デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
2款 社会事業協会 = 財団法人中央社会事業協会
■綱文

第30巻 p.584-591(DK300076k) ページ画像

昭和2年10月21日(1927年)

是日ヨリ二十五日迄、日本青年館ニ於テ当協会ノ主催ニヨル第一回全国方面委員会議開催セラル。栄一開会式ニ出席シ、開会ノ辞ヲ述ブ。


■資料

第一回全国方面委員会議報告書 中央社会事業協会編 第六六―六八頁 昭和三年二月刊(DK300076k-0001)
第30巻 p.584-587 ページ画像

第一回全国方面委員会議報告書 中央社会事業協会編
                    第六六―六八頁 昭和三年二月刊
    会議の準備並に概況
 第七回全国社会事業大会の決議に基く分科会議の最初のものとして当協会は大正十五年十二月に第一回全国児童保護事業会議を開いた。続いて本年(昭和二年)は全国一般の要望に基き、目下我邦に於て最も著しい発達を見つゝある方面委員制度に就て会議を催し、之が改善整備に資する処あらんとし、内務省社会局其他各関係方面の後援を得て、之を東京市に開催することゝなつた。仍て不取敢左の諸氏に準備委員たることを委嘱し、九月十四日を最初とし数回に亘つて準備委員
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打合会を開いて会議に関する要項を議定した。


   準備委員                氏名
  社会局社会部長             守屋栄夫
  社会局保護課長             富田愛次郎
  社会局事務官              山崎巌
  社会局事務官              藤野恵
  社会局嘱託               相田良雄
  社会局嘱託               小沢一
  東京府学務部長             田中蔵六
  東京府社会課長             中原啓造
  東京府社会事業協会幹事         岡弘毅
  東京市社会局長             御厨規三
  東京市社会局保護課長          佐藤伝四郎
  東京市社会局方面係長          早田正雄
  中央社会事業協会総務部長        原泰一

