対 凡壱円五拾銭位         原六郎
 一蝋 二函 凡弐円位
 一大内香 壱函 凡三円位          桃井可雄
 一金五円也                 渋沢愛吉
 一生太織 凡三円位
 一金壱円也                 松村浅郎
 一金弐円也                 宮川寿作
 一金弐円也                 尾高治郎
 一金壱円也               扇屋弥左衛門
 一蝋燭 壱函 凡壱円位           諸葛政太
 一御香 壱函 凡壱円位          鳩居堂支店
 一安息香 壱函 凡三拾銭位         青山留平
 一線香 三束 凡七拾五銭位    第廿八国立銀行支店
 一金三円也                  関直之
 一金三円也                 鈴木竜象
 一金五百疋                 松川清美
 一金五円也                 渋沢信吉
 一樒 壱対 凡弐拾五円位         畑野長四郎
                      宇田川忠三
                       粕谷源介
                       的倉弥八
                    田木屋 安五郎
                        馬具兼
                      柴田松兵衛
                      浅野惣一郎
                        下村栄
                      畳屋弥三郎
 - 第29巻 p.34 -ページ画像 
                      石屋幾二郎
                      家根屋辰三
                    政野屋文右衛門
                      高橋三五郎
                       失功粂三
                      笊屋金二郎
                      桶屋勘二郎
                       植屋弥六
                       越□鎌六《(不明)》
                      後藤藤太郎
                       石井惣七
                     以上
 一洋蝋 四包 凡壱円位             笹瀬
 一御香 壱函 凡弐円五拾銭位       安田善二郎
                     土木用立組
                      伊集院兼常
 一日本蝋 七函 凡弐円八拾銭位      久原庄三郎
                      大倉喜八郎
 一洋蝋 拾四 凡弐円五拾銭位       久原荘三郎
 一生花 壱対 凡三拾円也      製紙会社工場一同
 一菓物鬚籠 弐対 凡三拾円也         谷敬三
                      大川平三郎
                      上村欣一郎
                        山崎一
                      小川増三郎
                      鈴木徳二郎
                      伊藤久次郎
                       小寺信徳
                       中村順一
                      大谷倉之助
 一菓子籠 壱対 凡弐拾円也          陽其二
                       大西正雄
                        鈴木園
                      加福喜一郎
                      馬場啓一郎
                        星野錫
                       須原徳義
                     以上
 一茶 七壷 凡九円位            大井五郎
                      宇佐美惟新
                       浅香忠蔵
                      河村鍬三郎
                       松崎正文
                      藤井文二郎
 一茶 七鑵 凡代九円位       製紙分社職工一同
 - 第29巻 p.35 -ページ画像 
                     製紙会社用達
 一金壱円五拾銭               佐藤栄三
                     近藤清右衛門
                      昼川左二郎
 一生花 壱対 凡三円位          渡辺策二郎
 一生花 壱対 凡三円位            福田会
 一生花 壱対 凡弐円五拾銭位       大倉喜八郎
 一菓子切手 凡弐円位           吉田幸兵衛
 一金五円也                永田清三郎
 一御廟前 敷石壱通 凡六拾五円也     芝崎確二郎
 一蝋 壱函 凡壱円位          因速寺万徳院
 一蒸羊羹 壱函 凡壱円五拾銭位       渋沢文作
 一金壱円也                新島吾三郎
 一茶 壱袋 凡壱円也            高木兵助
                     堀江仁右衛門
 一御花料 正金五拾銭           金子仲二郎
 一洋蝋 拾弐 凡三円位           遠武秀行
 一柿 弐籠 凡弐円位            山県有朋
 一ユバ 壱包 凡七拾五銭位          広郡霍
 一洋蝋 壱函 凡六円位            林若吉
 一菓子 凡弐円位             采野床三郎《(采野庄三郎カ)》
 一日本蝋 壱函 凡弐円位         林徳右衛門
 一日本蝋 壱函 凡壱円位         芦田順三郎
 一蝋 壱函 凡七拾五銭位         花村卯之助
                     山田金右衛門
 一粕底羅 壱函 凡弐円五拾銭位       杉浦良能
                       杉浦宜也
 一茶 壱袋 凡壱円位             白梅亭
 一菓子切手 凡弐円位            近藤玄齢
 一金弐円也                  栗原必
 一洋蝋 六ツ 凡壱円五拾銭位        北村重礼
 一金参円也                中村利兵衛
                     馳付人足
 一蝋燭 弐函 凡壱円五拾銭位       御□八五郎
                        〃三吉
                       〃七五郎
                       〃惣太郎
                     植木屋
                       〃松五郎
                        〃三吉
                        〃喜平
                      左官
                       〃金太郎
                       〃音次郎
                       〃銀之助
                     以上
 一枕香 凡弐円位              栗原信近
 一金壱円也                 勝部静男
 - 第29巻 p.36 -ページ画像 
 一御香 凡壱円位              猿渡盛雅
 一洋蝋 壱函 凡六円位           原善三郎
 一金五円也                  井上馨
 一金壱円三拾銭                中井弘
 一蝋燭 弐函 弐円位           萩原源太郎
 一蝋 壱函 凡弐円            横山孫一郎
 一同 壱函 凡壱円五拾銭位         池田謙斎
 一香奠 正金八拾銭位            伊達宗城
 一生花 壱対 凡三円位           鉱業会社
 一生花 壱対 凡三円位           平山正斎
 一御花 壱対 凡三円位            蜂須賀
 一洋蝋 壱函 凡六円位           風帆会社
 一薫香 凡弐円五拾銭位           赤井善平
 一茶切手 凡弐円位             峰島喜代
                     保険会社惣代
 一干菓子 凡弐円位            小山田弁助
                 埼玉県南埼玉郡大松村
 一金五円也               長野四郎兵衛
 一金弐円也                峰岸三郎平
 一茶 壱鑵 凡弐円位           穂刈半兵衛
 一蝋燭 壱函 凡拾弐円位            園朝《(円朝)》
                         如燕
                         南竜
                         葉女
                         りゑ
                         いく
                         延信
                        常盤屋
 一香 弐包 凡五拾銭位         亀田妹おし津
 一洋蝋 三ツ 凡七拾五銭位         佐藤貞嘉
 一蝋燭 弐函 凡壱円五拾銭位         西成一
                       尾高磯吉
 一金壱円也
                       石川荘次
 一菓子 金壱円切手             小山平吉
 一金壱円也                  森ヱイ
                       辻金五郎
 一西洋蝋 壱函 凡六円位
                      吉川七兵衛
 一金弐円也                 中山信安
 一金壱円也                 今村義利
 一切ユバ 凡五拾銭位          仕立屋銀二郎
                     田中久右衛門
 一蝋燭 壱箱 凡壱円位
                       同鉄之助
                     秩父大野村
 一金拾円也                 柴崎両作
 一洋酒瓶入 六本 凡五円位        品川弥二郎
 一香ロウ 一ツ 凡弐拾五円位        松尾儀助
 一線香函入 壱ツ 凡壱円位
 一金弐円也                富田鉄之助
     正金五百八拾壱円八拾五銭
  〆
     物品凡見積代金五百九拾三円六拾銭
 - 第29巻 p.37 -ページ画像 
 総計
    金千百七拾五円四拾五銭
   外
    金三百八拾七円三拾五銭 七月十四日ヨリ分御仮葬ノ節帳簿ヨリ出ス
  合金千五百六拾弐円八拾銭
 右之通御座候也
  明治十五年
    第十月 日


宝光院御本葬諸入費附込帳(DK290004k-0013)
第29巻 p.37-41 ページ画像

宝光院御本葬諸入費附込帳     (渋沢子爵家所蔵)
    明治十五年第十月十七日
一金拾四円九拾七銭       上野広小路松坂屋ニテ近江晒弐疋壱反ト壱丈代
一金拾九銭           同絵絹切代
一金壱円廿五銭         同御台掛御幕七枚三張出来上リ
 小以 金拾六円四拾壱銭
 二十日
一金拾六円也          御位牌弐本
 〆
 二十一日
一金三拾円也          寛永寺江御布施
一金五円也           導師凌雲御布施
一金九円也           幹事 常照院 役院 吉祥院・等覚院  但三人江三円ツヽ
一金三拾六円也         衆僧御布施拾八人前壱人ニ付弐円ツヽ
一金弐円也           御迎僧弐人
一金弐拾弐円也         総衆江御膳部料
一金弐円五拾銭         役僧五名御布施
一金弐円五拾銭         同御膳部料
一金三円也           中堂召使
一金拾弐円也          伶人八名奏楽料
一金弐円也           同支度料
一金弐円也           堀内某江
一金五拾銭           同御膳部料
一金七円五拾銭         等覚院江別段挨拶料
 小以 金百三拾六円也

