デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.471-475(DK340051k) ページ画像

大正14年2月10日(1925年)

是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ジェローム・ディー・グリーン招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一、病気ノタメ出席スルヲ得ズ。


■資料

日米関係委員会往復書類 (一)(DK340051k-0001)
第34巻 p.471 ページ画像

日米関係委員会往復書類 (一) (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、然ハ目下紐育リー・ヒギンソン銀行々員ジエロム・グリーン氏先般来同銀行ヲ代表シテ本邦社債ノ件ニ付来邦中ニ候処、同氏ハ多年日米親善ノ為ニ尽力セラレ居候ニ付テハ、来十日正午東京銀行倶楽部ニ於テ招待午餐会相催度ト存候間、御多忙ノ際恐縮ニ候ヘ共御来会被成下度、此段御案内申上候 敬具
  大正十四年二月二日
               日米関係委員会
                常務委員 渋沢栄一
                同    藤山雷太
    委員各位
  追テ御来否封中端書ヲ以テ御回示被下度候


日米関係委員会集会記事摘要(DK340051k-0002)
第34巻 p.471-473 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要 (渋沢子爵家所蔵)
 大正十四年二月十日正午、於東京銀行倶楽部、日米関係委員会主催ジエローム・グリーン氏招待午餐会
  出席者
   (賓客) ジエローム・グリーン氏 山崎馨一氏(総領事)
   (委員) 一宮鈴太郎氏・服部金太郎氏・堀越善重郎氏・小野英二郎氏・添田寿一氏・頭本元貞氏・内田嘉吉氏・藤山雷太氏・浅野総一郎氏・阪谷芳郎男爵・男爵森村開作氏
   (幹事) 服部氏・小畑氏
藤山氏 本日は日米親善の為め常に全力を注かれ居る渋沢老子爵の御
 - 第34巻 p.472 -ページ画像 
出席なきは吾等委員一同真に遺憾とする所であると述べられ、グリーン氏の日本に対する感情は、尋常の米国人の其れとは大に異なる所あり、如何となれば同氏は日本に生れ幼少時代を日本に過された故に、グリーン氏に取つては日本は第二の故郷であると考へらる、而して此個人的関係は、両国の親善に貢献する所が甚だ多いのである。私も男子三人を皆米国に留学させて置きますが、彼等は米国の歴史・風俗・習慣を知るか故に、自然米国に親しみを覚えるは当然である。一昨日も商業会議所でシヤトル実業団を午餐会に招待しましたが、其内の一人なるエルドリツヂ氏は日本の婦人を妻君にせられて居る頗る親日の人であるそうである。相互の感情が融和して遂に経済上の協力も容易に出来るのである。米国に生れたる日本系の米国市民は日米親善に貢献する所が甚大であると考へらる。グリーン氏の如き日本に生れられたる人が常に日本を愛慕せらるゝ如く、彼等日本人も米国を自国として愛するであらう。人情は相互の関係を聯絡せしむるに最も重要なる力と考へられます
グリーン氏 本日此盛なる午餐会に御招待の栄を得て、光栄に存じます、藤山司会者の仰せられた如く「日本の老偉人」として知らるゝ渋沢子爵の御欠席を至極遺憾に思ふ次第であります。自分は日本で生れ、十二歳まで日本に生活しました。世間では宣教師といふものは随分不自由な生活をして居るものであらう、真に気の毒であるといはれますが、私共宣教師の子供等は幸福な生活を送つたものであります、此度も数週間京都に滞在しましたが、子供の時代を思ひ起して感慨無量なものがありました。私は東京に参りまするや否や先づ明治神宮に参拝を致しました、之れは明治天皇は私の時代の天子様で在し給ふたからであります。私は此際一つの昔話を致します、今を去ること四十五年前、即ち一千八百八十年、時の大統領がヘース氏でありまして私の叔父が国務長官でありました。父が日本国内に治外法権の行はるゝを見て之は日本の国辱であるから、之を廃するのが当然であると考へて国務長官に書面を出しました、而して其結果大統領ヘースは治外法権撤廃を主張されたのですが、日本と各国との条約が、他の条約国の一致を得なければ改正が出来ぬ事になつて居りました為めに成功しませんでした。日米関係委員の数は少数である様に聞いて居りますが、有力なる人々より成る団体であることを知つて居ります、私は常に専門の事業に没頭しております故に、政治上の問題に就て深き知識を以て居りません、然し排日移民法に関する我邦の意向は幾分諒解して居る積りであります、数週前日置大使が米国は堕落せりとの意を漏らされましたが、必ずしもソーではないと思ひます、米国人は間違と知つたならば、早晩必ず之を訂正します、私が米国を去る前にエール倶楽部で七十名計りの会合がありまして、ウツヅ大使が排日移民法の撤廃を叫んで大喝采を得ました。排斥移民法の悪影響が誇大視しされては居らぬかと思はれる節があります、米国では日本人個人に対する態度は聊かも変つて居りません、何れ適当な時期を待つて移民法の改正が行はるゝことゝ信じます、終りに再び本日の御厚意を謝する次第であります。
 - 第34巻 p.473 -ページ画像 
添田氏 関係委員会の多数が出席の出来ざりし事を遺憾とす、会員中には銀行家少からず。グリーン氏の尊大人が日本に善良なる感化を及ほされたることは見逃すべからざる事実なり、特に彼の治外法権撤廃に気附かれしなどは実に感佩の至りなり。仄聞する所によれば今回グリーン氏の使命は日本の社債に応じらるゝ様子なり、此処に興業銀行の小野氏も居らるれば宜敷様御高配を願ふ、両国の経済的関係は親善の上に密接なる関係を有するものである
  午後二時閉会
   ○本章第五節所収「其他ノ外国人接待」大正十四年二月十三日ノ条参照。