    会議要項
 一、期日
  昭和二年十月自二十一日至二十五日
  会議  十月二十一日(金) 二十二日(土)
  講習会   二十三日(日) 二十四日(月)
        二十五日(火)
 二、会場
  一、協議会 東京市明治神宮外苑日本青年館
  二、講習会 社会局大会議室
 三、出席者
  一、協議員 協議会ニ出席シ意見ヲ述ベ決議ニ加ハルコトヲ得
   資格
   イ、方面委員及方面事務担当者ニシテ地方長官ヨリ推薦セラレタルモノ
   ロ、官公署吏員中方面委員事務ニ関係アル者ニシテ、地方長官ヨリ推薦セラレタルモノ
   ハ、其ノ他特ニ出席ヲ希望スル者ニシテ、地方長官ノ推薦アル者、又ハ本協会ニテ推薦セルモノ
  二、参加員 協議会ニ出席シ意見ヲ述ブルコトヲ得ルモ、決議ニ加ハルコトヲ得ズ
   資格
   臨時ニ出席ヲ希望スルモノニシテ、本協会ニテ適当ト認ムルモノ
 四、人員
  一、協議員 約三百名(地方長官ノ推薦アル者一府県十名以内、外ニ本協会ニテ推薦セル若干名)
  二、参加員 制限ヲ附セズ
 五、会費
  出席者一人金弐円也(協議員・参加員共)
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 六、出席者ニハ鉄道乗車賃金ノ割引(三割)アリ
 七、協議事項
  一、方面委員制度ノ整備ニ関スル件
   イ、方面委員制度ノ経営主体ニ関スル件
   ロ、方面地区ニ関スル件
   ハ、方面委員ノ任務ニ関スル件
   ニ、方面委員ノ人選ニ関スル件
   ホ、方面委員ノ任期ニ関スル件
   ヘ、方面委員ノ担当世帯ニ関スル件
   ト、方面委員制度助成ニ関スル件
  二、各地方面委員ノ連絡ニ関スル件
   イ、第七回全国社会事業大会決議ニ依リ東京市ニ於テ研究ノ上提出セル申合案
   ロ、委員ノ報告カード等ノ様式及分類ヲ一定スルコト
  三、其他各府県提出協議案ニシテ本会議準備委員ニ於テ適当ト認メタルモノ
 八、講習会
  協議員及参加員ヲ以テ講習生トシ聴講料ヲ要セズ
    講習課目      時間       講師
  社会事業ト方面委員    二       守屋氏
  方面委員制度概観     二       富田氏
  方面委員関係法規     二       山崎氏
  方面委員ノ実際ト社会調査 二       原氏
  方面委員ト防貧施設    二       藤野氏
  科外 若干
  外ニ懇談ノ集リ、招待ノ席、音楽映画ノ夕ナドノ催シヲナス
 協会よりは直ちに全国各府県に向つて出席者の勧誘、及び協議案の提出方を照会したが、本会議は甚大なる期待を以て迎へられ、各府県よりの出席申込者予定の三百名を突破し、協議員三百五十名・参加員二百四十名を算するに到り、主催地並にその附近と云ふ関係上、東京府及神奈川県よりの出席希望者は大に遠慮して頂かなければならぬことゝなつた。
 各地提出協議案も亦頗る時宜に適した要件が多く、準備委員会では之に適当な取捨を加へる筈であつたが、数回の会議の結果、全部を会議に上程することゝなつた。
 十月二十一日は、絶好の秋日和、午前八時より受付を開始した。
 開会式は予定の如く午前十時原中央社会事業協会総務部長司式の下に開かれ、劈頭渋沢同協会長の開会の辞あり、次で鈴木内務大臣(杉山内務次官代)の挨拶、更に守屋社会局社会部長の「会議に対する希望」なる一場の講演があつた。
 かくして開会式を了へ、同十一時より正面玄関に於て一同記念撮影をなし、明治神宮外苑にある絵画館見学の後、正午十二時よりは日本青年館大食堂に於ける東京府知事招待会開かれ、午後一時よりいよいよ協議会に移つた。
 - 第30巻 p.587 -ページ画像 
 協議会は、守屋社会部長を議長として逐条協議を重ねられたが、結局議案の全部を三つに分ち、その一つ一つに就き、それぞれ、討議の上委員会に移し、委員会はそれらの討議を参考として更に審議を重ね成案作成の上本会議に報告することゝなつた。
 午後五時一先づ協議会を閉じ、直ちに中央社会事業協会長の招待会開かれ、同六時よりは出席者慰労のため、映画の夕を催した。
 十月二十二日前日と同じく快晴、午前九時より本会議・委員会ともに開かれた。
 正午十二時東京市長招待会が開かれ、一時より会議を再開、第一・第二・第三委員会の報告を受けて之を議決した。午後四時より閉会式に移り、長岡社会局長官の挨拶、窪田中央社会事業協会副会長の閉会の辞あり、午後五時盛会裡に会を閉ぢた。
 尚午後五時より出席者の懇談会あり、出席者約百二十名、食後のテーブルスピーチに花を咲かせた。
 十月二十三日より三日間、社会局大会議室に於て講習会が開かれた会議出席者諸君は此講習会に対しても多大の期待を以て参加せられたので、出席者は予定の人員を超へ、椅子・卓子も補充に補充を重ね、尚廊下に迄溢れる程の盛況であつた。午後よりは東京市内外の重要社会事業施設の見学を試みたが、何処の施設でも大に歓迎して呉れたのみならず、懇切な説明が附せられたので大に有益であつた。
 斯く会議・講習会・見学共に、実に主催者の予想に数倍して熱心に然かも整然に遂行せられたことは、誠に悦ばしい限りであつた。会議の協議、講習会の講演、見学の社会施設、此三つは何れも参加者諸君を通じて、将来の我国方面委員の発達並に社会改善の為め絶大なる功果を齎すものなることを信じて疑はない。


