デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
12款 財団法人日仏会館
■綱文

第36巻 p.266-267(DK360102k) ページ画像

大正8年8月4日(1919年)

是日栄一、来朝中ノリヨン大学総長ポール・ジュバン及ビ同文科大学教授モーリス・クーランヲ飛鳥山邸ニ招ジ、犬養毅・古市公威・富井政章・穂積陳重・阪谷芳郎等ト午餐会ヲ開ク。席上ジュバンヨリ日仏文化交流機関設置ニツキ提案アリ、共ニ実現ヲ期スルコトトス。


■資料

集会日時通知表 大正八年(DK360102k-0001)
第36巻 p.266 ページ画像

集会日時通知表 大正八年(渋沢子爵家所蔵)
七月十四日 月 午前十時半 ジユバン氏来訪(兜町)
   ○中略。
七月廿九日 火 午後二時 ジユバン氏来訪(銀行クラブ)
   ○中略。
八月四日 月 正午 仏人ジユバン クーラン 両氏招待会(飛鳥山邸)
   ○中略。
九月廿二日 月 午後二時 クーラン氏兜町ニ来約


財団法人 日仏会館第一回報告 (自大正一三年三月七日 至大正一四年三月三一日)第一頁(DK360102k-0002)
第36巻 p.266 ページ画像

財団法人 日仏会館第一回報告 (自大正一三年三月七日 至大正一四年三月三一日)第一頁
(謄写版)
創立
 大正八年仏国里昂大学総長ポール・ジユーバン氏及同文科大学教授モーリス・クーラン氏来朝ノ際、日仏両国文化交換ノ機関設置ニ関シ本邦識者ニ提議シ、渋沢・古市・富井三氏及其他有力者諸氏ノ同意ヲ得タリシガ、仏国ニ於テモ関係方面ノ賛同ヲ得タリシカバ、愈之ヲ実行スルコトトナリ、仏国政府ニテモ之ニ補助金ヲ支給スルコトトナリタリ○下略


青淵先生関係事業調 雨夜譚会編 昭和三年二月二十九日(DK360102k-0003)
第36巻 p.266-267 ページ画像

青淵先生関係事業調 雨夜譚会編 昭和三年二月二十九日
                   (渋沢子爵家所蔵)
    日仏会館
○上略
一、創立迄の沿革 大正八年夏、リオン大学総長ポール・ジユーバン(Paul Joubin)氏、同大学教官モーリス・クーラン(Maurice Courant)氏を伴ひ、大学使節として来朝し、諸大学を歴訪。一日青淵先生は両氏を兜町の自邸に招請し、犬養毅、古市公威、富井政章、穂積陳重、阪谷芳郎諸氏の来会を乞ひ、午餐を共にせられた所、ジユバン氏より日仏文化交換の機関を設けては如何と提議した。
 - 第36巻 p.267 -ページ画像 
         此事は頗る時宜に適するものと思惟せらるゝまゝ、互に実行を考慮する事となつた。
         ジユバン氏帰仏して、日仏文化交換機関設置に付き仏国政府の諒解を求め、関係方面人士と種々計画す、其翌年大正九年、恰もリオン在勤日本領事木島孝蔵氏帰国する事となつた為め、ジユバン氏は木島氏に託して右計画の事を青淵先生等に伝へると共に、日本に於ける計画進捗を催促する所があつた○下略
   ○前掲「集会日時通知表」ニヨレバ午餐会ノ開カレタルハ飛鳥山邸ナリ。右ニ兜町ノ自邸トアルハ誤ナルベシ。
   ○右ト同様ノ記事「竜門雑誌」第四八一号(昭和三年一〇月)「青淵先生と仏蘭西」(木島孝蔵)ニアリ。
   ○本款大正十三年十二月十四日ノ条ニ収メタル当会館開館式ニ於ケル古市公威ノ演説筆記参照。