デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.231-235(DK340026k) ページ画像

大正13年5月1日(1924年)

是日、内閣総理大臣清浦奎吾、日米問題ニ造詣アル有力者ヲ首相官邸ニ招致シ、アメリカ合衆国移民法問題ニ関スル意見ヲ徴ス。栄一出席シテ自説ヲ述ブ。


■資料

(金子堅太郎)書翰 渋沢栄一宛(大正一三年)四月二八日(DK340026k-0001)
第34巻 p.231 ページ画像

(金子堅太郎)書翰 渋沢栄一宛(大正一三年)四月二八日
                    (渋沢子爵家所蔵)
           (栄一鉛筆)
           四月三十日落手同日電話ニテ回答済
拝啓、先日枢密院会議後清浦首相及ひ松井外相ニ面会候処、政府は目下日米問題解決之考案無之候由ニ付、高等聯合委員会を設けて将来之禍根を一掃するの緊要を陳述致置候間、御閑暇も有之候得ハ、首相ニ御面会被下、従来之経過及ひ御意見の程をも十分御開陳被下度希望之至ニ不堪候、何れ小生も出京之節精細ニ開陳之見込ニ御座候、先は要用迄 匆々頓首
                        堅太郎
  四月念八
    渋沢老台
        侍曹
東京市日本橋区兜町 第一銀行内渋沢事務所 子爵渋沢栄一殿 急親展 (別筆朱書) 日米関係
相州葉山村 金子堅太郎
   ○右ハ「日米関係委員会緊要書類」ナル綴込中ニアリ。


集会日時通知表 大正一三年(DK340026k-0002)
第34巻 p.231 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年 (渋沢子爵家所蔵)
五月一日 木 午前十一時 清浦首相ヨリ御案内(同官邸)
       午後三―四時 日米問題ニ関シ名古屋市民代表黒宮氏外七名来約(兜町事ム所)
五月二日 金 午前九時 松井外相ト御会見ノ約(外務省)
   ○中略。
五月十六日 金 午後三、半時 清浦首相ヲ御訪問(同官邸)


(増田明六)日誌 大正一三年(DK340026k-0003)
第34巻 p.231-232 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一三年 (増田正純氏所蔵)
 - 第34巻 p.232 -ページ画像 
五月九日 金 晴
○上略
午後一時子爵の室ニ於て、子爵の外務省佐分利参事官と日米問題ニ付き談話せらるゝを傍聴す
○下略


中外商業新報 第一三七〇四号大正一三年五月二日 清浦首相日米問題の意見を徴す 内田伯・渋沢子・金子子・幣原男 団氏等を官邸に招請(DK340026k-0004)
第34巻 p.232-233 ページ画像

中外商業新報 第一三七〇四号大正一三年五月二日
  清浦首相日米問題の意見を徴す
    内田伯・渋沢子・金子子・幣原男
      団氏等を官邸に招請
政府は対米問題に善処すべく、先般来これが善後策に付考慮中であるが、対米問題に造詣深い有力者の意見を徴するの要ありとなし、清浦首相は一日午前十一時首相官邸に内田康哉伯・渋沢栄一子・金子堅太郎子・幣原喜重郎男・団琢磨諸氏の来邸を求め、政府側から清浦首相並びに松井外相も出席して当面の移民問題に付種々意見を交換し、かつ政府の対策等についても外相から具さに説明して其諒解を求め、正午々餐を共にし午後引続き協議を遂げ、同二時過ぎ来賓一同辞去した
  具体策は出ず
    意見の交換だけ
      首相の有力者招待会内容
政府が移民問題に関し一日首相官邸へ渋沢・内田・金子・幣原・団の五氏を招ぎその意見を徴したのは、これ等有力者の交換意見を対策の参考に資せんためで、先づ清浦首相及び松井外相から現下の事情の詳細な打明け話があつて後
 内田伯 本問題は紳士協約締結によつて日米両国が表面の親交を続けて居たが、実はその親交には何となく面はゆいものがあつた、即ち両国間にはおそらく両国の国民大部分が心にも思はぬやうな癌しゆがあつて、その癌しゆのために多年苦しんでゐる
と精細に本問題の根本を説述して、多年抱懐する根本解決策を披瀝し次いで渋沢子は事態のあまりに押迫つたことを呉々も遺憾とする旨を述べ
 渋沢子 本問題解決の最初の鍵は日米高等委員を組織するにあつたが、米国政府の賛同を得ずして今日に至つたのが禍根である
と語り、同じく
 金子子 斯る問題を政府にのみ委せるは事態を複雑にするばかりだから、官民合同の委員会によつて根本問題の解決方を商議するやう多年主張したが、未だ実現に至らざるうちに事のここに至つたは遺憾である
と渋沢子の所説を敷えんするところあり、次いで
 幣原男 自分は多年この問題につき米国政府と直接商議の任にあたつて居た、ことに所謂幣原モリス案の如きは移民問題の根本原因をモリス氏の詳細に調査し、その病根の明瞭なものに対しては治療方法まで研究断定したのだが、米国政府の更迭のため具体案とならず今日に及んだのである
 - 第34巻 p.233 -ページ画像 
と当時の情況を語り、続いて
 団氏 米国実業界方面では日本との提携を熱望し断じて排斥がましき態度を示さず、しかも経済的には特に密接なる関係にある両国間に、かくの如き不祥事を起すは一に米国の一部政治家が自己の政治的生命を満足せしむるためになす小策である
とて実業家側の親米意見を明かにし、各自なほ米国の現時の政状から推察して、移民法案の運命が如何になりゆくかにつきそれぞれ観測意見を交換した
当日の席上ではこの際民間から代表者を米国へ派遣すべしといふ意見は誰からも出ず、また対米問題の政策に関する何等の決議やうのものもせず、単に意見の交換に止め散会したと