一金五円也           寛永寺江御百間日御回向料
一金三拾壱銭八厘        黒白水引
一金九拾四銭          草リ 三足
一金壱円也           巡査四名雇入賃
一金弐円也           梨子 四拾
一金壱円也           御墓参ニ付車夫江別手当
一金壱円            男髪結別手当
一金三円也           女髪結おとら江同断
一金弐円五拾銭         同おまつ江同断
 - 第29巻 p.38 -ページ画像 
一金弐円也           呑水屋親方江壱円ナリ若者江五拾銭ツヽ
 小以 金拾八円七拾五銭八厘

一金九拾七円三拾銭       近江屋源兵衛
    此内訳
  一金弐円也         御服箱但壱尺四方弐尺弐寸高サ
  一金弐拾三円也       御翠輿
  一金七円弐拾銭       四方ランカン
  一金五円也         御棺台壱組
  一金八円五拾銭       御連台角棒長サ弐間巾六寸厚弐寸壱分
  一金六円也         へぎ家根ハヨ付鉄ツル白ワク付
  一金拾円八拾銭       竜頭九ツ竿雲台ヂヤヅラ付
  一金六拾五銭        御位牌絵蓮坐付
  一金三拾銭         □《(虫食)》リ袋
  一金八拾銭         白木台弐枚
  一金四拾銭         モジ張リ霞
  一金弐拾五銭        御番炉《(香)》
  一金七円弐拾銭       台輪
  一金三円弐拾銭       白幡四本
  一金弐円六拾銭       モジ灯籠四ツ
  一金五円弐拾銭       銀造蓮花長サ四尺位四本
  一金四円五拾銭       大造蓮花壱対
  一金九円七拾銭     天蓋
   〆高如此

一金四拾壱円廿銭      従者食券仕払高
一金九円也         馭者馬丁
一金三円六拾銭       白丁雇人
一金七拾銭         御者雇人
一金七拾銭五厘       紙水引代護国院ニテ仕払
 小以 金五拾五円廿銭五厘

一金廿九円九銭六厘     非人江施行銭仕払
一金三拾八円六拾銭     御葬式ノ当日屋敷江詰人足弁当料
一金壱円五拾銭       昌平橋一同分約定賃銭仕払
 小以 金六拾九円拾九銭六厘

一金三拾銭         馬車別当足袋
一金壱円八拾七銭五厘    草リ代
一金三円也         常盤屋江別段手当
一金弐円也         同料理人江□(虫食)弐人分
一金壱円也         同女中江
一金七拾五銭        廿一日勤分同料理人同断
 小以 金八円九拾弐銭五厘
 - 第29巻 p.39 -ページ画像 

一金弐拾円也        養育院江施行トシテ御恵与分
一金弐拾弐円也       陸尺道具持世話役江仕払
一金拾四円八拾銭      御葬式ノ節人力車賃
一金拾七円弐銭       前々ヨリ人力車
一金壱円也         人力車親方常三郎江別手当
一金壱円也         御車方安五郎別手当
一金五拾銭         同馬丁金太郎江別手当
 小以 金七拾六円三拾弐銭

一金五拾弐円五拾銭     馬車六台駆者馬丁雇入共
一金拾四円九拾七銭五厘   御廟所道普請並ニ番人給料藤村江払
一金弐拾五円也       製紙会社職人出入ノ方江別挨拶
一金三円也         鳶頭三人江別段手当
一金拾七円五拾銭      鳶出入ノ方三拾人江同断
一拾五円七拾銭       召使一同江同断
一拾弐円六拾銭       駈付並左官経師植木や小頭三人平拾六人
一金拾円也         銀行人足弐拾人江同断
一金弐円也         銀行人足弐人江同断
一金三円也         銀行小使拾人同断
一金拾弐円五拾銭      人足二十五人同断
一金三円也         村山為三藤本並ニ徳兵衛
一金拾円也         清水人足同断
一金弐円也         同世話役弐人江同断
一金五円也         三ツ井物産会社人足弐十人同断
一金壱円五拾銭       土木用達会社人足五人同断
一金五円也         三ツ井銀行江人足二十人江同断
一金弐円也         製紙分社人足七人同断
一金壱円五拾銭       大倉組人足五人江同断
一金壱円三拾銭四厘     御墓参ニ付花並ニ品々御買入方
一金八円也         護国院詰人足百人前弁当料
一金七円弐銭        製紙分社江スリ物代仕払
一金弐円九拾六銭      御寺江出張茶及硯並ニ草リ買入代
 小以 金弐百拾八円五銭九厘

一金拾七銭四厘       紙水引
一金七拾銭         油紙
一金拾弐銭五厘       くご縄
一金弐円也         田舎行折詰賃銭
一金七拾八円也       大橋屋方ニテ茶三拾九斤
一金七円也         御成道ニテ馬車ニ怪我人アリシ事聞シ故ニ恵与セシ分
 小以 金八拾七円九拾九銭九厘

 二十六日
 - 第29巻 p.40 -ページ画像 
一金五円也         第一銀行駈付拾人
一金壱円五拾銭       清水武平江手当
一金三円也         御当人力車夫酒代《(日脱カ)》
一金拾五円廿五銭      鉢台三ツ
一金六円五拾銭       御当日花弐対
一金三円也         製紙会社出入方弐人碇屋江手当
 小以 金三拾四円廿五銭

 二十七日
一金壱円拾弐銭       御本葬式ノ報告及会葬ノ謝辞料日報社江
一金弐拾円也        大橋屋方ニテ茶拾斤
 小以 金弐拾壱円拾弐銭也

一金拾五円         製紙会社職人江手当
一金弐円          瓦斯局人足江同断
一金八円也         大橋屋方ニテ茶四斤
一金五拾壱銭        粘入紙水引《(糊)》
一金壱円五拾銭       御本葬報告並会葬謝辞報告料読売新聞社江
一金弐円七拾九銭八厘    折詰配リ弁当代横浜送リ費用
 小以 金弐拾九円八拾銭八厘

一金百七拾五円也      越後屋半七殿御葬ノ節饅頭千五百人前
一金三百四拾五円拾五銭五厘 越後屋半七殿蒸物代料
 小以 金五百弐拾円拾五銭五厘

一金四円也         大橋屋方ニテ茶弐斤
一金七拾五銭        御葬用印刷ノ代
一金三円九銭        御墓所手水石据付四ツ目垣出来ノ代
一金弐円八拾銭       巳之助橋本両氏江蒸物配賦ノ手当
一金四円也         花屋立吉郎江御葬ノ節人足及手当
一金弐円八拾銭       茶及菓子根岸新平氏江
 小以 金拾七円四拾四銭

一金八拾六円六拾九銭五厘  清水武治殿江護国院ニ於テ一式請負方分仕払
一金拾八円也        清水武治邸内江腰掛一式代仕払
 小以 金百〇四円六拾九銭五厘

一金四拾四円九拾六銭    寛永寺江左ニ仕払方
    内訳
  一金拾八円廿七銭五厘  釈迦堂内外道片付其外諸如別記
  一金八円三拾三銭    御三宝其外諸品出来料如別記
  一金六拾七銭五厘    御香並ニ生花ノ代
  一金五拾銭      白御香炉三ツ代
  一金九拾八銭      献備菓子代
 - 第29巻 p.41 -ページ画像 
  一金壱円也       献備御料理代
  一金拾円也       護国院江附儀
  一金弐円也       出勤応僧扣所養寿院附儀
  一金壱円廿五銭     会葬人扣所修禅院江謝儀
  一金壱円也       同所松林院附儀
  一金五拾銭       同所青竜院謝儀
  一金四拾五銭      百ケ日御法事ノ節出来塔婆壱本代
 〆高如斯
総計
 金千五百七拾弐円六拾銭

