デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
6款 ニュー・ヨーク日本協会協賛会
■綱文

第35巻 p.486-487(DK350065k) ページ画像

大正3年9月25日(1914年)

是日、当会主催アメリカ合衆国経済協会会頭ヘンリー・シー・アダムズ招待午餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第三一七号・第七一頁大正三年一〇月 ○アダムス博士招待会(DK350065k-0001)
第35巻 p.486 ページ画像

竜門雑誌 第三一七号・第七一頁大正三年一〇月
○アダムス博士招待会 米国経済協会々頭にしてブリンストン大学の経済学長たるアダムス博士は、従来支那政府顧問として支那に在りたるが、今回本国の召命にて帰国の途次我邦に立寄れるを以て、紐育日本人会協賛会主人役となり、九月二十五日帝国ホテルに同博士及米国大使を招待し、午餐会を催せり、食後青淵先生は主人側を代表して歓迎の辞を述べ、且博士が学術界及実業界にも多大の貢献を為せる経歴を讚称し、次いで日米関係を説き、更に博士が隣邦支那に於ける交通機関の整備を念ひ、同国鉄道事業の改善に尽瘁されたるを讚し、今後両国共同の資本を以て其設備の完成するに到らんことを望むと述べ、之に対しアダムス博士は謝辞を陳べたる後、支那に於ては英才達識の人々少なからざるも、各階級の協和的良風に欠くる所ある為め、動もすれば互に阻隔するの傾向あり、従つて支那に於ては今日の如き各有力者諸君の融和懇談する会合に列席し得ざりしを遺憾とすと述べ、主客歓談し、午後三時散会せるが、会後博士は大隈首相の招待に依り、同邸に赴きたり、当日の出席者左の如し。
 青淵先生、金子子爵、阪谷・高橋・神田各男爵、益田孝、志村源太郎、志立鉄次郎、早川千吉郎、団琢磨、大倉喜八郎、浅野総一郎、小野英二郎、福井菊三郎、池田成彬、米山梅吉、鎌田栄吉、桜井・添田・金井・塩沢各博士、ツヤーキー、成瀬正恭、串田万蔵、堀越善重郎、頭本元貞等諸氏
 - 第35巻 p.487 -ページ画像 

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正三年(DK350065k-0002)
第35巻 p.487 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正三年
                 (阪谷子爵家所蔵)
○九月廿五日、ホテル午餐、渋沢男主催(日本人会紐育)ヘンリー・シー・アダムス氏(支那交通部顧問)招待、米大使ガスリー氏等来会ス
○九月二十六日、日本クラフ晩餐、アダムス氏招待、経済学者寄合、同氏米国鉄道行政談アリ