中外商業新報 第一三七〇四号 大正一三年五月二日 両国のため解決に努力 渋沢栄一子談(DK340026k-0005)
第34巻 p.233 ページ画像

中外商業新報 第一三七〇四号 大正一三年五月二日
    両国のため解決に努力
      渋沢栄一子談
◇……米国の排日的移民法案は実に日米の外交上に憂慮すべき問題であるから、清浦首相・松井外相共その日本としての態度を決するに当り、団・金子・内田・幣原、及び私のやうに、相当米国との関係の深いまた事情にくはしい者を集めて意見を求めたのであるが、各人区々に硬軟の議論を吐いた
◇……私は猫のやうな男であるけれど、時に爪を見せる必要もあると思つて忌憚なく意見を述べた訳である、別にこれといつて対策が決定したのではないから、誰か渡米するに到るか判らない、高等委員の如きものゝ設置も日本としての意見はまとまつて居るとは云へ、米国がこれに応じなければ成立しないのである、勿論委員を作つて新移民法案の内容を審議することなどは、それを延期しかつ緩和することになるから適当なものであると思ふ
◇……最近自分は米国人の渡日して居る実業家や宗教家と会見して、隔意のない意見を交換したが、何れも米国の理不尽を唱へ、帰国したら、反対運動を起すと云つてゐる、この一両日の電報で見ると問題は多少日本の有利に転換しつゝあるやうだが、まだどうなるか判明しない状態にあるので、私としては日米両国のため円満に一日も早く解決することに努力を続ける積りである
   ○右ノ記事ハ「竜門雑誌」(第四二九号・第七五―七七頁、大正一三年六月)ニ転載セラレタリ。


時事新報 第一四六五六号大正一三年五月二日 民間の三氏口を揃へて対米外交を難詰す 高等委員会組織の議出づ(DK340026k-0006)
第34巻 p.233-234 ページ画像