一金四拾七円五拾銭       常盤屋仕払
        御精進物 上五拾人前
             〃五拾人前
一金拾四八拾八銭六厘《(円脱)》 越後屋諸品仕払
 小以 金六拾弐円三拾八銭六厘

合金千六百三拾四円九拾八銭六厘
 外ニ
 金千〇拾六円廿壱銭六厘
        但七月中御仮葬ノ節入用〆高
合計
 金弐千六百五拾壱円廿銭〇弐厘
右之通御坐候也
  明治十五年
     第十月 日                    会計掛
                                 (印)《(尾高)》
                                 (印)《(鈴木)》
   ○近江屋源兵衛ヘ支払分中御服箱トアルハ、本葬ニハ故人ノ衣服ヲ棺ニ納メタリト「はゝその落葉」ニアリ、ソノ箱ナルベシ。
   ○右ト共ニ本葬ニツキテノ費用予算書アレドモ略ス。予算書ハ御位牌堂新築入費金二五〇円ヲ計上シ「是ハ奥様御存生中既ニ御建設之思召ニテ」云々トアリ「今回御採用御建設相成様致度」ト附記セリ。尚、同予算ニヨレバ非人施行ノ二九円余ハ天保銭ヲ買入ルベキコト、及ビ堀内某ハ公園地差配人ナルコトヲ注記セリ。


青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第九五八頁 明治三三年六月再版刊(DK290004k-0014)
第29巻 p.41 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第九五八頁 明治三三年六月再版刊
 ○第六十章 家庭
    第五節 宝光院伝
○上略 明治十六年七月宝光院一周年祭ニ当リ、先生詩アリ曰ク
    悵然懐旧涙潜然   烏兎回頭已一年
    長憶曖依村荘夕   梧桐葉落雨如煙
    長女已帰早挙児   小郎阿妹又遊嬉
    慇懃寄語九原路   家事復無異旧時
○下略

 - 第29巻 p.42 -ページ画像 

渋沢孺人尾高氏之墓表搨本 【渋沢孺人尾高氏之墓表】(DK290004k-0015)
第29巻 p.42 ページ画像

渋沢孺人尾高氏之墓表搨本       (渋沢子爵家所蔵)
    渋沢孺人尾高氏之墓表
正五位渋沢栄一君孺人尾高氏既卒之明年、君属墓表於余、曰、吾少壮見覇政日非、窃抱勤王之志、一朝棄家而出、訣内子曰、吾志不成、不復生還、卿能留守、内子泣而諾之、於是遊寓于江戸、于京師、遂航泰西、而内子在家蓬髪垢衣、旦夕勤労不少懈、舅厳恪、姑節約、並踰常人、而善事之、獲其歓心、使吾無内顧之憂者、凡五年、吾雖志不成而還、内子之労則不可没、子幸賜一言之寵、余曰、王政復古雖成于君西遊中、能以其所得於泰西、釐大蔵省財務、又創建銀行、為海内率先、其輔王政者不少、豈謂志不成、是故盛名籍甚、児童走卒莫不知君、而世或不知内助之功、是可不表哉、孺人諱千代、武蔵榛沢郡下手計村尾高勝五郎君之女、年十八帰君、恭謹貞淑能事夫、而育子厳正、如師父遇親戚故旧推誠謁恩、率婢僕有慈恵、尤長内治、自衣服飲食、至凡百家具、莫不親調理、暇日則読院本、或観演劇、而非忠孝節義之事、則不喜、蓋出天性也、其有助于良人勤王、不為無故、明治十五年壬午七月十四日、病卒于王子別墅、享年四十一、諡曰宝光院貞容妙珠大姉、葬谷中新阡、会者無慮七百人、是雖良人名望所致、抑亦以孺人淑行平昔為人所欽慕歟
  明治十六年八月   従五位 三島毅譔 従五位 長莢書
                    吉川黄雲刻
(表面)
 渋沢孺人尾高氏之墓
(裏面)
  明治十六年癸未十一月十四日
                 男渋沢篤二謹建


渋沢子爵家所蔵文書 【(表紙)晩香院殿招魂碑遷立 … 明治十六年十二月之日 蒸物配贈先扣帳】(DK290004k-0016)
第29巻 p.42-45 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書
 (表紙)

晩香院殿招魂碑          遷立
        梅光院殿招魂碑          建立
        宝光院殿墓碑           建立
         明治十六年十二月之日
          蒸物配贈先扣帳

     蒸物並茶御配贈記
                  (太印ハ朱書)
                    ○  伊藤参議
                    ○  井上参議
                    ○  佐野常民
                    ○  山県有朋
                    ○  芳川顕正
                    ○  真中忠直
                    ○  松方正義
                    ○  玉乃世履
                    ○  西成度
 - 第29巻 p.43 -ページ画像 
                    ○  伊達宗城
                       九鬼隆一
                       蜂須賀茂昭
                    ○  郷純造
                    ○  品川弥二郎
                       得能良介
                       遠武秀行
                       末川久敬
                    ○  中井弘
                    ○  与倉守人
                    ○  阪本政均
                    ○  川村正平
                       成島柳北
                    ○  長三洲
                    ○  三島中洲
                    ○  巌谷
                    ○  日下部
                    ○  福地源一郎
                    ○  益田孝
                    ○  三井八郎右衛門
                    ○  三井三郎助
                    ○  三井八郎次郎
                    ○  西園寺公成
                    ○  斎藤純造
                    ○  佐々木勇之助
                       須藤時一郎
                    ○  谷敬三
                       大川修三
                    ○  穂積陳重
                    ○  三野村利助
                    ○  渋沢喜作
                    ○  猿渡盛雅
                    ○  平岡準蔵
                    ○  大倉喜八郎
                    ○  小室信夫
                    ○  第一国立銀行
                    ○  三井銀行
                    ○  永田清三郎
                       穂積重穎
                    △  猿渡常安
                    ○  古川市兵衛[古河市兵衛]
                    △  梅浦精一
                       堀田正養
                    △  細野時敏
 - 第29巻 p.44 -ページ画像 
                       米倉一平
                       益田克徳
                    ○  西村虎四郎
                       尾高勝五郎
                    △  浅野幸兵衛
                    △  阪本柳左
                    △  津田束
                    ○  川上鎮石
                    ○  木村義三
                       浅野宗一郎
                    △  向井小右衛門
                    △  大沢正道
                    △  増田啓造
                    △  小川貞之助
                    △  鈴木善三
                    △  高橋藤太郎
                    △  蒲義質
                    △  市川正之丞
                    △  藤井晋作
                    △  大井保二郎
                    △  本山七郎兵衛
                    △  田中栄八
                       佐々木和亮
                    △  近藤玄齢
                    △  村井清
                       常盤屋正吉
                    △  吉川黄雲
                    △  広群霍
                       芝崎確次郎
                    △  川口新八
                    △  山登
                    △  佐々木可村
                    △  関直之
                    ○  渋沢市郎
                    ○  吉岡十郎
                    ○  渋沢愛吉
                    ○  須永伝蔵
                    ○  尾高治郎
                       福岡春晴
                       渋沢文作
〆九拾参軒
    内
 一茶○印四拾九軒
 一蒸物次ノ分△印弐拾六軒
 - 第29巻 p.45 -ページ画像 

            外ニ散饅頭八百個
                   第一銀行
                   王子別荘及長屋
                   召仕中並九番地共


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一八年(DK290004k-0017)
第29巻 p.45 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一八年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
十四日 ○七月 雲
○上略 帰途上野寛永寺ヘ立寄、御邸之施餓鬼ヘ臨席、又宝光院様御命日別段之御回向有之、御焼香致し ○下略


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一九年(DK290004k-0018)
第29巻 p.45 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一九年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
十四日 ○七月 晴
例刻出頭、本日宝光院様祥月御命日ニ付、午後一時半ヨリ頼合、而しテ上野寛永寺江参リ御法会御執行、臨席焼香いたし、御上ニテモ皆々様御揃御出被遊候、御法会相済御墓参相成御帰館 ○下略


