デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.43-45(DK390008k) ページ画像

明治43年2月28日(1910年)

是日栄一、東京市長尾崎行雄・東京商業会議所会頭中野武営ト共ニ発起シテ、第二回米国観光団歓迎会ヲ有楽座ニ催ス。栄一出席シ、有志実業家ヲ代表シテ歓迎ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK390008k-0001)
第39巻 p.44 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
二月八日 曇 寒
○上略見山○正賀東京市吏員来リ、米国観光団本月二十八日ヲ以テ歓迎会開催ノ事ヲ告ク、依テ其手続ヲ増田ヲ以テ談話セシム○下略
   ○中略。
二月二十八日 曇 寒
○上略午飧後兜町事務所ニ抵リ、米国シヤトル市ローマン氏ノ来電ニ回答ヲ発ス、午後二時有楽座ニ抵リ、米国観光団歓迎会ニ出席ス、来会者約四百名、一場ノ歓迎演説ヲ為ス、余興畢テ五時散会ス○下略
   ○ローマンニ就テハ本資料第三十二巻所収「渡米実業団」明治四十二年八月十九日ノ条以下参照。


竜門雑誌 第二六二号・第五五―五六頁明治四三年三月 観光団歓迎会(DK390008k-0002)
第39巻 p.44-45 ページ画像

竜門雑誌 第二六二号・第五五―五六頁明治四三年三月
    観光団歓迎会
青淵先生には中野武営・尾崎市長の諸氏と共に、東京市民を代表して二月二十八日午後二時より、有楽座に於て、這般来遊せる第二回米国観光団の歓迎会を開催せり、先づ尾崎市長は市を代表して、曩に第一回観光団が来遊して間もなく、更に第二回観光団たる諸君の来朝せられたるは、市の最も光栄とする旨の英文歓迎の辞を朗読し、続いて実業家を代表して青淵先生は大要左の歓迎演説を為せり。
 這般来遊せられたる七百五十有余名の観光団中には、八十二歳を高齢として八歳の小児を含む各般の人が、斯く多数に来朝せられたるは我々の最も愉快に感ずると同時に、万腔の誠意を以て歓迎の意を表するものなり、斯くして日米間の親交は益々其度を高むるものなると同時に、我々は大に門戸を開放して諸君が自由自在に各所を観覧せられん事を望み、尚喜賓会は諸君の為めに各種製造工場参観に就き案内の労を執るを惜まず、殊に予は昨年九月来三ケ月間渡米して貴国の各所に於て熱誠なる歓迎を享け、而して今日更に斯く多数の諸君と会するを得たるは、実に心中喜悦の感を抱き、身は今貴国に在るや将た我国に在るか、彼我の別をすら知らざる程なり、更に玆に特に報告致度一事は、昨年我々実業団が貴国巡回中、終始熱誠を以て斡旋し呉れたる沙港商業会議所の会頭ローマン氏より、本日「貴台は米国人が日本に対し敵意を含むとの風評の根拠無きことを了解せられ、何卒沙港商業会議所の友情の永続して渝らざることを反覆言明せられんことを請ふ」との電信に接したれば、予は之に対し「機宜に適したる保障の来電を感謝す、思慮ある我が公衆は米国の友誼の誠実なるを信ずること旧の如し、予も又之を反覆言明するに努力すべし」と直に反電し置けり、如斯にして両国の親交は益々増大するものなり云々(佐藤毅氏英訳)
右に対し団員中、紐育市のローレンス氏は団員を代表して、大要左の挨拶を為せり
 クラーク社主催の団員に代つて、玆に一場の挨拶を為すの光栄を有す、即ち諸君は多忙なるにも拘はらず我々団員の為め、斯く盛大な
 - 第39巻 p.45 -ページ画像 
る歓迎会を開催されたるは一同の深く感謝する所なり、而して貴国は最近世界に於て実に至大なる仕事を為し、今や其大なる仕事を見る事を得たるには更に愉快に感ずる所なり云々
右続てヒリプ氏並にマクレー氏の感謝演説を終つて、帝国劇場附属技芸学校生徒の余興あり、後茶菓を供し、六時散会せりと


東京日日新聞 第一一九三六号明治四三年三月一日 観光団歓迎会 両国親交の電報 余興に三三九度(DK390008k-0003)
第39巻 p.45 ページ画像

東京日日新聞 第一一九三六号明治四三年三月一日
    観光団歓迎会
      △両国親交の電報
      △余興に三三九度
有楽座に於ける米国観光団歓迎会は、予報の如く廿八日午後二時より開催されたり、当日の来客は東京団と日光団とを合せて約三百余名に達し、主人側にては発企者渋沢男爵・尾崎市長等を始め、同男夫人・堀越善重郎氏夫妻等も列席せり
△電報来る、発す 時刻違へず参集したる外賓の一同席定まるや、舞台の幕は開かれたり、中央には一脚の椅子を置き正面には団長ローレンズ博士外二名の総代、少し離れて左側に渋沢男・尾崎市長等の発企人立てり、軈て尾崎市長は二・三歩前進して英文の歓迎辞を朗読し、終つて拍手の裡に退くや、次いで渋沢男出でゝ一場の挨拶を為し、最後にシヤートル商業会議所ローマン氏より左の電報ありしかば、直に返電を発したり、之に依て両国の親交を永遠に持続するを得、併せて紛々たる巷説の耳を傾くるに足らざる事を証し得たるは幸ひなりとて通訳に之を朗読せしめたり
      △ローマン氏の発電
 貴台は米国人が日本に対し、敵意を含むとの風評の根拠無きことを了解せられ、何卒シヤトル商業会議所の友情の、永続して渝らざることを反覆言明せられんことを請ふ
  千九百十年二月廿七日
      △渋沢男の返電
 機宜に適したる保障の来電を感謝す
 思慮ある吾が公衆は、米国の友誼の誠実なるを信ずること旧の如し余も亦之を反覆言明するに努力す可し
右終つて来賓ローレンズ博士外二名の答辞あり、何れも熱誠籠れる歓迎を衷心より感謝する旨を述べ、主客互に握手を交換して退場するや一同起立の下に米国々歌・日本国歌の奏楽ありて式を終り、直に余興に入れり
△鎗踊が大受け 余興は帝国劇場附属技芸学校の生徒に依つて演ぜられたり、先づ第一番は旧大名の婚礼式、新郎新婦が三々九度の場にて、我が国近世の作法を見せたるが、唯綺羅美やかなるまでにて興味薄く、第二番は娘好伊達染小袖にて女侠客奴の小万と鬼門喜兵衛女房お寅の立廻りは、芸よりも背景の隅田川が気に入りたるらしく第三番の鎗踊花段幕は鎗の先に花を附けての飛んだり跳ねたりなれば、理窟を離れて面白くありし如く拍手所々に起れり、斯くて四時四十分余興を終り、別室にて茶菓の饗応を受け一同随意退散せり