時事新報 第一四六五六号大正一三年五月二日
    民間の三氏口を揃へて対米外交を難詰す
      高等委員会組織の議出づ
米国の排日移民問題に関し、清浦首相が内田康哉伯以下五名の名士を招待して懇談を重ねる所あつたが、其の内容に付いては厳秘に附せられてゐるが、仄聞する所によれば民間より招待せられたる渋沢栄一・金子堅太郎の二子及団琢磨氏は、現政府並に過去数年間に於ける当路者たりし内田伯・幣原喜重郎男等の採りたる
 - 第34巻 p.234 -ページ画像 
 外交方針 に対し強硬なる難詰を加へ以て政府の発奮を望む所があつたといふ。即ち之等民間の実業家が、日米外交に関し政府の為めに陰に陽に援助を試みて真の国民外交を行はんとしたことの濫觴は、旧く故小村外相の時代に始まり、爾来其の代表者は彼国実業家の有志と結んで実業視察の名の下に両国間の友誼親善を計つたのであるが、特に日本移民の問題に関しては大正九年以来日米高等委員会を設くるの議を起し、十一年に至つて渋沢子等は彼地に於て米国民有志の賛成を得たので、帰朝後直に外務当局に
 其旨を陳情 したのであるが、当時の内田外相並に埴原次官はモリス幣原協約に望みを嘱せるため容易に承認せず、幾度か交渉の後辛うじて『若し米国政府にして承引せば我政府も同意せん』との言質を得たのみで遂に実現の機に逢着しなかつた。而して政府の頼みとするモリス幣原協約は共和党となつてからは効力を失ひ、此間大審院の土地所有禁止に関する判決、ジヨンス氏の憲法改正案の議会通過等我形勢は日に非なるものあり、終に今回の排日移民案たるジヨンソン案の議会提出を見るの有様となつたので、玆に民間の有志は再び
 政府に建策 すべく去る二月渋沢子・阪谷芳郎男・添田寿一氏の三名は外務当局を訪問し『此際民間より適当の士を挙げて渡米せしめ以て諒解に努めしむるやう計られたし』とて暗に金子子を推す処あり、渋沢子・阪谷男は更に清浦首相をも訪問して事情を具に陳べたので政府も漸く之に同意せんとする模様であつたが、右の形勢を桑港に於て発行する新聞紙にて探り得たる埴原大使は、之を以て米国政界に悪影響を及ぼすものとして極力阻止すべき旨を
 外相宛打電 したゝめ、政府は改めて渋沢子・阪谷男・団氏に対して金子子遣米の議を打切るべき旨を伝達した、此の二回に亘る政府の措置が民間の有志に対して満足を与へることの出来なかつたのは当然で、殊に金子子遣米問題の紛糾せるに際し、米国両院が排日移民案を可決したるは一に埴原大使の抗議文書が不穏当であつた為めであるとの説、「政府誤れり」との感を一層深からしめたものゝやうである、従つて之等民間側の難詰は頗る猛烈を極めたに対し、政府側も大いに
 弁明に努め 今度採るべき措置に就き意見を求めたが、結局何等具体的結末を見るに至らなかつたのであつて、唯該排日移民案の実施期日を出来得る限り延期せしめて、右の期日迄に出来得るならば高等委員会の如き機関を設くることに就き、米国政府の同意を求むる手段を講じては如何といふ議が極めて有力であつたと伝へられる


東京日日新聞 第一七一〇七号大正一三年五月二日 日米高等委員会の準備委員会計画 首相・外相の意嚮 渋沢・金子両子の献策は預り(DK340026k-0007)
第34巻 p.234-235 ページ画像

東京日日新聞 第一七一〇七号大正一三年五月二日
  日米高等委員会の準備委員会計画
    首相・外相の意嚮
      渋沢・金子両子の献策は預り
清浦首相は一日午前十一時より松井外相・内田康哉伯・幣原喜重郎男・金子堅太郎・渋沢栄一の両子、団琢磨氏等を永田町の官邸に招致し、排日移民法案の通過並びにこれに関する日米交渉の経過を詳細に報告し、この問題が今後如何に展開するか米国における上下両院協議会の
 - 第34巻 p.235 -ページ画像 
決定を見ざる間はその前途を卜知し得ない所であるが、日米問題はその関係頗る複雑であると同時に永い歴史を有するものであるから、政府は勿論最善を尽しこれが解決に当るといふも、一方民間有力者の援助を乞ふのでなければ完全を期し得ない、よつて諸君において適当の解決策があれば御意見を承りたいと諮り、種々意見の交換を行つたのであるが、金子・渋沢両子は年来の主張である日米高等委員会を組織しこれによつて解決するを最も適当とすると主張した、しかして政府としても日米高等委員会の組織についてはもとより異議ない所であるが、この問題は米国政府の意嚮を徴した上でなければわが国だけで決定し得ない所であると同時に、この際即時に日米高等委員会の設置をなす事は不可能とする事情もあるから、兎も角米国政府と交渉した上取りあへず日米高等委員会組織の準備委員会ともいふべき機関を設けて見たいといふ腹案を有してゐる赴きを、首相並びに外相より報告し一同の意見を徴したるに、渋沢・金子の両子は即時日米高等委員会組織の意見を有するのであるが、政府が先づ準備委員会設置の方針であるならば敢て異議を挟むべきでないといふ事になつたから、政府は此問題について米国政府との間に折衝し、若し米国政府が之に同意すれば日米高等委員会準備委員会の組織を見るに至るであらうと