(芝崎確次郎) 日記 明治二一年(DK290004k-0019)
第29巻 p.45 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記  明治二一年    (芝崎猪根吉氏所蔵)
十二日 ○七月 晴
○上略
御屋敷宝光院様七年忌ニ付、御志シ之蒸物折一個頂キ候事
十三日 晴
○上略
宝光院様御年忌御待夜、御招客御座候
○下略
十四日 晴
○上略 午時後ニ相成寸暇出来ニ付頼合、而しテ上野寛永寺ヘ参リ看経焼香、終テ直ニ帰社 ○下略


執事日記 明治二五年(DK290004k-0020)
第29巻 p.45 ページ画像

執事日記  明治二五年          (渋沢子爵家所蔵)
七月十四日
○上略
  御仏参之事
一本日ハ故奥様之御名日《(命)》ニ付皆々様ニハ御仏参被為成候、其方々ニハ
  一若主人公
  一穂積御奥様
  一〃旦那様
  一阪谷様
  一大川御母公並ニテル子様
  一尾高御母公並ニ文子様
  一深川尾高様御内政
 右ハ本日正一時三十分寛永寺ニ於テ御打揃相成、御参詣済之上、深川邸ヘ御廻リ、同邸ニ於テ日本御料理差上申候、余饗《(興)》ニハ円朝御招き相成候事

 - 第29巻 p.46 -ページ画像 

はゝその落葉 穂積歌子著 第二五―二六丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0021)
第29巻 p.46 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第二五―二六丁 明治三三年二月刊
    巻の一
○上略
明治三十一年七月十四日。寛永寺において十七年の御忌日の法会いとおごそかにとり行はる。うからやからを始め御寺につどひける人々かぞへもつくしがたき中に。御孫なる男の童女の童十三人まゐり詣でけり。(篤二君の次郎ハまだ産屋をはなれぬ程なりければ参らず)咲きつらなりたる撫子ハ手向けまつれるくさぐさの花にもまさりて。いかに御心にかなふらん。ゑミかたまけてながめやり給ふ御ありさまおもかげにぞうかぶなる。読経の声。かねの音。常にもましていといたう妙に尊くこそおぼえたりしか。御仏の供養終りて霊牌堂にて大人を始め参らせ。各々つぎづぎに焼香をぞ行ひける。篤二君の太郎敬三のいとさゝやかなる楓葉の如き手して香をひねりふしをがみ奉るさまを見れば。猶世にいまそからましかばいかにと思ふかなしさと。我はらから大人の御ひかりによりていやましに幸あり。わきてかなしと見給ひける篤二君が。はやくもひとゝなり給ひて。すぐよかなる男児二人まで設け給ひけるハ。おのづから御霊の守り給ふによるなるべしと思ふよろこびと。共に一つに打まじりて。うたゝ涙にかきくれぬ。 ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三四年(DK290004k-0022)
第29巻 p.46 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三四年   (八十島親義氏所蔵)
七月十四日 日よう 雨
○上略 青淵先生ニ病牀ニ謁シ所用ヲ弁ス、午後四時前辞シ次ハ深川邸ニ至ル宝光院殿向月ナリ、親戚来客アリ播摩大夫ノ義太夫アリ九時帰ル


(八十島親徳) 日録 明治三七年(DK290004k-0023)
第29巻 p.46 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三七年   (八十島親義氏所蔵)
七月十三日 晴 暑シ
○上略 夕刻ヨリ元方連中ト共ニ深川邸ヘ被招、宝光院殿二十三回忌逮夜ニ付、内仏前ニテ晩餐ノ饗応アリ ○下略
七月十四日 晴 暑シ
○上略 今日ハ宝光院殿廿三回忌法要午後一時ヨリ上の寛永寺ニテ挙行ニ付到ル ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK290004k-0024)
第29巻 p.46 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三八年   (八十島親義氏所蔵)
七月十四日 快晴
○上略 今日ハ宝光院殿祥月命日ニ付、予等元方員モ四時頃ヨリ上野寛永寺御位牌堂及墓地ヘ参拝、終テ上野精養軒ニ於テ晩餐ノ饗応ト、貞水ノ講談(木村長門守武勇談及幡随院長兵衛)アリ、例年ハ深川邸ニテ晩餐アル筈ナレトモ、今年ハペスト騒キノ為、小山仮寓中ニ付、カク精養軒ニ招カレシ也、親戚ヨリ我々ニ至ル迄約二十余名、十時半帰宅


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK290004k-0025)
第29巻 p.46 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
七月十四日 晴夕雷雨 暑
○上略 午飧後上野寛永寺ニ抵リ宝光院ノ二十七回忌ヲ挙行ス、仏事畢テ墓所ニ詣シ午後五時家ニ帰リ親戚一同来会シテ饗宴ス、夜十時散会ス
 - 第29巻 p.47 -ページ画像 


はゝその落葉 穂積歌子著 第二三―二四丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0026)
第29巻 p.47 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第二三―二四丁 明治三三年二月刊
    巻の一
○上略
明治七年祖母君みまからせ給ひける後にハ。家にかなしみの事もなく大人ハ常に御けしきうるはしくましまし。わらは等三人も事なく生ひ立ち。母君ハ常に極めてすくよかにおはしますとにハあらざりけれどさりとて御病の床に打ふし給ふ事もおはしまさず。常にめでたき春をのミ迎へたりけり。家の豊かになり行くにつれて。其程に応じて家居を始め。衣服調度などそれそれとゝのへさせ給ひけれど。益なきおごりのわざハいたく嫌はせ給ひ。常に物たらぬがちにおはしましたる其昔を忘れじとこそつとめ給ひけれ。家のつとめ。世のまじはり。其外くさぐさの事ども常にいとしげくおはしましければ。遊山観水などの為に出まし給ふ暇はおはしまさず。遠く家をはなれ給ひけるハ。たゞ伊香保の温泉に遊び給ひ。かへさに富岡なる伯父君の家を訪はせ給ひし事二たび。御墓詣でがてら郷里におとづれ給ひし事五度ばかりなりき。まだ其頃ハ路のたよりよからざりし時なりしとハ云へ。京都大坂ハさらにもいはず。近き江の島日光などへさへ行きても見させ給はざりけるハ。今も猶いと口惜しき心地ぞする。都のうちにてもえさりあへぬ交際の事の外は。折々別荘に行かせ給ふと。年のうちに三たび四度新富座のわざをぎ見に行かせ給ふばかりにて。よそに出でまし給ふ事ハ大かた好ミ給はざりしかど。谷中なる御墓にハしばしば詣でさせ給ひけり。
糸竹の道。さてハ謡曲軍談のたぐひ。何にても其道に堪能なる者のわざをバ。好ミて聞かせ給ひけるが。わきて義太夫をバいといたう好ませ給ひ。御親らこそかたり給はざりけれど。節の巧拙はいとくはしうあきらめ知りおはしましたりき。いとまある折ハ。源平盛衰記。太平記。あるハ馬琴の小説どもを好ミて読ませ給ひ。夜半のまとゐの折々ハ。演劇。義太夫。小説などのすぢだてのよしあしさたしつゝ。打興ぜさせ給ふ事もありき。歌舞のにぎはしき。酒もりのさわがしきハさのミ好ませ給はず。味よきものもしひてたしませ給ふとにもあらざりけれど。大人のしばしば請ぜさせ給ふ客人設けの為に。料理余興などの事にハ。千々の黄金もをしませ給はず。御心をこめていとなませ給ひけり。 ○下略


