デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 保健団体及ビ医療施設
9款 社団法人日本赤十字社
■綱文

第31巻 p.127-128(DK310022k) ページ画像

大正12年11月20日(1923年)

是ヨリ先関東大震災ニ際シ、アメリカヨリテント病院ノ寄贈ヲ受ケ、当社之ヲ経営シ来リシガ、同病院撤廃ノ議起リ、是日栄一、実務担当者ヨリ之ガ存続ヲ依頼サル。仍ツテ栄一当社社長平山成信及ビ外務大臣ニツキ斡旋セシモ、十二月ニ至リ予定ノ如ク廃止サル。


■資料

渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記(DK310022k-0001)
第31巻 p.127 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月  高田利吉筆記
                     (財団法人竜門社所蔵)
○十一月二十日
△朝目下赤十字社にて経営せる米国寄贈のテント病院の実務に当れる某々両氏飛鳥山へ参邸し、赤十字社ハ経費の都合上、遠からず之を撤廃する意向なるが、テント張りとはいへかく迄設備の行届けるものを此際俄に廃止するハ遺憾なるのミならす、米国の好意を没却するものなれば、何とかして継続維持したしと考ふ、ついては是非一たび御実見の上、赤十字社へ存続の御勧告を乞ふといへり、子爵ハ其意を諒せられ、ともかくも近日一応実見せんと答へらる
○下略
   ○中略。
○十一月廿三日(新嘗祭)
△朝飛鳥山邸にて赤十字病院の井田道秀氏に御接見、昨日平山赤十字社々長に徳川家にて邂逅せしにつき、かの米国寄贈のテント病院存続に対する貴下等の希望を伝達し、尚外務大臣にも同様談じおきたりと告けらる
○下略
   ○当時ノ外務大臣ハ伊集院彦吉ナリ。

 - 第31巻 p.128 -ページ画像 

集会日時通知表 大正一二年(DK310022k-0002)
第31巻 p.128 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
十一月廿三日 午前八時 日本赤十字社井田氏来約(アスカ山)


渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記(DK310022k-0003)
第31巻 p.128 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月  高田利吉筆記
                     (財団法人竜門社所蔵)
○十一月廿九日
△朝王子へ井田道秀氏参邸す、子爵より、平山赤十字社社長はテント病院は十二月半頃にハ是非撤廃の予定にて、其設備ハ既に各支部に分配する事に確定せりといへるよしを告けられ、但予もなるべくは存続させたしと考ふるを以て、米人側の意思をも確めたる上尚再考を求むるやうすべしと申聞けらる
○下略
   ○中略。
○十二月一日
○上略
△午後三時事務所にて井田道秀氏に御接見、テント病院撤廃は米国に対して不本意なれど、赤十字社に於て断然撤廃に決したる以上は、力及ばざる旨を告けらる
○下略


渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二年十二月至 高田利吉筆記(DK310022k-0004)
第31巻 p.128 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二年十二月至  高田利吉筆記
                     (財団法人竜門社所蔵)
○十二月十二日
○上略
△テント病院の院長たりし五斗欽吾氏参邸、過日来御斡旋の労を謝す
○下略