デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
2款 社会事業協会 = 財団法人中央社会事業協会
■綱文

第30巻 p.541-543(DK300064k) ページ画像

大正10年3月30日(1921年)

是日、渋沢事務所ニ於テ中央慈善協会評議員会開催セラレ、会名ヲ「社会事業協会」ト改称シ、機関誌「社会と救済」ヲ「社会事業」ト改題スル件議決セラル。栄一会長トシテ之ニ与ル。


■資料

財団法人中央社会事業協会三十年史 同協会編 第一一三―一一一五頁 昭和一〇年一〇月刊(DK300064k-0001)
第30巻 p.541-542 ページ画像

財団法人中央社会事業協会三十年史 同協会編
                      第一一三―一一五頁 昭和一〇年一〇月刊
 ○第一部
    第九章 意義多き大正十年三月の評議員会
○上略 大正十年三月三十日を以て開かれた評議員会こそは、其の議決の条件の重要の意味を具する点に於て頗る特色を有する。今当時の記事を引用して其の概略を伝へよう。即ち
      評議員会
 大正十年三月三十日午後四時、東京日本橋区兜町渋沢事務所に於て評議員会を開く。
  出席者  渋沢会長・窪田常務理事・松井理事・田子会計主務・評議員清水澄・同潮恵之輔・同生江孝之・同田中太郎同山室軍平・同原胤昭、委員富田愛次郎・斎藤樹・牧野虎次・相田良雄
 の諸氏にして、左記の諸件を議決して午後九時散会せり。
○中略
 三、会名並雑誌名変更ノ件
  社会事業進展の状勢に鑑み且第五回全国社会事業大会の希望を参酌し、「中央慈善協会」を「社会事業協会」と改称し、雑誌「社会と救済」を「社会事業」と改題し、内容の充実を計ることゝす。
○中略
である。而して其の最も重要なるものは第三号案の、会名及雑誌名の改称であつた。是に就ては改題後の雑誌社会事業第五巻第一号の巻頭に「改称改題の辞」と称する一編の文章が載つて居る。今之を引用することにする。
      改称改題の辞
 今回本会は会名を社会事業協会と改称し、同時に本誌は社会事業と改題し、新容を整へて読者諸君に見ゆることゝなつた。
 我が先輩同人等が明治三十三年の頃より時々相会合して貧民状態の研究調査を始め、社会の欠陥を塡充し、斯業の改善進歩を図らんと苦心し来つた二十年来の経過を見ると、誠に隔世の感なきを得ざる次第である。此の頃よりして吾人は社会聯帯責任として相互扶助の大義を唱導し来つたのであるが、不幸にして世論は其処まで進んで居なかつ
 - 第30巻 p.542 -ページ画像 
た。明治三十六年第一回の全国慈善大会を大阪に開いてより、全国大会は回を重ねて昨年第五回を東京に開くに至つたが、此時始めて社会事業大会と改称する様になつたのである。慈善事業と称し、社会事業と称するは、啻に名称の相違のみではない。貧弱者を救助するのを以て、富強者の篤志に出づる慈善的行為を待つといふのは、個人的の問題である。個人対象の個人貧の時代では夫でも宜いのであらふが、今や時勢は変遷して、社会対象の社会貧なるものを見るに至つた。この社会貧に対しては、是非とも世人一般に対し、社会連帯の観念を喚起せねばならぬのである。
 惟ふに欧洲大戦後、世界思潮の変調に処し、我が国に於ても大に社会事業の新使命を高調せなければならぬではないか。有産階級に対しては社会的義務を唱へ、無産階級に対しては人々をして各其処を得、其堵に安んぜしむるやうに指導することは、我が社会事業家の責任ではないか。実に社会事業こそは貧富強弱の間に介在せる安全帯(セエフチイ・マアジン)に外ならぬのである。
 社会事業の当局者たるものは須らく社会的安全帯を以て自ら任じ、労働問題を始め、婦人・小児等の諸問題に至るまで、相互対等の観念を以て、世論の喚起に努めなければならぬ。幼弱者保護にしても、病人・不具者・白痴・低能児等の収容教養にしても、孰れも皆平等対等の主義に立つて、これが斡旋の労を取るべきである。其の他社会的変態を調節すべき諸般の社会事業的施設に若《(マヽ)》つては、対等観念の必要なるはいふ迄もないことである。故に是が局に当るものは社会の代表的使命を確信し、其の代表的機関たる任務を全うせなければならぬではないか。
 吾人が爰に会名を「社会事業協会」と改称し、誌名を「社会事業」と改称するに当り、聊平生の抱負を開陳して、巻頭の辞とした次第である。
○下略


竜門雑誌 第三九五号・第五七頁 大正一〇年四月 ○中央慈善協会と会名改称(DK300064k-0002)
第30巻 p.542 ページ画像

竜門雑誌  第三九五号・第五七頁 大正一〇年四月
○中央慈善協会と会名改称 青淵先生の会長たる中央慈善協会にては去三月卅日午後四時より兜町なる青淵先生の事務所に於て種々協議の上、今般従来の会名を「社会事業協会」と改め、其機関雑誌「社会と救済」を「社会事業」と改題するに決したる由。



〔参考〕社会政策時報 第九号・第一九三頁 大正一〇年五月 社会事業の宣伝デー(DK300064k-0003)
第30巻 p.542-543 ページ画像

社会政策時報  第九号・第一九三頁 大正一〇年五月
    社会事業の宣伝デー
 東京の中央慈善協会では三月三十一日限りその名を廃し、四月一日より「社会事業協会」と改名し、これと同時に同会で出してゐた雑誌「社会と救済」をも改称して四月号から「社会事業」と改名することとなつた。尚折々講演会を開き社会事業協会の意義及事業の宣伝をすると同時に会員集合を度々開いて、地方へも出て出《(行カ)》くといふやうに総て積極的に活動を究始することゝなつた。本年も秋期に於て全国社会事業大会を開く筈で、其場所は多分大阪になる筈である。今後最も刮
 - 第30巻 p.543 -ページ画像 
目すべきは、例の社会事業宣伝デーを全国一斉に開いて大宣伝を挙行することであるがこれは段々事実となつて来たので多分五・六月頃に於て六大都市を中心に社会事業大宣伝デーを催すことゝなるらしい。これは日本では初めてのことで充分の準備を以て挙行せねばといふので協議中である。
   ○本巻「中央慈善協会」明治四十四年十一月二日ノ項参照。