はゝその落葉 穂積歌子著 第二六―二七丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0027)
第29巻 p.47-48 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第二六―二七丁 明治三三年二月刊
    巻の二
母君常にものおぎのり置く事をいたく嫌はせ給ひて。召しつる物の価を其月の終り。商人のこひに来らねバおとなしてうながさせ給ひ。又ある時ハ払ふべきこがねを紙に封じ。其よし書きしるし置かせ給ふ事もおはしけり。ある時語り給ひけるハ我をさなかりける頃。我里なる父母の君又兄君ハ。おひめの為めにいたう御心をわづらはし給ひき。そハ我祖父君若き程ハなりはひの道いとよくつとめ給ひ。家をも富し給ひしかど。年老い給ひて岡部てふ所に隠居し給ひてよりハ。常に俳
 - 第29巻 p.48 -ページ画像 
諧の道を深くもてあそび給ひ。其道もてそこなる御陣屋てふ司の人々と交りかハし給ふにつけて。かにかくに入りめ多くなりもて行くを。父君ハ御心すなほにおはして。殊に其頃おはしましつる祖母君とハ義理ある御中らひなりしかば。岡部の御事とし云へば費をとハずミつぎ給ひしかば。いつしか親族ハさらなり。他人にまで債あまたおひ給ふ事となりぬ。兄君すぐれて孝心深くおはしゝかば。若きより身を惜しまず家の業とりまかなひ給ひて。ひたすら父母の君の御心をやすめんとつとめ給ひき。されバ債の主等も兄君の御志にめでゝいたくはたるとにはあらねど。其頃ハ我はらから大かた皆をさなかりければ。費の常にいと多くて。とみにはつぐのひはつべうもあらぬを。しばしば打なげかせ給ひけれバ。我が幼き心にもおひめ程世におそろしきものはあらじ。と深く思ひしミにき。七八歳の時にかありけん夏の頃天王の社の祭とて。村なる子供のおのがさまざまよき衣きて出で遊ぶに。我身にも母君の木綿の染ゆかたに赤きしぼりの縮緬の衿つけたるを着せ給ひき。常とかハりてよき衣着たるがうれしくて。家をいでゝ村の子供とあそびたはむれつゝ程近かりけるある家の門辺打すぐる折。ふと我家ハ此家に債ありと聞きし事を思ひ出でたるに。たちまち興さめて此あかう美しき絹の衿をもし此家なる人々の見たらんにハ。こなたの負目ハえもはたさで。子らにハかゝるよき衣きするよとて。父母の君たちあしうや思はれ給ふべきといと後めたく。日傘かたぶけつゝ。足ばやにその門辺を走りすぎたる事ありき。おぎのりを厭ふも。かゝる事のありしからの事なるべしなど仰せられけり。
○下略


はゝその落葉 穂積歌子著 第四六―四七丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0028)
第29巻 p.48-49 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第四六―四七丁 明治三三年二月刊
    巻の二
○上略
明治八九年の頃よりこのかた。国々に銀行。あるハ工場の新しくたてらるゝものやうやうあまたになり行くまゝに。そをくはだてたる諸国の人々。其道につきて教を乞はんとて大人の御許に訪ひ来ぬるがつとにとておのがさまざまそこの名物と称ふる珍味をもたらし来て贈れるも又多かりけり。母君ハかゝるものゝ嗜好にもこまやかにわたり給ひておのおの其品によりて賞翫し給ひ。厚うよろこび聞えさせ給ひけれバ。人々もかひありとて。筑紫のきはみ。陸奥のはての国々よりしばしばめづらかなるもの送りおこせたりけり。されバ大人と母君との。ものまゐり給ふ御ほとりにハ。筑前の雲丹。三州のこのわた。北海道の鮭の子。近江の鮒の鮨などを始め。国々の名産常に絶ゆる事なく。そを御さかなにて。ゆふべゆふべいとはづかづゝさゝきこしめし。事しげき一日のつとめの御いたづきを慰められつゝ御けしきうるはしうのどかに。打語らはせ給ひき。ある折仰せられけるハ。我身今ハもの足らぬ事もなけれバ。心おごりて新しき魚鳥の肉にもあき。かゝる珍しきものたしむとにはあらず。かく名ある珍味の我家に集り来るハ。やうやう大人の御望の如くなりぬる時の来りて。まことの商工業の道ひろく諸国に開け行きぬるしるしなれバ。いとうれしくてこれらのくさ
 - 第29巻 p.49 -ページ画像 
ぐさも一しほ味ようこそ覚ゆるなれとて。ことに御けしきよくこそミえさせ給ひしか。
○下略


はゝその落葉 穂積歌子著 第五〇丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0029)
第29巻 p.49 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第五〇丁 明治三三年二月刊
    巻の二
○上略 櫛笄など髪の飾りの事に付きても仰せられけるハ。よう心すれば常に用ふるともさまで損ずべきものならず。されバ其程に応じて。おごりに過ざる限りハ。むしろよき品を撰むこそよけれ。価ひきくいやしき品は。あきやすうて。つひに外の品を求めまほしうなるものなりさしもあらぬものをこゝら持ち居て。しばしばかへ用ふるなどよろしからず。とて後の五六年が程ハ。常に一つ櫛笄をのミかざし給ひき。てがらのきれも。三十四五の御年までハ。常に水色をのミかけ給ひしが。其後毛てがらと云ふに為し給ひてよりは。又一たびもきれをかけさせ給ひし事なかりき。衣裳の色目はさわやかなるがよしと仰せられて。其頃粋とかとなへて見わきがたきばかりさゝやかなる縞を人々もてはやせしかど。さるものハ着給はず。衣の縞。模様などハ。其頃の流行より少しはでなる方を撰ばせ給ひき。されど年たけたる女の衣の色目ハじみなるを着ながら。襦袢の裏衿。あるハ裾などに赤きを用ふるハ。猶若やぎて見せまほしげに。などおもひなされていと見にくしとて。帯上げ。しごき紐のたぐひも。白茶。又ハ水色をのミ用ひ給ひ小袖の紅絹裏の外ハ。赤きハたえて用ひ給はざりき。衣の色ハ。うすきねずミ。鶯茶。鳩羽色などの。すべておとなしげなるを好ませ給ひき。模様にハ深く意匠をこらし給ひ。ミやびたるかたをくさぐさ考へ出し。あつらへ染させ給ひけり。さりとて余り物好きに過ぎて。異様なるをバ嫌はせ給ひき。すべて女子の身の飾りハ。常にも。又晴れの粧ひする時にも。其身の程にしたがひて少しけだかきさまなるぞよきされどミだりに貴人のまねびして。おごりたるわざすべからず。又己が富ミたるをほこりがほに。させる要なき黄金の飾物などあまた身に附け。あるハ宝石の指輪。五つも六つもうがちたるハ。なかなかにいやしげにこそ見ゆめれ。うちまかせて身の飾りハ。たゞに美麗をのミむねとせずして。端正なる方に心すべし。きらびやかならで髪乃飾。衣裳ハさらなり。紙入れ。扇のたぐひまで。互にふさハしく。とゝのひたるこそ奥ゆかしきものなれ。世の流行につれて。時々にかはりたるものずきするハ。歌妓などのわざなり。良家の子女はゆめさるまねびすべからず。と常にかたく戒め給ひき。
○下略


はゝその落葉 穂積歌子著 第五二丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0030)
第29巻 p.49-50 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第五二丁 明治三三年二月刊
    巻の二
○上略
母君は御年三十の頃ほひまでに田舎におはしまして。賤が手わざをのミ見なれ給ひ都の手ぶりハたえて知らせ給ふよしもなかりけれど。成り出で給ひて後つぎつぎ其程に応じて万の物とゝのへさせ給ふに。お
 - 第29巻 p.50 -ページ画像 
のづから美術の思想にとませ給ひ。衣服調度ハさらにもいはず。家居園生の作りざまにさへ高尚にして優美なる嗜好おはしまし。其道をわざとする者すらいまだ思ひ及ばぬ事をさへ考へ出し給ふ事しばしばおはしましたりき。古画骨董など云ふもの見給ひて。御心にかなひたるを撰り出し給ふに。元より其道にくはしうおはしますにあらねバ。誰の画。なにがしの作など。其名にまどはされ給ふ事なく。まことによきものを見極め給ふ御鑑識おのづから備はりおはしましゝかバ。購はせ給ひけるものに偽物と云ふハあらざりけり。今渋沢の家にて二なき調度と人も云ふなる。光琳あるひハ抱一のゑがける屏風ども購ひとらせ給ひけるハ明治十年の頃にかありけん。其かみはから様の文人画と云ふが流行してかゝるやまと様ハ時を失ひける折なりけれバ。かにかくとさみする者もあり。又かやうのものにハにせ物いと多くて見わきがたきものなれバなどいふ人もありけれど。かゝるよき画をもてはやさぬハ今の世の人々のまどへるなり。我ハ光琳・抱一などハいかなる画かきなりしかもとより知らねど。唯この画どもいといとめでたく見捨てがたう覚ゆれバ。とて購ひとらせ給ひけり。されバ近頃ある人ハあはれ御方の今猶世にいまそからましかバ。さこそいミじき美術家とハならせ給ひしなるべけれと申したりき。
○下略