竜門雑誌 第四七〇号・第九二頁 昭和二年一一月 青淵先生動静大要(DK300076k-0002)
第30巻 p.587 ページ画像

竜門雑誌  第四七〇号・第九二頁 昭和二年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
廿一日 中央社会事業協会主催者第一回全国方面委員会議《(マヽ)》(日本青年館) ○下略


第一回全国方面委員会議報告書 中央社会事業協会編 第一一―一三頁 昭和三年二月刊(DK300076k-0003)
第30巻 p.587-589 ページ画像

第一回全国方面委員会議報告書 中央社会事業協会編
                     第一一―一三頁 昭和三年二月刊
    開会の辞 (会長 子爵 渋沢栄一)
 本日、全国各地の方面委員の方々の御集りになりました此の席に於きまして、中央社会事業協会の会長として御挨拶を申上げるので御座いますが、私はお恥かしながら、余り社会事業の実務に就いては経験が乏しく、知識もないので御座いますから、何を御話してよいか分らないので御座います。ですから、今日は只諸君に御目にかゝりまして予々の御勤労に対して、衷心よりの感謝を申上げるばかりで御座います。
 元来中央社会事業協会は古い歴史を持つて居るので御座います。私はお役に立たぬながら、創立の初から今日まで引続いて会長の席を汚
 - 第30巻 p.588 -ページ画像 
して居りますが、又一方に於て私は東京市養育院のお世話をして居ります。此の方はずつと継続して五十有余年になりますが、斯く長い間及ばずながら働いて参りました関係上、当協会に於ても誤つて不当の席を頂いて居る次第で御座います。
 私は今年八十八歳になり、甚だ老衰しまして、斯うやつて台に上りますにも息が切れると云ふ残念な有様で御座いますが、然し人たるものは生命のある限り国民として責を果さねばならぬ、一日存在すれば一日国民としての働をせねばならぬと斯く心得て、社会事業の事務についてもお役には立ちませぬが斯うして働いて居るので御座います。
 社会事業と申しましても数が多く、諸君に於いても各方面に亘つて居られることゝ思ひますから、私として希望がましいことは申せませぬが、永年養育院の事業に携つたことから二・三の経験を申上げて見たいと思ひます。
 慈善事業の変遷は国運の進展に伴つて行はれて居ります。之は時々申上げたことがありますから、中には聞かれた方があるかも知れませぬが、東京市養育院に就て申上げて見たいと思ひます。
 養育院の最初は乞食を集めたものであります。乞食は昔から居りまして、明治維新の当時でも家毎に米などを貰つて歩き其の数も中々多く、大店などへは当時二・三十人もつめかけて居る有様で、見た処頗る体裁が悪く鬱陶しいものでありました。其処で明治五年であつたと思ひますが、外国から身分のある人が来遊されるに就て、乞食狩をして之を一ケ所に集めることになり、是等を収容したのが養育院の起りであります。その時三百数十人を集めましたが、早速生活の方法を考へねばならなくなりました。そして斯く集める前には官許の非人頭として車善七と云ふ者があり、何かと乞食の世話をし生活出来るやうにして居ましたが、斯く一ケ所に集めて見ると、其の生活の料を与へる為めに相当の費用が必要でありますのに、此費用の出所に先づ困難しました。何分当時は新政府の成立後日尚ほ浅く、財政の如き頗る逼迫して居た時のことでありますから、此資金の出所がない。そこで種々苦心協議した結果、松平楽翁公が蓄積してあつた共有金が、政府のものでもなければ、個人のものでもないので、差当りそれの内から支出することにしました。当時此共有金の保管に付て、市内有志数名が共有金取締を府知事から嘱託されて居たので御座いますが、私も其の中の一人でありました。私が斯うした関係で、共有金を養育院の為め出すことになりましたので、之が為め私が養育院に関係するに至つたので御座います。養育院の場所は諸所に転々しましたが、明治十九年に本所に一つの構へを設けて之を本院とし、後大塚に移り、今は板橋に本院を、分院としては巣鴨・井野頭・房州と、此の四つの施設を持つて居り、本院には目下千名から収容して居り、病院には不治の患者が二百人位居ります。又巣鴨分院には三・四百人の児童が居り、房州の方には病弱児童が居ります。
