デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第33巻 p.456-457(DK330033k) ページ画像

大正5年7月15日(1916年)

是日、当委員会主催、アメリカ合衆国人モートン・プリンス博士送別晩餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

中外商業新報 第一〇八七〇号 大正五年七月一六日 ○プリンス博士招待 日米関係会晩餐会(DK330033k-0001)
第33巻 p.456-457 ページ画像

中外商業新報 第一〇八七〇号 大正五年七月一六日
    ○プリンス博士招待
      日米関係会晩餐会
日米関係会代表者渋沢男・中野武営氏主催となり、十五日午後六時半より帝国ホテルに於て、今回来朝せる米賓モルトン・プリンス氏を主賓とし、日米両国の親善に努力しつゝある添田総裁、金子子、瓜生・目賀田・神田・大倉の各男、朝野の名士卅余名を陪賓として招待し、盛大なる晩餐会を催せり、同七時食卓に着き、デザート・コースに移るや渋沢男は起ちて左記の挨拶を為せり
 今回プリンス氏は、曩に米国名士五百余名が署名して聯合国に対し発せる公開状を齎し来れり、同公開状の趣旨は、是非を識別せる判断、即ち武力主義を根絶せざる可らずと云ふ自然の声也、而して同氏が来朝以来親しく我国情を視察し、将に帰朝せられんとす、此秋に当り一言したきは、東洋の平和、就中支那に於て日米両国が相提携せんこと是也、然るに米国の新聞紙中、日本に於ける最近の政治上の出来事に就き誤解せりと思はるゝ節無きに非らざるが、日本は決して支那に於て米国と競争するの意思更に無く、常に提携して東洋の平和を図るを是れ念とせり、此間の消息はプ氏が既に充分諒解し居らるゝことと信ずれば、帰国後は日米親善の為め、若し誤解ありとすれば之を氷解するに尽力あらんことを望む
と結び、右に対しプリンス氏は左の答辞を述ぶ
 今回来朝に際し、各方面より非常の歓待を享く、光栄之に若くもの無し、然し此歓待は恐く予一人に与へたるに非らずして、実に吾人と同様の感を有する我同胞に対して、与へられたるもの也と前提して、渋沢男の述べたる日米親善に就ては、帰朝後充分に努力すべしと云ひ、更に進んで欧洲戦は数百年来蓄積せる富を須臾の裡に破壊し、其惨状実に観るに忍びざるものあり、斯る惨禍を呈せるは、実に軍国主義及武力主義の結果と云ふを得べし、而して今次の戦争にて吾人は三大教訓を得たり(一)近世の戦争は其惨状到底之を以前の戦争に比すべからざること(二)各国軍備を如何に拡張するも、
 - 第33巻 p.457 -ページ画像 
到底枕を高ふして眠る能はざること(三)軍備の巨大にして数百年来の蓄積も一朝にして空費すること即是なり、独墺両国の侵略主義は右の如き惨禍を齎したるものなれば、斯る武力主義は絶対に之が禍根を絶つに努力し、之と同時に白耳義及塞爾比亜をして、戦前状態に帰復せしめざる可らず、斯の如くして日米両国は今次大戦争の教訓に鑑み、徒らに軍備の拡張を為すが如き愚を避け、両国民が意志の疏通を図り、両国の親善を期せざる可らず
と述べ、右終つて食堂を閉し、一同別室に移り、主客歓談裡に同十時半散会せり
   ○本章第五節所収「其他ノ外国人接待」同日ノ条参照。