はゝその落葉 穂積歌子著 第六〇丁 明治三三年二月刊(DK290004k-0031)
第29巻 p.50 ページ画像

はゝその落葉 穂積歌子著  第六〇丁 明治三三年二月刊
    巻の二
○上略
煙草ハいたうたしませ給ひ常にくゆらせ給ひけり。折々衣のたち縫ひなどなし給ふ御傍に妾が侍る時ハ。一服つけてよなど仰せらるゝ事もありき。されど若き女子の煙を吹くハいといと見ぐるし。御もとも島田わげに結びたらん程ハゆめ煙草をな用ひそ。といましめ給ひけり。
○下略


実業之日本 第三巻第一二号・第四九―五一頁 明治三三年七月 実業家の家庭 渋沢栄一男の篤敬並に其家庭和楽の事(三)(DK290004k-0032)
第29巻 p.50-52 ページ画像

実業之日本  第三巻第一二号・第四九―五一頁 明治三三年七月
    実業家の家庭
  渋沢栄一男の篤敬並に其家庭和楽の事(三)
此の如くにして、君は多忙の躬を以て猶善く篤敬の心を充たす、而して其家政の如き措いて殆んど問はざる者、洵に其繁劇多忙の遂に之が暇なきの故に由るとは云へ、然れども君をして全く之を放任して顧みず、而も安んじて一念専ら国家的事業に従ひ、若くは他人の事に尽すを得せしむる所以の者、抑又内助経営の其人有りて、君をして更に後顧の憂なからしむるに依る者なからずばあらず、君が前夫人故尾高氏の如き真に是婦人の粋、善く内助の範を垂れたる者とも称すべきか
尾高氏名は千代子、父を勝五郎と云ひ、母は即君の父晩香氏の姉にして、名を八重と云ふ、兄弟姉妹共に七人、尾高惇忠氏・大川ミチ子・岡部モト子・尾高長七郎氏は兄姉にして、尾高クニ子・渋沢平九郎氏は妹弟なり、天保十二年十一月二十三日を以て、武蔵国榛沢郡下手計村に生る、十八歳にして君に嫁し、明治十五年七月十四日病んで君が王
 - 第29巻 p.51 -ページ画像 
子の別邸に没す、初め田舎一小農家の女として生れ、逝く時都府一大富豪の夫人として終はりたる者、四十一の生涯、経過の変化少小に非ず、其間の辛労亦言ふべからず、既に生家に在て一般農家の女子としての労働に服し、具に艱苦を嘗めたりしが、君に嫁して後、善く舅姑に事へ、義姉妹を敬愛し、夫婦の間亦甚親密にして、善く家道を守り農業に力めたりしに、二十三才の時君の長七郎氏及従弟成一郎氏(今の喜作氏)等と共に新五郎氏(惇忠氏)等と計り志を決して出遊せんとするに及び、夫人も初の程は只管舅姑の情を察して君を止めんとなしたりしが、或日の事なり、薄暮春風の猶余寒を送るの時、夫人は障子閉ぢ込めて独り裁縫をなし居りしに不図、其前庭にて下男共に指図しつ、干したる麦を納め入れつゝありし君の、男共の納屋の方へと行きつる後にて、竹箒にて落散る藁屑を掃寄せながら、
  雄気堂々貫斗牛。 誓将真節報君讎。
  剗除頑愚回東駕。 不問登壇万戸侯。
と朗吟するを聴き、思はず針を止めて、さては夫と云ひ、兄と云ひ、志は共に同じき、詩の意に在りて、必ずしも功成りて身の立たんことを、冀にあらねど、冀ふは独り国の為め、家さへ親さへ打捨てゝ、只管仇を除かんとなし給ふなるを、あはれわれ其妻としての感一時に起り、乃ち自ら心を励し夫不在の其中は、舅姑の奉養代りて任じ、夫をして更に内顧の憂なからしめんと胸に誓ひ、爾来五年空房独居て、貞節固く守り、朝に舅姑の心を慰めては、夕に夫の身の上を案じ、更に其遺物とも残されたる幼女の保育に勉むる等、最苦労の月日を送れり明治元年の暮、君の仏国より帰るや、夫人の頭上、始めて辛苦の雲を掃ひ、面色更に最と幸福なる光を輝き初たりしが、其君に従て静岡に住し、次て東京に移れる後、二女一男を挙げ、一女は不幸早世せしも之より前君が嘗て出遊に先ちて挙げたる一女と共に、三児は孰れも強壮に成長し、家庭和楽の要素となり、愛の花とも飾られしが、唯其れ秋旻一抹の雲、此嬉しく楽しき家庭に在て、独り一大不幸となされしは夫人元蒲柳の質、加ふるに多年の辛労を以てせるのみならず、性来極めて注意深く、まだ十才の少女の頃より家人の夜土蔵に用ありて、火を灯して入る事あらば、其火の落ち散りたるをも覚らず、其儘立ち出でたる後、若しも器物などにうつりて、燃へつく様の事もやあらんと、いとゞ心もとなく思ふの余り、密に自ら其跡を見に行くを常とせしとの程にて、其気を労するも、従て甚多く、母君の如きは、之を知りて、窃に其心を痛むるの至れる、或は長寿の期し難きを恐れられし事ありしとの由にて、一旦君が帰朝の後、躬の漸く安きを覚ゆと共に積労忽一時に来り、居常多病なる事にてありき、夫人亦自ら其長く寿を保つ能はざるを知り、常に人に語りて、切めて長女の結婚は見たきものなりと言ひ居りしが、悪語遂に讖をなし、明治十五年長女歌子、穂積陳重氏に嫁するに及び、渠は満腔の喜悦を以て、愛女が佳辰に於けるの盛装を見たるの後、夫の繁栄も、児女の愛情も、遂に渠を病魔の手より救ふ能はず、また愛らしき其孫の面をも見るなくして、其年七月溘焉不帰の客とはなれり。夫人元田舎小農家の女、当時農家に在て、特に女子の学問とありては、啻に無用と信ぜられしのみならず、
 - 第29巻 p.52 -ページ画像 
寧ろ有害とせられたれば、夫人亦固より書に就て多く学ぶ所あらず、而して尾高家の家計は、女子の心得として一般に認められたる音楽の一端を習ふことをも許さゝりき、而も夫人の天性人に優れたるの資質は、早く父母の厳格を見て善く其厳格に傚ひ、兄の書を読み、時勢を談ずるを聴ては其婦人たるの道を尽すべきの理想を脳裏に作り、更に此理想は君に嫁して君及舅氏の薫陶により、益々研磨せられたりと。夫人十歳の頃、兄新五郎氏は当時一村の先達として、君及喜作氏等皆就て学ぶ所あり、夫人も常に傍に在て聴き居たりしが、一日夫人は徒散するの後、書中の疑義に就て、質す所ありしに、新五郎氏は時に家業に心忙はしくありし折柄、煩るさき事を問ふものよ、女子の知りて何にかせんと、言はれしを、夫人は如何にも口惜しく、女子なりとて人にては候はずや、人として物の道理を知らんとするを要なしとは、御言葉とも覚えずと、躍起となりて敦圉きけるを、母君は之を聴かれて何時になき千代が挙動、兄に対して無礼ならずやと尤め給ひしが、流石に新五郎氏は、否千代が言道理なり、前言は過のみ、女子なりとて人の道知らずして止むべけんや、此後は暇あらば一通り、聖賢の道をも教ゆべしとて、之より論語の少し許り講じ聞かせられし事ありしも、其後新五郎氏の事繁く、夫人等も亦養蚕・機織の事に忙しきに至りしより、特に書を読むの暇はなかりしも、猶兄君のよりより古の忠臣義士の上など語り出づるを、裁縫ながら、打聞くの夜もありきとは夫人自ら語られし所と聞きしが、晩年に及んでも、暇あらば論語より源平盛衰記・太平記、若くは馬琴の小説など、或は自ら読み、或は子弟をして之を読ましめ、聴くことを無上の楽となしたりとか、而して其好む所は忠孝節義、語る所も忠孝節義、満身唯忠孝節義を以てして而して渠が其一家内助の基礎は実に此心の上に置かれたりと(未完)


実業之日本 第三巻第一三号・第五〇―五四頁 明治三三年八月 実業家の家庭 渋沢栄一男の篤敬並に家庭和楽の事(四)(DK290004k-0033)
第29巻 p.52-56 ページ画像