 前申しました様に養育院は明治五年から始められましたが、単に共有金のみでは充分に其の機能を発揮することが出来なくなり、明治十二年に東京府会が開設されると同時に、府の方から経費を支出するこ
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とに決せられました。然るに十五年であつたかと思ひますが、府会議員の中に、養育院の維持に関して強い反対論を主張する者が出来ました。其の議論の要点は「人間は自彊息まずでなければならぬ。然るに誰かがどうかして呉れるであらうと云ふような考を起すと駄目である貧民を救済するから、依頼する気を起すのである。故に救済などするのは間違である」と云ふので、此考へ方が一般を風靡し、遂に渋沢は惰民を奨励する者である、国賊であると非難するものがありまして、私も今のような老人ではなく、若かつたから活気があつて大いに駁論したものです。然し遂に此説が勝利を得て、其の年養育院に対する経費の支出を中止することになつたので御座います。
 然し既に収容したものを一時に追ひ出すことは出来ませぬので、そこで我々の同志十五・六人が集り色々相談いたしまして兎に角之を維持することに致しました。此場合府の方でも今までのものを全部出すわけに行かないので、已むを得ず現に収容して居る者は世話をすると云ふので、それは府の方へ任せ、新しく来るものは私共仲間で経営する養育院で引受けることにしました。之が明治十八年であります。それから四年経つて二十二年に地方制度が布かれ、東京市に自治制が採用されましたが、其の間時勢の変化が相当に激しいものがあり、養育院に対する一般の考も変り、前申した冷酷論は世の容れない所となり遂に東京市で養育院を引受けることになり、私達は他の方法で之を援助することにして、今日に至つたので御座います。此席で此の様なことを喋々申上げるのは不適当で御座いますが、話の順序から申上げたのであります。
 私が諸君に申上げたいことは、当時貧民を救護すべしとした私達の意見と、之を非なりとしたと云ふ府会議員の意見とに就いて御考慮を煩はしたいのであります。諸君方面委員の方々に於かれましても、或場合は役人と相衝突することがないとは断言出来ないと存じます。之は余程難しい問題で御座います。実際に当つて居られる諸君には之を思ひ当られるでありませう。之が社会事業の大きな問題で御座います私の申上げたのは五・六十年前のことでありますが、而し今でも同様であらうと思ひます。諸君は単に慈善救済のことのみをお引受けではないと思ひますが、怠惰にして貧困に陥つた者に対して如何にするか只救済のみを念とするならば、或は反対論が勝つかも知れませぬ。私は未だ果して何れがよいか断定出来ないので御座います。此点は将来社会事業に関係せらるゝ人々によつて深く御考慮を願ひたいのであります。
 人に対する処置に就いて最も重大なものは親切で御座います、親切に、為めを思つて処置してやることであると思ひます。講釈じみて恐縮で御座いますが、厳格か恩愛の情か。之は諸君のよく経験せられることであらうと思ひますから一言愚見を申上げて御参考に供した次第で御座います。終りにもう一度諸君の御骨折りを厚く御礼申上げます