(増田明六)日誌 大正一四年(DK340051k-0003)
第34巻 p.473 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一四年 (増田正純氏所蔵)
二月十日 火 晴
○上略
正午銀行倶楽部ニ於日米関係委員催のジエローム・グリーン氏招待会あり○下略


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK340051k-0004)
第34巻 p.473 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一四年 (渋沢子爵家所蔵)
二月十三日 曇 寒
○上略 十一時米人グリーン氏来訪ス、小畑氏ノ通訳ニテ一別以来ノ経過及往時ノ記憶ヲ談話ス○下略


(ジエローム・ディー・グリーン)書翰 渋沢栄一宛一九二五年三月一八日(DK340051k-0005)
第34巻 p.473-475 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 ジェローム・ディー・グリーン宛大正一四年六月二五日(DK340051k-0006)
第34巻 p.475 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ジェローム・ディー・グリーン宛大正一四年六月二五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
      案
 紐育エックスチエンヂ・プレース四十三
  ジエローム・ディ・グリーン殿
    大正十四年五月二十九日
                   東京 渋沢栄一
拝復、三月十八日付尊書落手難有拝誦仕候、然ば過般御来遊の際日米関係委員会午餐会に御来会相成候も、老生病褥中なりし為め親しく御高話を拝聴致ことを不得、頗る遺憾に存居候処、其後態々拙宅御来訪被下、日米問題に関し復蔵《(腹)》なき意見交換の機会を与へられ候は、老生の感謝措く能はざる処に御座候
御帰朝後大統領クーリツヂ氏に御会見の節、老生等の意見御懇談被下大統領が非常に智的且同情的興味を披瀝せられ候由にて、大統領の言葉は拝承するを得ざるも、我邦に対し厚き友情を抱かれ、両国親善関係の恢復を国民と共に熱望せられ居候との来示に接し、欣快措く能はざるもの有之候、亦貴下が日米両国々交親善に深き興味を抱かれ、将来益々御尽力可被下との御申越は、真に老人の胸中感激に堪へざる次第に御座候
老生の病気は未だ全快の域に達せず依然として籠居罷在候も、頃日漸次快方に向ひ居り候間御安心被下度候、右遷延ながら御返事申上度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ六月二十五日付ニテ発送セラレタリ。