実業之日本  第三巻第一三号・第五〇―五四頁 明治三三年八月
    実業家の家庭
  渋沢栄一男の篤敬並に家庭和楽の事(四)
      ◎夫人の平生(好模範)
君に事へては忠となり、親に奉じては孝となる、節や義や、元と是れ同一の体、男子外に対して乾徳立ち、女子内に在て坤徳全し。夫人已に忠孝節義を以て心となす、其家に居て内に助くる、直に全心を捧げて従ふ者、思慮特に周密にして用意亦到らざる所なく、常には左まで身を働かすと云ふにもあらねど、家の内外心の及ばぬ隈もなく、調度の据え場、器物の在所、居ながらにして悉く之を知り、人の尋に応じて嘗つて惑ひし事もなく、特に室内の掃除の至れる如き、座敷廊下は云ふもさらなり、平生躬の自ら行く事もなき、下女・下男の部屋々々まで、深く家人に戒しめ諭し、塵一条も置くことなし、嘗て家婢イシなる者が、朴実敦厚にして善く掃除の事に従ひ、板敷など鏡の如く歩めば滑べりもすべけん様に、照り照り光り亘りしを賞して、当時君が佐渡の赤石と云ふ、美麗なる石を購ひて庭に据へ置かれしに対して、夫人は我には彼の美しき庭石よりも、此ムツけき田舎者のイシこそ遥かに優さりたれとて戯れられし事もありしと。夫人又兼ねて経済の理
 - 第29巻 p.53 -ページ画像 
に通じ、冗費を省き贅沢を戒むるも、而も又総てに身分相応と云ふことを忘れず、衣服の如き器具の如き、価の高下を論ずるよりも寧ろ品質の良否に注意し、唯其永く用に堪ゆるを選べり、是を以て夫人の購求に係る所、年を経て往々貴重の価を益す者多しとか、家政の法は常に厳粛にして秩序を重んじ、坐作進退、言語応接、惣て野卑を戒め方正を主とし、衣服器具亦た方式のなきはあらざりしと。
髪のかたちは女子の表彰として最も人目を惹く所、夫人は世の日毎に其形を変へて己が髪を弄するの甚だ心にも定れる操のなきを表せるが如きを悪み、平生子女を戒め、若きは島田、長けたるは丸髷と定め、自らは京に出て後十三四年の間其形常に一日の如く、病に臥する時を除くの外、嘗て一日も取乱したることもなく、櫛笄など髪の飾の事に就けても意を用ゐて用んには、常に用ゆとも左まで損すべきものにもあらねば、すべて品物は其程に応じて、苟も奢に過ぐるに非ざる限り寧ろ良き品を選むぞ善けれ、価低く品いやしきは、忽ちにして厭き易く、遂に再び他の品を求めんとするに至るべし、下卑たる者の数多持て、時々易へんは宜しからず、とて後の五六年が程は常に一つの櫛笄をのみ飾らし、てがらのきれも、三十四五歳までは、常に水色をのみ用ゐ、其後毛でがらと云ふに為してよりは、又一度も切れを掛けたる事なかりしとの事にて、衣裳の色目はハツキリと明かなるを採り、衣の色はうすきねずみ、鶯茶、鳩羽色などの、惣てをとなしげなるを好み、模様には深く意匠を凝らし、種々優雅なるを案じて誂へ染めさせしが、左りとて又余り物好きに異様なるは取らざりきと、要するに飾りは常に其身の程に従ひて、少し気高きさまなるを好とすれども、さりとて又妄に貴人の真似して奢に至るは固より非、或は己が富みたるを誇りて、要もなく、徒に多くの金銀を飾り、若くは宝石の指輪五ツ六ツも穿つが如き却て鄙陋の事どもにて、飾りは啻に美麗をとのみに非ず、寧ろ端正なるを旨とすべし、度を越へ身を忘れ、徒に流行を趁ふて時々変はりたる物好きするは、芸者娼妓の事にもあれ、ゆめ良家子女のまねすべき所に非ずと、自ら奉ずるも此に於てし、人をも固く戒めたりしと。君は平生甚だ多く客を好む、大なるは王子の別邸に於てし、小なるは兜町の邸に於てす、兜町の邸には食卓十二人分附きの食堂あり、晩餐の会少なくも月三四回を下らず、夫人此間に在て善く客を遇し、客皆歓を尽さゞるはなし、其大客ある際の如き饗応接待、趣向、夫人の考案に出づる者多かりし、嘗て米国前大統領グラント将軍の東京に来り、一日君が王子の別邸に遊べるや事実に突然に属し、通知も僅に前日にありし、当時外国人を私人の邸に招くは、已に稀有の事なるに、まして将軍の如き大賓をと、人々孰れも少し周章せしが夫人は自若として直に家人を集め、徐ろに部署を定めて趣向を示し、翌朝に至りて準備尽く成り、将軍来遊終日歓を尽して去る、人皆其奇才に服す。実に夫人の才は天賦なり、而して特に夫人に尚ぶ所の者は夫人が此天賦の才識を以てして而も唯善く之を婦人の職分内に限れるに在り、唯之を婦人の職分内に限り、内助の功を全ふするに専らにして、男子外間の事に関しては嘗て啄を容れしことなきの辺に在り、然れども夫人が其才を婦人の職分内に限れるを以てして、而も其接客の
 - 第29巻 p.54 -ページ画像 
巧なる、其品格の高尚なる、人は却て夫人の談話を聞くを楽み、平素君の門に出入するもの、今商業界の豪傑と称する三野村利左衛門・古河市兵衛・益田孝・大倉喜八郎・浅野総一郎・田中平八諸氏の如き、皆夫人と親善なる者なりしと。
夫人起居端麗方正、其人を役する多く厳粛を以て之に臨むも、而も時に慈愛の光を洩し、長を取り短を戒め、其心の忠実にして行の篤厚ならんものには、之が為め特に前途の計をなし、仮令行の良からぬ者のありとも、直に放逐することはなさで、あくまでも懲戒の道を尽し、其改心を見るに至て止む、斯かりし程に恩威並び行はれ、僕婢等も奥様の前に出づれば何となう身もすくむ心地すれど、蔭にては最と最と慕はしう思ゆなれなどとて、人皆其用を為すを楽み、勤続数十年に及び往々終身に至るものあり、夫人此間の用意亦実に少からざる者ありしと見え、常に其愛女に対して、われら幼少の頃は家貧にして人を使ふこと能はず、されども心には労なかりし、今は多くの人を使役し身を労することはなけれど、心は昔の安きに如かず、凡そ大家の主婦となりては、常に衣髪を正ふし、静に安坐して良人に見へ、客に接し、僕婢に示し用務は滞なく弁じ得るの技倆なかるべからず、卿等平生心に留めて見習ひ置くべきことぞとて語られたりと。
夫人最も慈善の心に富み、親戚故旧の難を救ひ窮を助け、以て其所を得せしめたる者挙ぐるに遑あらず、而も其慈善は普通凡俗の施与に異なり、濫に金銭米穀を与へて人の懶慢を助くるにはあらで、最も親切に他人の事に干渉し、微細の点まで心を尽し、以て其処世の道を得せしむるに在り。
子女教育の事は実に一家の大任なり、唯君の外事に忙はしき、僅に夜間団欒の際の如き、己れ幼時の事ども語りて其心を励する事こそあれ其他一々之を視るの暇もなく、多くは之を夫人に任す、夫人任を受けて意を用る労苦、嘗て己れの充分教育を受くる能はざりし不幸を悲しむの心より、子女には完全の教育を加へんと欲し、明治の初め未だ女子教育の議論紛々たりし頃にも構はず、長女は竹橋なる文部省創立の女学校に入り、英語をも学ばしめたりしが、後深川の邸に移るに及んで、学校の道程遠く、遠き所に少女を日々通はしむるは宜しからずとて之を止め、さりとて近辺の小学校などは、同窓の少女等風儀甚だ卑しきを憂ひ、次女は学校には入らしめず、別に師(村井清氏)を聘して、朝な朝なまだ稚かりし其弟と共に、家にて読書の事など学ばしめつ、又学びの暇には側に召し寄せ、瞬時も遊逸に近よらしめず、事につけ折に触れ只管教へ導きけり、特に長女の如きは、君が出遊の前に生れ、弱き婦人の手一ツに、其訓育も太だ苦み父なき家に人と為り、母の手一ツに甘くなりしなど、言はれてはと、漸く物の心の知られし頃より、卿の父上は武士と為り給ひ、今は尊き御方の御供して仏蘭西と云ふ遠き外国に行かれ給ひぬ、やがて目出度帰らせ給はゞ、卿も父上の許に参りて武士の子となりぬべければ、行儀も心ざまも、今よりようせでは、母が育てざまの悪しかりけりと叱らるゝぞと諭させられ悪戯などせし時には、常に灸すえ懲されたるなど、心労特に多かりしが、加之夫人の訓育は独り所生の子女のみに止らず、京に住みてより
 - 第29巻 p.55 -ページ画像 
後は、親戚故旧偏に夫人の徳操を高とし子弟の止宿を托し来る者、甚多く家には常に七八人の書生を置き、夫人督励の下に在て善く其有用の材を成したる者亦少からずと云へり。
夫人最水戸烈公の家訓に服し、居常特に厳粛、深く子女の行儀に注意し、長幼の序、男女の別、亦固く厲行せり、中にも女学の節操に就ては、懇訓厳督至らざる所もなく、夜毎に二女を膝下に召し、読書などせしむるにつけても、自ら貞女節婦の事を談じ、元来に不義の事は口にするだも厭はせられて、不善人の事蹟を引き、斯る悪しき事すなと戎めらるゝは稀なりしも、時には即ち事に託して、卿等は父君の子として、物の道理も大凡は弁ぜん丈けの学問を修めしむれば、よも不貞不義の行して父君の御名を汚し奉る様の事はあらざるべくと、そは心安くも思ふなれども、若しも或は我に背きて闕隙を鑽るが如きこともあらば、直に刺し殺して我身も同じ刃に伏すべしなど、打語られし事もありしとか、実に夫人平生の気性を以てして、此の如きの時此の如きの事あらんには猶予あるべからじとて子女等も恐れ畏りしと云ふ。夫人又音楽の頗る女子教育に要あるを思ひ、当時百事更新の世、和歌琴曲・挿花、茶式の如き、唯固陋・旧弊・無用の長物として捨てられしにも拘らず、高く世俗の流潮に抜て、夙に其愛女をして此等の練習に従はしめ、琴は特に山登検校に就かしめられしが、嘗て長女が其学校課業の繁きを以て、琴の稽古を廃めんと請ひしを、夫人容を正して最厳そかに誠に琴調らべたりとて、直に家を修むるの業ともならず、客人の接待にて寧ろ其道の人招くも善からん、されどもすべて女子は万の技の上に加へて、心にも行動にも共に打和らきたるを其本分となすべきに、さて心を和くるは音楽に過るはあらじ、特に箏の曲は雅にも過ぎず、俗にも流れず、歌も余の俚謡の如く、鄙しきも少なければ女子の手すさびとしては、これにまさるは少かるべし、元より其技を主とするにはあらで、偏に其心を旨として習はんに、世に流行るゝと否とは問ふにも及ばじ、少うして音曲の嗜なき、老ひての後にものゝ足らぬ心地のせられて、最も寂しきものなりかし、日々僅かの時を定めて怠らず習はんに、徒に談笑し、又は要なき小説など読む暇はありながら、親の情に習はする業、何の妨なすべけん、芸は兎もあれ先づ其心より優しくせねばあるべからずと、痛くも諫め戒められしとぞ。夫人元農家の生れ、三十才の頃までは田舎に在りて、織り・紡ぎ・養蚕・製糸の事はさらにも言はず、或は石臼もて麦の粉を挽き、くるり棒もて干したる豆を打つなど、唯荒々しき業のみの中に長し、容姿繊弱、手指の如き最白く細かりしにも似ず、指の節は太く逞ましく、力も頗る強かりしとの程にて、都人優雅の風、固より絶へて見傚ふべくもあらねど、唯其れ天来の才識時に応じて乃ち顕はれ、京に出てゝ後器具を求め、家什を調ふにも、自らにして善く美術の心に合ひ、衣服調度は言ふもさらなり、家居園生の造りざまさへ高尚優美の嗜好を有し、時に専門業者すら思ひ及ばぬ考案を出すことあり、今の深川福住町邸及王子別邸の築造の如き、夫人自ら木場に臨んで良材を撰択し、又コンパス・烏口を取て下図を引き、規矩準縄を取て荊棘の中を測量せりとの事なるが、古画骨董など撰択するにも、其道に精しからぬ身
 - 第29巻 p.56 -ページ画像 
の、却て誰の画、誰の作など徒に其名に惑はさるゝ所なく、唯天然の鑑識善く其良否を弁別して、光琳・抱一・容斎・是真など、之を購ふに曾て偽物と云ふはなく、今渋沢の家に在て天下の絶品と称せられたる光琳、及容斎の六枚屏風の如き、実に夫人の眼識に依りて、明治十年の頃に購ひ得られしものなりと。当時支那文人画の流行して、大和絵は時を失ひたるの折なりければ、人々之を難する者多く、或は其偽物多きを危むもありしが、夫人は之に対して、斯る良き画を賞せぬは今の世人の惑へるなり、我は必しも光琳・抱一などの作を求むるに非ず、唯此逸品の捨て難きに購ふなり、偽物なりとて巧なるに何をか関せんとて、更に顧る所もなかりしと、誠に是れ夫人の眼、自ら鑑識の明を備へたるあるのみならず、其胸中優に男子も及ばざる一種超脱せる見識のあるありしを見るべきなり。
此の如くにして、君が外に忙しき遂に家事を見るの暇もなく、内事は一に夫人に託し、夫人内に助けて余ある、嘗て君をして内顧の憂あらしめず、以て善く力を外に専らにするを得せしめて、而して君が篤敬の心愈々至る、実に夫人は君の半面を成せる者、是を以て人の渋沢家を説く、常に君を論じて夫人に及び、世の君の事業を見る、又併せて夫人の功に及ばざるはなし、夫人已に逝く、法名を宝光院と号す、没するの時年四十一、宝光院貞節にして才気を包み、厳粛にして慈愛を蔵す、内に助けて余あるも、言嘗て外事に及ばず、君深く之を敬愛す其死するや、左右の手を失ふが如し、明治十六年七月其一周年祭に当り、乃ち一詩を賦して曰く
  悵然懐旧涙潜然。 烏兎回頭已一年。
  長憶曖依村荘夕。 梧桐葉落雨如煙。
  長女已帰早挙児。 小郎阿妹又遊嬉。
  慇懃寄語九原路。 家事復無霊旧時。
と其墓標を建つるや、又自ら車を駆て三島中州を訪ひ、曲に宝光院の性行を述べて撰文を嘱す、又以て君が情の篤きを見るべし。
                          (未完)