財団法人中央社会事業協会三十年史 同協会編 第二三八―二四一頁 昭和一〇年一〇月刊(DK300076k-0004)
第30巻 p.589-591 ページ画像

財団法人中央社会事業協会三十年史 同協会編
                   第二三八―二四一頁 昭和一〇年一〇月刊
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 ○第一部 第十五章 最近十ケ年に於ける協会主催の会議並協議会
    七 方面委員に関する会議並協議会
       第一回全国方面委員会議
 第一回全国方面委員会議は、全国より六百余名の方面委員及関係者参集の上、昭和二年十月二十一日より二十五日まで東京明治神宮外苑日本青年館に於て開催された。
 当時、我国方面委員制度の創設せられてより未だ十年を経たるに過ぎなかつたが、既に一道三十六府県に普及し、一万二千を超ゆる方面委員が存在し、其の取扱件数も年々三十万に達するが如き実績を挙げつゝあつたが、勿論未だ何等法令に其の規定なく全く各地任意の施設であつて、地方に依り発達の沿革組織を異にするのみならず、之が運営方法に於ても区々にして甚しき相違があつた。
 従つて全国の方面委員が何等かの方法を以て相会合し、斯業の知識と経験とを交換し、相互の向上に資し、延ては且つ事業の関係上、今後相結束して相互の聯絡提携を密にせねばならぬ事は、夙に識者の間に叫ばれてゐたのであるが、時恰も先年開催せられた第七回全国社会事業大会に於て、社会事業の分科的会議を開催する事を委任せられた本協会は、曩に第一回児童保護事業会議を開催して予期以上の効果を収めたるに鑑み、続いて本会議を開催するに至つたのである。
 かゝる性質を有する本会議は、開催の劈頭に於て時の鈴木内務大臣が「中央社会事業協会の本回の挙は、斯業の将来に対し裨益する所蓋し尠少ならざるを確信する」と述べられた如く、回を重ねるに従つて全国方面委員の聯絡を密にし、結束を鞏固にし、後述する如く救護法の実施促進に関する一大勢力として社会の輿論を喚起するの重大責務を果したるのみならず、遂に其の制度は救護法施行の重大機関として採択せられ、我国社会事業の根幹として発達した事は、日本社会事業史上の異彩と言ふも決して過言ではないのである。
 本会議に対しては、本協会より方面委員制度の整備に関するもの及び各地方方面委員連絡に関するものの二件を提出したが、後者に関しては第七回全国社会事業大会の決議により、東京市に於て研究作成したる申合案を添付提出し、外に各府県よりは協議題四十九件が提案せられた。
 以上の協議題は取纏め一応総会に於て討議したる上、夫々委員会に附託せられたが、其の決議事項の大要は次の如くである。
   決議事項
 一、方面委員は地方公共団体をして経営せしむること
   但し既役《(設カ)》の私設団は之を認むる事
 二、方面委員制度の経営主体に対しては、国庫補助の途を啓く様其の筋へ建議する事
 三、方面委員制度に関する法規を制定される様、其の筋へ建議すること
   但し各地方に於ける制度の実施及び沿革を尊重し、過去多年に亘り涵養せられたる純真成化の美風を損し、或は委員活動の範囲を局限し、之が事業遂行を沮碍し、又殊更に法規を以て其の組織
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並に発達傾向を変更を与ふるが如き事なき、やゝ極めて大綱の規定に止められんことを望む旨を附記すること
 四、救貧法未だ制定せられざる為め、方面委員の取扱上困難すること多し、法令を制定するまで現在の恤救規則の範囲を拡張し、給与額を増加するやう其の筋へ建議すること
 五、将来貧児扶助に関し機関を設置せらるゝ場合には、方面委員を以て之に充てらるる様其の筋へ建議すること
 六、全国に於ける方面委員の相互連絡を図り、之が普及発達を期する為め、適当なる機関を設置されん事を其筋に建議すること
 七、前項機関実現に至るまで、中央社会事業協会に於て其の衝に当られんことを望む
 八、社会連帯責任観念を一般によりよく普及徹底せしむる為め、特に社会事業に関する事項を国定教科書に登載する様、その筋へ建議すること
 九、健康なる常習的浮浪者に対しては、委員に於て極力之が処置を講じ、止むを得ざる者は之を警察官署の手に委ぬること
  一時的浮浪の者に対しては、授産場・職業紹介所等に依り、委員に於て適当の措置を講ずる事
  旅費欠乏者に対しては行旅病者と同一取扱を為すよう其の筋へ建議すること
 一〇、活動写真に熱中し家出する青少年少女の保護及防止の為め、小中学校・青年団に対し留意方を文部省に建議する事
○下略