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四三年(DK290004k-0034)
第29巻 p.56 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年       (渋沢子爵家所蔵)
七月十四日 半晴 暑
○上略 三時半上野墓所ニ抵リ、宝光院ノ忌日ニ詣ス、五時築地新喜楽ニ抵リ ○中略 八時辞シ去リテ三田邸ニ抵リ、親戚ノ会同ニ列席ス、夜十一時王子ニ帰宿ス



〔参考〕(八十島親徳) 日録 明治四三年(DK290004k-0035)
第29巻 p.56 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四三年   (八十島親義氏所蔵)
七月十四日 晴 蒸熱
○上略 七時綱町邸ニ至ル、宝光院殿祥月ニ付、男爵・穂積・阪谷、其他諸家親族ヲ被招、小三ノ落語、洋食等ノ饗応ヲ受ケ十一時帰



〔参考〕(芝崎確次郎) 日記 大正二年(DK290004k-0036)
第29巻 p.56-57 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記  大正二年    (芝崎猪根吉氏所蔵)
(七月)
十四日 晴
 - 第29巻 p.57 -ページ画像 
例刻出勤候事
正午時ヨリ頼合退社、事務所ヘ出頭 ○中略 夫ヨリ上野寛永寺ニ到、宗家及諸家ヨリ来寺、宝光院殿御霊御拝、御墓参ノ上随意御帰館ノ事